飴
祭での踊りの奉納が終わり、娘は疲れ切った様子で床に身体を投げ出していた。
隣に立っている岩も、同じようにどこか疲れを感じさせる表情をしている。
娘と岩を見て、狸と狼は呆れたようなため息を吐く。
「おみよ殿。衣装が汚れますよ」
「まぁまぁ。舞の後で疲れておるのだろう。休ませてやるのも宜しい」
神経質そうな狸を、狼が宥める。
会話は聞こえているのだろうが、娘は動く様子もない。
それだけ疲れているのだろう。
「とはいっても、舞を披露しただけではありませんか」
狸のいうとおりであった。
娘は村の衆や、祭見物に来た者達の前で舞を披露しただけである。
だが、娘にとってはそれが大事だったのだ。
「だけじゃねぇーです。みんなのまえでおどるの、すげぇー気疲れするです」
「貴女は神様方の前で舞ったではありませんか。それに比べれば、どうという事は無いはずです」
ぴしゃりと、狼は険しい顔でいう。
娘は納得がいかないのか、頬を膨らませた。
「おら、そのときのことおぼえてねぇーです。ねぼけてたです」
先日の神達が集まった宴の折、娘は寝ぼけたまま舞ったのだ。
無意識におどる事ができるほど、鍛錬をしたということになるだろうか。
それにしても、寝ぼけたまま舞うというのも中々出来る事ではない。
「はっはっは! それでは、気疲れも何も無いな。覚えておらぬだろう故に」
狼が声を上げて笑う。
狸は呆れからか、頭を抱えた。
だが、そうばかりもしていられない。
何かしら指導をせねばならないという考えからだ。
「御岩様。なにか仰って下さい」
狸に促され、岩は一つ頷く。
「確かに気疲れした。間違えやしないかと思うとな」
岩のそんな言葉に、ますます狼が笑う。
ついに狸は、大きなため息を漏らした。
「あらあら、随分賑やかですね」
ころころと笑う声と、戸が開く音が重なる。
社の中に入ってきたのは、巫女服の女性であった。
オオアシノトコヨミを奉る、神社の巫女。
岩の社には神職が娘一人しかいないので、手伝いに来ているのだ。
「アカゲの狼様も、御狸様も。随分おみよ殿をお気に入りのご様子で」
「オサエ殿。そちらは終わりましたかな?」
「はい。滞りなく。皆さん、おみよ殿の舞に感心されていましたよ」
楽しげに笑う巫女と狼に毒気を抜かれたのか、狸はそれでも憮然とした顔で腕を組んだ。
巫女が来た事に気が付いた娘は、緩慢な動作で身を起す。
「あー。みこさまー。おてつだいしてもらって、ありがとーです」
深々と頭を下げる娘の様子に、巫女は楽しげに微笑む。
「いいえ、いいえ。おみよ殿がもう少し大きくなられたら、うちの神社もお手伝いして頂きますから」
「みこさまの神社って、おおあしさまの神社だったですか? すっげぇーりっぱなとこだってききます!」
「確かに、立派な御社だ。ただ、オオアシノトコヨミ殿には聊か小さい」
岩の言葉に、狼と巫女が顔を合わせた。
たしかに、それはその通りだろう。
何しろオオアシノトコヨミは、身の丈が山をも越える大百足だ。
山にとぐろを巻いて鎮座するその姿は、たしかに人の作る社に収まるものではない。
「成る程。確かにかの御方の御身には小さいやも知れぬ」
面白そうにいう狼。
その言に、娘は不思議そうに首を傾げる。
「えー。でも、おおあしさまはすんげぇーでけぇーってきーたです。おいわさまよりでけぇーなら、どんなおやしろでもはいれねぇーです」
「然り。社というのは大きさではないのだろうな」
「赤鞘様もそのようなことを仰っていました。気持ちの問題だ、と」
何か思い出したのか、狸の表情が苦笑に変わる。
ころころと笑っていた巫女が、ふと手を叩いた。
「そうそう。縁日の元締めから、おみよ殿にこれを。良い舞を見せてくれたお礼だとのことです」
巫女が懐から取り出したのは、小さな紙包みだった。
不思議そうに覗き込む娘の前で、巫女はそれを開いてみせる。
中に入っていたのは、結んだ紐のような形状のもの。
硬質で白く、僅かに透き通るように見える。
「うわぁ! あめだっ!」
先ほどまでの疲れた様子はどこへやら。
娘はぱっと表情を輝かせると、食い入るように飴を見入る。
「さぁさ、お一つどうぞ」
「いただきまーす!」
娘は飴を一つ摘み上げると、口の中へ放り込んだ。
口の中で転がすように頬張る。
みるみるうちに表情はとろけ、幸せそうに両の頬を押さえた。
「んー! あめぇーです! うまいです!」
娘の幸せそうな顔に、狼と巫女は大いに笑う。
狸も、どこか諦めたように笑った。
岩もようやく、笑顔をこぼす。
「そうだ。もらったやつだけど、おっちゃまにもあめ、ほーのーするです」
巫女の手から飴の包みを受け取ると、娘は岩の下に歩み寄った。
だが、岩は首を横に振る。
「それはお前への品だ。遠慮せず食べるといい」
「えー。でも、おっちゃまもいっしょのほーがうめぇーです。それに、おそなえしても、どーせおらがくうです!」
岩へのお供えは、放って置いても悪くなるばかりだ。
なので、備えた後はお下がり物として、おおよそ娘の口に入ることになっていた。
たとえ岩に供えても、結局は娘が食べる事になる。
岩も飴を受け取り、娘も損をしない。
「では、頂こう」
「おみよ殿。私にも下さらぬか」
冗談めかして言ったのは、狼だった。
それを聞き、娘はびくりと実を強張らせる。
「お、おおかみさまは、にくしかくわねぇーです!」
「はっはっは! 然り! 飴は食えませなんだな! これは残念!」
ならばとばかりに、狸が手を上げる。
「私は雑食ですよ」
それでは、というように、巫女も笑いながらいう。
「私も、食べられますね」
「うぅおうぅ」
狸と巫女の視線に押されるように、娘は後ずさる。
それでも、実に苦しそうな様子で、飴の包みを前へと突き出した。
「お、おひとつ、どーぞです」
その様子に、狼と狸、巫女は思わずといった様子で噴出した。
「いいえ、いいえ! 私は要りませんよ。おみよ殿が頂いたんです。どうぞ召し上がってください」
「私も、後で自分で買い求めますから」
狸と巫女の言葉に、巫女はほっと胸を撫で下ろす。
それを見ていた狼は、愉快そうに笑う。
娘は社の奥にある棚の上に、飴細工を一つ乗せた。
そこは、岩へお供えするための場所である。
「しかし、見事な細工だ。硬い飴で、紐のような結びを作るとは」
「本当に。美しいものです」
「でも、これあんがいくいにきぃーです」
娘は眉間に皺を寄せながら、じっと飴を睨む。
口をもごもごと動かしているところから、まだ飴が口の中に入っていることが分かる。
「確かに見事な形だが、言うとおり食べにくくは有りそうだ」
「噛み砕くのも、勿体無いですしね」
狼に同意するように、巫女が頷いた。
そこで、娘がひらめいたという様に手を叩く。
「そーです! おっちゃまをまねしてつくればいーです!」
「御岩様を真似、ですか?」
首を捻る狸に、娘は自身ありげな様子で頷いた。
「おっちゃまはごつごつしてて、ごろんとしてます! それなら、食いやすいはずです!」
「おお、成る程。御岩様そのものを模した飴細工か」
感心したように、狼が顎に手を添える。
狸と巫女も、それは面白いと頷いた。
「一口大の御岩様ですか。ですが、土地神を食べるというのも如何なものでしょう」
「少し障りはあるかもしれませんが、面白いかもしれませんね」
岩はよく分からないというように首をかしげた後、一つ頷く。
「食い易いのであれば、何でも良かろう。私の形だろうが、狼だろうが、狸だろうが、人だろうが」
「其れは聊か、食いにくいやも知れませぬな」
「おっちゃまがいっちばん、くいやすいかたちです!」
「それは、褒めているのでしょうか?」
こらえきれないといった様子で、狼と巫女が声を上げて笑い始める。
狸と娘も、釣られたように笑った。
そんな中で、岩も微笑むように笑顔を作る。
御岩神社の例大祭では、必ず飴を売る屋台がたつ。
御神体である岩の形を模した、「オイワアメ」を売るものだ。
岩は殆ど土に隠れているため、正確な形は未だにわかっていない。
いくつかある屋台は、それぞれ異なった形の「オイワアメ」を作る。
それらを比べて、「今年はどの飴が似ていた」というような事を言い合う。
答えの出ないそんなやり取りをすることが、例大祭の風物詩になっている。
結局答えの出ないそのやり取りは、「御岩様自身もよく分からぬそうだ」という話で締めくくられる事が多い。
御岩神社の神主や巫女に寄るところでは、「自身で自身の姿は見えぬ」というのが、御岩様の言葉なのだそうだ。