宴
その日、日がすっかり暮れて、暫くが経った頃。
岩の社の前に、ぽつぽつと明りがともり始めた。
それらは一つとして、人の手によるものではない。
中空を飛び回る火の玉や、狸が咥えた赤い鞘、輝く鱗粉を撒き散らす大きな蚕蛾。
それらは妖しく、どこか恐ろしげな雰囲気を持っていた。
だけではなく、どこか犯すべからざる、恐ろしさにも似た神々しさも持っていた。
それもそのはず。
これらは全て、この周辺の土地や村を治める、土地神達なのだ。
「おいおい、皆早いな」
呆れたような声音は、火の玉が発したものだった。
ふらふらと漂いながら、瞬くようにその身体を膨らませたり縮めたりしている。
種火や自然に起きる小さな火が祭られ、神性を帯びた神だ。
名を、お焚き火様という。
「あらら。まあ、いいじゃありませんか。早いに越した事は無いですよー」
赤い鞘から光の粒があふれ出し、人の形をとった。
どこかしまりのない様子で笑う、やたらと鋭い目つきの男だ。
村を守って死んだ侍が祭られ神になったもので、名は赤鞘という。
本体である鞘を咥えていたのは、娘に舞を教えていたあの狸である。
「おうとも、おうとも。かまいやせんじゃろう」
そういったのは、巨大な蚕蛾だ。
揺らぐように輪郭が崩れたかと思うと、見る見るうちにその姿を老人のそれへと変じていく。
養蚕の盛んな村で祭られている、蚕の神である。
名は、オカイコ様という。
なぜ三柱の神々がこの場に集まったのか。
それは、岩が土地神となった事を祝う、宴を開くためであった。
「御岩殿がまだ支度をされていないかもしれないだろうに」
「ああ、それもそうですねぇー」
お焚き火の言葉に、赤鞘がなるほどと手を打つ。
だが、オカイコは別の意見があるようだった。
「なぁに。酒や肴はわしらがよういするんじゃぁ。かまわんじゃろう」
そういってオカイコが持ち上げたのは、四本の大きな素焼きの徳利だ。
中に入っているのは、言わずもがな酒である。
「私は、これを」
赤鞘の手に有ったのは、縄で縛られた魚の干し物。
それと、竹の葉で包まれたあんころもちだった。
「俺はほら。納豆とたくあん」
お焚き火が持ってきたのは、大粒の納豆。
そして、たくあんだ。
「おー! 通じゃのぉ!」
「出雲で頂きましたよねぇー。刻んだたくあんに、カツブシちらしたヤツ!」
「江戸で流行ってるらしいな。いやぁ、コッチじゃカツブシなんて手に入れるの大変だぞ。高級品だ」
「ウチでも年に一度お供えされる程度じゃからのぉー」
「いやぁー。私も神無月でもないと口に入りませんねぇー」
三柱が話していると、木戸の開く音が響く。
見れば、社から岩が顔を出している。
「来ていたのか」
「ああ、御岩さん! おひさしぶりですー!」
「ちとはやく来てしまってのぉ」
「お邪魔している」
それぞれの挨拶に、岩は頷いて返す。
大きく戸を開き、中へと手で促した。
「とりあえず、上がってくれ。まだ新しいから、居心地が悪いかもしれないが」
神にとって居心地がいいというのは、良く治められた場所のことだ。
逆に言えば、新しく出来てまだ調整の終わっていない場所は、居心地が悪い事もあった。
しかし、岩の社はよく管理されており、三柱から見ても立派な神域となっている。
「これはこれは。なかなかのもんじゃのぉー」
「土地神になったのが最近とはいえ、御岩殿は随分永く拝まれているからな。下地が違うだろう。赤鞘殿の教えが良かったのもあるだろうが」
言われて、赤鞘は困ったような笑いを浮かべる。
「いやぁー。お岩さんは優秀ですからねぇー。ちょっとコツをお教えしてるだけですよー。私なんてすぐに抜かれちゃうんじゃないですかねぇー」
「そうかもしれんのぉ」
「精進あるのみだな」
容赦ない物言いに、赤鞘は怯んだように後ずさる。
そんな赤鞘を放って置き、三柱は社の中へと入ってく。
だが、そこでお焚き火とオカイコの足がぴたりと止まる。
社の中にあるものを見やり、大きく目を見開いた。
そこに転がっていたのは、体を大の字にして、涎をたらして寝こける娘の姿だ。
「これは。御岩殿のところの巫女か」
「みごとなねむりっぷりじゃのぉ」
「仕方が無いんですよ。いつもならばもうとっくに寝ている頃ですから」
そういったのは、娘の近くに歩いてきた狸だった。
この狸は、赤鞘の御使いの狸である。
「皆様に舞をご奉納するんだと張り切っていたんですが。眠気に耐えられなかったようで」
「なるほど。だが、仕方あるまい。見るに、巫女はまだまだ童だからな」
「じゃのぉ。寝る子は育つというもんじゃて。起こしたら可哀想じゃ」
「そうですねぇー。御岩さん。どこかで寝かせて差し上げればいいんじゃありませんか?」
立ち直ってきた赤鞘の言葉に、岩は一つ頷いた。
娘の身体を持ち上げようと、屈みこむ。
だが、そのときだった。
「んあ?」
娘は半眼のままむっくりと起き上がり、怪訝そうな顔で周りを見回し始めた。
お焚き火やオカイコ、赤鞘の姿を確認すると、欠伸をしながら目を擦る。
そして、すっくりと立ち上がると、おもむろに社の奥へと歩いていった。
何事かと固まる神々をよそに、娘はすっと背筋を伸ばして立つ。
目は半分閉じかかっており、口元もだらしなく開いている。
どうやら、寝ぼけている様子だった。
それでもぴったりと動かず姿勢を正している様子に、はっとした様子の狸が前へ歩み出る。
人の姿に変ずると、懐から笛を取り出した。
そして、娘の後ろに控えると、その笛を奏で始める。
すると、娘はすっと表情を引き締め、舞を踊り始めた。
それは、見事な舞であった。
歳の割には、という枕は付くものの、それにしても堂に入った踊り振りである。
客としてきた三柱は、感心した様子で眺めていた。
岩はといえば、どこか緊張した面持ちで様子を見ている。
どうやら、舞を間違えやしないかと思っているようだ。
そんな心配を余所に、娘は立派に踊りをやり遂げると、静かに頭を下げた。
「おー!」
「やんややんや!」
「良い舞だった」
三柱は手を打ち鳴らし、娘を労う。
だが、娘は頭を下げたまま、こてんと横に転がった。
そして、そのままいびきを立て始める。
「あっはっはっは! これは、なかなか豪胆な娘さんですねぇー」
「ねぼけとったんかいのぉ?」
「面白いな。これは」
三様に感心する客を余所に、岩はほっとした様子で娘を抱き上げた。
用意してあったついたての向こうに娘を寝かせると、ほっとした様子で表情を緩ませる。
「しかし、こうなると余り賑やかにはできませんかねぇ?」
「大丈夫だ。おみよは一度寝ると、滅多なことでは起きない。それこそ自分で踊っても気が付かないぐらいだからな」
「なるほどのぉ。そりゃごもっともじゃて」
岩の言葉に、三柱の神は面白そうに笑う。
この後、宴は明け方まで続いた。
肴はもっぱら、眠りこけたまま舞った娘のことであったという。
御岩神社に現代まで残る神事に、変わったものがある。
夜中に一人で社に篭った巫女が、舞を舞うというものだ。
この神事が行われる時は、巫女以外のものが社に近づくことは許されていない。
ただ、遠くから笛の音色などを聞くことができることから、神事には楽器の演奏も含まれてるのではないかと言われている。
歴代の御岩神社の巫女は、その神事について聞かれるとおおよそ苦笑いを浮かべて言葉を濁す。
そのためこの神事の内容は、一部の神職のものしか知らないのである。