二章 ギルトハート大隊の戦い(4)
なぜ、たった三人で話しあうのか。
いや、なぜ、碕沢秋長とランドルの二人が、重要であろう作戦の草案づくりに呼ばれたのか。
その点について碕沢は考えを及ぼさざるをえなかった。
今後の方針や本当の意味での作戦の草案はすでにギルトハートの副官などの側近と話しあっているはずだ。
わざわざ二人を呼んで非公式に会議をすること自体に意味があるということだろう。
つまり。
――つまり厄介事を押しつけられるのではないか。
碕沢はそう考えた。
隊長という地位についたためか。
多くの人間の命を背負っているという意識が芽生えたためか、碕沢は自己保身について前よりもずいぶんと真面目に考えるようになっていた。
そのために、こういった発想も自然と生まれるようになっていた。
「そうあからさまに疑念の目を二人から向けられるのは、僕としては不本意だが、まあしょうがないだろう」
碕沢、そしてランドルも何も答えなかった。
「前置きは必要ないな。ランドル、君は僕の指揮下に入った第三軍団の兵士たちを押さえることができるか?」
「作戦の内容次第でしょう。積極的な作戦が用意されているのなら、それまで抑えることは可能です。しかし――」
「撤退などしようものなら、暴発は避けられないか? 逃げてきたわりに、まったく矛盾した思想だな」
「………」
「心配しなくても撤退はない。オーガ・キング誕生の可能性が高まった今、我々は壁となって彼らの侵攻を防がなくてはならない。少なくとも彼らに森と平原の境界線を越えることを許すわけにはいかない」
「ぎりぎりまで退くのはありってことですか?」
碕沢は何気なく質問して、言葉を終える頃に、あることに思い至った。
「そうだ」
ギルトハートが頷く。
理由を聞けたわけではないが、碕沢は何となく自分の発想に納得した。
ぎりぎりまで退く理由は、何だろうか?
平原であることの長所は何か?
そこにたどりつけば何があるのか?
オーガの集団を一網打尽にする策がある?
ギルトハートと他の大隊長らとの違いは、数の力に一定の理解を示していることだ。
だが、いくらギルトハートが第三軍団の兵士を吸収し、再編成しなおしたとしても、数にかぎりがある。
少なくともギルトハート大隊を中心とした迎撃では、オーガに対して数に劣ることになるだろう。
つまり――。
「援軍があるんですか?」
「僕はオーガ・キングの可能性があることを第四軍団と首都に伝令を出した。第四軍団の団長の判断次第だが、信憑性が高いと思えば軍を動かすだろうし、少なくともすぐに偵察程度は送ってくるだろう」
碕沢の考えは正しかったらしい。
しかし、本来なら第三軍団から伝令が送られるのではないか?
まさか、送られていないということがあるのだろうか。
少なくともギルトハートは送らない可能性を考え、自ら伝令を出したということだ。
手柄を独り占め、あるいは強いやつとの戦いを邪魔されたくない――そんなことを第三軍団の団長が考えていたのなら、可能性はないわけではない。
碕沢は第三軍団に対する思考を打ちきった。
今は目の前の戦いに集中するべきだ。
「だからといってあてにはできない。第四軍団がすでに出撃の準備をしていたと想定し、僕たちが森の外れまで移動できたと仮定しよう。それでもどんなに早くとも六日間は必要だ」
固体として敵のほうが上手で、数でも負けている相手に本気で六日間も戦うというのなら、とるべき作戦はかぎられてくる。
「――それは積極的な作戦とは言えないのでは?」
時間稼ぎである。
防御、守勢にまわった戦いになる。
碕沢の指摘に対して、ギルトハートが答えた。
「形としては受け身となる。だが、戦闘自体は死戦になるだろう。どんなにうまくやったとしても、多くの犠牲を覚悟しなければならない」
「どこかに――」ランドルが慎重に言葉をつなげる。「どこかに陣地を築くのですか?」
「そのとおりだ。幸いというべきか、僕は初日にいい丘を見つけた。あそこに塹壕を掘ってオーガを撃退するとしよう。ある程度なら矢の数もある。少なくとも一日目は犠牲少なく戦えると僕は思っている」
援軍が来るまでの時間稼ぎをするという方針と、陣地を築いて防御するという作戦の説明がなされた。
方針と作戦は明快だ。
今のところ、碕沢とランドルが特別に呼ばれるような理由は見当たらない。
「一つよろしいでしょうか?」
ランドルが発言する。
「もちろん」
「第三軍団の援軍としては動かないのですか? 私は今でも第三軍団の面々は間違いなく戦っていると確信しています」
「戦っているのはごく一部の人間のみだろう。彼らが周囲の兵士たちをフォローしているのなら、もちろんある程度兵士が生き残っている可能性はある。だが、第三軍団はそういった戦い方をしないのだろう? すべて個人なのではないか?」
「しかし――」
「すでに戦いが始まって短くない時間が経過している。この時間を生きのびている一般兵はわずかだろう。彼らのためにより多くの犠牲者をだすわけにはいかない。しかも、救出が成功するとは思えない」
ギルトハートは援軍ではなく、救出という単語をもちいた。
「さらに言うなら、生き残っている者たちは援軍などというものを歓迎するのか? むしろ足手まとい扱いをしそうだが? 両者にとって得られるものがあるとは思えない」
生き残っていると言える者たちは、おそらく隊長以上の人間だけだろう。
特に大隊長以上の者たちには自身の強さにプライドがある。
助けられることを恥と考えかねなかった。
新設された大隊が対象ならば、なおのこと……。
「軍団長の命令は突撃であったはず」
「僕の大隊は期待されていなかったようで、好きなようにやっていいとのことだ。僕は僕の最善を尽くす」
「敵を待ちうけて、その上で戦いをする。逃げるわけではない。そして、激戦になる――そういうことですね」
ランドルが再確認した。
碕沢はランドルの発言が彼らしくないものばかりだとの印象を持っていた。
といっても、碕沢はランドルのことをたいして知っているわけではない。
「これで充分かな? 第三軍の隊長と兵士を説得するには」
「充分であるかは私には判断が尽きません。しかし、説得するための材料はいただきました」
「僕の意図を十分理解しているようでよかった。さっきも言ったが、一人の兵士とて遊ばせている余裕はない。第三軍団の兵士にも戦ってもらう。今度は逃げることは許さない」
「第三軍の兵士は勇敢です。必ずや大隊長の期待に添える働きをしてみせます」
「期待している。では、さがっていい」
一礼して、ランドルが場を後にした。
なるほど、自分のためではなく、他の兵士を説得するためにランドルは情報を得ていたのだ。
気苦労の多い男である。
さて、と碕沢は思う。
やはりランドルには、彼にしかできない命令がだされた。
そうなると、当然、次は――。
「大隊はこれから後退することになる」
「そういう話でしたね」
「今朝の戦いから考えるに、あれは一部の部隊が突出したに過ぎないだろう。オーガ・キングを擁する本隊は未だ森の奥にいて、おそらく軍団長らの相手をしているものと考えられる」
「今朝の戦いで、オーガの数は二百体くらいですか?」
「ヴァイカウントあたりが総指揮をとっていたのかもしれない」
残念ながら碕沢はオーガの進化種を見つけることができなかった。
間違いなく意図的に彼らは隠れていた。
そういった知恵があるようだ。
「ところで、仮に部隊の後退時にオーガからの攻撃を受けたとなれば、大きな被害が出ることになるだろう」
「………」
「おそらくまとまった攻撃はないと思うが、今朝の部隊が後退せずに、未だ周辺に潜んでいるという可能性がある。もしくは、他にも同程度のオーガの集団が近くにいないとは言えない」
碕沢には悪い予感しかなかった。
予測される危険があるというのなら、対策をたてるべきである。
そういった当たり前のことを、ギルトハートがしないわけがない。
「現在の大隊の中で精鋭と呼べるのは、碕沢君の率いる部隊だ。これは模擬戦の結果から証明されている」
すでに予感ではなく、確信が碕沢の中にある。
「碕沢隊には殿を務めてもらう。逃走兵の回収をする必要はない。迫るオーガの集団を撃退し、大隊の後退を援護してもらう。なおかつ、君の隊の消耗を僕は許すことができない。そんな余裕はない」
「危険な任務をおしつけながら、被害を出すなってことですか?」
損害を抑えるなど言われるまでもない。
だが、わざわざそれを命令されると、反感がわいてくるというものだ。
「当たり前のことを言って悪いが、事実だ。殿に人を割くことはできない。陣地構築があるからだ。かといって、殿をおかずに後退する危険はおかせない。ならば、少数で対応できる部隊をおくよりない。だが、本番の戦いで精鋭を投入できないなどという事態は避けねばならない――」
本番?
殿での戦いもそれを行う者にとっては、本番である。
反感はある。
だが、ギルトハートということも碕沢は理解できた。
だからこそ、彼は感情ではなく理性によって会話をする。
「分かりました。可能なかぎり対処します。ただし、多くの期待はしないでください」
碕沢は相変わらず無表情で言葉をつむぐ大隊長の瞳をまっすぐと見た。
「もっとも重要視すべきことはどちらです?」
敵を足どめするのか、それとも兵の消耗を抑えるのか。
「敵を足どめすることだ」
ギルトハートに躊躇いはなかった。
「わかりました」
碕沢隊は、たとえかなわない相手であっても、友軍が安全に退却する時間を稼ぐために、戦わなければならないということである。
殿とはそういうものだ。
退却戦を行っているのだな、と碕沢は思った。
図書館で得た知識が早くも役に立っていた。
たいして喜ばしくはなかったが……。
この後、碕沢は正式な場で大隊長から殿の命を受けたのである。
退却するギルトハートの隣に老人が並ぶ。
ギルトハート大隊には復帰したベテラン兵が多くいる――碕沢隊を除く――のだが、その代表格が今ギルトハートの隣にいる老人である。
小柄ではあるが、分厚い筋肉をまとい、矍鑠とした姿はまったく老いを感じさせない。
ギルトハート大隊の戦いぶりを報告する監督官の役割を担っているのだが、実際は客将のような扱いを受けていた。
「あの青二才にはまだ早いだろう? わしがやってもよかったが」
「あなたは率いる兵がいないでしょう」
「ふふん、そうかな」
老人――バラッグが小ばかにするように笑った。
「あなたのその余裕が、まだ僕たちの戦場が危地にないことを示しているのではないですか? 僕たちだけで充分です――第一執政官は僕たち若い者だけでこの戦いを乗り越えることを求めているのでは?」
ギルトハートの後半部分の話をほとんど聞かずに、バラッグが言葉を返す。
「智者がわしのような老人の反応を見て、戦場を判断するのか? その程度か。まったく何とも今の若い奴らの嘆かわしいことよ」
無遠慮にバラッグが大声で笑った。
周辺にオーガはいないが、だからといって退却時にあえて大きな音を立てる必要はない。
ギルトハートは眉をひそめた。
だが、頭ごなしに老人を否定することはできなかった。
この老人が歴戦の勇者であることは、その戦歴が語っている。
バラッグは第二軍団で大隊長の筆頭とでもいうべき位置にいた実力者であった。
左腕を負傷し、以前のような戦いができなくなったために、すっぱりと引退したという。
遺留の声も多くあったらしいが、老人はまったく決断を揺るがさなかった。
第二軍団長は最初からバラッグの意思を尊重したという。
以前のようには戦えないバラッグだが、それでもおそらくこの大隊でもっとも強いのはこの老人である。
ギルトハートはそう考えている。
第一執政官は何を考え、バラッグをギルトハートの大隊につけたのか。
そして、バラッグ自身も何を思って一時的とはいえ、現役に復帰したのか。
バラッグという男は最高権力者が命じたからといって、諾々と従うような男ではない。
間違いなく自分の意志で参加を決めたはずだ。
新設されたばかり大隊に他とは違う特別な価値があるというのか?
いや、あるのだろう。
復帰したベテランをわざわざギルトハートの大隊に多く配属し、他は若い者ばかりで埋めている。
大隊の訓練の優遇。
バラッグの存在。
隊の在り方として、まったく適合しない第三軍団との合流。
意図的、いや、ひどく作為的だと思わざるを得ない。
何のために?
誰のために?
中心となるのはギルトハート――ではない。
やはり……。
「なんだ、青二才。いくらわしの顔がほれぼれするからといって、見つめるな。わしのその気はない」
「心配ご無用。僕にもその気はありません。それにあなたの顔はまったくほれぼれするような類のものでもありません」
「物の価値の分からん、青二才よ」
またもやバラッグがかかかと笑った。
少なくともバラッグは現状をまったく憂いていないようである。
この余裕は老人の経験からくるものなのだろうか。
それとも老人の気質か。
いずれにせよギルトハートにはまったく理解できない感覚である。




