二章 ギルトハート大隊の戦い(1)
三日目の夜、ギルトハート大隊が野営したのは、第三軍団の後方である。
互いの距離はかなり離れている。
可能なかぎりギルトハートは第三軍団と接触にしないようにしているようだった。
「あいつらに食料をたかられたらたまらんからなあ」
というのは、碕沢の感想だが、まさにそのとおりである。
ギルトハート大隊はばらばらになどならずに、一塊となって野営をしていた。
夜はきちんと歩哨を立たせる。
むろん、交替でこの任務は行われていた。
飲食は計画通りに行われている。
というより、ギルトハートは補給部隊を別に用意していた。
全員が歩兵であるので秣は必要ない。
そして、準備させたのは五日分だ。
補給の運搬は小部隊ですんでいた。
むしろ、荷物を多くしているのは食糧ではなく、多数の矢であった。
第三軍団に追いつく気がないので、行軍も通常以上のスピードをだしていない。
つまり、体力の低下もさほどなかった。
森に侵入して三日目だが、ギルトハート大隊の兵士の体調は良好と言ってよい。
碕沢は睡眠をとっていた。
野営などと言っても野宿みたいなものである。
快適とは言いがたいが、こちらの世界に来てから数カ月。
いろいろなことに碕沢は慣れていた。
野宿でも充分な睡眠がとれている。
すでに三日目だが、サクラからいつの間にか抱き枕にされて眠っていた――などという展開もなく、平和な夜が続いている。
だが、この日は平和な夜とはならなかった。
明け方近く、いっせいに声があがった。
敵襲である。
声に反応してすぐに碕沢は起きあがる。
寝起きであっても、彼の脳は澄みきっていた。
周囲を一瞥するが、碕沢隊の者たちはべつだん浮足立っていない。
幸いと言っていいのか、彼らは部隊後方に位置していたために、敵からの攻撃を受けなかったのだ。
碕沢は綺紐を木の枝に飛ばして、高い位置へと移動する。
未だ闇の気配が強く、木々が視界をさえぎっていたので、遠くを見とおすことはできなかった。
だが、戦いが生じしていることは分かった。
また、敵の影姿からオーガの集団だろうという予測もついた。
数はかなりいる。
そして、逃げている兵士たちがいることも確認できた……。
当然、ギルトハート大隊の者たちではない。
先行していた第三軍団の兵士が逃走しているのだ。
局地的なものなのかは定かではないが、それは彼らが敗北を喫したということを意味した。
碕沢は地面におりる。
かなりおおざっぱではあるが、敵のおよそ位置はつかめた。
行動を起こすのに、必要最低限の情報は得られた。
すでに彼の下には、冴南、サクラ、エルドティーナ、さらに各班長がそろっていた。
「俺たちはこれからこの場を離れ、迂回し、敵に横撃を加える」
冷静に彼は皆になすべきことを伝えた。
碕沢はすでに戦闘モードに移行していた。
覚醒した瞬間、一帯に戦闘の気配が色濃く漂っていたためだろう。
反射的に生存本能が戦闘へと舵を切ったのだ。
「大隊長の意見を聞くべきでは?」
冴南である。
彼女の指摘もまた冷静だ。
「確かにこのまま行動すれば独断専行だが、それで責められるのは俺だけだ。皆が咎めらえることはない。つまり、心配はいらない」
まったく動揺することなく、碕沢は告げる。
冴南がやや驚きを表情に閃かせる。
エルドティーナは頷くように薄く笑っていた。
サクラの視線はすでに戦場へ投じられている。
班長たちも平然としていた。
碕沢の言葉を当然のこととして受け入れている。
その中には、初日に碕沢へ反目を示していた集団のリーダーたちもいた。彼らが碕沢へ投じる視線はすでに信頼で彩られている。
碕沢の強さを知り、また、この隊長の命令に従えば勝てるとの実感を、彼らは訓練から得ていた。
「大隊長からの命令です」
兵士が碕沢の元へ駆けこんできた。
「敵に横撃を加えよ――以上です」
全員の視線が碕沢に集まる。
碕沢は苦笑した。
「それじゃあ、武勲ってやつをあげにいこうか」
飄々と碕沢は宣言したのだった。
――なるほど、この男は戦場の人なのだ。
エルドティーナは、碕沢の即断する反応と、彼の口から放たれた言葉を聞いて、そう思った。
普段の態度や姿勢を見ていると、さほどというか、まったくぱっとしない。
だが、戦場にあっては、どうやら輝きを強める男であるらしい。
神原冴南やサクラが、この男と一緒にいる理由はこれか、と彼女はようやく納得した。
冴南に意見を聞けば、また異なる解答を示したことだろう。
さらに言うなら、班長らの前で示した対応は、冴南さえも知らない碕沢の新しい一面であった。
碕沢は戦場に立つことで、変貌を遂げていっている。
碕沢を最初から見てきた冴南ならそう評するかもしれない。
戦いに身を投じる碕沢だけに限定した評価だが……。
碕沢が先頭に立って部隊を導いている。
一人一人が駆ける姿は静かなものだが、それでも百人の人間が動いていた。
気配をすべて殺すというのは不可能だった。
そのために碕沢はかなり大きな迂回路をとっている。
陣頭指揮を執るのは、兵士の統率や士気を高める上でこの人数ならば充分効果的だろう。
また、判断も間違っていない。
エルドティーナは心地よい思いを胸に抱いていた。
自分が選んだ男が無能でないことを、実際に彼女の前で示しているのだ。
喜びを覚えずにはいられない。
――だが、
と、彼女は戒める。
たとえ碕沢に誤りがなくても、他の者が失敗すれば、碕沢も敗北への道を転がり落ちることになってしまう。
集団で戦うとはそういうことだ。
今回の場合、碕沢がオーガの集団に横撃を加える前に、大隊の本隊が崩れてしまったら、碕沢は敵陣に取り残されることになる。
そうなると、いくら横撃を成功させても最後には包囲され殲滅され、終了だ。
碕沢は、自分の上司である大隊長を信じているということだろうか。
ならば、碕沢を信じるエルドティーナもあの胡散臭い大隊長を信じるよりない。
いや、自分たちだけならば突破することは可能だろう。
最悪の事態は防げる――はずだ。
碕沢の背中を見ながら、知らずエルドティーナは自然と笑っていた。
それは彼女自身意図せぬ楽しげな笑みの形をとっていた。
碕沢隊の初陣が目前まで迫っている。




