二章 戦いへの誘い
ギルトハートは事実と、それを基にした自らの推測を第三軍団団長ブーラ・オベスクの前で述べた。
事実はこの二点。
魔獣がいないこと――獣も極端に少ない。
発見された数少ないオーガだが、その戦闘意欲が魔人と思えないほどに低いこと。
これが意味するのはむろん森の異変だ。
「魔獣は大陸各地で強くなっている傾向が見られます。であるのに、ここではむしろオーガが弱くなっているかのようです」
「魔獣が自然と消えるなどということはありえない。であるならば、そこには原因がある。つまり、魔獣を狩った者たちがいる。それこそが、森の異変の原因でしょう」
「もっとも可能性が高いのはむろんオーガです。ただし、これまで現状のような森の状況は過去に報告されていません」
「オーガ以上の何かが森の中にいる。もしくは、私たちが知る以上に強くなったオーガが森の奥に潜んでいるのかもしれません」
淡々とした口調で述べられたギルトハートの言葉は、聴く耳を持つものであったなら、充分その可能性を考慮したことだろう。
だが、第三軍団にはそのような者はいなかった。
かといって、ギルトハートの報告が無視されたわけではない。
「つまり、森の奥に強い何かがいるのは間違いない――ということだな」
オベスクの大きな声が響き、会議の空気が変わった。
それまではつまらない講義を聞いているかのような大隊長たちの態度であったが、すぐに姿勢が正された。
「可能性の一つです」
「いちいちそんな言い方はしなくていい。いるんだろう? それで充分だ」
ギルトハートとしては、さらなる偵察が必要であるという提言をするつもりだった。
ただし、その偵察は第三軍団の者に行わせようと、彼は考えていた。
どういった論法で場を支配するかにギルトハートは注意を向けていたのだが、すでに議論の主題は、彼の思うのとは違う方向に向かっていた。
いや、議論がそもそも存在しなかった。
「いいか、明日早朝に森へ全軍で進軍する。森の奥に何がいるかは知らないが、もっとも強い敵を斃したやつが一番の手柄だ。いいな? もちろん、俺も出る。俺より先に敵の首をあげるやつがいるなら、やってみるがいい。望みのものを何でもくれてやろう。魔人の王の首を前にすれば、あの気にくわないヴァレリウスもけち臭いことはしないだろうよ」
軍団長の声に反応して、大隊長たちがまるで鬨の声のような大声を発した。
陣幕が声の振動によって揺れているかのようだった。
興奮が増長しながら伝播する中、ただ一人ギルトハートのみが無表情で立っていた。
内心ではバカにはつきあっていられない、と思っていたが、他人事にはできない。
全軍で進軍するということは、ギルトハートの大隊もそこに含まれているからだ。
ギルトハート大隊は第三軍団と連携をとることが難しいだろう。
実際、この後進軍についてギルトハートに対して何の指示もなかったし、また他の大隊長と会話をする時間も与えられなかった。
孤立しかねない。
予想外の早すぎる――愚かすぎる――展開であった。
対策を練る必要がある。
ギルトハートは情報収集をして分析をする、というのをごく当たり前のこととして行っている。
時として人は自身がやっていることを無意識のうちに他者に求めてしまう。
この時のギルトハートも第三軍団団長に秩序と計画性を求めてしまっていた。
ギルトハートは第三軍団を見誤ったのだ。
噂でその無謀さをよく耳にしておきながら、どこかで思い込みがあった。
軍隊というのは秩序だって行動するものだ、と。
ギルトハートは翌日目にする第三軍団の進軍に度肝を抜かれることになる。
早朝、碕沢秋長は第三軍団の進軍風景を目の当たりにして、あ然としていた。
まだ敵が近くにいるわけではない。
それでも軍隊の行軍と言えば、しっかりと隊列を組んで前進していくものだろう。
何しろ、数が多いのだから各々がかってに動けば、ふん詰まりを起こしてしまう。
乱暴な例をあげれば、ある集団が部屋に閉じこめられたとする。
出入り口は一つしかない。
そこで警報を鳴らせば、人間はパニックを起こし我先にと扉に殺到する。
人間が重なり、出口を塞ぎ、結果として人はそこから出られなくなる。
この時に、学校の卒業式のように整然と列をなしていたら、どうか?
急ぐことなく一列ないし、二列ずつ扉から出ていく。
どちらが早く全員の脱出が可能かと言えば、当然圧倒的に後者である。
かぎられた道を多くの人間でできるだけ時間をとらずに進むには、陣列を組む以外にないのである。
実際、第三軍団もこの場所にたどりつくまで、陣列を組んでいた。
陣列を組むのは、もう一つの効能もある。
秩序の形成がなされるので、統率ができ、指示が行き届きやすくなるのだ。
集団行動をするにおいて、非常に重要なことである。
さて、碕沢の眼前で繰りひろげられる光景が、どんなものだったかというと……。
軍団長の言うとおり、まさに全軍突撃であった。
ある程度の部隊の塊はあるようだが、全員が眼前に広がる森に向かって各々走っていた。
まるで休み時間に園児が運動場へ駆けていくかのような光景だ。
部隊の塊があるように見えるのも、最初の立ち位置がそうであったからにすぎない。
このまま森に突っ込めば、ばらばらになってしまうことだろう。
何しろ集団を統率すべき軍団長がまっさきに森に侵入していた。
まとまるはずがない。
「なんか小学生の遠足のほうがまだマシじゃない?」
あきれ成分百バーセントの冴南の呟きである。
「まあ、あれの中に紛れ込めば、染まらないと生きていけないよな」
「何のこと?」
「ああ、第三軍団になると、もともと理知的な人でもみんな理性をなくすって話」
「ああ、それはかわいそうね」
碕沢は試験時に自分についていた第三軍団の隊長を思い出した。
彼は非常にまともだった。
だが、今この時は、第三軍団の流れに同一化しているのだろうか。
もったいない、と碕沢は思う。
自分に人事権があれば、彼を引きぬいたことだろう。
最後に進軍を開始したのは、ギルトハート大隊だった。
第三軍団のような無秩序な進軍ではない。
しっかりとした陣列のお手本のような進軍だった。
ただし進む先は拓かれた道ではない。
閉ざされた森である。
練度が高くなければ、すぐに列は崩れるだろう。
だが、ギルトハート大隊は厳しい訓練を課されていた。
まったく不安はない。
実際その成果は現れ、彼らは整然と前進していった。
静寂の森に、戦いの炎が舌を伸ばそうとしている。




