二章 魔物の森の偵察(2)
サクラ追跡行は長く続かなかった。
五分も経たずに彼女が停止したからだ。
碕沢は隣に並び、サクラの視線を追うと、そこにゴブリン・ヴァイカウントに似た生き物が歩いていた。
ゴブリン・ヴァイカウントよりももう少し身長が高く、筋肉が盛りあがっているようだ。
顔は人間寄りだが、かなり凶悪な人相をしている。
額の左右にそれぞれ角が生えていた。
服は身につけておらず、汚れた布のようなモノで下半身をおおっている。
武器は持っていない。
「オーガですね」
小声でエルドティーナが正体を言い当てる。
「基本形というか、進化前の一番下の形態か?」
「そうです」
「強さの比較は?」
「冒険者組合のランクで言うのなら、Eプラスといったところです」
碕沢はエルドティーナの解説を聞きながら、エルフが冒険者組合を基準とした考え方をすることにやや違和感を覚えた。
単純に、人間である碕沢にあわせただけかもしれないが……。
「ゴブリンは?」
「Gか、Fマイナスといったところじゃないですか」
エルドティーナの口調は適当である。
評価も適当かもしれない。
ゴブリンなど眼中にないということだろうか。
サクラも種族はゴブリンである。
そういったところにエルドティーナは気を使わないようだ。
碕沢はサクラをちらりと見た。
彼女もエルドティーナの言葉をまったく気にしていない。
それどころか、オーガのことさえも気にしていない。
基本的に戦闘意欲の高いサクラが敵に反応しないのは珍しい。
思わず体調は大丈夫か、と碕沢が訊ねたくなるほどだ。
作戦を理解して、すぐに戦闘に及ばないということを実行できるほどにいつの間にか成長したのだろうか。
「戦わないんだな」
「あんなザコどうでもいい」
成長したわけではなく、単に食指が動かなかったということらしい。
人間も魔人もそう簡単には変わらない。
「向こうは気づいていないみたいだけど?」
冴南の口調には、仕掛けるの? という含みがもたされていた。
「はぐれの一体だからなあ」
「斃しても斃さなくても、影響を与えないと思う」
「あなたがたは――」エルドティーナが切れ長の瞳で皆を見すえる。「オーガと戦った経験があるのですか?」
「いや、俺と神原はない。サクラもないだろ」
サクラが頷く。
彼女は多少苛立っていた。
おそらく奥に進んでもっと強い相手と対峙したいのだ。
「一度戦ってオーガの強さを肌で感じておくのも手でしょう。斃した後は、退きましょう。サクラさんの反応を見れば、森の奥にオーガの進化型がいるのは間違いないみたいですし――実際、オーガと遭遇した事実は間違いありません。たとえ、それがオーガの集団でなかったとしても」
第三軍団に大規模な索敵をさせる口実には充分だろう。
エルドティーナの目はそう言っていた。
「そうね。後の判断は大隊長に任せるべきね」
「大隊長はいいけど、その上は大丈夫だろうなあ? ――ここで言っても、だな。とりあえず、俺と神原であのオーガにあたろう」
周囲に他の魔物がいないかをもう一度確認してから、碕沢と神原はオーガとの距離をいっきにつめた。
結果から言えば、オーガとの戦いから二人が得た物は何もなかった。
ゴブリンよりは確かに強い。
ゴブリン・バロンよりも強いだろう。
だが、ゴブリン・ヴァイカウントに比べれば弱い。
今の碕沢と神原にとってまったく相手にならなかった。
しかし、あっけない。
碕沢と冴南は、オーガを斃した後、思わず互いの顔を見あう。
あまりに歯ごたえがなさ過ぎたからだ。
「私たちが強くなったから――ってことじゃないよね」
自分で言いながら冴南が苦笑した。
「その可能性もないわけじゃないだろうけど……」
個体の強さがどうこうというより、戦いへの姿勢ともいうべきものが弱いと表現すればいいのだろうか。
「確かにおかしいですね、魔人らしくない――まるで奴隷のような……」
戦いが終わった後に、近づいてきていたエルドティーナも違和感を覚えたらしい。
細い眉が困惑の形に変化している。
だが、碕沢は彼女が口にしたある単語に引っかかった。
「奴隷がいるの?」
冴南がすぐに反応する。
彼女も碕沢と同じような感覚を持ったようだ。
確か奴隷はいないはずではなかったか……。
「愚かな人間の中には、そのような無駄な階級制度を作りたがる者もいるのです。『完全なる支配者』のつもりなのかもしれませんが――まったく無知で無知性の者は始末に負えませんね」
エルドティーナが冷笑する。
それは、背筋がぞくりとするほどに冷ややかな微笑だった。
「あれは敗者。考えるだけ無駄」
ふいにサクラが吐き捨てた。
オーガについて評したようだ。
「どういう意味だ?」
「分からないならいい」
碕沢が視線を投じると、サクラはぷいと他所を向いた。
エルドティーナにしてもサクラにしても、どうにも中途半端なコミュニケーションである。
前提となる環境の違いが、知識の差となって表れているために、ずれがあるのだろうか。
「碕沢君、一度引き返す?」
「森の異変と、オーガとの接触――一定の情報は得られたと思うけど、もう少し周囲を探索しよう」
「それって時間稼ぎ?」
冴南は納得いっていないようだ。
「働いているぞっていうアピールは必要なんだよ、上司に対してと言うより、同僚に対して」
「普通逆だと思うけど?」
「あの上司には、アピールは無駄。結果を見せればそれで充分」
碕沢は答える。
彼は自分が目立っていることをさすがに自覚していた。
少し間違えれば、妬まれる可能性があるというくらいには……。
「大変ですね。人間というのは」
エルドティーナの言葉を額面通りには受け取れない。
彼女の口調は、まさしく「バカばかりね」と言っていたからだ。
「緊急事態にでもならないかぎり、もう少し捜索する。そして、帰還だ」
碕沢の方針に即して、この後が決定し、実行された。
碕沢たちは結局その他の魔物に遭遇することはなかった。
目に見える形の成果はオーガ一体と戦ったというものだ。
だが、目に見えない形の成果のほうがよほど重要なものに思えた。
魔物とほとんど遭遇しない。
魔物の森でこれ以上の異変はありようがなかったからだ。
最低限の秩序はある。
部隊ごとに別れているのは確かだ。
だが――。
ギルトハートの視界に映しだされる第三軍団の陣中風景は、とても軍隊のそれとは思えなかった。
傭兵――それも質の悪い者たちを想起させた。
いったいこれで試験監督官などできたのだろうか、とギルトハートは疑問を覚えざるをえない。
あれは団長等が参加していなかったはずだ。
もしかして、だからこそもう少しまともな集団として機能しえたのだろうか。
だが、団長がいることで綱紀が厳しくなるのではなく、逆であるのは、それこそあべこべである。
そんなまともでない団長とこれから話しあわなければならないギルトハートは憂鬱だった。
どうせ話が通じることはないだろう。
偵察を命じておきながら、果たしてこちらの話をまともに聞くのか、それさえも闇の中だ。
オーガ討伐以上に、ギルトハートが考えていたのは、自分の大隊を守ることだった。
どうやって不利益を生じさせないようにするか。
そして、ギルトハートは、索敵の報告をするために第三軍団団長ブーラ・オベスクと対峙したのだった。




