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二章 ある報告




「指揮官としても碕沢君は有能のようだ」


 大隊長ギルトハートが碕沢隊の見学に訪れていた。

 ギルトハートが評価したのは、もちろん碕沢隊の統一された集団行動のことである。

 隊の一糸乱れぬ動きを現実化したのが、隊長である碕沢であるとの認識が碕沢の評価につながったのだろう。

 また、別の隊との模擬戦も最初こそ苦戦をした――これは相手に老兵が多くいたことが理由だと考えられる――が、じょじょに劣勢から同等に、そしてついにはいつも優勢に戦いを進めるようになっていたという確かな実績もあった。


「俺は何もしていませんよ」


 碕沢はそっけなく答える。


「ならば、いっそう有能と言えるのではないか?」


「人材に恵まれるというのが能力に対する指針の一つならそうでしょう。ただし、そこが突出しているだけで、他は果たして平均並みの能力があるかどうか」


「やけに謙遜するけど、君は僕のことを警戒しているのか?」


 碕沢が隊を持つようになってすでに二カ月以上が経過している。

 その間に彼はさまざまな知識や情報を得ることになった。

 その一つが、大隊長であるギルトハートに対する噂である。

 聞こえてくるのは一つは彼が変人であること。

 もう一つは、智者であること。


「自分の上司を警戒する人はいませんよ」


「そうかな? 僕は第一執政官のことをとても警戒しているけどね」


「有能なんでしょう?」


「ああ、だからこそ警戒するものなんじゃないか」


 碕沢は心中だけで頷いた。

 碕沢もそうだからだ。

 有能だからこそ、自身の能力を基準として何かとんでもないことを平然と他者に注文してくるのではないか、と彼は警戒しているのだ。

 二人は似たような思考を行っていたということである。


「でも、良かったよ。どうやら最低限の準備はできたようだ」


 さして安心したようには聞こえない淡々とした口調で、ギルトハートが述べる。


「どこかに敵が現れましたか?」


 碕沢の声は気楽なものだ。

 彼の耳には、軍が出動するような危険な話はまったく届いていなかった。


「そうだね。ついに姿を見せたというところかもしれない。もしも、そうならそうとうに苦戦することになるだろう」


 預言者じみた内容である。

 何気ない口調、だが、どことなく真面目な口調に思える。

 碕沢はギルトハートの顔を確認した。

 表情筋を失くしたかのようなかわり映えのしない動きのない表情。

 やはり冗談を言ったというわけではないようだ。


「立場上、碕沢君以上に僕の所には早く情報が入ってくるんだ」


 ちらりとギルトハートが碕沢の顔を見た。


「それにしても、彼女はなぜ僕のことをずっと睨みつけているんだろう」


 彼女――とは、サクラのことだった。

 敵意以上殺意未満の視線で、サクラがギルトハートを射抜きつづけていた。

 おそらく、碕沢が席をしばらく外していてくれ、と言ったことが関係している。

 自分の居場所をとられた、と単純に思っているのだろう。


「まあ、近づかなければ問題はないですよ」


「それは近づけば、問題が起こるということか。気をつけよう」





「神域の森にいる仲間から何か情報はないのか?」


 キルランス第一執政官にして第一軍団団長ヴァレリウスは、彼の秘書兼副官のエルフに問うた。


魔人かれら自身が神域の森に侵入してくることはありえません。彼らは神域の傍にいるからこそ、自らの限界を知っている――というのが、エルフの見解です。今も変わっていなければ……ですが」


「つまり、自分に害がない相手のことなど調べはしないということか?」


エルフわたしたちには、そのようなことをしている時間ヒマはありません」


「さすがに眷属を擁護するか」


「事実を述べたまでです」


 飾り気のまったくない執務室で、ヴァレリウスはディルシーナとある事案について話しあっていた。

 ヴァレリウスの表情には動揺の欠片さえ存在しない。

 硬質な空気を相変わらずまとっている。

 だが、話しあわれている事案は、簡単なものではなかった。


「それで君はオーガ・キングがすでに誕生していると考えるか?」


「――分かりません。デュークが戯れでやっているというのがもっとも説明がつくとは思いますが……」


 美しいエルフの物言いがはっきりとしないのは珍しいことだった。


「キングであれば、すぐに侵攻してくるというのが通例だったな」


「――これまでなら」


「なぜ、過去と同一データでない事象を君はキングと結びつけて考えているのだ?」


「その糸をつなげたのは閣下であって、私ではありません」


「だが、君もその可能性を考えているのだろう?」


「今回の情報のみをとれば、キングではありえません。しかし、ドーラスでのゴブリン・キングの侵攻から得た情報。そして、何より大陸での魔物の行動がこれまでとは大きく変わりつつあるという状況が普通ではないことを予測させます。強さという意味においては特に変化を遂げているようです」


「ゴブリン・キングのことを神域ではどう捉えていると考えられる?」


「魔物ではなく――魔人のことですか?」


 ヴァレリウスの問いは、魔物という大枠ではなくなぜか魔人に限定されていた。


「ああ」


「分かりません」


エルフきみたちが忙しい理由はそこにあるのか?」


「閣下、私はあなたの味方です。あなたはそれを何よりも理解しているのではないですか? これ以上の問答は不用でしょう」


「私はキルランスの第一執政官だ。この国を全力で守るつもりでいる。それは、危険から国民を守るということだ」


 ヴァレリウスには二つの使命がある。

 一つは魔人と戦うこと、もう一つは――。

 いずれも結局のところ同じことを意味する。

 それは人類を守るということだ。


「もちろんです」


 二人の間に冷ややかな空気が流れた。


「まず一軍団をもって北方の魔物の森に進軍し、偵察する――というのが堅実であり、ぎりぎりのラインでしょう。何事か生じた場合、一軍団であれば充分に防ぐことができます。時間を稼ぎ、援軍を待てば、たとえオーガ軍が生まれていようと対処は可能です。しかし、小部隊による偵察にとどめれば、事が起こった時に、これを防ぐことは不可能でしょう。最悪村や町に被害が出ることも考えられます」


「それこそ神域がそれを許すだろうか?」


 ヴァレリウスの声に皮肉はなく、単純な疑問が込められていた。

 神域の森へと軍を進めることはむろん禁じられている。

 だが、キルランスでは、神域の森を囲むように存在する魔物の森でさえ軍を進めることが禁じられていた。

 仮にこの禁令がなければ、北方の魔物の森に生まれるとされるオーガ・キングへの対処は非常に楽なものになるだろう。

 一定期間ごとに討伐軍を派遣すれば、オーガの進化を防ぐことがおそらく可能だからだ。

 では、なぜ、魔物の森へキルランス軍が進軍できなくなったかと言えば、歴代のある執政官の失態が尾を引いていた。


 バール・グラウスというのが彼の名だ。

 小柄であったが、迫力のある男であったらしい。

 その発言も行動も勇ましかった。

 彼は軍に所属し、大隊長の地位まで実力で登り、その後元老院議員となり、ついには第一執政官にまで登りつめた。

 結局、バール・グラウスが執政官であった期間にオーガ・キングが出現するということはなかったのだが、彼はオーガの問題に終止符を打つことをその使命と考えていた。

 バール・グラウスの発想は単純だった。


 ――森をなくしてしまえばよい。


 彼は魔物の森に火をつけたのだ。

 広大な森を焼き尽くすことを主眼に置いていた。

 炎を制御するのではなく、ただただ燃え広がることだけを考え、実行された。

 無計画と言われても仕方のないものだった。


「燃やせ、燃やせ! 燃やし尽くすのだ!」


 空へと上昇する炎を見ながら、バール・グラウスはいつまでも哄笑を続けたという。

 結果は、森の浅い地域を燃やすことに成功したが、森の深部にまで炎の腕を伸ばすことはかわなかった。

 だが、計画の失敗は、別のところに波及していった。

 魔物の森の奥に位置する神域の森の住人であるエルフが怒りを示したのだ。

 野蛮で下品な行いであると指弾し、人類の敵、強いては女神の敵であるとまで言いはじめたのだ。


 結局、バール・グラウスは執政官を辞任した。

 執政官の辞任はほとんど例のない事態だった。

 実際、バール・グラウスはまだ争う気であったらしい。

 だが、彼は屈した。

 エルフにではなく、周囲の人間と世論の声に屈したのだ。

 外からの圧力もあった。

 ソリティス王国や都市連合国家エルゴ、冒険者組合ギルドなどが非難し、遠まわしに援助の減額を示唆した。

 抗おうにも抗う術がすでになかったとも言える。

 その後のバール・グラウスの行方はようとして知れない。


 バール・グラウスが退場した後、神域の森とキルランスの間で締結されたのだが、キルランス軍団の森への侵入禁止である。

 唯一の例外が、オーガ・キングにとどめを刺す場合の進軍とされた。


 今でもこの約束事が完全に遵守されているとまでは言えない。

 キルランスでは偵察任務のために少数の兵士が森へと足を踏み入れているからだ。

 他にもバール・グラウスが焼いたとされる北方の森ではなく、キルランス北西に位置する森などでは訓練を行っていた。

 だが、軍隊を大っぴらに森へ進軍させるということはこれまで一度してやっていない。


 ヴァレリウスもオーガ・キングが存在するという確たる証拠もないままに、軍隊を進軍させることは考えていなかった。


「もちろん、軍団は森に入ることなく、その前で陣をはることになります。そして、その中から一部の少数部隊を偵察に派遣するのです。おそらくこれならば問題にならないでしょう。実際、オーガの出没する頻度は、すでに少ないとは言えない状況にあります。神域もそれは承知しているはずです」


 神域はおひざ元の森ばかりではなく、間違いなく大陸全体の異変にも気づいてることだろう。

 神域は森の奥深くにこもっていながら、どういった手段でか国家に負けぬほどの情報収集力がある。

 国の上層部にいる者でその事実を知らぬ者はいなかった。

 神域が人類社会にかかわることはまずないが、それでも、いやだからこそか、神域の力は代々伝わっているのだ。


「第二軍団団長の言葉ではないが、神域の森がこちらと協力すれば、より簡単にオーガの討伐を果たすことが可能だろう」


「無意味です」


「ああ、無意味だ。だが、無意味だと知る者はいない」


「本気で軍団長がそのようなことを考えているのなら、言ってやれば良いでしょう。人間は神域に保護してもらいたいのか、と」


「話がずれているな」


「閣下がそうしたのです」


「君は今回派遣するのにもっとも適当な軍団はどこだと考える?」


「北方で駐屯している第四軍団は後詰ということになるでしょう。また、東方の第二軍団と第六軍団も動かすことはできません。ソリティス方面とエルゴ方面の第五軍団、第七軍団も同様です」


 残りは第一軍団と第三軍団ということになる。


「それでどちらだ?」


「第一軍団との模擬戦の結果に、第三軍団は団長を始め苛立っているようです」


「そのような理由で動かすのか?」


「第一軍団をオーガごときに当てるのは、馬鹿馬鹿しいと言えば満足ですか? ――オーガ・キングがすでに生まれていようとも、おそらく第三軍団ならば圧倒することが可能でしょう」


「ギルトハートの大隊は、すでにある程度の練度に達しているらしい」


 ヴァレリウスはまったく異なる議題をあげた。


「お勧めしません」すぐにディルシーナが上司の意図を察した。「第三軍団以外であったなら、随行させてもよいと思いますが、ギルトハートの思想と、第三軍団はまったく相容れません」


「だからこそ、必要なのではないか? そろそろ第三軍団かれらも自覚するべきだ。自分たちが決して強者ではないということを」


 ヴァレリウスは少ない情報からオーガ・キングの出現を予期しているようであった。

 それを前提として彼は今回予想される戦いに対処しようとしている。

 神ならぬ身の彼に推測が可能であったのはそこまでであったのは仕方のないことだろう。

 戦いですべての情報が得られるという前提条件は成り立たない。

 キルランス第一執政官にして第一軍団団長たるヴァレリウスは、これからそれを初めて経験することになる。

 それはキルランス国家が厳しい戦いを経験するということでもあった。








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