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二章 新人隊長(3)




 本来、キルランスの軍団制は、軍団長を筆頭として、その下に、大隊長、隊長と続くことになる。

 総勢は六〇〇〇である。

 だが、新たに増設された部隊の最高位は、大隊長であった。兵力は六〇〇。

 二つの大隊が新たに編成されたが、軍団長はいないという状態である。

 随時、大隊が編成され、いずれ新たに第八軍団が編成されることになるだろう。


 現在、新たに編成された大隊の一つを率いるのが、マクシンオン・ギルトハートであった。

 碕沢は上司となるその男の前に立っている。

 新たに与えられたばかりであろう、大隊長の部屋は、すでに本で溢れていた。

 碕沢がざっと見たかぎりでは、一つとして戦に関するものはない。

 いや、伝記や戦記のようなタイトルはあったので、軍事に関するものがまったくないというのは言い過ぎだろう。

 だが、思わずそう認識してしまうのも仕方ないほどに、伝承や伝説、詩や小説、辞書や事典などが多く並んでいた。

 一言で言えば、まったく軍人の匂いがしない部屋だった。

 それは部屋ばかりではない。

 人物にもあてはまった。


 どちらかと言えば、小柄な体格。

 まったく身だしなみに気をつけていないぼさぼさ頭。

 眠気をおびた瞳。

 碕沢も他人のことを言えない容姿だが、碕沢以上にまったく覇気がなく、戦いの匂いがしない男だった。

 あまりに戦と無関係なその姿に思わず感心してしまう。

 碕沢は服や髪形にもっと気をつけなさい、とエルドティーナなどによく注意されるのだが、大隊長を見て、気にする必要はないな、と自身に自信を深めたほどだった。

 他人を見てもっと格好には気をつけないといけないな、と思わないところが碕沢らしいといえばらしい。

 あるいは、ギルトハートと碕沢にはこういった点において、共通項があるのかもしれない。


「いきなり乱闘騒ぎを起こして、全員のしてしまったらしいけど、それは本当の話かな?」


 ギルトハートがじっと碕沢を見つめている。

 何となく居心地の悪さを感じながら、碕沢は正直に答えた。


「はい」


 特に説明も言い訳もしなかった。

 すでに始末書を提出しているので、事の顛末は承知しているはずだからだ。


「なるほど、碕沢君。君は――」


 碕沢はギルトハートの口から叱責が飛んでくるものだとばかり思っていた。

 だが――。


「――素晴らしい。君は何て劇的なんだ。入ってたかだか数カ月でこれほど有名になった者がいるだろうか。いや、もちろん、実力をもって名を成した者なら、今の団長クラスにはごろごろいるが、君のように無意味な行動によって話題をさらう者などいないよ」


 碕沢は反応に困った。

 原因はギルトハートの有り様にある。

 口調と内容には熱が込められているのだが、ギルトハートの表情自体は淡々としている。

 ギャップに反応できないと言えば、それまでだが、何というか違和感ばかりが大隊長の周辺一帯に生じていた。


「えっと、もしかしてバカにしているんでしょうか」


 後から考えれば、碕沢も馬鹿な発言をしたものだった。

 上官に向かって、バカにしているのか、と訊く部下はいない。


「何を言っているんだ! 君をバカにしている者がいるのなら、僕の前につれてきたまえ! この僕自ら君の価値について論じてあげよう。君は将来皆の前で演じられることが決定された傑作の劇において、重要な人物のモデルとなる人物なのだ。この僕が書いた劇のモデルになったという一点で、碕沢秋長は歴史に名を残すことになるだろう」


 熱の入った言葉を、ギルトハートが無表情で述べる。

 伝わりづらいが本気なのだろう、と碕沢はギルトハートの言葉を解釈した。


「それで、いったい何の話をしているんですか?」


「君は僕の話を聞いていなかったのか」


 ギルトハートが首を振って、額を押さえた。

 話を聞いていたからこそ、碕沢は訊ねたのだ。

 ここは新たに編成された大隊の大隊長の執務室なのだ。

 少なくとも将来書かれるかもしれない劇の脚本について述べる場所ではないはずだ。


 この後、無表情の顔におもしろくもないといった口調で、ギルトハートは碕沢に用件を述べた。

 本命はこちらのはずなのに、おまけであるかのような態度である。

 内容はいたって明快だ。

 訓練についてであった。


「僕が指示したとおりの訓練を実践してほしい」


 さすがにこれだけでは説明が足りないと感じたのか、ギルトハートは続ける。


「キルランスでは、というか、他の国でもそういった傾向なのだが、集団行動というものを多くの人間が軽視しすぎている。魔人に比べれば、確かに僕たちは洗練された集団行動をとっているだろう。だが、僕の目からすれば、それらはまったく足りていない。秩序だった行動、そして高い機動力。この二点がまったく実現でてきていないと僕は感じている。なので、僕の大隊では、僕が満足できるレベルまでそれらの練度をあげてもらう」


「強いやつが強すぎると思うんですが、集団で何とかなりますか?」


 碕沢はかなり抽象的な物言いをした。

 同じ疑問を抱いている者ならその意図した内容は明確に伝わるだろうが、そうでなければ、頭が悪いとしか思えない問いかけである。


「強いやつは強い。だが、そうじゃないやつはそうじゃない。そして、兵士の多くは強者ではない」


 と、ギルトハートが答える。

 この答えも、当たり前のことを言うな、と文句をつけられそうな物言いである。


 強いやつには強いやつが当たる。

 弱いやつには弱いやつがあたる。

 人間だろうと魔人であろうと真に強いやつは数が少ない。

 人間だろうと魔人であろうと弱いやつは数が多い。

 同等の強さ、もしくは近い強さをを持つ者が、集団行動対個人行動で戦ったら、どちらが被害が少ないかは明確だ。


「納得してもらえただろうか?」


「はい」


「ああ、一つ朗報だ。兵士たちは徹底的にしごいてかまわない。私の大隊に優先的に兵士を補充するよう第一執政官には確約をもらっているからな」


 兵の募兵は、軍団ごとに行われていた。

 むろん、首都キーラへの報告は義務づけられていた――認可が下りない場合がないないわけではない――が、一定の裁量権を認められているのである。

 新設された大隊は、第一軍団の下に身を置いている。

 つまり、第一軍団団長であるヴァレリウスに兵の募兵の裁量権がある。

 また、ヴァレリウスはキルランス第一執政官でもある。

 反則的な二役をヴァレリウスはこなしているのだ。


「魔人のほうが少しばかり力が上なら、こちらは人数で押すしかない。どうせなら効率的なやり方をしたほうがいいだろう?」


「もしも、魔人が似たようなことをしてきたらどうするんです?」


「――なるほど、魔人にも僕みたいなやつがいないとはかぎらない。碕沢君、君はなかなかおもしろいことを言うね」


 ギルトハートの声には思索の音色があったが、真剣味には欠けていた。

 一度として魔人が秩序だった集団行動を見せたことがないという歴史的事実を彼が知っていたからである。



 碕沢は命令を受けると、その場を後にした。

 残り五人の隊長と碕沢は顔見知りではあるが、親交を深めることはできていない。

 時間があればある程度解決する問題ではあったが、互いにその時間が許されていなかった――結局模擬戦で敵として相手をするくらいであった。


 この後、碕沢の隊は訓練に明け暮れる。

 ごく一部の者が指導に熱心に取り組んだために、訓練場は、阿鼻叫喚の光景がひろがった。

 これはごく初期の絵面であったのだが、当人たちと隊に関係ない者たちにとっては非常に印象に残ったようで、碕沢隊長の訓練好きが噂でおおいにひろがることになる。

 実際は、碕沢の部隊だけではなく、ギルトハート大隊の兵士体全員が激しい訓練を行っていたのだが、なぜか噂になったのは、碕沢隊ばかりであった。

 日頃の行いの差ということだろう。

 他にも碕沢隊は若い兵士ばかりであったが、他の部隊には古兵が多く参加していたことも関係しているかもしれない。

 ギルトハート大隊の二割が復帰した古兵であったのだった。


 ちなみに、激しい訓練であるのはまぎれもない事実であったのだが、それを評価する者はあまりいなかった。

 訓練内容が集団行動を重きにおいていたためだろう。

 個の武を鍛えることこそが訓練という意識がやはり支配的なのだ。

 さらに、ギルトハート大隊の訓練には土木工事に類するものがあった――ちなみに古兵がもっともこの訓練をおろそかにしていた。

 これが外からの評判を落とすことに加担したのは否めない。

 土木作業など兵士の仕事ではないというのが、当然の認識であったからだ。

 ギルトハートの訓練が正しいか否かは、実戦によってしか明らかになることはないだろう。



 この頃、キルランス北部にひろがる魔物の森では異変が生じていた。

 いや、もっとずっと以前から異変は始まっていた。

 だが、その異変はかすかな揺らぎのようなもので、人間の営みに影響を与えるようなものではなかった。

 性質たちの悪い疫病が伝染するように静かに異変は進んでいたのだ。









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