二章 新人隊長(2)
「僕が大隊長というのはどういうことでしょうか?」
第一執政官に対して遠慮のない口調で一人の男が意見をしていた。
さして高くない身長、眠気をおびた瞳、手入れをしていないかのようなぼさぼさ頭――マクシンオン・ギルトハートである。
祖父は元老院議員であり、実家は大商家である。
将来、祖父のように元老院議員になるというのなら軍務の経験は必須だが、彼は三男だった。
元老院議員になることも、実家を継ぐことも期待されていない。
つまり約束された将来へのルートに乗るために、軍人になったわけではなかった。
では、何のために軍人になったのかというと――兵士となって祖国を守ることに熱意を燃やす、ギルトハートはそういうタイプでは絶対になかった。
「出世をすることが不満か?」
「はい。すでに何度も言っていることかと思いますが、隊長になることに関しても、大人として事情を酌んでしょうがなく、寛容に、正直いやいやお受けしたのです。それなのになぜ、大隊長などというさらなる高みの身分が僕に与えられるのです」
ギルトハートはまったく出世を望んでいなかった。
彼が軍務についたのは、とある野望を果たすためである。
その野望とは劇作家になること。
劇作家になるには、人間を知ることが必要だ。
それも、英雄と呼ばれるような普通ではない、突出した変態的人間を。
そんな異質な存在は、魔物を斃すことを生きがいにする軍にしかいないだろう。そう予測して、ギルトハートは入団したのである。
マクシンオン・ギルトハートは英雄観察日記をつけるために、キルランス軍団に属していたのだ。
「なぜ、と問われれば、君の能力が大隊長を欲しているとしか言えないだろう。また、事情をあかすのならば、早期に新たな軍団を増設する必要がある。才能と実績を併せ持つ者を遊ばせておくわけにはいかない。軍には人材が必要なのだ」
揺るぎのない口調で、第一執政官ヴァレリウスが断定する。
執政官の鋼鉄の意思と表情を五感で感じながら、ギルトハートはため息をついた。
「そもそも――そもそも現代の英雄たる第一執政官殿が、僕の望むような英雄であったなら、すでに僕はここにいないのです。なのに、あなたといったら、どこぞの偉い学者のように、何も変わらない生活を日々淡々と行っている。ただただ任務を遂行しているだけ、といった様子だ」
失礼なことを本人の前で堂々とギルトハートは口にする。
「不満かね?」
鉄面皮にもさすがに苦笑が浮かんでいた。
「いいえ。僕の国の最高指導者があなたであることを、僕は感謝していますよ。何があろうとも揺るがないというのは、他者の欲望に呑まれることがないということを意味します。あなたのおかげで無駄なお金が国家上層部で動くことが少なくなった。合理的になりました。しかも、判断は独断的であっても、適格ときている。僕のような一般人にすれば、これほど優れた指導者を得たことは、万感の喜びです」
「内容は褒めているのに、口調には不満しかないようだが?」
「ええ、ええ、そうでしょう。なぜなら、僕は一市民の前に劇作家であるからです。あなたは、能力と実績こそ文句のつけようがないが、そのすべての行動に感情がのらない分だけ劇的ではないのです。それが、僕には大きな不満なのです。英雄たるもの、もっと感情を爆発し、人生を劇的に展開してゆくべきなのです!」
右拳を握り、熱弁しているのだが、表情はのっぺらとしていて、口調もなぜか棒読みであった。
劇作家を目指す若者には、演劇者としての才能はないらしい。
「私が君にとってふさわしいモデルでないことは分かった。その代わりというわけではないが、英雄候補を君の傍におこう」
「――誰です?」
「碕沢秋長」
「ああ、期待の新人ですか……やったことを聞くと、確かに普通ではないんでしょうが、僕が期待するほど逸脱した強さを持っているわけでも、逸脱した人格でもないようですけど」
「自身の目で確かめるべきではないか?」
「その対価が、大隊長就任ですか? 割に合わない気がしますね」
「それは碕沢次第だろう?」
感情を表にだすことのない二つの視線が反射する。
「分かりました。だからといって、数年後も僕がここにいるとはかぎりませんよ。その前に、人材を育成するか、獲得することですね」
「数年後か――それを察知していて、なお、とどまることを拒否すると?」
「得るべきものがないのに、とどまる必要はないでしょう。僕の手は、執政官ほど長くはないのです」
「だが、目は遠くまで見えているのではないか?」
室内を沈黙が満たした。
近頃、さまざまな異常が各地から聞こえてきていた。
一国の首長ほどの情報はないが、ギルトハートの元にも実家経由でそれらの情報は入ってきている。
たとえば都市連合国家【エルゴ】のとある有名な冒険者クランがオーガの集団によって襲われたというものなどもある。
これはおかしな報告だった。
一部の上位種をのぞき、魔人の生息地域は決まっている。
オーガの生息地隊はキルランス北方の魔物の森である。
オーガが都市連合国家【エルゴ】東方の森に出没することなど普通はないのだ。
この情報を当然第一執政官はすでに知悉しているだろうし、軍の上層部では共有されていることだろう。
「大隊長の就任は承諾します。執政官は僕ではなく、碕沢秋長という人物に期待することですね。彼がおもしろければ、私も数年と言わず、五年ほどはこの場にとどまるかもしれません。それ以上はありませんけどね。執筆以上に大切な物などありませんから」
「世界がなくなれば、書きあげたところで披露する場もなくなってしまうが?」
「その煽りはいきすぎですよ、執政官。説得にもちいるのなら、もう少し現実的な危機感を与えるべきです」
ギルトハートの答えに、第一執政官は「現実的な危機感か」と小さく呟いたのだった。
碕沢を含めて――と言っていいだろうが、キルランスの兵士に志願する者や、現在すでにキルランスの兵士である者は、腕に自信があるからこそ、戦いを専門とするこの道を選んでいるのだ。
そういった者たちだからこそ、ある価値観だけは共通していた。
強さ――である。
強ささえ示せば、ある程度は認められるのだ。
新隊長である碕沢は、新たに部下となった兵士たちに自らの強さを示す必要があった。
キルランスの兵士にかぎって言えば、碕沢は時の人と言えないこともない。
首都にいる兵士で碕沢の名を知らぬ者などすでにいなかった。
好意的なものであれ、それとは異なるものであれ、碕沢という若者が大きな興味を持たれているのは確かである。
注目が集まっているからこそ、一度の成功は大きな意味をもって受け入れられるだろう。
また、一度の失敗は事実以上の結果として裁かれることになるだろう。
訓練場である広場。
兵士を前に、碕沢は壇上へのぼる。
碕沢の名を知らしめているのは、強さと女。
彼の傍に三人の女がいることから、後者はすでに証明されている。
では、もう一方は本当なのか?
兵士からの好意的な視線はほとんどない。
敵意にも似た感情が視線にのせられていた。
この部隊には若い兵士ばかりがなぜか集められていることも影響しているかもしれない。
碕沢は特別な挨拶をしなかった。
キルランスの兵士として敵と戦い、キルランスのひいては世界の平和を守るべく勝利を掴む――というような内容だ。
目新しいものはなく、個性のない演説だった。
つかみとしては失敗したと言っていいだろう。
だが、本人として何とか無事に終えたと一息ついていた。
挨拶は得意ではない。
無事に終わればそれでいいのだ。
碕沢は壇上から降りる。
すると、女性三人の話し声が聞こえてきた。
「右の一番後ろ」とサクラ。
「中央やや後方の中心にいる人物もそうだと思う」と冴南。
「左後方にもいますね」とエルドティーナ。
「何の話だ?」
碕沢は訊ねる。
「碕沢君、最初なんだからもう少し真面目にやらないとダメよ」
「そうです。今言った三人は、あなたを侮っている者たちです。しかも、十人規模で彼に従う人間がいますね」
「小さな群れの頭」
普段は控えめに言ってもあまり仲が良くないのに、なぜか三人が同調して同じことを主張していた。
「ああ、そんな感じはあったな」
「碕沢君、分かっていて放っているわけ?」冴南が額を軽く押さえた。「自分の立ち位置をしっかりと確保しないといけないのは分かっているんでしょう」
「あの程度の者たちに侮られることは好ましくありませんね」
「誰が強いかはっきりさせたほうがいい」
「ええ、僕もその意見に賛成です」
と、最後に男の声がまじる。
「いや、アトレウスがなんでここに?」
小柄な少年にしか見えない男――試験で碕沢と同班だったアトレウスが、四人の輪の中にしれっと加わっていた。
「なぜって、もう隊の皆はだらけきっていますけど?」
「いや、そういうことじゃなくて……」
碕沢の言葉は切れた。
アトレウスの言うとおりだった。
碕沢の麾下に入った百人は、隊長への敬意などまったく持っていないようで、隊列を乱し、方々で会話していた。
碕沢を揶揄する声もあがっている。
それらは、冴南、サクラ、エルドティーナが指摘した集団から目立ってまくしたてられていた。
あの集団の長にいる者は、自分こそが隊長にふさわしいと考えているのかもしれない。
それだけの実績をあげているのだろう。本人の中では……。
碕沢などのぽっと出に隊長の地位をさらわれることを不満に感じるのも分からないでもない。
「どうも碕沢さんは普段が温厚というか、のんびりしすぎですよね。というか、この場は日常ではないんですから、びしびし行くべきですよ。あのぞくぞくするような戦闘モードで行きましょう」
「いや、おまえ何を言っているんだ? 仲間だぞ、彼らは」
碕沢は同意を求めるように冴南を見たが、彼女は碕沢派ではないようだった。
残り二人も碕沢派ではない。
「俺、間違っているか?」
「私は人間たちの戦い方をよく知っているわけではありませんが、いざという時、トップの命令に従わない集団というのは、彼ら自身のみならず他の味方までも巻きこみ自滅していくのではありませんか」
エルドティーナが言う。
正論だ。
碕沢は答えに窮した。
かといって、冗談にして軽く受け流すわけにはいかない。
これは戦いに直結することであり、命にかかわることだからだ。
「――碕沢君。あなたもしかして人の上に立つことをまだきちんと自覚していないの?」
口調こそ険しいものではなかったが、冴南の指摘は鋭く碕沢の胸を貫いた。
思わず言いかえしそうになるのを、碕沢は何とか自重する。
内心で彼は大きく口を歪めた。
なるほど、と自覚したのだ。
冴南の指摘はあまりに的確に的を射ぬいていた。
「まさか、それこそ今さらでしょう? だって、上に立つ気がないのなら、隊長職なんて受けないし、そもそもキルランスで兵士になったりしないでしょ」
碕沢が口を開くより早くアトレウスが反論する。
碕沢が喋ろうとした内容は形になることなく霧散した。
彼は「俺はまだ十八歳でしかない」と言おうとした。
十八歳が百人の人間に命令できるのか?
しかも、それは命を落とすかもしれない命令なのだ。
碕沢自身にそれを背負えるのか、それだけ重い言葉を口にできるのか、という真摯な思いであり、愚痴でもあった。
だが、碕沢は口にしなかった。
すでに彼は隊長だった。
身分には責任があり、言ってはならない言葉があった。
少なくとも公の場においては……。
最後のところで言葉をとめることができたのは、こちらの世界で過ごした時間が良くも悪くも彼を変えたのだろう。
すでに碕沢秋長は普通の高校生ではなくなったということかもしれない。
いくつかの言葉のやりとりの中で、全員が碕沢の中に未だ完全に踏みだせていない躊躇いのようなものがあることを理解したようだった。
ふと、碕沢は気づく。
先程から声が一つ足りなくなっていた。
サクラの発言が一切ない。
碕沢がサクラに目をやると、離れた位置に彼女の背中が見えた。
サクラはそれこそ躊躇なくまっすぐ歩いている。
彼女の目指す場所は、乱れた隊列の中でひときわ目立つ一塊の男たちであった。
声をかける暇もなかった。
最初の接触――それは会話ではなく、拳で果たされた。
兵士がひっとり吹っ飛んだ。
間の抜けた空気が流れる。
全員があ然としている。
だが、空気はすぐに大きく変動した。
乱闘が始まったのである。
「それもいいかもしれませんね」
碕沢の隣から女の不吉な呟きが発せられる。
「エルドティーナ、待て。神原――」
碕沢は前者には制止の声をかけ、後者には制止を手伝うことを求めて声をかけた。
だが、共に無駄であった。
二人の美しい女たちはすでに自分たちが見つけたそれぞれの獲物に向かって突き進んでいた。
兵士たちの間を流れに逆らわず、水のように避けていく。
あっという間に目的地に達すると、彼女たちは第二、第三の乱闘の発火点となった。
プライドの高いエルドティーナが兵士のヤジを聞いて怒るのは分かるが、冴南の行動は碕沢にとって意外であった。
セクハラ発言と女性蔑視に近い発言が、彼女の怒りの導線に火をつけたのかもしれない。
「いやあ、派手にやりましたね」
アトレウスが手をひさしのように掲げながら、乱闘騒ぎを他人事のように語る。
少年がちらりと碕沢を見あげた。
「で、どうするんですか?」
「どうするも何も――」
このまま放置すれば、彼女たちの行動は問題となるだろう。
新設されたばかりのこの部隊にもケチがつく。
当然、碕沢にもお咎めが来るし、碕沢と兵士との間にも決定的な溝ができるかもしれない。
良い点があるとすれば、彼女たち三人がその実力を示すことで全員から一目置かれることになるということか。
碕沢は壇上へ再びあがった。
これからやろうとしていることを思えば、その自然体は奇妙にも思える。
だが、その飄々とした様こそ、彼の本当の平常運転だった。
乱闘騒ぎが起こることで、ある種の緊張がほぐれたのかもしれない。
「これは訓練である。君たちの力を、私は実力をもって試そうと思う。これから私も君たちの力をはかることとする」
完全な後出し。
無茶苦茶な話だった。
だが、兵士たちには届いていた。
兵士たちは声をみなぎらせた。
生意気な新隊長をぶちのめす大義名分ができたからだ。
新隊長の挨拶はこうして乱闘によって幕を下ろしたのだった。
新設されたばかりの部隊は最初からその名をひろめることになる。
初日の隊長挨拶――問題なく終わる以外の道はないだろうに、その部隊は、百人の兵士の内九十九人が負傷するという謎めいた結果を残した。
無事であったのは、隊長とその側近の三名。
さらに一人の小柄な男のみである。
この結果、訓練開始は三日後になり、新隊長は始末書を初日から書くことになった。
この部隊は、隊長の名をとり、碕沢部隊として良くも悪くも名を馳せた。
一介の新部隊に隊長の名がつくなど、異例なことだった。
ただし、それは実力によってではない。
お祭り騒ぎによってだ。
多くがそう認識していた。
やんちゃな隊長が出てきたもんだ――言葉にすればそんなところだろう。
碕沢部隊という呼び名にどこか茶化した空気が漂っていたのは、それが理由だった。




