一章 試験の終わり、戦いの始まり
「それって魔法じゃね」
「奇蹟術ですよ、碕沢さん。他でそんな間違いしたら危険です。過激な人からちょっと口では言えないようなことを……」
わざとらしくアトレウスが両手で口をふさいだ。
「それに魔法ではなくて、魔術です」
エルドティーナの冷静な突込みである。
話題となっているのは、エルドティーナの戦い方であった。
碕沢はエルドティーナが炎やら風やらを操っていたのを思い出した。
なので、訊ねてみたのだ。
すると、彼女は確かに炎や風を用いて戦ったと述べた。
碕沢はスキルがある世界なんだから魔法もあっておかしくないよな、と思った。
なので、そのとおり口にしたら、否定されたのである。
「何も知らないみたいですね。私たちエルフは女神の眠る神域を守っています。『神域の森』を知りませんか?」
「耳にしたことがあるかもしれない」
「碕沢さんの物の知らなさはちょっと異常ですね」
「子供に言われるとショックだな」
碕沢の言葉に、アトレウスがむっとした。
「あなたも子供みたいなものでしょう?」
たしなめるようにエルドティーナが言う。
「俺を子ども扱いするってことは、エルドティーナは何才なんだ? エルフは永遠の若さを保つとか噂があるから、もしかしてかなりのご年配の方なのか」
「あなたとそう変わりません。エルフは年齢を上にみられたところで人間の女のように怒りませんが、最低限のエチケットを身につけるためにも、あなたは自身の言動にもう少し気を付けたほうがいいでしょう」
怒っていないと言った割に、綺麗に弧を描いた眉がぴくりと動いたことを碕沢は見逃していなかった。
「それで神域の森がどうしたって?」
碕沢は話を戻す。
「女神を守るのが我々エルフです。一方で魔術師ですが、彼らは女神に戦いを挑んだ者たちなのです」
「魔術師たちは世界を支配し、この世の物とは思えない美しい世界を実現させたと伝えられています」アトレウスが語りだした。「しかし、一千年前彼らの増長はついに女神にまで及ぶことになります。魔術師たちは魔獣を生みだし、女神を襲わせた。むろん、女神に魔獣の力など届くはずがありません。それを知った魔術師たちは最強の魔獣を生みだします――竜です。魔術師が生みだしたこの魔道生物は女神を大いに苦しめたと伝えられます。結局戦いは、女神の勝利に終わります。女神は魔術師たちを滅ぼしましたが、竜のみは封印することにとどめました」
「封印された竜がこの世界のどこかに眠っているのか?」
よくありそうな物語だ、と碕沢は思った。
「眠っているかもしれませんが、近づけば襲ってきますよ」
「まるで場所を知っているみたいだな」
碕沢の言葉に、アトレウスが大仰にため息を吐いた。
「知っていますよ。竜がどこにいるかは有名な話です。東西南北、四方に竜は封印されています。ただし、封印されていると言っても、その場から移動することができないというだけで、女神を苦しめた力は放置されたままという話です。竜を倒せば、歴史上の類を見ない英雄として讃えられるでしょうね」
「襲ってこないのなら、戦う必要はないんじゃないか」
「覇気のないことを言いますね」
「あなたたち話の方向がずれています。なぜ、エルフの術を魔術と呼んではいけないのかについての話でしょう」
「エルフは女神の陣営。魔術師は敵対者。たとえ似たような術に見えても、まったく違うものというのがエルフの主張ってことだな」
「あなたの言い方は、含みがあります。まるで、エルフの術も魔術師の術も同じものであるかのように聞こえます」
「俺は魔術を見たことがないから比べられないな」
「ああ、でも、確かに歴史上というか伝説上の魔術師も炎や風、土や水を操ったとされます。指摘されてみると、似ていると言われてもおかしくはありませんね。だいたい千年前なんて言っていますけど、今は新大陸暦四一二年です。暦からいってもおかしな話です。しょせん、昔話は昔話ってことですね」
エルドティーナがアトレウスを睨みつけた。
「まあ、奇蹟術は奇蹟術ってことだ。アトレウスも気をつけるようにな」
「もともと碕沢さんが言ったことですけどね」
碕沢たちは食堂にいた。
試験突破の祝いである。
冴南とサクラ、オーダンは遅れてくることになっていた。
ちなみに冴南とサクラは、この場にエルドティーナがいることを知らない。
碕沢が伝えなかったわけではない。
彼も知らなかったのだ。
どこで話を聞きつけたのか、当然のような顔をしてエルドティーナは食堂で碕沢を待ちかまえていたのである。
「でも、碕沢さんの待遇はどうなるんでしょうね。試験結果から言って破格の対応になるんじゃないですか? もしかして、一般兵士を飛び越していっきに隊長になるかも――だとしたら、是非僕を配下においてほしいですね」
「知らないよ。それは向こうが判断することだから」
待遇がどうなるかはともかく、冴南とサクラとは別れることになるだろうと碕沢は予測していた。
そのあたり二人はどう考えているのか知らない。
たぶん、サクラは何も考えていないだろう。
「よく知りませんが、まずは新人のみで訓練などをするのではないのですか?」
興味のなさそうな声でエルドティーナが言う。
「ああ、確かにそうだな。じゃあ、そこまでは皆一緒ということか」
「その後に配属でしょう。最低でも隊長であってもらいたいものですね。エルフが傍にいて下っ端兵士などと言うのは聞いたことがありません」
聞き捨てならない単語がさらりと流れていったような……。
「そうですね。エルフが隣にいるとすれば、最低でも大隊長でしょう。いずれは団長でしょうね」
アトレウスがしたり顔で論評する。
「一緒にいるのは森の中までだよな」
「すでにここまで来ていますが?」
「ああ、まあ短い旅だから、それくらいなら」
「ええ、あなたの一生ですから、私もかまいません」
頷くエルフに碕沢はどうも違和感を覚える。
同じ言語を使っているのに、異なる意味を持たされているような――。
店の扉が開き、見知ったスタイルの良い女性が入ってきた。
冴南だ。
続いて、サクラも入ってくる。
一瞬にして二人は食堂の視線をすべて集めた。
だが、二人はそんな視線などちっとも気にすることなく、碕沢たちの座るテーブルへと近寄ってくる。
いや、碕沢目指してまっすぐ進んできた。
「碕沢君、なぜ、その人が一緒にいるの?」
「いや、たまたま会って」
本当に偶然なのに、自分で言っていて碕沢はなぜか言い訳がましく感じた。
どういった精神の働きだろうか。
あまり分析する気にはなれない。
「――って、サクラ! あなた何を勝手に座っているの」
「特に問題はないと思う」
サクラは碕沢の隣に座った。
その場所は、アトレウスがいたのだが、少年は弾かれ、一つ席を移動していた。
「命の恩人にご飯を奢っているということね。これで貸し借りはなしということでしょう」
やや早口になりながら、冴南が碕沢の正面に座った。
「そうですね。私は碕沢さんの命の恩人ということになります。それなりの対価を頂いてもいいということですね」
エルドティーナの切れ長の瞳が碕沢の瞳を捉える。
「それは、俺と一緒に――」
碕沢は言葉をとめた。
ここまで一緒に旅をして彼女を楽しませたという記憶はない。
やはり、何か贈り物をするべきだろうか、と碕沢は考えた。
「ええ、そのとおりです。あの森であなたは私に誓いました。ずっと一緒にいること、それが対価だと。私を楽しませると」
「――碕沢君、そんなことを言ったの?」
零下の風が碕沢の正面から吹き寄せてくる。
むろん、そんなことはありえない。
幻覚だろう。
「私思うのだけど、碕沢君ってちょっと口が軽々しく動きすぎるよね」
冴南の微笑が碕沢に投じられる。
微笑って恐怖を与えるため表情だったっけ? と碕沢は自身のデータベースを洗い流す。
「俺と言うより、相手がけっこう強引な意訳をしているのじゃないかと思う」
「あなたの命は、一生を懸けるほどの価値はないということですか?」
「エルドティーナ、ここで君が参戦すると、なんかさらに面倒くさくなるような気がする」
「面倒くさいというのはどういうこと(ですか)?」
冴南とエルドティーナの声が共鳴する。
サクラが加わっていないだけましなのだろうか。
だが、碕沢は気づいていた。
隣からとてつもなく熱い視線が自分の頬に投じられていることを。
「いったい俺が何をしたっていうんだ!」
と、碕沢は自暴自棄になることはせず、
「とりあえず、ご飯を注文しようか」
という建設的な意見を言ってみたのだった。
知らぬふりをして笑っている少年に、八つ当たり気味の腹立たしさを覚えながら……。
感情のしこりがないわけではない。
この場を去っていった者たちを碕沢は忘れていない。
彼らの思いと、彼らに対する思いを胸に秘め、碕沢は前に進むことを選んだのだ。
キルランス第一執政官にしてキルランス第一軍団団長であるヴァレリウスは、二人の副団長を前にしていた。
「碕沢秋長ですか」
副団長が話題の人物の名をあらためて口にする。
「ランクCマイナス、いやランクC級の力を持つ朱猩を撃破し、あの森から単独で無事脱出を成功させた。しかも、どうやら魔獣に襲われながら……。さらに第三軍団の隊長から勝ちを拾っている――ヴァレリウス、あなたには及びませんが、あなた以来の逸材ではないですか?」
「確かに、無名の存在がいきなりとなると、団長以来かもしれませんな。ただ、団長と比べるのなら、せめて大隊長を倒すくらいではなくては――碕沢は隊長相手に苦戦したという話ですな」
年配の副団長が蓄えた白髭をさすりながら評した。
「彼は秘技を扱えない。また、秘技を使える相手との戦いをほとんど経験したことがないということだ。さらに、ウォーレン山の崖を落ちた時、魔獣の攻撃を受け負傷していたらしい」
ヴァレリウスは二人の新人に対する評価に初めて口を挟んだ。
「負傷はともかく、秘技を使えない?」
「そんなようなことを耳にした気がしたが、本当でしたか。では、ますますあなたとは異なることになりますね――何しろあなたは、使えない秘技はないのでは、と噂されるほどの無数の秘技使いですからね」
「さらに付け加えるのなら、ゴブリン・デュークとエルフを傍においているということだ。十日ほど前か、私が会った時は、デュークのみだったのだが、いつのまにエルフと知りあったのやら」
ヴァレリウスの言葉に、二人の副団長が絶句した。
「もう一人女性の連れがいるらしいが、それも第三軍団の隊長を見事破ったということだ。そして、その女性とデュークがさっそく意見書を提出している。碕沢と同じ所属にしなければ、キルランスの兵士になるつもりはない、とな」
「何か勘違いをしているのではありませんか、その二人は?」
副団長の一人が不快そうに眉をひそめる。
「強い女を三人も虜にするというのは、なかなかあっぱれな若者ではあるな」
年配の副団長が、かっかっかと特徴的な笑い声をたてた。
「そういう問題じゃないでしょう」
「だが、エルフとデュークを傍においているというのは、実際考慮に値するのではないか」
「私もその点は一定の価値を認めている」
ヴァレリウスの冷静な声が響く。
「団長……兵士の評価に余計な要素を持ちこむべきではないのでは?」
「もちろん、軍団の秩序を乱すようなことはしない。エルフとデュークはなぜあの若者についてきていると思う? 現時点ではたいした戦力ではない」
ヴァレリウスは隊長クラスの力量を持つ碕沢を一刀両断した。
「あの若者が秘めているものにエルフとデュークが反応したということですかな」
「かもしれぬ。それはすぐに証明されるに違いない。あの若者が本当に見るべき物があるのなら、ごく短期間に力を伸ばすはずだ」
「つまり、団長はそういった環境にあの若者をおけ、と言っているのですかな」
年配の副団長の顔には、悪戯っ子のような笑みがある。
ヴァレリウスは薄い笑みを浮かべていた。
「私は言いましたからね。贔屓をするな、と」
副団長が言う。
彼の主張していた特別扱いは、地位を与えるというものではなく、見どころがあるからと言って、厳しい環境におくようなことをするな、というものだったのだ。
碕沢の知らぬ間に、彼の処遇が決定しようとしている。
すでに碕沢には急な階段を駆けあがるより選択は許されていないかのようだった。
ヴァレリウスの狙いどおりに、碕沢は一般の試験から這い上がり、キルランスにとっての起爆剤として働いてくれそうだった。
おそらく時間はそれほど残されていない。
戦力強化は必須である。
ヴァレリウスの冷たい瞳はしっかりと現実を見つめていた。
ノックの音が室内に響き、耳に心地よい女性の声が届いた。
入室許可を得た人物が部屋に入ってくる。
すらりとした華奢な体格、人目を惹く美貌――エルフの女だった。
「エルフというのは、四六時中一緒にいるものと思っていたが、おまえさんだけはあてはまらないようだな」
「いいえ、私はいつも閣下とご一緒しております」
艶やかに微笑む。
彼女はヴァレリウスの傍に控えるエルフでディルシーナという。
「あなたのもってきた報告は、我々の耳にお聞かせ願えるのかね」
「その判断は私が行うものではありません」
副団長の二人は、彼らの上司を見た。
表情にかすかな反応が出る。
二人はそれを見て、次の行動を決めた。
「では、いずれお聞かせ願おう」
「失礼します」
素直に二人の副団長が去り、室内にヴァレリウスとディルシーナの二人が残された。
美しいエルフはヴァレリウスの机の傍に歩みより口を開く。
「彼らの言うことも正しいですね。エルフが傍にいないというのは、おかしなことというより、あなたにかぎっては本来ありえないことですから」
「働かせすぎだ、と言いたいのか?」
「いいえ、執政官の判断は間違っていません」
「つまり、調査結果も私の予測を裏切るものではなかったということか」
ヴァレリウスはディルシーナから魔物――魔人と魔獣に関する報告を聞いた。
それは広範囲に渡って行われた調査結果であった。
中にはドラードに関する報告もある。
それは第五団長によってもたらされたものより、はるかに詳しい内容であった。
いずれも魔物が強力になっているという情報である。
「魔人のみならず、魔獣も個体が強くなっている――か?」
「はい」
「私の推測は正しいのかもしれないな」
「その可能性はあります」
「私だけの推測か?」
ぽつりと呟くように言ったヴァレリウスの言葉に、ディルシーナは沈黙で答えた。
彼女は答えをもっていなかったのか、それとも答えを口にすることができなかったのか。
「強力になっているという魔物の変化に、我々は対処しなければならないだろう」
ヴァレリウスの声には冷徹な響きがある。
「軍団を増設しますか?」
「本来、第十二軍団まであるのが、キルランス軍のあるべき姿だ」
「しかし、それは魔人とのもっとも激しい戦闘が行われた時期のものです。しかも、欠員が多くほとんどの軍団の編成は現在の我々のものより劣ります」
「戦いが始まればそうなるということだ。だからこそ、事前に準備しておく必要がある」
「そのために、これから四つも軍団を増やすというのですか? 二万四〇〇〇もの兵士をどこから連れてくるのです。それにかかる費用は?」
「魔物たちの動きは、二大国もすぐに察するだろう。そうなれば、我々に送る軍事費用を削減させるなどとは言っていられない」
「減らすどころか、増額させるということですか?」
「そうだ。さらに冒険者組合も我々に協力するのだろう?」
「私に訊かれても答えられません」
「問題は資金よりも人材だ。戦える者が少なすぎる」
感情を込めずに淡々とヴァレリウスは言い放った。
「だから、あの若者ですか?」
当然のようにディルシーナが碕沢のことを話題にする。
彼女はすでに碕沢のことをよく知っているらしい。
「ああ」
「あの若者にいったい何を期待しているのです?」
「私は、私を超える人間が現れるのを待っているのだ」
「あなたを超える? 人類最高傑作を超えられるはずないでしょう?」
「過去のどのような英雄であろうと私が負けることはない。だが、未来の英雄は保証の限りではない」
「本気でそれを望んでいるのですか?」
「願っているわけではない。そうならなければ、我々は敗北するということだ」
「――壁の向こうにいる者たちは、おそらく何も考えていないのでしょうね」
「どうかな? 私と同じ立場にある者なら、未来を視ようとするのではないか? ならば、さらに先の存在へと期待するはずだ」
「ありえませんね。彼らは本能レベルで戦うことを義務づけられた存在。その思考もすべて戦いに投じられています」
「ではデュークはどうなる?」
「――抜きんでた強さというのは、異端でなければならないということでしょう。集団と同じでは存在しえないのです。彼らの分別の無さは、人間らしく見えるだけで、あくまでも強さを得るための道具でしかありません」
「強くあろうとする者は、道具でしかない、か」
意味を違えてヴァレリウスは言葉を吐きだす。
彼の言葉は、二人の間に冷たく停滞した。
「おそらくそう遠くない未来に『命落の門』が開くことになるだろう。それが真なる戦いの始まりだ。できるならば勝利し、その先へと進みたいものだ」
ヴァレリウスの鋭い瞳は戦いだけでなく、その先にある何かを見ているかのようであった。




