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一章 試験(11)




 まるで、碕沢を中心点として女性同士の争いが起こっているようだった。

 むろん、そう見えるというだけで、実際はそんなことはないと碕沢は知っている。

 こんな画家が筆を折ってしまうほどの美人から自分がモテると勘違いするほど、碕沢はうぬぼれ屋ではない。


 ――自分を知る男。


 それが碕沢秋長である。

 では、なぜこんなことが生じてしまったのか。

 どんなにつまらない理由でも争いには原因があるものだ。

 碕沢は原因を推測する。

 碕沢を起点としている――という考えは、間違いではないように思える。

 では、碕沢に対して三人にこだわりがあるのかと言えば、おおいに疑問だ。


 いや、サクラなら分からないではない。

 魔人であるサクラといくらかの時間を過ごした碕沢は、彼女のことを多少は理解できるようになっていた。

 これは、あれだろうと思う。

 雛鳥が最初に見た動く者を親だと認識する、例のあれだ。

 恋愛感情とは大きく異なるものである。

 サクラにとって人間世界で生きるのに碕沢は必要なピースなのだ。

 だから失うわけにはいかない。

 逆に言うと、人間世界に興味がなくなれば、あっさり見限られるのではないか。

 碕沢はほとんど意識に近い無意識の領域で、女性のデュークが異種族の種を自らの裡に求めることを第一とするという大原則を見ないふりをしていた。

 碕沢は、サクラは自分に懐いているだけと解釈をしたがっているのだ。


 よく分からないのが、冴南とエルドティーナである。

 冴南がやや攻撃色を示したのは、自分の領域に侵入されたと感じたからだろうか。

 もしかして、小物類アクセサリー的な位置に碕沢はいるのだろうか。

 使うことのない小物類アクセサリーでも勝手に使われるのは納得がいかない、とでも思っているのか。

 女性心理は不可思議である。

 だが、冴南はそういうタイプではなさそうなのだが……。

 やはりよく分からない。

 だいいち、彼女は確か玖珂くがとつきあっているはず――植永亜貴うえながあき情報――だから、碕沢に対して恋愛感情があるということはないだろう。

 可能性が高いのは、反射行動ではないか。

 相手が敵対行動を見せたから、こちらもというやつだ。

 もしくは、碕沢と冴南の間には、戦いを通していくらかの友誼がある。

 そこに割り込むやつは許せない……。

 自分で考えておきながら、まったく説得力がない。

 深い意味はないのかもしれない。

 たぶん、そうだろう。

 最後にフォローするわけではないが、冴南は優しい女性である。

 彼女は、開口直後に、碕沢の服が赤に染まっていることに目をとめ、「その傷、動いて大丈夫なの」と気づかってくれたのだ。

 誰に言い訳をしているのだろうか自分は?

 碕沢の冴南に対する感情も説明不可だった。


 問題はエルドティーナである。

 まったく分からない。

 会ったばかりで、碕沢に執着する理由はない。

 碕沢は閃く。

 基本的に人間が嫌いなんだろう。

 だから、つい反射的に敵対関係を形成してしまった。

 碕沢が彼女と好悪のない関係を何とか建設できたのは、ひとえに彼のコミュニケーションの高さによる――などということはない。

 現代日本の若者の碕沢に人間たらしの能力などあるはずがなかった。


 つらつらと実のない内容を碕沢が考えていたのは、現実逃避からだった。

 四人は森の脱出という目的では一致していたが、チームワークを形成する必要は、碕沢以外に感じていないらしい。

 現在、沈黙の攻防が三人の間を行き交っている。

 碕沢はまったく関与していない。


 しばらく休んで碕沢は移動に問題のない程度に体力を回復させていた――といっても、さすがに全力で駆けることはできない。

 何が言いたいかと言えば、一人で移動できる状態になったということだ。

 何となくではあるが、誰かに抱えられて移動することになっていたら、自分の身に危機が迫っていたのではないか、との予感を碕沢は覚えていた。

 予感は予感だ。

 予感でしかなく、現実ではない。

 夢幻だ。

 気にしてはいけないし、深く考えるべきではない。

 碕沢はほんの少しだけ三人から距離をとって移動を続けた。


 動くと突っ張るような痛みがあるし、地を蹴る衝撃で身体の芯に痛みが響くこともある。

 だが、それを考えても傷の治りが異様に早い。

 いや、そもそもたいした傷ではなかったということだろうか。

 碕沢は自らの回復力に奇妙な怖さを感じていた。

 四人のいた場所は、すでにずいぶんと森の南であったらしく、一時間もかからずに、碕沢たちは森から脱出することができた。

 碕沢がある意味不真面目な思考にさまよい続けていられたのも、この時までだった。


 彼はさらに街道へと進み二人の班員と会うことになる。

 そう、そこにいたのは三人ではなく、二人だけだった。

 碕沢、冴南、サクラ、エルドティーナ、そして、グルクスとアトレウスの六人が第三軍団と合流することができた。

 そこにライアスの姿はない。





 第三軍団と合流する前に、碕沢はグルクスとアトレウスからライアスについて聞いた。

 碕沢と別れた後に、ライアスは急激に体調を悪化させたということだった。

 碕沢はライアスの体調の急変に違和感を覚えた。

 確かに歩くことが難しいほどの重傷だった。

 だが、それほど悪いようには見えなかったのも事実だ。

 だからといって、医者ではない彼には何がおかしいのか判ずる術はない。


「僕からグルクスさんに替わった後に、急激に悪化していったんです。原因が何かは僕たちにも分かりません」


 アトレウスの言葉だ。

 少年は力なく首を振った。

 グルクスはほとんど反応しない。

 症状の悪化から亡くなるまで、ほとんど時間を要さなかったという話である。

 グルクスとアトレウスはライアスを看取って、南下したとのことだ。

 皮肉なことに、移動速度は大幅に増した。

 時間の短縮で魔獣に遭う危険性は減じ、実際に魔獣に遭うことはなかった。

 二人の命は、まるでライアスの死を糧にして得られたかのようだった。


「ラ――」


 ライアスの遺体はどうした、と碕沢は訊ねようとしてやめた。

 わざわざ訊くまでもないことだ。

 事実が物語っている。

 現実を優先させたということだろう。

 その場にいた時、はたして自分にその判断ができただろか、と碕沢は思う。

 死を終わりとして受けとめることができただろうか。

 死体はすでに物体でしかないと受け入れられただろうか。


「僕が遺体をおいていくべきだと言いました」


 アトレウスがじっと碕沢を見据えている。


「別に言わなくてもいい。だいたいのところは分かった」


 碕沢は答えた。

 彼の口調はやや及び腰になっている。


「あえて言ったんです。碕沢さんだから――」


「なに?」


「碕沢さんにはあまさを捨ててもらわないと困ります。僕は碕沢さんについていくつもりです。感情に流されて判断ミスをして終わるのでは僕が困るんです」


「何の話だ?」


「碕沢さんはキルランスで成りあがっていくつもりでしょう? なら、人の死くらい受けとめてもらわないと困ります――正直、びっくりしました。ライアスさんの死を聞いて、そんなに影響を受けるなんて」


 アトレウスの声には冷徹と言える響きがあった。

 少年もこれまで戦ってきたのだろう。

 当然命が消える場面も見てきたはずだ。

 だからこそ、死を当たり前にある現実と受け入れて、今回も最適な行動をとることができた。

 ライアスの遺体を抱えて移動するなど、自身の命を縮めることになるだけだ。

 遺体を捨ててきたのは、正しい判断と言える。


 だが、碕沢には死と直面した経験がほとんどない。

 ドーラスの戦いでは多くの死者が出たが、碕沢が直接目にすることはほとんどなかった。

 まして、これまで身近な人間の命は奪われていない。

 彼は死を意識はしても、実感することがなかった。

 だが、戦いに身を投じるというのは、身近な人間の死を経験していくということでもあるのだ。

 今さらではある。

 碕沢は少年によって、死という現実への対処をつきつけられていた。


「――成りあがるかどうかは知らないが、死者を悼むことは悪いことでも、恥ずべきことでもないだろう」


 碕沢は何とか言葉を紡いだ。


「――なるほど、碕沢さんってそういう人ですか」


 アトレウスはそれっきり口を閉じた。

 ライアスの死にもっともショックを受けているのはグルクスで間違いない。

 彼は沈黙を守ったままだ。

 サクラはライアスの死にまったく感情を乱していなかった。

 これまでの人生の中で死は、彼女にとって傍にあって当然のものだったはずだ。

 ゴブリンの進化種であるサクラは、多くの命を糧にして世界を踏みしめてきたのである。

 彼女にすれば、死は当然であり、弱者が死ぬことも当然のことなのだ。

 おそらくサクラには、碕沢がライアスの死に動揺を受けている理由がまったく理解できないだろう。


 この場で碕沢と近い感覚を有しているのは、冴南だ。

 彼女は沈痛な表情を浮かべている。

 だが、それ以上の乱れはないように思えた。

 悲しんでいないわけじゃない。

 悲しむことと受け入れることをきちんと両立させているのだ。

 性別で判断することではないが、いざという時に女は強い、というのは本当なのかもしれない。

 碕沢は小さく息を吐いた。


「俺は試験をここでおりる」


 グルクスだ。

 彼は誰とも視線をあわせていない。


「――そうか」


 としか、碕沢は言えなかった。


「ライアスの死を彼の家族に伝えなければならない。それは一緒に村を出てきた俺の役目だ」


「――そうだ、な」


「形見の剣も直接渡したい。あいつには弟がいた。ライアスに憧れていた弟が……」


 グルクスの腰には剣があった。


「そうか……」


 碕沢は言葉を繋げることができなかった。

 傷跡とは異なる場所が痛みに軋んだ。





 一次試験は中止となった。

 すでに合格が決まっていた者たちは無条件で二次試験へと進めることになった。

 ちなみに、トップ通過は、個人ではサクラ。班では冴南の班であった。

 サクラは一人で祠にまず達した。彼女の班員は遅れて登頂したのである。

 冴南の班は全員が一緒に到達し、それはサクラの班のメンバーが全員そろう前であったのだ。


 試験を途中で中断された者たちであるが、彼らは監督官の意見を聞いた大隊長の判断で合否が決定された。

 不合格となった者たちの多くは、今回の試験で自身の未熟を感じた者ばかりだったので、再試験をするよう不満を述べる者たちはほとんどいなかった。

 この合否、実は班単位で行われておらず、少数ではあるが幾人かは個の力を認められて合格していた。

 集団での協力よりも、個人の力を評価するということなのだろう。

 班単位で行動させたのは、弱者を救うため?

 班行動とは何だったのか?

 受験者たちがこの事実を知ればどう思ったことだろう――二次試験で合格者たちは顔をあわせ、すぐにこの事実を受験者たちは知るところになるのだが。


 合否を決定する会議で唯一大隊長らが揉めたのが、脱落者――死者をだした班をどうするのかということだった。

 生き残った班員全員を合格とするという意見が二人。

 全員不合格とするという意見が一人だった。

 合格を反対した一人がまったく折れなかったので、大隊長二人は「それほど反対するのなら首都キーラで決すれば良い」と決定を先送りにした。

 反対した一人は、「きさまら正気か! この程度のこと自分たちで決められないとなれば、無能の烙印を押されるぞ!」と怒鳴り散らしたが、大隊長二人が相手をすることはなかった。

 朱猩シュールンを撃破し、ウォーレン山の裏から生きのびた者たちを不合格にするなど、それこそ正気の沙汰ではなかった。

 首都キーラに一行は帰還する。

 碕沢たちの合否は、第三軍団副団長の一言で決定した。


「合格以外の選択肢があるのか?」


 反対していた一人であるガウドは、それでも碕沢がふさわしくない事実を並べたてが、副団長に睨まれ口を閉ざすことになった。

 この結果、四十七人が一次試験を突破したのである。


 二次試験は、個人戦であった。

 相手は魔獣ではなく、人間。対人戦であった。

 第三軍団の隊長が相手をした。

 キルランスの隊長は、冒険者ランクで言えば、ランクCマイナスからランクCプラスのあたりとされている。

 二次試験に進んだ受験者の多くはランクDである。

 抜きんでて強い者でランクDプラスだった。

 ランクの差には、大人と子供ほどの違いがあるとされている。

 もちろん、受験者が隊長に勝てるはずもない。

 だが、三人ほど隊長に勝ってしまった受験者がいた。

 碕沢秋長、神原冴南、サクラである。

 すでに名が知られていた彼らであはるが、今回の試験で三人は一躍有名になるのであった。









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