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一章 試験(6)




 ライアスは途中から戦いの傍観者へと立場を変えさせられた。

 彼は自らの力が遠く及ばないことを実感する。

 唯一、朱猩シュールンとはりあえているのは、碕沢のみだ。

 そして、ついに碕沢にも危機が訪れる。

 朱猩シュールンの攻撃を避けきれずに岩肌へと激突した碕沢は、すぐに立ちあがったもののかまえらしいかまえをとらなかった。

 かまえがとれないのかもしれない。

 ライアスには彼が立ちつくしているように見えた。

 間に合わないとわかっていながら、ライアスは朱猩シュールンに向かって走る。

 隣で動く気配があった。

 グルクスである。


槍抜きルーロット!」


 ライアスの横を一瞬にしてグルクスの槍が通りすぎた。

 まるで浮きあがるように槍は直進し、朱猩シュールンの足に突き刺さる。

 わずかに朱猩シュールンが体勢を崩したが、槍が刺さったままの足で地面を蹴りあげ、巨躯の魔獣は碕沢へと跳びかかった。


 空中にいる魔獣、斜面に立つ碕沢。

 一人と一体の間で何かが起こった。

 それは、次に生じた現象が裏づける。

 朱猩シュールンの周囲で赤い花が咲き乱れ、地上に降り注いだのである。

 おそらく碕沢が何らかの攻撃を仕掛けたに違いない。

 だが、ライアスの瞳ではその動きを捉えられなかった。

 知覚できたのは、多重に重なる風切り音のみだ。


 だが、朱猩シュールンの動きはとまらない。

 叫び声をあげながら、両腕を振りかぶり叩きつけた。

 岩盤がガラスのように砕け散り、周囲へ岩石を飛ばす。


 碕沢は――すでにその場にいなかった。

 彼は宙に浮いている。

 それはちょうど朱猩シュールンの真上であった。

 飛び散る岩石は朱猩シュールンが壁となり碕沢に届かない。

 朱猩シュールンは碕沢の存在を見失っている。

 絶好の機会だった。

 だが、碕沢は何もしない。

 ライアスの目には碕沢がただ宙にとどまり、着地を待っているだけのように見えた。

 だが、それはすぐに否定される。

 毛におおわれた朱猩シュールンの頭部から背中にかけて、血が噴出し、宙へと乱れ飛んだ。

 何十、何百という攻撃がなされているのだ。

 あまりに速すぎてライアスには攻撃が見えなかった。


 怒声をあげて朱猩シュールンが振りかえった瞬間、またもや碕沢の姿が消えた。

 朱猩シュールンのあげた悲鳴と同時に、ライアスは碕沢の姿を発見する。

 彼は、朱猩シュールンの鼻先に出現していた。

 魔獣の両眼を剣のようなもので各々貫いている。

 碕沢は朱猩シュールンに蹴りを入れると同時に、背後へ宙返りをして着地をした。


 朱猩シュールンの苦難は続く。

 オーダンと監督官がいつの間にか追いついており、秘技スキルを発動させて、巨躯の魔獣の両足をそれぞれ攻撃していた。

 悲鳴じみた咆哮を叫びながら朱猩シュールンが見境なく暴れる。

 砕けた岩石や小石が礫となって周囲へ放散された。

 近距離であれば、避けることは難しいだろうし、また、小さくない負傷を受けることになるだろう。

 当然、オーダンと監督官はすぐさま巨躯の魔獣から距離をとって離れた。

 だが、完璧に避けることはできていない。

 相応の負傷を強いられ、退避の速度を落としながらも、オーダンと監督官はいっきに後退した。

 ライアスとグルクスも足をとめ、近づくのをやめた。

 巨躯の魔獣がたんに闇雲に暴れているだけの、攻撃とも言えない攻撃に巻きこまれるのは馬鹿らしい。

 ライアスの判断は正しいはずだ。


 だが、まったく逆の行動をとる者がいた。

 碕沢だ。

 普段の飄々とした気配はまったくない。

 無機的な冷気をまとい彼は一直線に魔獣へ走る。

 岩と石の礫を最低限の動きで躱し、あるいは、綺紐で弾く。

 まったく被害を受けていない。

 とんでもない先読み、速さ、動き、そして信じがたい集中力だった。

 自らの倍以上の肉体を誇る魔獣、それも暴れる魔獣に碕沢は突撃する。


 あの魔獣と近距離で正面から向きあうのは、小山を相手にするも同然だ。

 人間ならば恐怖を覚え動揺しても当然である。

 とてつもない胆力だった。

 異質だ――と、ライアスは碕沢の戦いぶりを見て思う。


 碕沢はわざわざ朱猩シュールンの正面に入り、まっすぐに跳躍した。

 碕沢が伸ばした右腕の先に太い棒のようなものが突如具現化する。

 それは綺紐を重ねたものだった。

 偶然か、あるいは気配を感じとったのか、朱猩シュールンの左腕が碕沢を襲う。

 だが、碕沢はまるで分かっていたかのように空中姿勢を変えるだけでひらりと躱した。

 束ねた綺紐が朱猩シュールンの咽喉をえぐる。

 巨躯の魔獣の首が衝撃に後ろへとそりかえった。


 普通ならば、人間ならばそのまま後ろに倒れる。

 抗えたとしても、四肢を使って倒れないようバランスをとるのがせいぜいだろう。

 だが、朱猩シュールンは魔獣であった。

 この地帯でも強力な魔獣であった。

 首を弾かれながらも両足で身体を踏んばり、巨躯の体重を支える。

 さらに両手で碕沢を押し潰さんと合掌した。


 碕沢は、朱猩シュールンの首に刺さった綺紐を足場に見立てて、小さく跳躍する。

 朱猩シュールンの両手が合わさり、高い空音が山に響いた。

 ふわりと浮いた碕沢は綺紐を新たに具現化しなおす。

 彼の下方には、元の位置へと戻った朱猩シュールンの頭頂部があった。

 鋭く尖った綺紐の先が魔獣の頭頂部を目指して瞬時に襲いかかる。

 連続して綺紐が朱猩シュールンの頭部に突き刺さった。

 綺紐はすぐに消える。

 だがすぐに具現化して再度同箇所を鋭く攻撃した。

 何度も何度も綺紐が突き刺さる。

 まるで間断なく射られた矢が音をたてて同箇所に刺さりつづけているかのような光景だった。

 連続した攻撃で、朱猩シュールンの頭部は肌が引き裂かれ、貫通した綺紐によりその奥まで傷ついていった。

 あまりに速い綺紐の消失と具現のために、碕沢は宙に浮いたままとなっている。

 碕沢は両手を朱猩シュールンにかざした状態で、まるで地面に立っているかのように空中に存在していた。

 それはおそらく五秒にも満たない時間であった。

 だが、おそるべき数秒であった。攻撃された魔獣にしてみれば……。


 体勢が崩れ、朱猩シュールンが足を大きく後退させた。

 地面に着地した碕沢は、即座に魔獣の足を攻撃する。

 容赦のない攻撃だった。


 目の見えない朱猩シュールンは碕沢に恐怖したのだろう。

 突然、背中を見せて、跳躍した。

 逃げだしたのだ。

 人間に強い敵意を持つと言われる魔獣の中で、それは異常な行動だった。

 生物としての本能だったのだろうか。

 あるいはまったく逆で、本能に従うのではなく、知性による判断の証であったのかもしれない。

 身体の大きさを最大限に利用して、一度の跳躍で朱猩シュールンは碕沢との距離を大きく稼いだ。

 重傷であるはずなのにおそるべき生命力である。


 朱猩シュールンの着地地点は運の悪いことに、ライアスとグルクスの目前だった。

 二度目の跳躍を朱猩シュールンが果たす。

 それはグルクスがちょうど正面となる進路であった。

 槍を投じたグルクスは武器を何も持っていない。そして彼は盾を装備していなかった。

 避けようとグルクスが動き、ライアスはグルクスを守ろうと自身の眼前に盾をかざして、とっさに朱猩シュールンの足先へと入った。

 狙いどおりライアスは盾で朱猩シュールンの足を受けとめる。

 だが、その後の現実はライアスの予想どおりにはならなかった。

 次の瞬間、全身に衝撃が走った。

 何が起こったのか彼には分らない。

 ただ、網膜に光が注がれ、視界がひろがったことだけは認識した。

 盾を握っていたはずの手からその感触は消えていた。

 そこでライアスの意識は途絶えた。




 碕沢は朱猩シュールンの跳躍が失敗したことを認識した。

 あのまま跳べば、先に大きな口を開けている崖へと転落することだろう。

 視界を奪われた巨躯の魔獣は、勘で行先に崖があることを感じとったようだ。

 上体をかがめ、腕を伸ばして地面に触れようとしている。

 腕を地面に押しつけることで強引に進路を変更しようとしているのだろう。


 朱猩シュールンがバランスを崩したり、あるいは、無駄な動きをしたその数秒で碕沢は魔獣に追いついてきていた。

 彼は朱猩シュールンの行動を瞬時に読み取り、綺紐を飛ばす。

 魔獣の掌を綺紐が貫いた。

 痛みにさらにバランスを崩した朱猩シュールンが無様な体勢のまま崖へと身を投げだした。

 碕沢の追撃はやまない。


 ――逃がさない。


 彼は硬化した綺紐を高跳びの棒のように利用して、大きく跳躍し、朱猩シュールンの真上へと踊りでる。

 そして、生物の急所である咽喉に連続した斬撃を見舞った。

 空中というひどく安定を欠く場所でも、碕沢の身体制御は完璧で姿勢が揺らぐことはなかった。

 綺紐は朱猩シュールンに致命傷を与える。

 魔獣の巨躯から濃縮した青い靄マナが溢れだし、碕沢と綺紐に吸収されていく。

 碕沢は視界にちらりと入った小さな二つの影に視線を投じた。

 能面のようだった彼の表情が崩れる。


「ライアス! グルクス!」


 二人は崖を落下していた。

 碕沢はこの時になって初めて二人が巻きこまれたことを認識したのだった。

 視界に入ってはいても、重要な情報として扱っていなかったのである。

 碕沢は朱猩シュールンの巨躯に着地すると同時に蹴り捨てる。

 勢いのままに崖の傍を落下する二人に近づき、二本の綺紐を飛ばした。

 ライアスとグルクスの身体に綺紐を巻きつけることに成功すると、すぐに体勢を返し、上空を見る。


 ――遠い。


 すでに危険領域に入ったことを自覚しながら、碕沢は綺紐を飛ばした。

 フックのように引っかけることを意識する。

 すると、人影が二つ崖上に現れた。

 その内の一人が綺紐に対して腕を伸ばす。

 碕沢は綺紐の先を変化させることを中止した。

 がくんという衝撃が身を襲う。

 崖上にいる人影――髭面のオーダンが綺紐を握りしめたのだ。

 その後ろにいる監督官もすぐに手を伸ばして綺紐を持った。

 あの二人ならば、多少無理な体勢でも男三人を引きあげることは可能だろう。


 碕沢は一息つき、下の二人を見た。

 多少無理やりな感じで綺紐を巻きつけたので、無理な体勢になっていないかを確認したのだ。

 グルクスは大丈夫のようだ。だが、彼の視線の先が気になった。

 彼は傍で同じようにつりさげられているライアスを見ていた。

 ライアスも綺紐の巻きつけ方に問題は見られない。

 だが、彼はぐったりとして、四肢がだらんと流れ落ちていた。

 普通ではない。

 何か異常事態が発生している。


 さらに碕沢は他の異常にも気がついた。

 なかなか碕沢たちの身体が上昇しないのだ。

 頭上を見れば、二人の男が決死の表情で綺紐を引きあげようとしている。

 なのに、碕沢たちの身体は上昇しない。

 つまりほとんど引きあげられていないのだ。

 表情を見れば、手を抜いていないことは分かる。

 だが、結果が出ていない。

 上の二人も負傷して、力を発揮できない状態にあるのだ。

 このまま数分も経てば、上の二人までも危険に巻きこむことになるかもしれない。

 もっと早く限界が訪れるかもしれない。

 別の方策をうたねばならなかった。

 綺紐を短縮させることはできない。

 上の二人に反動を受けとめる力を期待できないからだ。

 他には?

 すぐに一つの候補が思い浮かぶ。

 他にもっと可能性の高い方法は?

 だが、可能性を探る時間は許されなかった。それは被害を大きくすることに繋がる。

 巻きこむわけにはいかない。

 碕沢は思いついたことを即座に実行した。




 ――もたない。


 オーダンの右腕はすでに悲鳴をあげていた。

 いや、腕というより全身だった。

 特定の箇所ではなく、身体全体を彼は痛めていた。

 オーダンは不思議な手触りの紐を片手でしっかりと持っている。

 もう一方の手はでっぱった斜面をつかみ、引きずられないように踏んばっていた。

 隣には似たような格好をした監督がいる。

 おそらく彼も限界を感じているだろう。

 だが、だからといって手を離すわけにはいかない。


 まだ、助かる可能性はあった。

 オーダンと監督官が耐えられないのは三人の重みである。

 だが、三人でなければ――。

 ひどい思考だと、冷めた部分でオーダンは思う。

 現実に対して適切に対処しようとする時、時にそれは冷酷な判断を求められる。


 碕沢にその判断ができるだろうか。

 それとも彼は何も判断を下せずに、五人の命を犠牲にするのだろうか。

 碕沢という男は、おそらくこれからさらに加速して強くなる。

 普通でないのは、短い時間を一緒に戦っただけで分かった。

 上へと登りゆく選ばれた男なのだろう。

 そうであるならば、人の上に立つというのならば、選択をしなければならない。

 もっとも犠牲の少ない選択をしなければらならない。

 残酷であろうと、命の選択を――。

 オーダンの腕がふいに軽くなった。

 重みが消え、がくんと身体がずれる。

 碕沢へとつながっていた綺紐が消えたのだ。


「なにを――」


 碕沢の身体が落下している。

 下の二人との間にある綺紐は消えていない。

 碕沢の手からもう一度綺紐が放たれた。

 上方へと直進した綺紐は最大限に伸長する直前で、獲物を狙う蛇のように急角度で方向を変え、崖壁を貫く。

 崖壁の欠片がぱっと散った。

 三人の男の体重を支えるために綺紐が一瞬だけきしんだ。


 落下は停止した――と思われたのもごくわずかな時間だった。

 崖壁がごそりと剥げ落ちる。

 欠片と呼ぶにはあまりに大きな岩盤の塊が、綺紐をめりこませたまま三人に向かって落下した。

 すぐに岩盤の塊は砕かれた。

 碕沢の綺紐がつぎつぎに塊を貫通し、砕けて小さくなった塊をさらに破壊した。

 岩盤の塊の脅威はなくなった。

 きわめて短い時間で碕沢は岩盤の塊を排除してみせた。

 だが、それは落下する三人にとってあまりに貴重な時間の消費だった。

 すでに、オーダンの目には三人の姿は人の形として認識することが難しい。

 粒のような影になっていた。

 オーダンの視線の先で影はどんどん小さくなっていく。


「馬鹿やろうが――」


 碕沢は選択したのだ。

 全員が助かる可能性を――。

 そして、失敗した。









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