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一章 試験(5)




 滅茶苦茶であった。

 すべての原因は碕沢にある。

 彼の行動でオーダンの所属する班員の行動は、まったく予測できない方向へと走りだした。

 碕沢の行動は褒められるものではない。


 ――だが、責められない。


 と、オーダンは心のどこかで思っていた。

 とっさに弱者――同じ受験者を弱者と表現するのはおかしなものだが――を庇うための動きができる人間などそうはいない。

 評価されるべきことだろう。

 だが、班についていた監督官の命令を無視しての行動は褒められない。

 単独行動がしたいのならば、軍団になど所属するべきではないのだ。

 だが、唯一単独行動が認められる場合がある――いや、特例となる人間がいるといったほうがいいか。

 それは、圧倒的な強者であることだ。

 現実を破壊する力をもつ強者のみが集団から離脱して行動することを許されるのだ。

 碕沢は強い。

 戦いぶりを見ていれば分かる。

 だが、逸脱している強さではない。

 一人で大きな困難を乗り切る力はない。

 だからこそ――彼を助けようと動く者たちがいる。


「私と監督官で碕沢の応援に向かう。おまえたちは碕沢が逃した人を救助して、大隊長のいる本部までさがれ」


 まったく困ったものであった。

 班員全員が碕沢の救援に向かおうとしていた。

 碕沢のみならず、オーダンのいる班の人間は他者を救うことにためらいを覚えることがないらしかった。

 何とも頼もしい若者たちだ。

 だが、だからこそこんなところで死なすわけにはいかない。

 オーダン自身、年は二十八でまだ若い。

 だが、十代の者たちに比べれば、確かに年は重ねていた。

 視線が異なるのも当然なのかもしれない。


「オーダンの言葉を監督官の命令とする。きさまたちはそれに従い行動せよ」


 この監督官は話が分かる人間らしい。

 いちいち無駄な修正などせずに、時間を尊んでいる。

 実戦を知る者だ。

 そして、すでに戦う覚悟もできているようだった。

 命を懸けるに足る相手と共に戦場に立てるのは、喜ばしいことではないか!


 走りつづけたオーダンと監督官は、移動する戦場についに追いついた。

 二人は抜き身の剣をかまえて朱猩シュールンに突撃する。

 その時、碕沢が体勢を崩した。

 朱猩シュールンの意識は、目の前の獲物さきさわに支配されているらしく、二人に気づいていない。

 勢いのままにオーダンは剣を朱猩シュールンの足へと伸ばす。


牙突グラード!」


 秘技スキルだ。

 すべての動きが加速する。

 理想的な刺突である。

 硬い皮肉がえぐれ、剣が魔獣の足を貫通した。

 監督官も朱猩シュールンの巨躯に秘技スキルで斬撃を浴びせたようだった。

 朱猩シュールンの右腕が振りまわされる。

 監督官はすぐに避けた。

 オーダンの動きは、剣を抜こうとした動作の分だけ遅れる。

 だが、ぎりぎりで剣を諦めたために、直撃だけは避けることができた。

 オーダンの腕に朱猩シュールンの爪先がかする。

 それだけで鎧が切り裂かれ、オーダンの身体は弾き飛ばされた。

 彼は斜面を転がる。

 突起した岩に背中があたり、オーダンは呼吸を奪われた。

 一瞬の後に、咳き込む。

 ダメージを受けたもの、岩のおかげでオーダンの身体は何とか停止した。


 オーダンは視線をすぐに戦場へと投じた。

 彼は大きな舌打ちをする。

 アトレウス、ライアス、グルクスの三人が朱猩シュールンの傍へと移動していたのである。

 青い正義感がアダとなっている。

 碕沢と違う。あの三人ではまったく相手にならない。

 視線を下方に向ければ、そこには逃げたはずの他の班員がいた。

 どうやら彼らに負傷者を預け、三人は碕沢の加勢に向かうことにしたようだ。

 オーダンは他所の班員の一人と視線があう。

 オーダンは大げさに見えるほどに腕を大きく動かして、撤退を指示した。

 これ以上、正義感のために犠牲者を出すわけにはいかない。

 他の班員もオーダンの動作に気づき、そこにいた受験者たちは撤退を開始した。


 ――うちの連中より、冷静な目を持っているようだ。


 髭面の男は彼らをそう評価した。

 オーダンは痛む体に鞭打ち無理やり立ちあがると、移動を開始した。

 もちろん、仲間を援護するためだった。

 傷を負った身体では、皆と連携して有機的な動きをすることは難しいだろう。

 だが、オーダンは斜面を再び登る。

 仮にいつものオーダンが、自身の行動を見ていならこう評するだろう。


 ――青い正義感で動いているだけだ、と。


 彼の所属する班は、似た者同士が集まっているらしかった。





 碕沢は皆が力を貸してくれることについては、すなおにうれしく思った。

 そのおかげで、致命傷になりかねない攻撃も避けることができた。

 感謝である。

 朱猩シュールンとのぎりぎりの攻防を強いられながら、碕沢は未だに他者に対して感謝の念を抱く余裕があった。

 戦いに余裕をもつことは良い。

 彼の飄々とした本質というものが、それをもたらしているのだろうか。

 だが、碕沢の悪癖のためにそれが生まれていたとしたら、問題だった。

 全力でありながら、必死ではない。

 碕沢は力を尽くしている――つもりだ。

 だが、戦いの入りがよくなかった。


 ――時間を稼ぐ。


 斃すではなく、時間を稼げばよい、と碕沢は最初に判断したのだ。

 それが尾を引いている。

 状況はすでに変わっていた。

 時間を稼いだところで、朱猩シュールンから逃れることは困難であった。

 背を見せて逃走すれば必ず追いつかれる。

 隙だらけの背後を狙われるだろう。

 ならば、斃すしかない。

 碕沢は充分に状況を理解している。

 思考も倒すしかないとの到達点に至っている。

 だが、彼の奥底に眠る戦いへの強烈な意志力は未だ眠ったままだった。


 人間によって発動された秘技スキル朱猩シュールンの周囲でいくつも炸裂している。

 恐るべき加速と威力を実現していた。彼らにとっての最強の攻撃である。

 だが、朱猩シュールンを追いつめるには至っていない。

 むしろ、秘技スキルの発動後の隙を狙われ、再三、人間側が危険に見まわれていた。

 碕沢は現在、皆のフォローにまわっている。

 碕沢の攻撃力より、皆の秘技スキルのほうが威力は上だと判断してのことだ。

 朱猩シュールンに隙を作らせ、あるいは、秘技スキル発動後の皆の隙を事前に防いでいく。

 戦いはバランスがとれている。


 だが――。


 ジリ貧だ、と碕沢は思った。

 今は数の優位によって互角の戦いを演じている。

 だが、体力の優位は朱猩シュールンにあり、先に動きが悪くなるのは人間側のように思われた。

 皆、ぎりぎりの戦いを行っている。

 全員から余裕が感じられない。

 いや、一人だけ余裕のある者がいることを碕沢は知っていた。

 碕沢じぶんである。

 一撃の威力が小さいというのならば、同じところに何度でも攻撃を叩きこめばよい。

 敵の一撃にあたれば終わりだというのなら、すべて躱しつづければよい。

 そんな単純なことである。


 ――簡単なことじゃないか。


 碕沢は胸中で呟く。

 そして、自らを奮い立たせた。


「俺がいく」


 碕沢は宣言した。

 この場でさらに上の攻撃をできるのは碕沢しかいないのだ。

 なら、主力となって攻撃を仕掛けるのは当然のことだ。

 碕沢はバランサーではない。

 前に出て戦う者なのだ。

 できるからやる。

 それだけのことだ。


 碕沢はまだ自らを知らない。

 彼の戦いの才能には、そして彼の戦い方にはバランサーとしての資質があった。

 それは指揮官にも通じる。

 碕沢の周囲にいた人間でもっとも指揮官タイプであったのは、冴南だ。

 彼女もバランサーであった。

 後方から全体を俯瞰する冴南が守備的なバランサーであるとしたなら、碕沢は攻撃的なバランサーであっただろう。

 彼は自ら動き、敵に隙を生じさせ、仲間の攻撃に道を作る。

 能動的に動きつづけるバランサー、あるいは指揮官の資質があった。

 しかし、彼は未だ自らを知らない。

 視界は狭く、独りで戦うことを自然と選択してしまっている。


 碕沢は正面から朱猩シュールンに突撃した。

 朱猩シュールンの顔は怒りに満ちていた。

 人間をうるさいハエと思いながらも、まだ一人として叩きのめしていないことにいら立っているのだ。

 不意に他の者への攻撃をやめた朱猩シュールンが、碕沢へ照準を合わせる。


 ――目をつけられているらしい。


 碕沢は戦闘に支配された思考の片隅で感想を抱く。

 朱猩シュールンの動きが消えた――瞬間に、碕沢は上空へと大きく跳躍した。

 足元で破壊の音が響き、朱猩シュールンの影が確認できた。

 碕沢は綺紐を真下へと放つ。

 だが、攻撃には使用しない。

 朱猩シュールンの左肩に綺紐を巻きつけたのだ。

 朱猩シュールンの視線が上へと向けられた。

 碕沢はそのまま巨躯の魔獣に向かって落下する。

 朱猩シュールンの大きな右腕が碕沢の落下にあわせて、唸りをあげた。

 空気を巻きこみながら、拳が天へと振りあげられる。

 あたれば、碕沢の頭部など砕けてしまうことだろう。

 碕沢は綺紐を引く。

 同時に綺紐を縮ませた。

 落下の速度が跳ねあがる。

 朱猩シュールンの右腕が伸びる頃には、碕沢はすでにその内側へと侵入していた。

 朱猩シュールンの右拳を避けたために、やや碕沢の身体は当初の目的より下へと移動している。

 彼の眼前には朱猩シュールンの首ではなく、胸部があった。

 碕沢は無理やり身体を反転させる。

 その勢いのままに硬化させた短い綺紐を朱猩シュールンの首へと斬りつけた。

 綺紐がフックのようなアッパーのような軌道で朱猩シュールンの首もとを切り裂く。


 ――その瞬間。


 碕沢は、危険を感じ、三本目の綺紐を具現化した。

 右腕の籠手の上にさらに籠手のようにして硬化した綺紐を使う。

 碕沢の右手はちょうど地面に向けられていた。

 そこから巨大なハンマーのような何かが突然真上へと振りぬかれた。

 碕沢の身体はゴムボールのように上空へと跳ねあがる。

 碕沢の口からうめき声が漏れた。

 右腕を貫通して、腹部にまでダメージが至っている。

 痛みを感じながらも、碕沢は視線を朱猩シュールンから放していない。


 朱猩シュールンは奇妙な体勢をしていた。

 足の裏がまっすぐ天へと向けられている。

 その体勢から想像できる答えは一つ。

 蹴りを放たれたのだ。

 右腕で上空へ殴りかかって、首を攻撃されているにもかからわらず、強引に蹴りを放つ。

 無茶苦茶な動きだった。


 碕沢の身体の上昇がとまる。

 荒い風が碕沢の髪や服を大きくはためかせた。

 降下が始まる。

 朱猩シュールンが両腕を左右に伸ばして一回転した。

 巻き起こる剛腕の風圧と威圧に、他の五人は攻撃を躊躇する。

 碕沢は綺紐を放ち、もう一度朱猩シュールンの肩に巻きつけようとしたが、巨躯の魔獣がそれに反応した。

 朱猩シュールンが綺紐を掴み、引き寄せようとしたところで、碕沢は綺紐を消す。

 だが、すでに身体は巨躯の魔獣に向かい加速していた。

 朱猩シュールンに対して綺紐を放つのは意味がない。

 なぜなら完璧に迎撃の体勢を整えているからだ。

 魔獣は綺紐の攻撃に慣れつつある。

 それでも碕沢は綺紐を飛ばした。

 だが、綺紐の向かう先は朱猩シュールンではない。

 岩石に放ったのだ。

 岩石に楔を打ち込み、急激に横方向へと身体の位置を変える。

 碕沢の眼前に巨大な拳が迫ってきていた。

 避けられる――と断じたところから、さらに朱猩シュールンの拳が伸びてくる。

 碕沢は直前で綺紐を魔獣の拳にぶちあてた。

 接触は一瞬。

 碕沢は岩石へと向かう。

 だが、体勢は大きく崩れていた。

 顔面から岩石に直撃しそうになる。

 だが、碕沢は右腕を岩石に叩きつけ、その後転がり衝撃を緩和した。

 身体の節々に痛みが走る。

 だが、脳内物質が過剰に流れているためか、痛みは小さい。

 動けないということはなかった。

 碕沢は立ちあがる。


「さすがに、他の魔獣を怯えさせることだけはある」


 感想を述べている状況ではない。

 だが、碕沢はあえて声にだした。

 言葉にすることで、自身の魂を戦いへと誘導していく。

 碕沢の意識が本格的に切り替わりつつある。


 ――生命の危機。


 強い敵に、彼の理性と本能が内なる竜を呼びおこす。

 一方で精神は回路を遮断されたかのごとく人工的静けさに満たされた。

 彼の視界には、負傷した獲物にとどめをさそうとする魔獣の姿があった。

 恐ろしく速い。

 これまででもっとも俊敏な動きである。

 五人は牽制すらさせてもらえない。

 碕沢の意識から五人の動きが消えた。

 朱猩シュールンと自らのみが世界に存在している。

 碕沢の顔から表情が消えた。

 瞳が細まり、鋭くなる。

 ひどく冷たい世界に碕沢は存在していた。

 彼はかすかに腰をさげ、そして綺紐をいっきに四本具現化した。

 生き物のように綺紐が宙をうねり、伸長する。

 綺紐にも変化が現れていた。

 紐先が尖り、さらにすべてが刃でコーティングされている。

 主人と共に綺紐も危険度を増していた。









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