一章 試験(2)
忌々しいという感情をガウドはこれほど意識したことはなかった。
原因は碕沢という若造である。
若造と一緒にいた女二人も目ざわりだったが、ガウドがもっとも気にくわないのは碕沢であった。
へらへらとした顔で訓練場にまで女をはべらせ、力を隠すことで人を欺き勝利する。
こちらを馬鹿にしているのだろう。
確かに試験に合格する程度の力はあるようだ。
一般人にすれば強い。
調子に乗るのも分からないではない。
だが、ここはキルランスなのだ。
人類の剣にして、最後の盾。
碕沢秋長はキルランスにふさわしくない。
あの程度の力を持つ者などいくらでもいる。
隊長レベルに勝つことは絶対にできないだろう。
兵士の一人として迎え入れるには、害毒があるだけだ。
あの若造には無駄な装飾が多すぎる。
本気で強さを求めていない男など、さっさと諦めさせるべきだった。
「あの男、まだあんなところでにやにや笑いながら会話をしていますね」
部下の声も忌々しさに満ちていた。
「あんなやつはいらん! ウォーレン山が真に戦士を見極めることのできる霊山であるのなら、あの男を試験に通すことはしないだろう」
部下が驚きに表情を崩してガウドを見た。
霊山などと言葉を発したのだが、ガウドらしくないと感じたのだろう。
実際、ガウドは神頼みなどしない。
だが、不可思議な力がこの世界に満ちていることは認めているのだ。
その程度の幅をガウドという男は持っていた。
ようやく動き始めた碕沢の背中をガウドは睨みつけていた。
ガウドの視線に気づいたのか、碕沢が振りかえる。
視線がぶつかった。
あの若造がどういった表情をしたのか、ガウドには分からなかった。
距離が遠すぎたのだ。
碕沢はすぐに視線を戻し、急造の四人の仲間とウォーレン山へと進んでいった。
わずかに遅れて、二人の監督者がついていく。
碕沢たちが発ち、ほどなくして、大隊長であるガウドの監督下におかれている残りの全班が移動を開始した。
しばらくして、ガウドもウォーレン山と足を進める。
試験中に何事かが生じた時に対応するためである。
受験者たちとは一定の距離を保っておく必要があった。
当然だが、監督下にある十班に対する采配の権利は、すべてガウドにある。
「力もたいしたことがない。あの若造は――」
――いらぬ。
ガウドは声に出すことなく呟いた。
ウォーレン山を仮に表と裏に分けるとしよう。
碕沢たちが進む進路が表だ。
では、裏はどこへ繋がっているかといえば、『神域の森』であった。
この表現は間違いではないが、正確にいうのなら繋がっている場所は『魔獣の森』である。
つまり、『神域の森』をぐるりと囲むように『魔獣の森』があるのだった。
魔獣の森は広範で、ちょうど森の終わりのあたりにウォーレン山は聳えたっていた。
山に近づけば近づくほど魔獣との遭遇確率が高くなる。
裏面にまわれば、その確率は非常に高くなるという。
さらに棲みついている魔獣も強い。
裏と表では、魔獣の強さは天地の開きがあるという。
こういった話を碕沢は髭面男のオーダンから聞かせてもらった。
他の者たちは碕沢の無知に呆れているようだった――グルクスは無表情だったので、実際どう思っていたのかは分からない。
オーダンはむしろ何も知らない碕沢に教えることをおもしろがっていた。
「魔獣に一度も遭わずに突破する可能性もあるということか」
それだと楽でいい、と碕沢は思った。
「非常に低い可能性だろうな。平地ならともかく、山を登っていくとそれなりの数がいるようだ」
オーダンが笑う。
「そうじゃなければ、試験にならないだろう」
ライアスである。
彼は碕沢の思考が理解できないようだ。
基本的に真面目なのだろう。
「でも、早く魔獣に会いたいですよね。碕沢さんが紐でどんなふうに戦うのかを実際に見てみたいですから」
「なんで、俺がおまえのために戦いを披露しなくちゃならないんだ」
「でも、碕沢さんくらいですよ。戦い方が想像できないのって。これってチームワークを考えた時、けっこう重大なことですよね」
「口は達者だな」
「こちらのほうもです」
アトレウスが握り拳をつくってみせた。
碕沢たちの歩く速度は、一般の人間からすれば速歩きを超えている。
いまだ身体が作りきられていないアトレウスだが、少年はしっかりとついてきていた。
いまのところ息を弾ませる様子もない。
「レウスの言うように、俺もおまえさんの力を見ておきたいとは思うな」
オーダンの歩みには余裕が有り余っていた。
「そうですか?」
「できれば、山にさしかかって魔獣との本格的な戦いが始まる前にな」
「なら、最初に現れた魔獣には碕沢だけに戦ってもらうか」
ライアスが軽口を叩く。
すでに森に入ってからそれなりの時間が経過していた。
森の奥深くに分け入っている。
魔獣が出てもおかしくない頃合いである。
「そんな都合よく魔獣が出るかよ」
碕沢は笑う。
「どうやらそんなことはないみたいだぞ」
ライアスが笑みをこぼした。
行く手に明らかに人型ではない影が見える。
周囲に碕沢たち以外の受験者はいない。
加勢する者も邪魔する者もいないということだ。
魔獣がこちらに気がついた。
「どうする、碕沢?」
オーダンの問いだ。
「どうするも何も、第三軍団を叩きのめした実力を見せてもらいましょう」
声量の調節がされていないアトレウスの声は、碕沢たちの背後に従う第三軍団の隊長と兵士にも届いている。
隊長は無表情だったが、兵士のほうがあきらかに色めきたった。
だが、さすがに行動に移すことは自重したようだ。
「そうだな、噂の真偽を見せてもらおうか?」
ライアスがにやけ面をしている。
碕沢の実力を見てみたいというより、会話に困っている碕沢を楽しんでいるように思えた。
突っ込み役に不満があるのだろうか。
「長く話している暇はない」
グルクスの発言はいつも正しい。
羆に似た魔獣がのそりのそりと四足で碕沢たちへと近づいてきていた。
体格は羆よりも一回り以上大きい。
「いいよ、俺がやる。ダメそうだったら加勢してくれ」
弱気ともとれる発言を碕沢はする。
だが、彼のかまえに気負いはなかった。
何となく敵の強さというのを碕沢は感じることができていた。
目の前の魔獣は、ゴブリン・ヴァイカウントよりも多少強いという程度に思える。
今さら碕沢が手こずる相手ではないはずだ。
「あれは厚熊という。情報が必要か?」
オーダンである。
彼は魔獣の情報を持っているようだ。
「見た目以上に俊敏、牙と爪、そして人とは比べものにならない力に気を付ける。それ以外に何かありますか」
碕沢は羆の特徴をあげた。
彼はすでに一行から離れて前へと出ている。
「打撃は効きにくい。斬撃か刺突だな」
「ありがとうございます」
碕沢は背中を向けたままで礼を言った。
気をつけるべきは間合いだな、と碕沢は集中する。
相手の速度を見切れていない今、できるだけ近づけさせないのが得策だろう。
体重をかけるように一歩一歩のそりと歩いていた厚熊がわずかに巨躯をかがめた。
すでに碕沢の綺紐は放たれている。
力を溜めた厚熊の右腕を綺紐が貫く。
一瞬、厚熊が体勢を崩しそうになったが、魔獣は傷など関係ないという具合に、そのまま飛び跳ねた。
凄まじい筋力だった。
――速い。
だが、速いと分析できる余裕が碕沢にはあった。
碕沢はタイミングをあわせて、上空へと跳躍する。
厚熊が勢いのまま碕沢の下を通過していくところに、綺紐を放ち貫通させた。
さらに硬化した綺紐を具現化する。
碕沢は身体を回転させた。
硬化された綺紐も旋風の軌道を描く。
背を見せている厚熊にはなす術もなかった。
打撃ではなく、斬撃だった。
斬られたことが認識できなかったように、数歩先に進んでから厚熊の巨躯が地面に倒れた。
青い靄が厚熊からこぼれ、碕沢と綺紐へ吸収される。
完勝である。
「なるほど噂の内容は本当らしい。助言も関係なし、か」
オーダンの表情に表面上驚きはない。
碕沢の強さは彼の予想の上をいっていなかったのだ。
碕沢は軽く肩をすくめるだけで、返事とした。
碕沢は離れたところにいる監督官に言葉を投げる。
「これはこのままにしといていいんですよね」
「かまわない。おまえの成果はきちんと私たちが記録している。剥ぎ取りについても後続が可能なかぎり処理をしてくれるはずだ」
魔石や使える物は、後続の第三軍団の兵士が回収してくれる手筈になっていた。
むろん、すべて回収がされるというわけではない。
なので、自ら魔石の回収や剥ぎ取りを行っても良い。
その時は、荷物は自分たちで運ばなければならなくなる。
試験を考えた時、それは無駄な時間でしかない。
本気で合格を狙う者はしないということだ。
そして、班行動であるために、自分勝手な行動は許されない。
最悪は見捨てられることになるだろう。
一人となった時に、監督官が不合格と判断した時点で、その人間は試験の続行が不可能となる。
そして、以降は他者の魔石や剥ぎ取りを行うことになるのだ。
つまり、試験の手伝いをさせられることになる。
というわけで、倒した魔獣はそのままにしておくのが一般的だ。
中にはせめて魔石だけでもという欲を持つ者がいるが、それもウォーレン山を登る前までだ。
ウォーレン山への挑戦が本格的に始まってからは、そのような暇は与えられない。
魔獣の強さがまず異なるし、連戦となることもあるからだ。
「ウォーレン山に差しかかる前に、碕沢の戦いが見られたことはよかったな」
髭をなでつつオーダンが言う。
「確かにそうですね。速いし、動きが変わっています」
「ああ、普通は宙へ跳んだりはしないな」
ライアスが苦笑いを浮かべた。
「曲芸的な戦い方なんかしてないだろう」
どうも皆の自分に対する評価が奇抜という単語に収束されそうだったので、碕沢は反論する。
彼は自分が才や感覚が優れた人間だとは認識していなかったので、奇抜というのは納得いかなかった。
また、今後そういった攻撃を期待されても困るというものだ。
訂正しておく必要があった。
「なるほど、確かに曲芸的だな。どこか魅せるものがある」
オーダンが頷く。
「ああ、確かに華がありますね」
ぽんとアトレウスが手を叩いた。
「戦いに必要かは疑問だけどな」
否定的というより、たしなめる感じでライアスが言う。
碕沢の反論は、逆方向へ作用したようだ。
「完全に誤解しているな、道中その誤解は解くとして、俺を基準とした場合の他の四人の戦力はどの程度だ?」
「あんな戦いと比べられるはずがないだろう」
ライアスがため息まじりに言う。
「あれほど短時間で仕留めることは難しい。だが、全員一対一で倒せるのではないか?」
オーダンが碕沢をのぞく全員へ視線を投じた。
首を振ることなく、全員が頷いた。
「山へ入るまでは問題ないということだ」
寡黙なグルクスが口を開いた。
彼の意見は全員が了解するところだった。




