一章 顔あわせ(2)
最初に動いたのは若い兵士のように見えた。
だが、吹き飛ばされたのは若い兵士だった。
仲間たちの中に若い兵士は突っ込んだ。
仲間たちがクッションの役割を果たしたためにダメージはさしてないようである。
兵士の手には剣がなかった。
一拍遅れて、空から剣が降ってくる。
くるくると回転していた剣が地面に音をたてて跳ね、転がった。
偶然だろうが、それはちょうど兵士の目の前の地面であった。
一瞬、場が静まった。
団員たちの視線は若い兵士に向けられる。
白けた視線が若い兵士を責める。
若い兵士の顔が屈辱の色に染まった。
彼は走りざまに剣を拾いあげると、そのままサクラへと刺突を放った。
素晴らしい踏み込みに素晴らしい速度。
若い兵士の全力が込められた一撃である。
サクラの胸に剣が突き刺さった――かのように見えた。
だが、それはサクラがあまりにも自然な動きで剣を躱したために見えた幻だった。
軽い身のこなしでサクラが兵士を横ぎり、その背中に剣を叩きおろした。
兵士の身体が前のめりとなって倒れそうになる。
地面からサクラの足が突きあげられた。
兵士の腹部とサクラの足が接触し、兵士の身体が宙に浮いた。
伏せられていた兵士の顔が前を向く。
サクラの手にある剣が振りまわされ、兵士の顔へと近づいていく。
剣の腹と兵士の顔が激突した。
後方へと吹き飛ばされた兵士は、背中から地面に転げ落ちる。
そして、そのまま動きをとめた。
兵士は気を失っていた。
「次は誰?」
サクラの嘲るような声のみが、訓練場に音として響く。
――やりすぎじゃないだろうか、サクラさん。
碕沢の本音である。
仰向けになった兵士の顔は真っ赤になっていた。
鼻血などの血で染められているのだ。
このままサクラのやりたいようにさせれば、本気で全員から襲われかねない。
「サクラ。訓練は一対一で終わりだよ。戻ってきなさい」
碕沢は退却の準備を始めた。
「そのとおりだ。一対一で、一度行えば充分だ。これは、力をはかっているだけに過ぎないのだからな」
空気を震わすような声をあげたのは、ガウドである。
意外なところからの援軍だ、と碕沢が思ったのは、早とちりというものだった。
「そっちは、次はどっちが出る?」
ガウドは戦いの終了を宣言したわけではなかった。
人を改めてさらに続行と言うわけだ。
「いや、どっちも何も――」
「私が出ます」
碕沢の言葉をさえぎって、冴南が歩を踏みだした。
まったく怖気づいたところのない冴南の様子に、ガウドは舌打ちをせんばかりだった。
ガウドは、舌打ちこそこらえたが、顔の向きを変えて、唾を地面に吐き捨てた。
大隊長がどのような種類の感情を抱いているのかを、団員たちは強く意識させられたようだ。
「神原、おまえ――」
と、碕沢がたしなめようとした時、サクラが軽い身のこなしで近よってきた。
碕沢に向けられた顔は笑顔である。
「すっきりした。どう、良かった?」
何の話だ――と碕沢は思ったが、当然、今あった戦いのことだろう。
碕沢はサクラから熱い視線を感じていた。
碕沢はため息を押し殺して、サクラの頭をぽんぽんと叩く。
いわゆる、よくやった、いい子いい子という感情表現だ。
サクラがうれしそうにする。
「何をやってるの!」
冴南が、戻ってきたサクラから訓練用の剣をつかみとった。
彼女は何度か素振りをして腕に馴染むのを確かめている。
だが、視線は碕沢たちに投じられたままだ。
冴南の言わんとするところは、碕沢も何となく理解している。
サクラのグラマラスな体形と美貌、それにややしなをつくったような身振りが悪いのだ。
客観的に見れば、碕沢とサクラの風景は、とても褒めているだけの光景に思えないのだった。
この短い時間に碕沢は、兵士からあらんかぎりの罵声を浴びせられた。
「まあ、それはともかくだ」碕沢は仕切りなおす。「神原も危険なことはやめなさい」
「あなたと違って、私はこっちもきちんと訓練していたから、ひどいことにはならないから」
笑いながら冴南が剣を碕沢へ突きつける。
怒りはまだ収まっていないらしい。
「そういう問題じゃないだろ」
言うまでもなく、冴南の主武器は弓矢である。
戦いは遠距離のみですむとは限らないので、冴南は近接戦の訓練も行っていた。
訓練時は主に剣を手にしていた。
だが、あくまでも彼女にとって近接戦闘は補助の役目である。
得意な武器と戦い方が弓矢による遠距離戦であることは間違いない。
また、第三軍団の団員の力を軽く見るべきではなかった。
サクラがあまりに圧倒的に若い兵士を倒してしまったので、たいしたことがないようにも思えるが、実際は弱兵ではない。
碕沢の目で見たところ、青城隊のメンバーが先程の若い兵士と戦ったとしたら、勝てるのは数人にかぎられるはずだ。
しかも、おそらく次に出てくる相手は、先程の兵士よりも格上の者だろう。
第三軍団の団員たちは、すでに新人の強さをはかることなどどうでもいいはずだ。
次からは自分たちの面子のために戦いを挑んでくるだろう。
弓を使えるのならともかく、得意でない武器で戦うのは避けるべきだった。
「心配してくれるのは分かるけど、ここで引いたらこの先が思いやられるでしょう。あの人たちが例外でないのなら、ここの人たちは女性を低く見ているようだし」
戦うべき時だ、と冴南は主張しているのである。
「なら、せめて弓を――」
「相手の土俵で勝つ」冴南がウインクした。「当然、あなたもよ」
「俺もかよ。じゃなくて、さっきの戦いを見た上で自信があるのか?」
「その前にやっていた訓練の様子を見た上で、手を挙げたのよ」
「おまえらいつまでこそこそ話している。さっさとこっちに来い」
ガウドが叫ぶ。
「ちょっと話すくらいいいでしょう。器の小さい男ね」
冴南の発言である。
碕沢とガウド、そこにいた男たちは全員硬直した。
碕沢とその他で硬直の意味は多少違うだろうが、反応は完全に真っ二つになった。
――余計なことを言って、煽るなよな。
というのが、碕沢。
――小娘が、生意気な口をきけないようにしてやる。
というのが、第三軍団の団員たちの声だ。
冴南は訓練場の中心へと急ぐことなく歩いていった。
すでにその場には兵士が立っている。
先程の兵士よりも、四、五歳は上だろう。
口から黄色い歯がのぞいている。
形どられた笑みからは、浅ましい思いが透けていた。
冴南の外見から、戦いではない別の何かを想像しているらしいことが、外から見ている碕沢にも分かった。
正面で対峙している冴南は考えるまでもないだろう。
女性だからこそ、男の邪な視線を敏感に感じとっているのではないか。
「はじめ!」
ガウドの声と同時に、ショートの艶やかな黒髪がふわりと揺れた。
躊躇のない冴南の剣が兵士に襲いかかる。
虚を突かれたようにして、兵士は避けた。
だが、冴南の剣から完全に逃れることはかなわず、頬から出血を強いられる。
兵士の顔色が変わった。
ようやく本気になったようだ。
サクラの強さを目にしていながら、冴南を侮る。
油断である。
サクラが魔人のデュークであることを、もしかしたら見破っていたのかもしれない。
だからこそ、普通の女性である冴南ならば、手加減しても勝利できるなどと考えたのだろうか。
兵士は自らの油断の代償をすぐに払わせられることになった。
冴南の連撃が兵士にたたみかけられる。
兵士は最初に崩したバランスを整えることが許されない。
剣戟が鳴り、冴南の剣が兵士の皮肉を斬った。
血が飛び散る。
実戦ではありえない簡略な鎧であるからこその、負傷だった。
攻撃するのが冴南。
防御するのが兵士、という形になっている。
流れは冴南にあった。
だが、十数合打ちあうと、兵士は冴南の斬撃の速さと威力に慣れたらしい。
負傷することなく避け、そして、ついに反撃の剣を閃かせた。
その瞬間――。
冴南のスピードが大幅にあがった。
いや、足さばきがより滑らかになったというのが正しいだろうか。
華麗に兵士の攻撃を躱し、カウンターの一撃をお見舞いした。
まったく手加減のない一撃は、兵士の意識を刈りとる。
兵士が地面に崩れ落ちた。
倒れるのを見届けて、冴南は碕沢のほうへと悠然と歩いてきた。
息を乱していないその美しい姿は、汗一つかいていないようだった。
「防御はともかく、攻撃はやっぱりまだまだね」
というのが、冴南の感想である。
攻守のレベルに冴南は差があるらしい。
少なくとも近接戦闘においては。
「じゃあ、最後は碕沢君がきちんとしめてよ。ここで負けるなんてかっこ悪い姿はちょっと許せないから。そうでしょ、サクラ」
「負ける?」サクラが鼻で笑う。「あんなやつらに碕沢が負けるはずがない」
女性陣の思いは勝利への期待ではなく、勝利を事実としてすでに扱っていた。
それは応援とは呼べない。
碕沢はプレッシャーのみを女性陣に与えられて、訓練場へ視線を投じた。
そこには、早くも碕沢の対戦相手が陣取っていた。
おそらく、というか間違いなく前の二人以上に強い相手だろう。
碕沢の手には、いつもの相棒の姿はいない。
鈍い光を放った刃のない剣があるだけだった。
大陸西方は三つの国家で治められている。
キルランス共和国、ソリティス王国、都市連合国家エルゴ。
キルランス共和国の最高権力者は執政官である。
執政官は第一執政官と第二執政官の二人いる。
第一執政官の執務室は、意外なほどに質素である。
実務に特化していると言うべきだろうか。
調度品の類がなく、机や椅子、そしてソファーのみがあった。
それらの物も質は良いのだろうが、無駄な装飾はいっさいない。
その部屋の主も無駄をいっさい省いたかのような雰囲気を持っていた。
第一執政官ヴァレリウス。
長身であるのだが、それを感じさせないほどにあまりに見事なバランスをした体形である。
灰色の長い髪を後ろで無造作に縛っている。
彫刻のような顔には表情がまるで浮かんでいない。
鋼鉄の意思を感じさせる外見である。
ヴァレリウスは今一人の人物から訪問を受けていた。
「ああいう面倒なことは他の人に任せてほしいもんだね。人選ミスだよ」
「私はミスだとは思っていない」ヴァレリウスは両肘を机につき、両手を顔の前で重ねている。「実際に結果は出ているだろう」
「あんたはいつもそれだ」
「結果がすべてだよ。第五軍団団長サルメリア」
「分かってはいるし、そうだとは思うけどね」
サルメリアは片をすくめた。
「わざわざ君が私の前に姿を現したというのは、帰還報告のためというわけではないのだろう。もちろん、ドーラスの報告でもない」
「ああ、そんなものは報告書のほうが充分に詳しい。私が話しても時間の無駄だろう」
「そうだな」あっさりとヴァレリウスは頷く。「それで、何を私に報告したいのだ?」
「分かっているだろうに、その言い方が気にくわないけど、まあいいさ。私が連れてきた三人と東方へ旅立った男についてだ」
「ゴブリン・デュークをはべらせた男と東方へ喧嘩を売りに行った男か。なかなか楽しそうではあるな」
さらりと自分がどの程度の情報を得ているかをヴァレリウスは報告者に告げたのであった。




