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五章 戦いの後、その夜(2)



 ――月夜に美しくたたずむ美女。


 屋上に現れた時の冴南はまさに言葉どおりの月下美人そのものだった。

 だが、十分後には瞳の鋭さがそれを否定するようになっていた。

 彼女がなぜ怒っているのかは分からない。

 だが、何が原因なのかははっきりしていた。

 冴南は碕沢の右手側にいたのだが、正面にいる女がその原因だ。

 そこにいる女も美女だった。

 肌の色こそやや緑がかっているが、闇にまぎれるとほとんど色の違いは分からない。つまり、美しさのみが強調されている。


「碕沢君に用があるみたいだけど、彼女は誰なの?」


 碕沢の右耳に冷え冷えとした女の声が響いた。

 とてもよくない状況だ、と理性ではなく感覚で碕沢は現状を判断していた。





「話、終わったの?」


 冴南が階段のある方向を見ている。

 すでに二人の姿はない。


「終わったと言えば、終わったかな」


「曖昧ね。たいした話じゃなかったの?」


「どうかな? 途中まではそれなりに大事な話だったんじゃないか。じゃないと、こんな疲れた日に話すことなんてないだろ」


「他人事ね」


「半分眠っているようなもんだからな」


「そのだらしない格好は、眠気があるせい?」


「そういうこと」


 碕沢は相変わらず手すりに全体重をかけ、身体の骨が抜け落ちてしまったかのように、ふやけた状態だった。

 冴南が隣に並び、夜の景色を眺める。


「お疲れさま」


「お互いにな」


「よく無事だったわね」


「運がいいんだろ」


「そういう問題?」冴南が苦笑する。


「それ以外に思いつくか?」


「そうね。途中まで、完全に負けていたから」


「まあ、反省会は明日でいいんじゃないの? 思いきり寝てから考えた方が頭も冴えるだろうし」


「それは早く寝たいっていう主張? 失礼な話じゃない?」


 冴南が碕沢の顔をのぞきこんできた。

 碕沢はわずかに顔をずらす。


「わりと、神原さんは元気だな」


「元気というより、まだ興奮しているというか、高揚しているというか、ちょっと普通の状態じゃないんでしょうね」


「分析できてもコントロールはできない状況?」


「そう。少し困っている。でも、話し相手になってくれるような人はいないしね」


「みんな撃沈してるんだろ?」


「ええ、ちょっと男子には見せられない感じかな」


「それ、ちゃんと鍵をかけているか確認したほうがいいんじゃないか?」


「なあに、あなた女子部屋に侵入するつもり?」


 冴南の口調がやや厳しくなった。


「なんで、俺が――」反論というには、碕沢の声は弱々しい。「青城南生は全員寝ているだろうけど、外から誰かが火事場泥棒的に侵入してくるかもしれないだろう」


「あ、そういうこと。眠たいわりに頭が回るのね」


「いや、もうすべて自動的だよ。全自動、脊髄反射で会話をしている」


「それって、私に対してとっても失礼だと思うけど」


「そっちも似たようなものじゃないの?」


「違うに決まっているでしょ」


「ああ、そういえば、玖珂や北條もしっかりしてたな」


 碕沢は冴南のほうを見もしない。

 無視しているわけではなく、身体を向けたり、首を動かすのでさえ、ガス欠を起こしてしまいそうだった。


「あなたがちょっと大げさなんだと思うけど」


「何事も自分を基準に考えてはいけないな」


「そんなことしてないけど……」


 ふっと会話がとまる。

 静けさに満たされるが、嫌な沈黙ではなかった。

 碕沢の隣で、冴南がかすかに動く気配を感じる。

 少し強い風が吹いたので、髪を押さえたのかもしれない。


「ちょっと訊きたいことがあってね」


「へえ」


「まあ、別に今じゃなくても良かったんだけど――今ぐらいしか訊くこともないだろうし」


 冴南にしては珍しくはっきりとしない物言いだ。

 今ぐらい、というのはどういう意味だろう。

 戦いの後のどさくさにまぎれて、ということだろうか。

 そんな時に訊かなければならないような質問が生まれるほど、二人の間に何か特別なものがあるとは考えられない。

 眠気に襲われているから思いつけないのだろうか。

 はっきりとした頭なら――。

 碕沢は手すりに頭をのせて、顔の方角を冴南へと向けた。

 整った顔は、横顔でも綺麗だった。

 淡い月光で顔に陰影がつき、かすかな風に髪が揺れる。

 あまりにできすぎた一枚の絵だった。


「あのね、碕沢君って小学生の頃……」冴南は夜の景色にまっすぐ視線を投じながら口を開いた。「小学生の頃、もしかしてだけど――」


 碕沢と冴南の反応は同時だった。

 二人は振りかえる。

 その時、人影が屋上の床にちょうど着地したところだった。

 長い髪が一瞬ふわりと舞い、重力に引かれて落ちていく。

 人影が立ちあがった。

 細い。

 華奢な女性のフォルムである。

 身体のラインがあらわなのは、着ている服の質と面積が小さいからだった。

 女がまっすぐ二人に、いや、碕沢へ近づいてくる。


「碕沢君に用があるみたいだけど、彼女は誰なの?」


 碕沢の右耳に冷え冷えとした女の声が響いた。

 碕沢にはすでにその正体が分かっていた。


「約束は一カ月後じゃなかったっけ」


 ぽつりと呟く。

 女には届かなかったようで、反応はない。

 だが、隣にいる冴南には聞こえたようだ。


「一カ月?」小声で冴南が呟く。「――ゴブリン・デュークって女だったの? 女にあなたは首筋を噛まれたの!」


 冴南の声は叱りつけるようだった。


「いや、まあ、そこはいいだろ。それより、下に行って玖珂を呼んできてくれ」


「嫌よ。あなたとアレを二人きりにさせるわけにはいかない」


「まあ、数分くらいもたせるから」


「そういうことじゃない。私の勘がここを動くなと言っているの!」


 聞き分けのない冴南に碕沢は困惑する。

 子供っぽいというか、やけに感情的である。

 戦いの後の解放感がそうさせているのだろうか。冴南自身も高揚しているなどと言っていたので、普通の状態ではないのだろう。

 この状態で戦いに突入するのは好ましくない。

 かといって、ゴブリン・デュークが待つということはないだろう。

 こちらの事情を考慮してくれるくらいなら、そもそも現れるはずがない。

 このタイミングというのは、やはり仲間の敵討ちなのだろうか。

 碕沢は思考する。

 彼は理性的に状況を分析し、理性的に判断しようとしていた。

 多くの場合、理性的に判断し立ちまわったほうがうまくいく。そういうふうに世界のルールは定められていた。

 だが、この場では理性ではなく、感情が優先されていた。

 三人の内の二人が、感情によって行動しようとしているからだ。


「驚いた。何があったの? いや、そうか戦って勝ったのね」


 ゴブリン・デュークが碕沢だけを見つめて喋る。

 互いの距離は三メートル。

 二人ならば、一撃をいれるのに充分な射程である。


「キングの敵討ちのつもり?」


 冴南が碕沢の正面を塞ぐ。

 碕沢の視界は冴南の頭と背中で占められ、ゴブリン・デュークの姿がほとんど確認できなくなった。


「おい、神原。前衛は俺だろ? おまえがそこに立ってどうする?」


 冴南は何も言わなかった。

 だが、何となく碕沢には伝わってくる感情がある。


「はあ? あなた何言ってるの? 状況分かってる?」という理不尽な怒気だった。


「なぜ、私にキングが関係あるの? 関係があるのは、そこの男」


 まるで、愛人に対するような言葉である。

 子孫を残す相手として碕沢を認識しているという話なので、あながち間違いではないが、人間の恋愛感情というよりも、カマキリの雌雄の関係のように碕沢には思えた。

 二人の女の問答は続いている。


「あなたはゴブリンでしょう? ゴブリンはゴブリンのことを心配して、関心を持つべきではないの?」


「私がゴブリンであることが、どうして他のゴブリンを心配する理由になるの?」


「キングがいなくなって、あなたたちは存亡の危機でしょう?」


「ゴブリンなんかどうでもいい。私は私の子供を残すだけ」


「な――」


 冴南が絶句する。

 いきなり子供の話が出てくるとは思っていなかったのだろう。

 そういえば、ゴブリン・デュークの性別を教えていないのだから、その辺りのことはすべて端折はしょっていた。どうせ、最後の結果は同じなのでいいだろうと考えたのだが、何となく今になって良くなかったかもしれないと、碕沢は思った。

 おそらくそう思ったのは、冴南の感情の流れが驚きから怒気へと移り変わっていくのが分かったからだろう。

 何となくだが、冴南の怒りの対象はゴブリン・デュークのみではなく、碕沢にも投影されているように感じられた。


「あなたの考えはともかく、なぜあなたはここにいるの?」


「あなたには関係ない」


「関係あるわね。ここは人間の領域よ。あなたがいる場所ではない」


「用が済めば、すぐにここから離れる」


「今すぐに離れなさい」


「なぜ私があなたに命令されなければならないの。それに私が用があるのは、その男。あなたはどうでもいい――ここからいなくなる?」


 冷え冷えとした殺気――それは明確な敵意だった。


「そうね。あなたはここに必要ない」


 ゴブリン・デュークに対して冴南も明確な攻撃の意思を表した。

 おかしい。

 戦いになるのは必然である。

 なので、生じている事実は間違いないのだが、どうも過程がまったく異なる道を歩いているように思える。

 しかも、目的もわずかにずれているような……。


「ちょっといいか?」


 碕沢は一歩踏みだし、冴南の隣に並ぶ。

 二人の美女は一瞬だけ碕沢に視線を投げただけで、互いへの集中をまったく解かない。

 戦闘モード突入寸前である。


「約束は一カ月後だろう? まさかゴブリン的暦では今日で一カ月なんて言わないだろうな」


 質問しながら、碕沢はゴブリンに暦の認識があるのだろうか、と疑問に思った。だが、時間の提案をしたのはゴブリン・デュークである。

 ないということはないはずだ。


「そんなことは言わない。今日は様子見だった……でも、すでに充分なような気もする」


「何が充分なのかは分からないが――」


 碕沢は冴南がすでに弓を手にしているのを確認した。早まるなよ、と願う。


「約束は守るべきじゃないか?」


「約束は、私とあなたがもう一度会うということ。時間はあまり問題じゃない。会いたい時に会えばいい」


「なにを頭の悪い女みたいなことを言っているの」


 辛辣な言葉を投じたのは冴南である。

 碕沢が見たことのない同級生の姿がそこにあった。正直、実際に目にすると、見る必要はまったくなかった姿である。

 どうもおかしい。

 碕沢が想定していた命の危険とは異なる危険が生じているような気がする。

 なぜこうなったのか?

 どこかで間違えたということではないだろう。

 むろん、哲学的問答をするつもりもない。

 重要なのは回避策だ。

 二人は変わらずやる気のようだが、碕沢はまったく戦う気はない。できれば、避けたいと考えている。

 いつもの冴南ならそれに同意するはずだ。

 二人は激闘を終えたばかりで、とても良好なコンディションとは言えない状態なのである。

 だが、今碕沢の隣にいる冴南はいつもの彼女ではない。

 意思の共有はほぼ不可能だし、彼女の行動も行動理由も碕沢にはまったく分からない。


「分かった。じゃあ、一週間後でどうだ? 俺の体調は満足いくものじゃない。俺の強さを量るつもりなら、充分な力を発揮できる時のほうがいいんじゃないか?」


 ちらっとゴブリン・デュークが碕沢を見た。


「あなたのほうはそれでも悪くない。でも、その女は殺す。その女は必要ない」


 ゴブリンは戦闘種族なのだろうか。

 ここは冴南に期待するよりないだろう。

 これほどあからさまに碕沢が戦いの延長を主張したのだ。いくらなんでも意図は伝わったはずだ。

 冴南にうまく躱してもらおう。


「ええ、私もあなたは必要ないと思っていたところよ。さっさと消えてほしいわ」


 碕沢は敵であるゴブリン・デュークから視線を切り、思わず隣の同級生を見てしまった。

 まったく意図が伝わっていない。

 むしろ反対の行動をとっている。

 二人はまったく迎合していなかったのに、なぜ戦うことだけは一致するのだ。


「待て、というか待ちなさい。二人が戦う理由はないはずだ。二人とも落ち着いて。あれだな、確かに一目見て気にくわないと思う相手はいるかもしれない。だからといって、そのすべてに喧嘩を売ったとして、果たして平和に暮らしていくことが可能だろうか」


「ゴブリンはそういう生き方しかしない」


 碕沢の非常に大人な説得は、ゴブリンの生きざまによって簡単に否定された。

 これは種族間の相違をまったく考えなかった碕沢の失敗だろう。


「なるほど、確かにゴブリンの生き方とはそういったものかもしれない。だが、ゴブリン・デュークである君は、ゴブリンとして新たな一歩を踏みだしてはどうだろうか」


「何を言っているのか分からない」


 と、ゴブリン・デュークが言い、碕沢の隣からも同じ意味を持った視線が飛んできた。


「あえて戦わないというのはどうだろうか? ゴブリン・デュークの君ならば戦わないという選択をとることも可能なのじゃないか。実際、君は今日の戦いに参加していない。これは、君が戦うことなく人間たちと共存の道を選んだということを意味する」


「何が言いたいの?」


「つまり、一緒に生きていくんだ。なんてすばらしい未来だろう」


 この時、碕沢はある単語を省略してしまった。

 それは『人間』である。彼は「『人間と』一緒に生きていく」と言ったつもりだった。

 だが、一人はその部分に『目の前の男と』という言葉をあてはめた。

 また、もう一人は、それでは誤解を生むと瞬時に理解した。

 なので、そのもう一人――冴南はすぐに修正しようと口を開いたが、先を越された。


「分かった。あなたの言葉を受け入れる。私はあなたと一緒に生きていく」


 何かとんでもない言葉が碕沢の耳に届いたような気がした。

 この場で発言されるはずのない内容である。

 おそらく、今のは聞き違いだろう。

 ゴブリン・デュークは戦気を鎮め、碕沢の隣へと並んだ。

 なぜだか、逆側では強烈な怒気が膨れあがっている。

 戦いを避けることはできた。

 最大のミッションはクリアしたはずだ。

 なのに、なぜか戦いが終わっていないかのような錯覚を碕沢は覚えていた。

 碕沢は空を見あげる。

 地上の争いなど知らず、月が輝いていた。

 いったい、何を間違えたのだろうか。

 碕沢の問いに月が答えることはなかった。








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