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四章 ドーラス攻防戦(11)




 神原冴南かみはらさえなは、碕沢秋長さきさわあきながの姿を戦場で一瞬見た気がした。

 おそらく、幻だったのだろう。

 幻だったと言われて、彼女は納得してしまう精神状態にあった。

 次々と仲間が倒れていった。

 死者はいない、と北條が皆に向かって何度も言っていたが、それも怪しかった。

 北條に全員の傷具合を確かめる時間などありはしないからだ。彼は今ほとんど情報を持っていないに違いない。

 当然だった。

 青城隊の中で個人の能力が高い者たち――先のゴブリンとの戦いで、前衛で戦った者たちのことである。

 この十人程度の人間の力によって、破綻寸前の防衛戦が形成されている。北條を含め、全員最前線で戦い続けているのだ。

 残りの青城隊のほとんどの者は集中力が切れたためか、負傷者が続出し、後退させていた。

 戦っている十人も後三十分も持たないだろう。

 皆を激励しているものの、冴南自身も戦いに責任を持てなくなっていた。なぜ、こんなところで戦っているのかと気持ちが生じている。

 なぜ、殺し合いをしなければならないのか。

 戦い続けて意味があるのか。

 ここから逃げてはいけないのか。

 頼るべきものがない。

 すがれる人がいない。

 希望が見えない。

 意味を見いだせない。

 光がない。

 ルーチンワークのように冴南は矢を放つ。

 彼女の矢の威力は相変わらず凄まじいが、すでにそれは単調な攻撃と化し、周囲への援護射撃という役目は果たしていなかった。

 青城隊は本当に仲間なのだろうか、という思いがかすかにある。

 自分のいないところで、責任を押しつけるような行動をする人間のために戦わなければならないのだろうか。

 命懸けで?

 そして、また何か言われるのか?

 もうやめていいのではないか。

 腕がひどく重たかった。

 やめようと思いつつももう一度弓を引いた。

 その一矢が仲間の命を救ったが、そこに感情が動くことはなかった。

 ゴブリン・アールが二体、ゴブリン・ヴァイカウントが三体現れた。

 彼女の能力がそれを察知させる。

 だが、彼女が仲間に指示を出すことはない。

 それは仲間によって彼女が奪われた権利だ。

 北條にゴブリン・アールが迫ってくる。

 北條は戦おうとしているが、おそらく彼の実力ではすぐに命を落とすことになるだろう。

 冴南はゴブリン・アールへ矢を放とうと考えた。しかし、彼女は無意識のうちにすでに矢を射ていたので、間に合わない。

 他の場所でもゴブリン・ヴァイカウントに襲われ、命が断たれようとしている。

 ――瞬間、彼女の魂が正気を取りもどす。


「ダメエエエエエエエ!」


 冴南は叫んだ。

 意味のない行為だ。

 言葉で否定したところで、現実は変わらない。

 だが、言葉を叫んだ時、それに応える者がいれば、現実は変わるのかもしれない。




 碕沢は、潰滅した第一大隊の防衛跡地で一人戦っていた。

 青城隊の様子を見たいという気持ちをことさら消失するように意識して、その場で戦っている。

 彼の戦いはすでに異常な領域に達していた。

 第二大隊の兵士の一部が碕沢の戦いを目撃していたが、人間というより感情のない魔人のようであった、と後に報告する者もいた。

 魔人と表現したのは、同じ人間だとは感じられなかったためだろう。

 碕沢は自分の力がその場その場で非常に偏ることを人に指摘され、実戦でそれを自覚した。戦いにおいてそれは弱点だ。

 だからこそ、集中を高めるために、感情を殺し、非人間的であろうとした。

 自分の集中した状態を意識的につくろうと考え、それを実践したのだ。それが今の碕沢の姿だった。

 隙のない攻撃は確かに集中しているからこそ、発揮できる力だろう。

 だが、これが碕沢の全力かと問われれば、疑問がある。玖珂やバル・バーン以上にもしかしたら、冴南こそがはっきり否定するかもしれない。

 碕沢がただただゴブリンを倒すという作業を行っている時だった。

 悲鳴が聞こえた。

 空に甲高く轟く悲鳴。

 次の瞬間、碕沢の姿はその場から消えていた。

 彼は全力で声の主の元へと走っていったのだった。





 神原冴南が叫んだことで変わったことと言えば、彼女がゴブリンたちの標的として認識されたことだ。

 彼女は逃げなかった。

 叫び声を上げたことで、開き直ったというわけではない。

 彼女の疲労は変わらないし、意識も思いも変化はない。

 だが、彼女は逃げなかった。

 神原冴南という女はここでも戦うことを選んだのである。



 全員が倒されていった。

 まだ死んでこそいないが、簡単にとどめを刺される状態だった。

 すでにゴブリンたちは勝利を確信しているかのように、雄叫びをあげている。

 そして、それは起こる。

 北條にとどめを刺そうとしたゴブリン・アールが咽喉から血を噴出させた。一瞬身体を大きくぐらつかせた後に、ゴブリン・アールがその場から跳びのき、いっきに後退した。

 すぐ近くで、ゴブリン・ヴァイカウントが大剣を振るおうとしている。

 だが、剣は振りおろされることなく、ゴブリン・ヴァイカウントの腕が地上へと落下した。

 他にも逃げようとした青城隊のメンバーの背中を嬉々として斬りつけようとしていた、ゴブリン・ヴァイカウントの頭部が半分に斬れたり、あるいは入り込んできていたゴブリンがつぎつぎと地に伏していった。

 ごく短い時間だった。

 だが、冴南の目にははっきりと救いに現れた者の姿が映っていた。

 空中姿勢をほとんど乱すことなく跳躍し、武器を振るい、一瞬の足さばきでゴブリンを躱し、攻撃する。

 彼が動くだけで、ゴブリンたちは潰え、青城隊が救われていった。

 彼の圧倒的な力によって、敵に侵入を許していた防御陣地は、またもや青城隊によって制圧されたのだった。

 たった一人の青城隊、碕沢秋長によって、状況はひっくり返されたのだ。


「神原、動けないやつを運ぶから手伝ってくれ。ゴブリンは気にしなくていい。俺が倒す」


「あ、うん。分かった」


 冴南は碕沢の声に応じて、足場の悪い破壊された防御陣地を身軽に移動したのだった。

 奇妙なことだが、嘘のように身体が軽くなっていた。

 それは最悪から脱却することができたからなのか、それとも、碕沢が応援にきてくれたからなのか、冴南には分からなかったし、今その答えを出す必要もなかった。



 碕沢が圧倒したことが関係しているのか、ゴブリンからの攻撃が散発的なものへと変わっている。


「ゴブリンの数が減ったから、というのもあるけど、たぶん、ゴブリン・キングが攻撃されているのを、察知したんだろうな。そっちに援護へ行こうとしているのかもしれない」


「どういうこと?」


 冴南は碕沢から現在進行形で実行されている作戦を説明された。


「そんな、それだと、向こうが危ないんじゃないの?」


「ああ、だから、もう一回俺はゴブリンに攻撃してくる。たぶん、玖珂はもうやっているはずだ」


「え、碕沢君。また、行くの?」


「あ、うん。まあ、そうじゃないと、俺は動けるしな」


 碕沢が戸惑ったように冴南の顔を見た。

 口調や表情に不安が出てしまったのだろう。

 それにしても、冴南も普通の女子高生なのだ。こんな戦いに巻きこまれれば、不安を覚えるに決まっていた。

 なのに、不安を少しのぞかせたからといって、驚くことはないだろう。

 失礼な話だった。

 彼女も限界ぎりぎりのところで戦っていたのだ。


「えっとさ、たぶん、ここはぐっと安全度が増すと思うし。戦えなくても、動けるやつはいるだろ? バリケードみたいなものを作ったら侵入もされにくいんじゃないか。ほら、壊れたといっても、侵入できる場所は足場が悪い坂道みたいになっているし簡単には入って来れない」


 一生懸命に説明する碕沢を見ていると、冴南の心は、不謹慎かもしれないが、落ち着いてきた。

 これが彼なりの気づかいなのだろう。

 優しい言葉をかけるのではなく、実務的な話をすることが。

 相手によっては、女には通じないぞ、と冴南は思った。

 まあ、自分以外には通じなくてもいいのではないか、という思いが心をかすめた。


「大丈夫。分かった。その辺のところは私たちで考えるから、頭が働く人はいるだろうし」


「そうか? 第三大隊はしっかりしてるから、あの人たちに第一大隊の穴を埋めてくれるように頼んでおく」


「分かった。もう行かないとダメなんでしょ? 時間を無駄にはできないんじゃない」


「別に、この時間が無駄だとは思わないけど」


「え?」


「じゃあ、行ってくる。また、後でな」


「あ、うん。気をつけて」


「北條、頼むぞ!」


 最後に碕沢が座っていた北條に一言いう。

 消耗の激しい北條だったが、それでも碕沢を見て、しっかりと頷いた。

 碕沢は片手をさっとあげて皆に挨拶し、戦場へ向かって走りだした。

 冴南は碕沢の背中を見送った。

 ゴブリンを倒す姿を見られたのは、わずかな時間で、すぐに彼の姿は確認できなくなった。


「あの人って、いったい何なんですかね。いっつもタイミングよく現れて」


 有馬美芙海が冴南の隣に立っている。

 喋り方からして、まだ、戦闘モードが継続中のようだ。


「さあ?」


「ヒーロー体質ってやつだとしたら、これから大変だ。神原さんは」


「え? 私?」


「そう」


「なんで?」


「分かってるくせに。早いとこ、はっきりさせておいたほうがいいかもよ。今回の戦いをなんとか切りぬけられたら、たぶん、みんなの碕沢を見る目は変わるんじゃないかな。恋愛感情だけじゃなくて、いろんな打算も働いて、あいつの周りは面倒くさくなるかも」


「恋愛感情って……」


「なに、その可愛い反応。あれ、神原さんってそんなに綺麗なのに、もしかして、バ――」


「おい、そこの二人とも手伝ってくれ、さっさと作業を始めよう。ゴブリンがあまりいない今がチャンスだ」


 北條の他数人立ちあがり、歩きだしていた。皆、いかにも身体が重い。だが、瞳の輝きは失われていない。


「分かった。有馬さんも手伝おう」


「うーん。こういうの好きじゃないんだけど」


 投石するために集められていた大きめの石や小さな岩を使って、簡易のバリケードを作る作業が始まった。

 冴南ともう一人いた弓を武器とする二人の弓使いは、作業に参加することなく、近寄ってくるゴブリンを倒すのが役割となった。

 作業をしている者たちは、最後までずっと戦い続けていた者ばかりだった。おそらく疲労度はもっとも高いはずだ。

 激闘の中にいつづけたことが、彼らの精神力を飛躍的にはねあげる結果になったのだろう。

 彼らはやるべきことをやりぬく精神を育んでいた。

 青城隊の中にも、戦いを通して本物の戦士が生まれつつあった。








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