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四章 ドーラス攻防戦(9)




「あまり良くない状況のようだねえ」


 危機感のないスラーグの口調は、人によって落ち着きを覚えるのだろうが、この時の碕沢は反発やいらだちを覚えた。


「生きのびるためだけなら撤退するべきでしょう」


 玖珂が意見を言う。

 彼もいたって冷静だ。

 状況を分析するのに何の乱れもないようだ。

 実際、ドーラスの戦況は悪かった。

 出城のようにでっぱった曲輪くるわが破壊されていた。

 巨大なゴブリン――ゴブリン・マーキスによる何十回にも及ぶ鎚の攻撃が、ついに壁の防御力を上まわったのである。

 碕沢たち三人は戦場へすでにたどりついている。

 だが、すぐに突撃するようなことはしなかった。

 雑魚ではなく、可能なかぎりの上位種を最初の奇襲でいっきに倒すことを、三人は最低限の目的としている。

 だからこそ、仲間が危機にある状況を何もせずに眺めているのである。


「撤退しないということは、あそこでゴブリンをとめるってことだねぇ」


「でしょうね。確かにまだドーラスの防壁があるので、退避すれば時間を稼ぐことは可能かもしれない。ただし、ドーラスの防壁すべてをカバーすることなんか、今の防衛団には人数的に無理ですからね。どこかが突破、あるいは侵入されるかもしれない」


「そうだね。ゴブリンに知恵がなければ良かったんだが、キングがいる時点で、高いだけの壁じゃ、防壁として機能しないだろうねえ」


 スラーグの口調はあくまでのんびりとしている。

 感心すべきというか、当たり前のことだが、酒は一滴も飲んでいない。酒を飲まなければ調子がでないというタイプではないようだ。


「住民に被害を及ばさないためには、討ってでるしかないでしょうね――勝算があるのかは知りませんが」


 まったくあきれるほどに玖珂は冷静だ。状況をとても突き放して見ている。戦いにおいてはこれが正しいのだろう。

 だが、碕沢は違う。

 内に炎がある。

 疑問がある。

 疑念がる。

 この戦いが間違っているという感覚が、しこりのように心のひだに引っかかっている。

 状況をここまで悪化させたのは、いったい誰なのか?

 今考えるべきではない問題が、不意に頭を駆けめぐる。

 いったい、自分は何をしていたのか?

 責任を問う声が、自らの内に生まれる。

 碕沢は、自覚のないまま自身を追いつめていた。これによって研ぎ澄まされた刀剣の鋭さを彼は手にしていたが、同時に余裕を失ってもいた。


「援軍はあるんですか?」


 内心にまばらな乱れを生じさせながらも、碕沢の頭脳は普通に働き、問いを発していた。さながら、いくつかの人格が同時に存在しているかのように……。


「最速でも、本国からの援軍は後二日はかかるかもしれない。第一執政官はできる人だから、すぐに対応をとることは間違いない」


「自分たちで何とかしろということですね」


「そうだねえ」


 スラーグが目を細める。

 彼とて軍人だ。現状打破の策を練りあげようとはしているのだろう。ただ、そんなものは存在しないということだ。


「全滅を狙うことはないと思います」


 碕沢は自分の考えを述べる。


「だね。そんなことは無理だ」


「最初のとおり、上位種をやるしかありません。そして、あそこにいる三体の上位種――あれをやらなければ、勝利は見込めないでしょう」


 戦いに参戦することなく、見守る三つの人影がある。

 遠目からは人間にしか見えないそれは、ゴブリン・キングとゴブリン・デュークだった。


「玖珂はいけるか?」


「どうかな。かなり難しいだろう。だが、実際のところは、直に剣をあわせてみないと分からないな」


「大隊長は?」


「一対一なら大丈夫だ。キングはちょっと予測不能なところもあるけど、まあ、大丈夫だろう」


 簡単にスラーグが言う。

 自分の腕に自信があるのだろう。

 この中でもっとも強いのは確かである。

 訓練の時に、それは判明している。


「俺と玖珂がデュークを押さえれば、何とかなりますか?」


「それはどうかな。キングが危機に陥れば、すべてのゴブリンがキングを救うための行動をとるだろう。キングをやるには、一撃か、それに準じる少ない時間で勝利しなければならない。だが、僕の力量では勝つにしても、そこまで圧倒することは難しい」


「それに、俺たちがデューク二体を押さえるというのも現実的じゃない」玖珂が口を開く。「一対一で対峙して、はたして時間稼ぎと呼べるほど戦闘を続けることができるかな? 二人がかりで戦って何とかいうのが現実的かもしれない」


「玖珂は自分の力と、俺の力をどの程度だと捉えている? どのレベルの上位種までなら戦えると考えている?」


 碕沢は問う。

 だが、この問いにはたして意味があるのだろうか、と疑問も持っている。

 デュークとキングを倒すことが不可能だと分かった時点で、この戦いは敗北ではないか。

 あの三体が、いや、あの内の一体だけが参戦して暴れただけでも、人間側は深刻な被害を負うことになるだろう。


「僕はゴブリン・マーキスとなら戦えると考えている。碕沢が万全に力を発揮したならゴブリン・アールとなら戦えるじゃないか」


「なかなか希望に満ちた答えだな」


「皮肉を言うな」玖珂が眉をひそめる。「勝つということを考えるなら、まだ作戦がないわけじゃない。作戦と呼べるものじゃないが」


「なんだ?」


「人間側の最大戦力は大隊長とバル・バーンです。他にデュークと戦えそうな人はいますか?」


「うちの副官ならある程度ならやると思うね」


「なら、その三人に戦ってもらうしかないですね。おそらく大隊長も考えていると思いますが、三人をキングとデュークにぶつけます。幸いなことに、キングやデュークの周囲に他のゴブリンはいません。完全に一対一の状況へと導けます」


「それをやると、防衛戦は完全に破たんするだろうね。しかも、さっきも言ったけど、たとえ、私たち三人が優勢になっても、時間をかければ、ゴブリンたちが援護する。悪くすれば、僕たち防衛団は全滅だね」


「勝利するには、その程度の賭けが必要でしょう。防衛線の破綻への対策は、僕と碕沢が暴れるしかないですね。他にもいくらか使えるやつがいるでしょう。集団ではなく、個人の能力ですべてを打破します」


「まあ、そうだね。結局それしかない」


「この世界では強い者が、あまりに強すぎるんです」


 玖珂の言葉は正しい。

 個人の能力が高すぎて、集団で抑えこもうにも限度があるのだ。霊力マナを吸収して強くなるというシステムが、それを生んでいる。

 このシステムを生みだした者は、いったい何と戦うことを目的としているのだろうか。

 自然発生的に芽生えたシステムだとすれば、問うことに意味がないのかもしれない。

 弱肉強食――ただそれだけ。


「『この世界では』か、おもしろい表現の仕方をするね」


 スラーグが玖珂を興味深そうに見ていた。





 戦いの音が止むことはない。

 血風と粉塵、怒声と悲鳴、剣戟と肉壊、骨肉の切断の音が戦場を支配していた。

 碕沢は閉じていた目を開く。

 彼の進むべきルートは、青城隊の前を横ぎり、第三大隊へと到達する道だ。

 第三大隊副官ジルド・サージスに会い、指揮権を譲渡させ、ゴブリン・デュークと戦うという大隊長からの命令を遂行させるのが、碕沢の役目である。

 彼の視線の先では、ゴブリン・マーキスを倒したものの、敵の侵入を許した青城隊が戦う姿あった。

 碕沢は青城隊の援軍として向かうのではなく、そこを突っ切って、その先へと至らねばならないのだ。

 余計な動きは、作戦を狂わせるだけであり、ゴブリン・デュークやゴブリン・キングと戦うことになる三人の足を引っ張ることになってしまう。

 碕沢は腰をおろすと、いっきに駆けだした。

 全力疾走により、風景がつぎつぎと後ろへ流れていく。

 二分後、ゴブリンと接敵した。

 ゴブリンは碕沢に気づいていなかった。気づいたモノがいても、たった一人ということで、特に相手にしなかった。

 碕沢がゴブリンの間をすりぬけていった。

 邪魔となるゴブリンのみを瞬殺していく。

 途中にいたゴブリン・ヴァイカウントが碕沢に気づいたが、すれ違いざまに攻撃をするのみで、戦うことは避ける。

 ゴブリン・ヴァイカウントが痛みを覚え、振り向いた時には、すでに碕沢の姿はない。

 碕沢は凄まじい速度を体さばきと向上した肉体能力で実現していた。ほとんど攻撃をしなかったが、それでも進路をふさぐゴブリンは容赦なく綺紐きじゅうを放った。

 十体以上が、地面に伏しただろう。

 碕沢は青城隊が守る地域を突き抜け、先に進む。

 第一大隊が防衛していたあたりは、悲惨だった。完璧に防御線が破られている。対応も遅れ、完全にゴブリンが制圧しようとしていた。

 碕沢はその光景を見ながら、前へと進んだ。

 そして、ついに、第三大隊の守る地域へとたどりつく。

 未だ、ゴブリン・マーキスが力を振るっていたが、防御壁は欠けたところがあっても壊れていない。

 碕沢はゴブリン・マーキスに目を向けず、綺紐を飛ばし、そこを支点として、壁の上へといっきに跳躍した。

 左ひざをたて、右ひざを床につくようにして、身軽に着地する。

 衆目が一瞬で碕沢に集まった。


「青城隊の碕沢です。別動隊として動いていた第三大隊長スラーグ殿から、第三大隊副官ジルド・サージス殿への伝言を預かってきました」



 碕沢はすぐにジルド・サージスと面会した。

 サージスの傍には二人の兵士がいる。それだけだった。他は全員戦っているのだろう。それだけ逼迫ひっぱくしているのだ。

 実際今いる場所も戦場のすぐ側である。


「つまり、大隊長と私、そして冒険者のバル・バーンでゴブリン・キングとゴブリン・デュークをいっきに叩くということか?」


「はい」


「この陣地が破られるかもしれないぞ。きさまと話すために、現在私が指揮から離れているという状況も決して好ましくない。それほど戦況は均衡状態にある」


「それでも、です。壁の中へと危険をもちこまないためには、ここで喰いとめる必要があります。それが大隊長の判断です」


「すべてを短時間で終えねば、全滅するおそれすらあるのではないか? そうなれば、それこそ、防壁の中にいる者たちを守る剣が一本もなくなることになる」


「命令を拒否するということでよろしいですか?」


 碕沢は淡々と訊ねた。


「なに?」


 ジルド・サージスの眉が危険な角度にはねあがり、瞳に凶暴性がこめられる。


「命令を拒否するということでよろしいか、と言ったのです。お分かりなのでしょう。いずれにせよ、時間を無駄に使う余裕は我々にはありません」


「素人がたいそうな口をきくじゃないか」


 サージスが何とかいらだちを抑えつけている。彼を包む空気がそれを教える。


「俺は伝言をしただけです。内容に関して、あなたが素人だと言うのなら、それは伝言を命じた人物がそうであるということでしょう」


「上の威を借り、つまらぬことを! だいいちこれが大隊長スラーグ殿の言葉だと証明できるものはない!」


「そうですね」


「なに?」


「それは俺も大隊長に言いました。信頼されない可能性がある、と。しかし、大隊長はこう答えました。私は彼を信頼している。それで充分だ、と」


 碕沢の言葉にはまったく感情がこもっておらず、聴く者に白々しささえ感じさせた。

 戦場にあって、異質なほどにこの若者は冷静だった。

 その冷静さを感じたからこそ、サージスはこの男の言葉が事実を告げていることを本能的に察する。

 だが、反発もまた同時に起きていた。

 全員が命をかけて戦っているという事実をまったく実感していないような若者の態度が気にくわないのだ。


「よかろう。大隊長からの命令は確かに受けとった。命令に従おう」


「分かりました。すぐに動いてください。大隊長は、あなたとバル・バーンの動きにあわせて突撃するとのことです」


 碕沢は頭をさげると、すぐに移動しようとした。

 青城隊、それに第一大隊近辺が状況としては、非常にまずい。すぐに応援に駆けつけるべきだった。


「待て」というサージスの言葉が碕沢を呼びとめる。


 碕沢は振りかえった。


「なんでしょうか?」


「少しはできるのだろう。ならば、きさまはここで戦え。第二大隊は私が抜けることで、大幅に戦力が落ちる。きさまでそれで補えるとは思えないが、いないよりはましだろう」


「――もっとも危機的状況にあるのは、第一大隊の受け持った地域です。そこへ応援するべきだと俺は思いますが」


「あそこはもう駄目だ。それよりも、現在でも均衡状態を保っているこの地帯を守るべきだ。たとえ、他の場所がすべて敗れようとも、この一角が無事であれば、ゴブリンを引きつけることは可能だ」


「第一大隊のあの場所が完全に潰えれば、ここも危ないのではないですか? 明確な区切りがあるわけじゃない。道連れになるでしょう」


「区切りはある。おまえは私の命令に従えばいいのだ。それとも別命を大隊長殿から受けとっているのか」


「……伝達後は、防衛に全力を尽くすように、と命じられました」


「ならば、私の言うとおりにせよ」


「分かりました」


 碕沢は頭を小さく頭をさげた。

 サージスは不機嫌そうにそれを見ている。だが、口元のわずかなゆるみに、目の前の若者に対して嫌がらせをしてやったことに対する満足感があった。

 碕沢にもサージスにも、互いに余裕がないために生じた不幸で無益な対立だった。

 今は戦いの真っただ中だ。むろん、誤解を解く時間など与えられない。

 碕沢はサージスに背中を見せて、駆けだした。


「きさま、命令違反をするつもりか!」


 サージスの言葉を背に浴びながら碕沢は壁から飛び降りた。

 彼の姿を見た者が「やめろ!」と声をかけたが、すでに遅かった。

 碕沢はゴブリンへと戦いを挑む。

 ゴブリン・マーキス。

 あれを倒せば、第二大隊は安定するだろう。

 そうすれば、碕沢はまた自由を取り戻せる。彼はそう考え、ゴブリン・マーキスへ向かって直進していく。

 むろん、脅威を取り除こうとも自由な行動が許される理由にはならない。

 命令内容は「その場で戦え」だからだ。だが、軍人ではない碕沢は、命令を絶対のものとして聞くことをせずに、自らの解釈によって行動の変化を求めたのである。

 碕沢は道をさえぎるゴブリンはすべて一刀両断していった。彼の通った跡には、道ができていた。ゴブリンの遺体に彩られた道が……。








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