四章 ドーラス攻防戦(7)
翌朝ゴブリンは攻撃を再開した。
昨日と変わらない攻撃である。
一時間後変化が生じた。
遠くに異質な集団が横列したのである。
矢による攻撃で奮迅の働きを見せていた冴南は、その光景に視線を投じた。
視力の良い彼女はそこに並ぶゴブリンたちをある程度識別できた。
体格に非常に差がある。見たこともないゴブリンばかりだった。
いや、ゴブリン・アールは分かる。だが、他は分からない。
つまり、上位種なのだろう。
おそらく中央に立つゴブリンがゴブリン・キングだ。
戦力を見せつけ、威圧しているつもりだろうか。
だが、無駄だった。
気づいている者がほとんどいない。皆、目の前の戦いにいっぱいいっぱいなのだ。
また、気づいている者たちは、全員が冷静にその事実を受けとめていた。
不意のことだった。
戦場を斬り裂くような咆哮が響き渡った。
冴南の周辺の空気まで破壊するかのような咆哮であった。
人間たちは一瞬心を奪われ、ゴブリンたちは勢いづいた。
この咆哮の結果、多くの人間がゴブリンの上位種に気づくことになった。
観客の存在を獲得したからというわけではないだろうが、上位種の中から影が走ってきた。
ゴブリン・アールである。
ゴブリン・アールが戦いに参戦しようとしている。
ゴブリン・アールだけで終わるということはないだろう。
この後、さらに上位種が参戦するに違いない。
なぜ、こんなやり方をするのか。
怯える人間を楽しもうというのだろうか。
ここからさらに厳しい戦いが始まった。
青城隊の中にはすでに負傷者がでていた。幸い命にかかわることはないが、重傷者が生まれてしまえば、いつ緊張が壊れてもおかしくない状態だった。
上位種が少しずつ加わっていくという趣向が、ゴブリン・キングによる圧力であるのなら、それは青城隊に対しては成功することになるかもしれない。
この日、結局戦況が動くことはなかった。
ゴブリンが攻撃し、人間が守るという形は変わらない。
ゴブリン・アールが加わった当初は、人間側も苦しめられたが、壁を越えさせさえしなければ、討ちとることは難しくとも対処は可能だった。
一日目が終わる時は、翌日には破綻するだろうと思われた青城隊と第一大隊であるが、彼らは二日目も最後まで耐えぬいた。
火事場の馬鹿力の類ではない。それがなかったとは言わないが、多くは惰性であった。慣れてしまったのだ。麻痺していると言っても良いだろう。
逆にいえば、麻痺が解けた時、いったいどうなってしまうのか反動の怖さはより大きくなった。
学習する動物である人間は、一日目の戦いの反省を小さな改善によって活かしたのだった。
ゴブリン・アールが加わりゴブリン側は戦力が増したにもかかわらず、どうにも押し切ることができなかったのである。
また、もう一つの要因は、ゴブリンの数が減じたということだろう。数が多いとはいえ、かぎりはあるということだ。
ただし、ここには遊撃隊の活躍が貢献していたのだが、防衛する兵士たちはその事実を知らなかった。知れば、多少なりとも士気が向上したことだろう。
その夜もゴブリン・アールによる夜襲があった。
兵士や冒険者には犠牲者が出たが、何とか撃退には成功した。
だが、夜の安静を妨げられたことはまぎれもない事実だった。
翌日、戦が始まり三日目の朝。
戦局が大きく動くことになる。
ゴブリン・マーキスの参戦がきっかけだった。
ゴブリン・マーキスはゴブリン種でもっとも巨大な肉体を誇っていた。中には身長が三メートルを超すモノもいる。
筋肉の鎧というより、固い筋肉のみで構成されているという表現がふさわしいかもしれない。
一歩あるくたびに、地面がわずかにめりこむ。その重さも計り知れなかった。武器は、岩をくくりつけて作った原始的な棍棒で、人間にはとても扱えない代物だった。
四体のゴブリン・マーキスが近づいてくる様は、たいへんな威圧感があった。
目の前の敵に意識が集中できずについゴブリン・マーキスを目で追ってしまう。あれが自分のところに来れば、どうすればいいのだという恐怖が抑えられないのだ。
巨体故に鈍重であったが、ついにゴブリン・マーキスが前線へと足を踏み入れた。
防御側から矢や投石、火などを用いた攻撃が狂熱的に降り注がれたが、ゴブリン・マーキスの動きは止められない。
周囲の状況など物ともせずに、ゴブリン・マーキスが岩でできた棍棒を振りまわした。
どごんという苦鳴の音が防壁から響き、壁の一部が破砕された。壊されたのは壁ばかりではない。最前線で戦っていたゴブリンもまきぞえを喰っていた。
だが、ゴブリン・マーキスはまったく気にしない。さらに二撃目をかまえた。
ゴブリン・マーキスの攻撃を受け続ければ、いずれ防壁が破壊されてしまう。そのことを理解していた人間たちは何も手をこまねいていたわけではなかった。
青城隊では冴南を中心として、弓を固有武器にする者で集中的に攻撃がされた。
果敢にも北條は防壁をおりて、ゴブリン・マーキスへの攻撃を特攻した。ゴブリン・マーキスの周囲にはぽっかりと空間でき、上位種だろうとゴブリンがまったく寄ってこなかったからできた荒業だった。
もちろん、長居はしない。
北條は美芙海の鞭をつたって、すぐに防壁上へと戻った。
敵の動きを止めるような大きな傷を負わせることはできない。だが、少しずつ攻撃を重ねることで、ゴブリン・マーキスの動きを阻害することには成功していた。
ゴブリン・マーキスが壁を破ることにしか関心を持っていないことで、一方的に攻撃を続けることができるのが大きいだろう。
ゴブリン・マーキスが現れた他の地点でも撃退行動がとられていたが、どこも青城隊以上におおいに苦戦していた。
むろん、ゴブリン・マーキスのいないところでは、これまでと同等の攻撃が続けられており、そこにも大きな力を傾けねばならなかった。
死傷者の数が時間と共に増大し、戦力の著しい欠乏が顕著になってきた。
このままでは、絶望を防いでいた麻痺の壁が決壊してしまう。
戦う者の精神もあわせて危険な状況だった。
そこに小さくはあったが、希望が後押ししてくれた。
増援がかけつけたのだ。
冒険者を引退した者たちで構成された急造の補助兵団だった。冒険者組合の判断によって、彼らは最前線へと送り込まれた。
当人たちが志願してのことだった。
これまでの戦いのほとんどは前線の人間の判断によって行われている。だからこそ、ぎりぎりのところで均衡を保てていたのかもしれない。
だが、総指揮官の不在は、全体による思い切った作戦が実行されることがないということも意味する。一度生じたジリ貧は解消されることがないということだ。
「いったいこれはどういうことだ! いったい何をしている! こんなことで勝てると思っているのか!」
総督兼ドーラス防衛団団長であるイル・ローランドが大声をあげ、物に当たり散らしていた。
周囲にいる者たちは何もできずに、ローランドが暴れまわる様を見守っている。
「いったい、どういうことだ! ああ、いったい何なんだ、この無様な戦いは! 誰か説明しろ! 説明できぬのか! いったい誰のせいだ!」
「落ちつてい下さい、閣下。戦場では予測不可能なことがどうしても起こるものです」
第一大隊大隊長ロン・ラードルがたしなめた。
過熱する戦場を前に、最大戦力を誇る第一大隊の指揮官が戦場を離れていることに、この場にいる誰もが特に疑問を覚えていなかった。
ラードルは、ゴブリン・キングが現れてからは、ずっと総督の傍にいた。参謀長のような顔をして常に総督の傍らにいる。
指揮を放棄して逃げてきた――バル・バーンあたりならばそう言ったかもしれないが、ここにバル・バーンはおらず、また、ロン・ラードルの見かけは偉丈夫であったので逃げるというイメージから遠かった。本人も堂々としていたので、全員が指揮権放棄を咎めることなど思いつきもしなかったのだった。
そもそも総督のイエスマンしかないこの場所が、都合の悪い現実ばかりが押し寄せる戦の指揮本部の機能を果たせるはずがなかったのである。
「予測不能? それは作戦をたてものがする言い訳に過ぎないだろう。ロン・ラードル、いったい君はこの責任をどうとるつもりだ」
「閣下が責任を求めるのなら、むろん、私に否はありません。ただ、正確なことをいわせていただけるのなら、此度の作戦は、北條とかいう者が主となり練りあげたものです。今思えば、少ない戦力を二手に分けるなど愚策でありました。彼のなした戦果に惑わされてしまったということでしょう。彼を見極めることができなかったことが、罪と言うのなら、私はそれを受けることから逃れることをしません」
実力ではないものによって、成り上がったロン・ラードルはさすがに舌がよく回った。
責任論の焦点をずらし、北條を認めたことが罪だと主張する。
これは、間接的に北條をもっとも認めていた総督の罪を断じていることになった。
ロン・ラードルを罰するのなら、その上にいる者はどうなのだ、という問いが込められていた。
「なるほど、北條か」
総督はすぐに話をあわせた。自分の立場を悪くするようなことから、彼は撤退したのだ。
そして、自身の責任問題を一瞬でも見せつけられたことで、イル・ローランドは冷静さをいくらか取り戻した。
権力者としての自衛本能が働き始めたのだ。
「はい。おそらく彼は私たちに何か情報を隠していたのではないでしょうか。でなければ、あのような大胆な策など思いつくはずがありません。そして、その情報が誤っていたのでしょう。我々は情報を与えられなかったからこそ、判断を誤ったのです。そして、情報をあげるのは、部下の絶対の責任であります」
「二重の意味で我々は北條に謀れたのだな。確かにまさか魔人の情報を隠すとは誰も思いもせぬ。魔人は人類の敵である。魔人に有利に働くような行動を人間が取るとは考えられなくとも仕方がない――あの若造は功を焦り、私をも危険にさらしたのだ!」
まったく論拠のないままに、主従は北條の罪を断定していった。
「しかし、今はあれには戦場で働いてもらったほうがいいでしょう。兵士としてはそれなりに使えます」
「そうだな。北條の件はとりあえずいいだろう。だが、この戦いをどうする? あの為体ではいずれゴブリンにやられるのではないか」
仮にも総指揮官が発する言葉ではなかった。
常に最悪を考えるという意味では、最高責任者が敗北の可能性を吟味するのは良い。それは被害を最小限に抑えるという目的があるからだ。
敗北の責任をとるためにも、敗北の中にあって最善を選ぶための思考である。
だが、イル・ローランドはあきらかに違う。
彼の言葉は無責任から発している。敗勢なのはすべて戦っている兵士が悪いと言っているのだ。
「最悪を考えるのならば、閣下には退避してもらう必要があるでしょう。閣下さえ生きていれば、後日の再戦に希望を持てます。兵士たちも閣下のために命を尽くすのならば、本望でありましょう」
「確かにな。やつらの命も私のために使えたとなれば、多少の重みを持つことになるだろう。だが、このままおめおめと本国に逃げかえれば、あの忌々しい筆頭執政官めに責任を押しつけられるのではないか」
「彼ならばやるでしょうね。閣下の出世を恐れている彼ならば」
わかりやすい追従だった。
「ああ、やつは必要以上に私に対して嫌がらせをしてくるからな。まったくああいった無能が上にいると、才ある者が活躍できず、世のためにならぬ」
「さようですな。筆頭執政官が何かをするというのは分かっているのです。ならば、我々はそれに対抗する措置を取りましょう。筆頭執政官であろうと、副執政官を無視して権力を行使することはかないません」
「……なるほどな。副執政官など無用の長物と考えていたが、ああいった独裁を図る男に対しては役に立つのだな」
「後は元老院の幾人かと連絡が取れれば問題は何もないかと」
「ローランド家と副執政官、それに元老院の実力者か。悪くない。成り上がりには何もできないだろう。しかし、金がかかるな」
第一大隊長ロン・ラードルは頭を下げ、何も答えなかった。
金銭に関して言うべきことはない。
イル・ローランドは金銭をばらまいて今の地位まで登りつめた男だ。どれほどの金が必要となり、それがどれほど効果的なのかを良く知っている。こういった時にケチることはしないだろう。
つまり、ロン・ラードルにも口止め料としてかなりの額が流れてくるというわけである。
「秘かに船を準備しておけ。こういった時のために、あの冒険者組合の副支部長には甘い汁を吸わせてやっていたのだからな」
「は、承知しました」
総督イル・ローランドは戦の敗北を予見しながら、それへの対処をまったくしなかった。
戦場放棄だけではない。彼は一般市民に対しても、まったく何の対応を取らなかったのである。




