四章 ドーラス攻防戦(6)
冒険者の守る一帯がゴブリンの侵入を許したのは、彼らが弱かったからではない。
逆だった。
強かったからだ。
特にバル・バーンの強さが、冒険者を窮地においやることになった。
強者を好むという上位魔人の習性が、冒険者たちの守る領域に彼らを殺到させたのである。
ゴブリン・アール一体を含む十体に及ぶゴブリン・ヴァイカウントがゴブリンを踏み台にして曲輪内に跳躍してきた。
激しい弓矢と石の投擲、油がかけられそこに火が注がれたが、その中を上位種は無理やり進んでくる。
結局、ゴブリン・アールのみが一度の跳躍で突破を何とか成功させたが、他のゴブリン・ヴァイカウントは失敗した。
ドーラスの冒険者はほとんどがEランクに属しており、Dランクの者たちも上・中・下の中で下に位置する者しかない。ゴブリン・アールと戦える者などいなかった。
ゴブリン・アールが走り、二人の人間から血風が吹いた。俊敏なゴブリン・アールの動きに誰もが反応できない。
双剣によってゴブリン・アールが三人目の犠牲者を奏でようとした時、突如邪魔が入った。
横から襲ってきた斬撃をゴブリン・アールは何とか受けとめたが勢いを殺しきれずに、地面を滑った。
「おいおいおい、かってにうちの場を荒らしてもらっちゃ困るな。ここは人間様の領域だ。おまえらゴブリンがいるべき場所じゃない」
バル・バーンが獰猛な笑みを顔に張りつけて、ゴブリン・アールへと近づいていく。ゴブリン・アールをまったく恐れていない。
彼こそがこの場で唯一ゴブリン・アールを倒すことのできるCランク冒険者である。
「こいつは俺に任せろ。おまえら、下にいるやつらをやれ」
手の止まっていた冒険者をバル・バーンは怒鳴りつけた。慌てて全員が持ち場に戻る。
バル・バーンの視線はゴブリン・アールから離れていない。
バル・バーンの圧力に負けたように、ゴブリン・アールが動いた。
バル・バーンが剣を一振りすると、剣戟の大きな音が鳴った。弾かれたゴブリン・アールが数歩後ろに向かってたたらを踏んだ。
ゴブリン・アールの顔には驚愕がある。
バル・バーンは前進する。
剣戟の応酬が始まった。
ゴブリン・アールが受ける。
だが、受けきれない。剣が弾かれ、無防備をさらした身体に、バル・バーンの剣が肉をえぐっていった。
五合目の打ち合いで、ゴブリン・アールの剣が手から離れた。次の一撃で、もう一方の剣も飛ぶ。
ゴブリン・アールが逃走しようと背を見せる。
そこにバル・バーンの剣が振りおろされた。
ゴブリン・アールは跳躍することができずに、真っ二つに引き裂かれたのだった。
ゴブリン・アールはバル・バーンによって撃退された。
だが、今度はゴブリン・ヴァイカウントが二体同時に侵入してきた。手傷をかなり追っているようだが、暴れられては面倒だった。
バル・バールはすぐに動いた。
ゴブリン・アールやゴブリン・ヴァイカウントならいい。だが、それ以上の上位種の侵入を許したら、果たしてこの場を保てるだろうか。
終日攻撃を続けられたら、一日と持たないのではないか。
援軍はいつ来るのだろうか。
二、三日で間に合うということはないだろう。
ゴブリン・キングを狙って、こっちから奇襲をかけたほうがいいのではないか。
ゴブリン・ヴァイカウントを倒しながら、バル・バーンはこのまま防衛をすることに今さらながら疑問を抱いていた。
第三大隊副官ジルド・サージスは、戦場を一望しながら、ゴブリンの攻勢が意外に弱いと感じていた。
「これは、何かありますか?」
などと部下も訊いてくる。
彼らもゴブリン・キングが率いているにしては、その圧力が小さいと感じているようだ。記録に残るゴブリン・キングの襲撃はこんなものではなかった――記録に脅威がしっかりと残されていながら、月日が経つにつれ、その防御がおろそかになったことに、現場にいる人間としては苦みを覚えざるをえない。
冒険者側は強い攻勢を受けているようだが、あれも本気の攻撃だとは思えない。上位種の参加がほとんど見られないからだ。
なぜ、戦力の逐次投入など愚かなまねをするのか。
ゴブリン・キングの知性がたいしたことがないから、で済ませられればよいが、そうでないなら、何が考えられるだろうか。
おそらく、それは第一大隊と青城隊の姿を見れば分かる。
彼らの疲労は大きかった。たとえ、彼らの一人一人にゴブリン・バロンと戦える力があったとしても、今ではもう無理だろう。
多くは普通のゴブリンを相手にしていただけである。ゴブリンを使い潰すことによって、個に優れていた人間の力を奪っているのだ。
どうやらゴブリン・キングは、上位種を大切に扱っているらしい。逆に、普通のゴブリンは使い捨てにしてよいと考えているのかもしれない。
島の南東には、おそらくまだはぐれのゴブリンが多くいることだろう。あれらもゴブリン・キングは支配下に置くことができるのだろうか。
できるとするなら、ゴブリンは簡単に兵力を補充できるということになる。
冒険者への攻勢は、どの程度人間が疲れているのかを確かめたのではないか。そして、バル・バーンの力を量ろうとしたのではないか。
上位種が戦場に多く現れた時が本当の決戦となるだろう。
総督のアホはともかく、まともな者は本国からの援軍を頼りにしているはずだ。
だが、何日かかる?
軍団が移動するとなると、どうしたって準備がいる。たとえ、事前準備が終わっていたとしても、移動に時間がかかることには間違いない。
最短でも後五日、いや四日はかかるだろう。
何とも楽しくなるような話である。
この日の戦闘は深夜まで続いた。
ゴブリンの無尽蔵とも思える体力ならば、夜通しの攻撃も予測されたが、その予測は人間側にとっていい意味で裏切られることになった。
防衛軍は多くのかがり火を灯して、警戒を続けた。
ゴブリンの死体は、数日すればとけるようにして地面に消える。だが、数日はそのままあるということだ。
ゴブリンの死体の始末をしたかったが、深夜作業はゴブリンの攻撃を受ける可能性を考え却下された。
油をまいて、ゴブリンの遺体が焼かれることになったが、炎はゆらゆらと燃えるのみで、たいした効果は期待できそうになかった。
夜、歩哨をのぞき、人間側は寝静まっていた。
防壁から近い位置に、闇にまぎれて細い身体つきのゴブリンたちが幾体かいる。
ゴブリン・アールである。
彼らは身体をかがめて、かがり火の光が届かない場所をゆっくりと動き回った。ゴブリンが燃える火の揺らめきにも彼らの影は捉われなかった。
そして、冒険者たちが防御する地域で動きを停止した。
視線で合図をかわし、彼らは暗闇の中に消えていった。
「夜襲だ!」
その叫び声が夜空に響くと慌てて全員が武器を手にした。
歩哨に立った人間はその役割を完璧に果たした。有能だと言っていいだろう。彼らのおかげでゴブリン・アールの早期発見に成功したのだから……。
「ゴブリン・アールだ! 絶対に中にいれるな」
「矢を放て!」
「油で燃やしてしまえ」
陣地はいっせいに騒がしくなり、攻撃の矢が放たれる。
ゴブリン・アールとの攻防が始まった。
バル・バーンは騒ぎが生じるとすぐに目を覚ました。
寝床から飛びだし、すぐに戦闘区域へ走ろうとして、動きを止めた。
空気がおかしい。
ひどく薄まっているが、殺気が漂っていた。
何者かがどこかに潜んでいる。
バル・バーンを抜き身の剣を右手に持ち、ゆっくりと歩を進めていく。
周囲に人間の気配が濃くなってきた。
皆騒ぎに気づき起きはじめたのだ。
殺気が人の気配にまぎれ、感じとれなくなっていった。
このままではまずい。
おそらく魔人の侵入を許したのだ。
やつらの狙いはもちろん人間を殺すことだろう。
だが、侵入者は無防備に寝ている人間を襲いにいかない。
おかしい。
侵入者の狙いは何だ?
なぜ、さっさと移動せずにこの場にいるのか。
――まさか、自分を狙っているのか。
バル・バーンは自分の予測が正しいかどうかを確かめることにした。
彼は人気のない場所へと歩いていく。かがり火から離れ、闇が濃い場所へと移動した。
薄れていた殺気がかすかに強まる。
殺気の主がどこにいるのかは分からない。だが、ついてきているのは確かだ。
どうやら狙いはバル・バーンらしい。
バル・バーンは闇に立った。かがり火からの光がかすかに届き、彼の影が大きく揺れている。
バル・バーンは目をつむった。
その時である。
殺気が鮮やかに闇の中で浮き彫りとなった。
バル・バーンははっきりと目を開けた。
双剣が闇の風となってバル・バーンに襲いかかる。
バル・バーンは身をひねって攻撃を躱し、剣を振り払った。だが、完全に双剣を躱すことはできず、剣先がわずかに肉を斬りとっていった。
バル・バーンの剣は敵の剣によって弾かれた。
相手はゴブリン・アールだった。
闇を味方につけている分、昼間よりも戦いにくい。
「だが、戦いにくいというだけだ」
呟くと今度はしっかりと両腕で剣をかまえた。
背後から迫ってくる気配に反応し、くるりと俊敏に向きを変える。
ゴブリン・アールを真正面に捉え、バル・バーンは上段にかまえた剣を、両腕を使って思い切り振りおろした。
ゴブリン・アールにバル・バーンの剣筋が見えていたか分からない。だが、すでに攻撃態勢に入っていたので避けることができなかったのだろう。
ゴブリン・アールは双剣でバル・バーンを攻撃しようとした姿のまま、真上から振りおろされたCランク冒険者の剣によって絶命させられたのだった。
この日の夜襲によって、人間側はそれほど大きな損害をださなかった。
だが、自軍に魔人の侵入を許したという事実はあまりに大きかった。
寝ている間に攻撃されるかもしれないという恐怖は、大きな精神的圧力を持っていった。
二日目の朝を迎えた時、人間側はすでに大きな疲労で溢れていた。
実戦経験の乏しさが、大きく作用していた。
休める時に休む。
この当たり前のことを一部の者しか防衛軍はできないでいた。




