四章 ドーラス攻防戦(4)
二度目の戦端は静かに幕をあげた。
ゴブリンは、半円形の曲輪を包囲するように扇の形をとって、じわりじわりと戦線を前へと押しだしてきた。
無駄な体力を使わずに、じっくりと力を溜めている。
決死の形相で迫る敵も恐怖の対象ではあるが、静かに無表情のまま迫ってくる敵というのも充分に恐怖である。不気味な圧迫感が兵士達に大きくのしかかっていた。
じりじりと迫るゴブリンに耐えきれなくなった者がいた。やはり青城隊だった。青城隊の陣地から放たれた矢がゴブリンの先頭よりもずいぶんと前で地面に突き刺さる。
北方面から迫るゴブリンたちはこれで弓の射程を理解した。
ゴブリンの死体は放置されたままなので、ある程度の射程はそこから量れるのだが、実際に放たれた矢を目にしたほうが正確であるのは間違いない。
ゴブリンがある種の余裕をもち、悠然と前進してくるところに、高らかな音を奏で空気を切り裂いて迫る一本の矢があった。
ほとんど放物線を描かなかったその矢は、ゴブリンに避ける暇を与えず、ゴブリンの身体を三体まとめて貫いた。密集していたことがあだになった形だ。
一瞬、ゴブリンたちはざわつくがすぐに静まった。
そしてまたもやゆっくりと前進を開始する。
またもや矢が飛んできて、同様のことが生じたが、ゴブリンたちは歩む速度を変えることなく、前進を続けた。
遠距離から放たれる矢は極めて数が少なかったために、ゴブリンの進軍に影響を与えることはかなわなかった。
ゴブリンによる最初の突撃以来、北條は舌打ちを何度押し殺したか分からない。
彼は青城隊を指揮する立場にいる。数が少ないとはいえ一軍の将である。
だが、率いる兵が駄目だ。
先日の戦いで負傷する怖さを全員が共有した。負傷するだけではなく、死ぬかもしれないという恐怖を抱いてしまった。
そして、先程のゴブリンによる突撃である。
安全な場から攻撃していたにもかかわらず、多くの青城隊のメンバーがゴブリンの攻勢に呑まれてしまった。
精神的な敗北である。
さらに、すでに疲労を覚えている有り様だった。
休憩をとったものの、ほとんど回復していないように見える。おそらく休めていないのだろう。
矢を射るだけ、投擲をするだけという単純な命令ならばきちんと働くだろうが、それ以外のことはうまくできないのではないか。
接近戦になれば、どういった行動を取るのかすら分からない。
戦いが始まってからの醜態を見て、北條は青城隊のメンバーを信じることができなくなっていた。
時間が足りなかった。
せめて一週間もあれば、もう少しましな形をとることができただろうに。
自分が率いる最初の戦いが、こんな弱者で構成されるとは、まったく運が悪い。
だが、彼らを率いて、北條は活躍しなければならない。
それだけが、彼の未来を栄光で輝かすことができるのだ。
そして、ゴブリンによる第二波の攻撃が始まった。
ゴブリンのじっくりと腰を据えた進軍の圧力に青城隊の緊張は持たなかった。
いきなり矢の射程をばらすような失態をした。
神原冴南がフォローしたようだが、むしろ逆効果だ。彼女の必殺の弓力をばらしてしまっただけである。
しっかり観察されたことだろう。
最初に愚かな突撃をしていたゴブリンであったならいいが、今回は少しばかり様子が違うようだ。おそらくゴブリンの総指揮官が替わったためだろう。
できるだけ、こちらの情報は秘匿するべきだった。
ついにゴブリンが弓の射程へと入ってきた。
一斉射撃が各所で始まった。
青城隊から矢が放たれる。
北條は声を張りあげ、指示を出す。
といっても、矢を射ろという単純なものしか今はできない。
一方的に射ることに今回も変わりはない。こちらがやることは変わらない。
変化は攻撃側によってもたらされるはずだった。
そして、北條はそれを警戒している。
これほどゴブリンの動きが変化したのだ。完璧な統制、先程と違い無駄も大幅になくなっている。
全体の動きに理性が加わっていた。
その影響力を与えた存在が何もせずにただ突撃を繰り返すとは思わない。
圧倒的な戦力を背景に、ゴブリンが防壁に迫ってくる。数時間前と同じ光景である。だが、すべてが同じではなかった。異なる光景が現れた。
ゴブリンの集団の後方で高い柱が作られている。
柱の正体は、ゴブリンである。
ゴブリンが七体ほどで肩車をしているのだ。
北條は笑った。
警戒していたのが、バカらしく思えた。
あんなものが成功するはずがない。
しょせんはゴブリンか。
北條は、弓を固有武器とする者たちに、人柱をつくっているゴブリンたちを攻撃するよう命じた。
冴南の弓の威力はあきらかだが、他の弓も通常の弓よりも威力が大きい。これによって、攻撃すればあっさりとあの人柱は崩れ去ることだろう。
などと北條が余裕をもって、状況を確認できたのも、最初の三十分だけだった。
ゴブリンの猛攻が始まった。
とにかく防壁まで達すればよい――ゴブリンはそう考えているようだった。
そこに自らの生死も同族の生死も関係ない。
ゴブリンは同族の仲間を防壁へと至る階段に利用しようとしていた。
意図的にそうしなくても、防壁近くで遺体となれば、人型の盛り土と変じてしまうのだ。
弓矢の攻撃というのは、ほとんどの場合一撃必殺ではない。死兵と化した敵となれば、なおのことだ。
ゴブリンの攻撃はじょじょに防壁の高さを無効化しようとしている。
防御側にすれば、必死の防御戦が行われていた。
多少の負傷ではゴブリンはひるまない。致命傷を与えねばならなかった。
防壁近辺で行われている戦いは血みどろの戦いと言ってよかった。
青城隊周辺もそうである。
生死の秤が常に振れている異常な状況下であることが、青城隊のメンバーの理性と感情をことごとく奪い取っていた。
彼らは目の前の敵を倒すことだけに集中している。
それ以外にやるべきことはない。
青城隊にとって幸運なことは、固有武器による弓矢の攻撃が銃火器のような威力を持っていたことである。
冴南だった。
彼女の矢が人柱を作ろうとするゴブリンたちをことごとく討ち落としている。何かしら変わった行動を取ろうとすると、冴南がすべて潰していた。残念ながら他の弓の固有武器の威力では、ゴブリンの柱を崩すことはできなかった。
青城隊は、目の前の敵に集中すれば良かったのだ。
だが、他の場所は異なる。
彼らはたびたび人柱による攻撃を受けていた。
人柱の攻撃とは、そのまま倒れ込んでくることだった。上にいるゴブリンが一体でも二体でもいいので、敵陣に突っこめばよいというものだ。
もちろん、すぐに討ちとられるだろう。
だが、その瞬間、どうしても防御には穴があく。小さな穴だが、ゴブリンの数による攻撃をもってすれば、それは大きな穴へと変わるかもしれなかった。
第三大隊、補助兵【冒険者】は、うまく対応している。
だが、第一大隊はたびたび危険の欠片の侵入を許しそうになっていた。
戦いが始まり、五時間。
空が薄暗くなり始めた頃、戦局が動く。
ついに防御が突破されたのだ。
それは脆弱と思われた第一大隊でも青城隊の守る場所でもなかった。
冒険者が防衛する箇所が突破されたのだった。




