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四章 ドーラス攻防戦(3)




「ゴブリンが現れました!」


 という物見の声が響き、総督であり防衛団団長でもあるイル・ローランドにも敵軍来週の報告が伝えられた。

 当たり前というよりも、感心すべきことにと言うべきだろうか、イル・ローランドは最前線となる曲輪くるわに入って全体の指揮をとっていた。

 傍には第一大隊長がおり、近くには護衛兵がいる。

 ただし、果物や菓子類が総督の周囲を彩り、戦場とは信じられない異質な空気を作りだしていた。


「攻撃せよ」


 イル・ローランドはゴブリンとの彼我の距離を確認することもなく、そう命令した。

 総督にはまったく緊張が見られない。だが、興奮はしているようである。

 楽しんでいるのかもしれない。

 それは戦闘狂が戦闘を楽しむのとは異なる。

 いかさまをして賭けに勝つ、という不正な勝利を確信している者の喜び。

 罠にはまった愚かな者を、嘲笑う喜び。

 そういった増長した者が抱く興奮のようだった。

 イル・ローランドは戦の直前であっても、ゴブリンには完勝すると信じ込んでいたのである。

 周囲の騒然を知らないはずがないのだが、それでもまったく自分の考えを変えないその鈍感さは、ある種才能であるのかもしれない。

 だが、こういった人間を上に頂く者からすれば、それは災難でしかなかった。





 北條晃ほうじょうあきらの機嫌は良かった。

 すべてが自分の描いた通りに進んだということもあるが、現在の状況が良かった。彼の視界に移る光景がとても良かった。

 防壁から飛び出るように作られた半円形の曲輪くるわ、そして対峙するのは圧倒的物量を誇る敵軍。


「真田丸そのものじゃないか」


 北條は一人呟く。

 真田丸とは、真田信繁――通称真田幸村が大坂の陣で徳川軍と戦い、類まれな武勲をあげた出城のことである。

 この戦いで真田幸村は名をあげ、真田家の名望はさらに天下に轟いたのだった。

 北條は権力欲を持っているが、それ以上に名声を得ることこそを望んでいた。だからこそ、彼は戦国時代の英雄と自らの姿を重ねていたのだった。

 大坂方は結局敗北したのだが、北條のおもしろいところはそのあたりの事実をばっさりと自分の中で編集してしまうところだった。彼は自身に都合の悪い事実を切り捨て、幸村が活躍し、名を残したというところのみを抽出して自分を重ねていたのだ。

 普通の人間なら、似たような状況である大坂の陣の戦いを思い出すことを拒むだろう。自分が属している勢力が勝っている戦いならいいが、負けているのだ。想像したところで楽しいことはない。むしろ、不吉な予感で暗澹あんたんとなるだろう。

 それを考えれば、良い悪いは別にして、北條は普通の人間ではないということが言えるのかもしれない。

 北條が任されているのは、青城隊のおよそ百人の兵力である。

 最初の攻防は弓によるものになるだろう。

 固有武器として弓を装備しているのは、四人しかいない。急ごしらえで弓の訓練をしてある程度まともなのは三十人。後は、そこそこの威力で、的外れの弓しか射れなかった。

 だが、武器に関してはドーラスで大量に貯蓄されていたので、少々残念な青城隊のメンバーにも弓矢が全員に支給されることになった。

 拳大の石や、油なども用意されている。

 うまく利用すれば、ゴブリンに大きな損害を与えることができるだろう。

 配置は北から青城隊、中央に第一大隊、第三大隊、南に冒険者となっていた。

 青城隊の隣には、第一大隊が並んでいるのだが、正直彼らの視線と言動は鬱陶しいものだった。

 完全に青城隊を馬鹿にし見下していたからだ。

 六日前にあげた戦果を知っているはずなのに、それさえ嘘だろうとケチをつけてくる。

 青城隊の男子の限界が越えようとした時に、ついにゴブリンが現れたのである。



 ゴブリンは人間側の狙い通りに、半円形の曲輪くるわに向かって突撃してきた。

 ドーラスの周囲は拓かれていたので、森までの距離は下手をすれば一キロメートル以上ある。

 全力で走れば疲れが出て、実際に戦いが始まった頃には、身体のキレがなくなってしまう。人間ならばその辺りを考えて、進軍速度を調節するのだが、ゴブリンにそんな理屈はない。

 ゴブリンは森を出た瞬間に駆けだした。

 ギャーギャーとわめく声は、戦始めの鬨の声のつもりだろうか。

 数百体の小柄な体がひしめくように集まり、緑色の川を地上に現出させた。流れは衰えることなく速くなり、みるみる半円形の曲輪くるわへと近づいてきた。

 だが、残り二百メートルを超えたあたりで少しだけ減速した。動きの悪さは作戦ではなく、どうやら疲れが出てしまったらしい。

 それでもそこまで減速することなく、ゴブリンたちが肉薄してきた。

 第三大隊副官ジルド・サージスによって射撃命令がくだされた。

 それに習うようにして、あるいは遅れまいとして、次々とドーラス側から弓矢が射られていった――総督の的外れの命令はほとんど実行されていなかったということだ。

 新世界暦四一二年五月二八日、太陽が南中を終えた時間に、ドーラス攻防戦がついに始まったのである。

 これが人間とゴブリン・キングによる数十年ぶりの血にまみれた邂逅であった。





 戦端が開かれた最初の数十分間。理性的な指揮官であったなら、この時間の熱狂的な戦闘は予想外のものでしかなかっただろうし、どちらの陣営に属していようと早期に事態の収拾を図ろうとしたことだろう。


 攻撃側であったのは、当然ゴブリンである。

 本来魔人は好戦的な性質である。ゴブリンが好戦的であるのは不思議ではない。だが、今回の突撃はいつものゴブリンとは違った。

 ゴブリン・キングに率いられているためか、本能的な好戦性が限界まで高められ行動にみなぎっていた。

 身体のどこかに矢が刺さろうとまったくひるまない。胴体に穴の開いた仲間がいようと押しのけ、地面に伏した仲間を容赦なく踏み潰し、まったく突撃をやめなかった。それどころか、人間に近づくにつれますます興奮の度合いを高めているようだった。

 この光景を地球の人間が見れば、悪魔が攻めてきたとしか思えなかっただろう。


 対して防御側の人間たちはどうだろうか?

 最初の数射こそ一斉射撃が行われたが、関係ないとばかりに迫りくるゴブリンに恐怖を覚えたのか、各々がかってに弓を放ちまくった。

 集団ヒステリーのような有り様で、特に青城隊がひどかった。おそらく戦闘経験のほとんどない者が少なくない人数いたことが原因というより発端だろう。彼らの動揺が周囲に派生し、狙いをつけない力任せの乱射が行われた。

 肉体能力が向上しているので、威力だけはまずまずあった。弓を壊す者までいたが、予備は多く用意されている。今のところ問題はなかったが、やりすぎである。

 また、青城隊の中には、壊れた弓の代わりが近くにないと見ると、目に入った石を片っ端から投げはじめる者もいる始末だった。完全に我を忘れている。計算など何もしていない。


 これは他の隊にも影響を与えた。

 第一大隊と冒険者にまで波及した。青城隊の隣に位置していたとはいえ、狂乱に簡単に巻きこまれた第一部隊は不甲斐ない。また、もともと冒険者に集団行動を求めるのは間違っているが、射程ではないのに弓を射るのは集団行動以前の問題だった。

 唯一第三大隊のみが平常を保っているが、周囲に影響され、やはりいつもどおりとは言えない状態であった。

 ジルド・サージスは自軍の状況に閉口していたが、彼の立場でできることは、第三大隊を統率することだけだった。


 二つの勢力による感情の爆発の戦いは、人間側に軍配があがった。

 射程内にゴブリンの先頭が侵入してくると、狂乱の矢が次々とゴブリンを命中していったのである。

 ゴブリンへ猛雨のように矢が降り注ぎ、血の噴水がゴブリンの身体からわきあがった。さまざまな角度で矢はゴブリンを貫き、破壊した。

 だが、ゴブリンの突撃はそれでも止まらない。

 わずかなゴブリンが外壁にたどりついたが、そこで力尽きた。

 ろくに攻城兵器をもたないゴブリンは、たとえ外壁にたどりついたところで攻撃手段がなかったのである。

 数十分間続いた、ただただ力任せに突進と攻撃を繰り返す激しい攻防は、ゴブリンが退くことでようやく終息を迎えた。

 どうやら上位種のゴブリンが到着し、命令を与えたようである。

 初戦は、ゴブリン・バロンあたりまでの低位のゴブリンたちによる暴走が巻き起こした戦闘であったようだ。

 ドーラス防衛団としては勝利である。

 犠牲らしい犠牲をださずに、多くのゴブリンを討ちとった。

 だが、理性なき攻撃は、代償をもたらした。

 いくら大量の兵站が保証されているとは、数というのは絶対にかぎりがあるのだ。本来、半日以上の使用にたえると予測して用意された矢をたった数十分で吐き出してしまったのだ。

 もっともひどいのは青城隊だ。彼らは多くの弓を破壊し、また一日分以上と計算してもいい矢を消費していた。

 このペースで消費すれば、残弾などすぐに尽きることになるだろう。



 この後、数時間ほど睨みあいが続くことになる。

 防衛団としては、かまえている相手に討ってでる必要はない。監視を解かずに、順次その場での休憩となった。

 咽喉がからからと渇き、多くの者が潤いを求め、水分補給にやっきになった。必要以上の代謝が身体の中で行われていたのだろう。

 おかしいのはゴブリンだった。

 好戦的な魔人が、人間ごちそうを前にして手をこまねく理由はないはずだ。

 だが、その理由は後にあきらかになった。

 戦場の空気が不意に変じた。

 それは一体のゴブリンによって生じたものだった。

 ゴブリン・キングである。

 自らの王が戦場に到着するのを、ゴブリンたちは待っていたのだ。

 これまで王は不在だったのである。

 あれだけの戦意を示しながら、それはまだゴブリンの本気ではなかったということだった。

 そして、王の着陣は戦場に多くのゴブリンが参入したことを意味した。








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