三章 愚者の議論(3)
碕沢がむちゃともいえる都市外訓練を冴南とバーンの三人――いちおう兵士二人もいる――で二日連続敢行していた頃、青城南生の空気はひどく澱んだものになっていた。
戦いが一時とはいえ敗勢になった理由は何だ?
誰のせいなのだ?
という犯人探しが行われていたのだ。
この中にあって容疑者として皆の口にのぼるようになったのが、須田玲美を中心とした集団だった。
彼らが怪我した者を見捨て、また、戦う力があるのにわざと後ろに隠れていたという問題行動がさまざま人の口から溢れだしたのである。
一度やり玉にあがると――しかも多くの者が目撃した事実である――その名はひろく認識された。
そもそも彼らの行状に眉をひそめる者が潜在的にいたこと、さらに女子を敵に回していたことが、噂を過熱させた理由だろう。
この犯人探しの中に、冴南の指揮に問題があったなどや、碕沢が一人でどこか楽していたのではないか、などという話もまぎれていたが、それらは対抗馬にはなりえず、やはり犯人の大本命は須田玲美であった。
「何か変じゃない?」
玲美は夕食を取りながら、自分の親衛隊へ誰ともなく質問する。
場所は都市内のある食堂だった。兵舎から離れた場所にある食堂で、ここならば青城南生が来ることはほとんどない。
さすがに今の状況で、宿舎の食堂で食事をするほど、彼女は無神経でも無警戒でもなかった。
「変と言うのは?」
「変でしょう」
玲美はフォークで肉をぶすりと突き刺し、持ちあげると、指揮棒のように軽く振る。
「いくらなんでも、あんなふうにみんなから憎まれるのはおかしくない? それもここ一日か二日くらいでしょ、私たちがみんなから非難の目を向けられるようになったのは」
「まあ、そうですけど」
「悪い奴なんていくらでもいるでしょ。というか、みんな神原さんの言葉に従わずに勝手に戦いだしたんだから、悪いのはそいつら全員じゃない? 私たちは体力温存していたわけじゃなくて、神原さんの指示にきちんと従っただけ。なんか、スケープゴートにされようとしてない、私たち?」
「誰かが俺たちのせいにしているということですか?」
「ええ、そんな気がする。となると、本当に責められるべきやつが犯人ってことね。そして、そいつは影に潜んでいる」
「でも、みんなが後ろめたくて、無意識の内に目立っていた僕たちに責任をかぶせようとしているのかも」
綿重勝利の発言だった。
いつも皆と違った発言をして、最初はうざいなと玲美は感じていたのだが、今では貴重な存在だと考えを改めていた。
玲美にすれば、彼の考えは的外れなものが多かったが、異なった視点というのは時に参考にならなくもない。押しが弱いので、すぐに自分の意見を引っ込めるというのもちょうどいい。
それに、子犬のくせに番犬たろうとするところが可愛らしくもある。
「私たちが目立っているというのはあるかもね。女の嫉妬ってやつは凄いものね」
こんな発言をしていると知られたら、それこそすべての女を敵に回すことになるだろう。
玲美にとって嫉妬の視線は気持ちよいものだったが、全員と完全に敵対して兵舎から追いだされるわけにはいかなかった。
さすがにまだ、集団から離れても先を見通すことが難しい、と玲美は考えなおしていた。自分たちはこの都市にあって、余所者なのだ。強引な手段に訴えられても、防御できるだけの力を手に入れなければ、安心して過ごせない。いましばらくは、皆と一緒にいる必要があった。
そうなると、女子の誰かと、いや、誰かというよりグループと繋がりを持っておく必要があるかもしれない。
だが、女子のグループというのは現実的ではないかもしれない。今、玲美と組む利点はないし、何より感情的に受け入れることなどできないだろう。
感情の共有さえできれば、利点などなくてもグループを形成することはできるのだけれど……。
「あれ、あの人――」
綿重の言葉に、玲美は食堂の入り口を見た。
青城南の女子生徒が首をきょろきょろと動かしている。どうやら人を探しているらしい。
玲美は薄く笑った。
「綿重君、彼女をここに連れてきて」
「え? いいんですか?」
「いいの。早く行ってやって、一人じゃ不安だろうから」
玲美は邪鬼のない笑みを作って、綿重に笑顔を送った。彼は玲美と視線があうと、一瞬見とれた後にすぐに立ちあがって女子生徒を迎えに行った。
「どうやら我慢できずに向こうから手を伸ばしてきたみたいね――」
彼女もまずい立場にあるということだろう。向こうから来てくれたのは、非常に運がいい。これで交渉ではこちらが大きく出られるからだ。何しろ、今の玲美と組まなければならないというのは、自分に落ち度があると暴露したに等しい行為なのだから。
翌日、ついに澱んだ空気は火薬となって爆発した。
新世界暦四一二年五月二六日のことである。
午前中、食堂には二十近い人間が集まっていた――ちなみに、この時点で青城南の生徒の数は一一一人となっている。
朝食にしてはやや遅めの時間帯に、玲美のグループと女子のグループ、さらに数人の男子とが言いあいになったのだ。
最初は、数人の男子が玲美のグループをからかったことから始まった。
それに玲美の親衛隊が言い返す。
まだこの辺りでは、冗談の空気があった。
互いにまだ冗談にしておこうという意志があったと言ったほうがいいかもしれない。何しろ空気はこの時点ですでに非常にぎこちないものだったからだ。
ここで女子グループが間に入った。彼女たちにすればすでに冗談だと感じなかったのかもしれない。
彼女たちは争いを求めたのではなく、仲裁を行ったのだ。
そこで、玲美が薄く笑った。
これがいけなかった。
女の勘というわけではないだろう。だが、同性だからこそ、そこにはっきりと嘲りを感じとることができたのだ。
女子グループは回りくどいことをしなかった。
いっきに本命を狙って攻撃する。
須田玲美が口撃の対象となったのだ。
これを玲美の親衛隊が庇い、さらに争いに拍車をかける結果となった。
ぞろぞろと食堂へ野次馬が集まり、玲美に対する問題ばかりでなく、戦いや現状への不満が各所で炸裂していった。
結局、この騒ぎを収めたのは北條だったのだが、彼の言葉も完全な静寂の中で聞かれたわけではない。
「なんなんだ、あいつ」という声が発せられた。
ゴブリン偵察以前より、間違いなく北條の影響力は低下している。皆の前でゴブリン・アールに完璧に敗北した事実は、その場にいた誰の目にもあまりに鮮明に残っていたのだ。彼の声は皆に届きにくくなっていた。
北條は提案した。
夕方話し合いの場を設けて、皆の意見を出しあおう、と。
「今、やればいいじゃん」との声に、北條は「今はまだ皆興奮しているから、本人が思っている以上に攻撃的な口調になったり、内容になるかもしれない。冷静に話し合うために、少し時間をおいたほうがいい」と意見を述べた。
ヒートアップしていたのは事実であったので、多くの者は北條の意見を正論だと認め、夕方集まることに決定した。
その際、北條は玲美にだけは参加するよう改めて依頼した。衆目の中にある彼女に拒否権はなかった。
「分かったわ。北條君がそう言うのなら、そうしましょう」
須田玲美は嫣然と微笑んだ。
どうやら彼女には追いつめられたという意識がまったくないらしい。その余裕のある態度が、特に女子の中で、改めて反感を買うことになった。




