三章 愚者の議論(2)
出撃した青城隊メンバーは一部の重傷者のみが治療を受け、ベッドに縛りつけられていた。重傷者たちは苦しみにあえいでいるかと言えば、そんなことはなかった。むろん、痛みや苦しみは変わらずあるのだが、その時間が日本にいた頃に比べて間違いなく短い。かなり緩和されている。
こちらの世界の医療技術が日本を凌駕しているというわけではなかった。単純に自己治癒能力が高まっているのだ。
霊力の効力だと思われた。
また、多くの霊力を吸収したおかげで、今回遠征に参加したメンバーは身体能力を大きく向上させていた。
都市に戻り、一日ゆっくり休養すると、ほとんどの者たちが今回の戦いは、結果的に有意義なものだったんじゃないかと考えるようになるくらいに回復していた。
終盤の苦戦を脇に置いて、それ以外のことに目をやり、簡単に言えば、自らの有能を誇っていたのである。
一歩間違えれば負け戦であったことよりも、強くなったことを彼らは評価した。
反省よりも、満足を重視した。
それは他者の目があったことも関係しているだろう。
この場合、他者とは戦いに参加しなかった青城南生のことだ。
失態話よりも自慢話をしたいのが人間である。
また語る内に本当にそうだったのではないか、と勘違いできるのも人間の特性だった。
彼らはろくに反省をすることもなく、当然戦訓などそこにはなく、時間の流れに自らの未熟さを押し流そうとしていた。
だが、それは議論とも呼べないよくある会話によって、簡単に決壊した。
食堂でのことだった。
このような会話の流れになったのも、居残り組が朝から出陣組の自慢話を聞かされ続けていたことが原因だったのかもしれない。
もういいかげんうんざりというやつだ。
「玖珂と神原さんがいなかったら、やばかったんじゃねーの」
「まあ、俺たちも疲れていたからな」
「それを言うなら、その二人もそうだろ? 参加してない俺が言うのもなんだけど、撤退する時って一番気をつけろって訓練中から言われてたじゃんか。なのに、その時点で動けないくらい疲れてるってやばくない?」
「あの場にいなかったから分からないのはしょうがないけどな、言っとくけど、初めての戦闘だぞ。訓練と違って疲労がいつもよりも大きくなるのはしょうがないだろ」
間違ったことを言ってはいない。だが、その口調は言い訳がましいものだった。本人が自分の言葉を信じ切れていないためだろう。
「撤退っていうか、結局逃げたんだろ? その前の威勢のいい話もさ、なんか怪しいよな。神原さんの話がぜんぜんでないし、おまえら無視して突撃して、それで疲れて最後は戦えなくなったとかそういうんじゃないの? 墓穴を掘ったくせに、最後は玖珂と神原さんに尻拭いをしてもらったとかだったりしてな」
「なんだと! ここで遊んでたやつが知ったようなことを言うじゃねーよ」
「遊んでねーよ、俺らも訓練していた。だいたい何で怒るんだ? 事実じゃないんならそう言えばいいじゃないか」
ぼそりと別の誰かが言った。
「図星だからだろ」
さらに別の誰かが言う。
いつの間にか周囲は、二人の言いあいの声のみとなっていた。だからこそ、このぼそりと呟かれた誰かの言葉が食堂によく響いた。
流れの中で浮いたような、この短い言葉が、だが、そのためだろうか、真実となって皆の耳に響いたのだった。
この後、二人の言いあいは尻すぼみとなって終わった。これ以上やればまずいという感覚が二人に訪れたからである。最後に冷静な判断が働いたのも「図星だからだろ」という言葉が冷や水をかけてくれたからだろう。
この一件で、この場にいた者たちの中に、今回の戦いは失敗であり、二人の人間の力のみによって解決されたのだという真実が強く印象づけられるようになったのである。
以降一日中、表と影でこの解釈が話の俎上にのぼることになった。
空気が悪いとはこのことである。
碕沢の隣には、冴南がいた。
問題は彼女ではない――少なくとも今の段階では。
碕沢たちの後ろにいる二人の兵士から、険悪な空気が漂っていた。
理由がどの辺りにあるのかと言えば、正規の兵士である自分たちが、なぜどこの馬とも知れぬ若造を警護や監視をしなければならないのか、というものと、なぜこんな若造が美人と二人で歩いているのかと言う妬心からなっているのだろう。
いずれ、ぶつかるかもしれないな、と碕沢は達観していた。
スラーグとイスマーン砦の兵士たちと触れ合ったことで、碕沢は兵士たちにまったく悪感情を抱いていなかったのだが、後ろを歩く兵士たちにはどうもいい感情を抱けそうになかった。
第一大隊所属と言っていたので、もしかしたら第一大隊の大隊長がよろしくないのかもしれない。上が腐っていると下も自然と腐るというやつだ。
碕沢が辛辣な評価を兵士たちに下しているのは、行動の自由を認められていないいらだちが影響していた。
碕沢は都市の外で魔獣と戦うつもりだった。というか、少々無理をしてでも、ゴブリンの部隊と戦うくらいのつもりでいた。おそらく無理を強いなければ、必要な強さに到達しないからだ。
なのに都市外への移動禁止令が碕沢だけに出ていた。それを知らせたのが、後ろの二人であり、それ以降、この二人に監視され続けているのである。
イスマーン砦から帰ってきて二日目の朝――碕沢たちがこの世界に来て、ちょうど十一日目だった。
これほど気分の悪い朝はなかった。
隣を歩く冴南は沈黙している。
なぜ彼女と出歩くことになったかと言うと、偶然の産物だった。
碕沢が兵舎の敷地からちょうど出たところで、冴南と会ったのだ。彼女は碕沢の後ろにいる兵士を見て、彼と行動を共にすることにしたようだ。
歩きながら、事情を説明した。
ゴブリン・デュークと遭遇したこと、また『死の接吻』のために一月後に命の危険があるということを。
ただし、ゴブリン・デュークが人間にしか見えない美しさを持っていたことは言明しなかった。他意はない。他意はないが、口にしづらかったのだ。
冴南は碕沢の首筋をちらりと見た後に、うつむき加減になって考えだした。
「身体は大丈夫なの?」
「身体?」
「そう、胸を斬られたでしょう」
「たいして深くなかったからな。動くと引きつるような痛みがあるけど、そんなたいしたものじゃない」
「そう……」
黙ったまま二人はしばらく歩いた。
「碕沢君は外で戦うべきね」
ふっと碕沢を見て、唐突に冴南が言った。
「俺はそうしたいけど、後ろの人たちがね」
「スラーグさんか、バーンさんがいれば問題ないんじゃない」
「スラーグさんは仮にも大隊長の身分だし、冒険者を彼らが、というか彼らの上司が認めてくれるかな」
何か提案するにしても、いちいち上司の許可が必要であることを思い、碕沢は面倒くさくなる。
億劫さを隠さない碕沢に代わって、冴南が率先して動き始めた。
碕沢は彼女の後についてまわり、結局都市外への移動許可を得ることに成功した。
どうやら北條もいろいろと協力してくれたようだ。
これは総督から碕沢の行動を制限するよう直接命令が出ていなかったことも幸いしてた。ゴブリン・キングを脅威と思わない総督である。ゴブリン・デュークや『死の接吻』などまったく問題にしていなかった。そもそも青城隊に関する話はすべて嘘だと考えていたのだった。
というわけで、碕沢、冴南、バル・バーン、第一大隊所属の兵士二人の計五人が昼前に、弁当持参でドーラスを出発したのだった。
碕沢たちは移動する。
荷車などは一切引いてきていない。自分たちで持てる荷物のみである。
碕沢は駆けだした。冴南が続き、バル・バーンも走りだす。
突然の加速にわずかに遅れて兵士二人も走りだした。
碕沢のスピードに冴南とバーンは難なくついてくるが、苦労したのは兵士二人である。
彼らは碕沢と冴南のことを侮っていた。都市外に出たところで、何ができるというのかとたかをくくっていた。なのに、現実はどうだ。その移動速度にまったくついていけなかった。
途中でついに耐えきれなくなり、息も絶え絶えになりながら叫んだ。
「止まれ! これ以上の移動は逃亡と見なす」
碕沢は背後から聞こえた兵士の声に応じて停止した。二人も立ちどまる。
碕沢は振り返ると、特に気負った様子もなく提案した。
「俺たちは先に行って、魔物を退治してるんで、後からゆっくりついてきてください。別に逃亡はしませんよ。したとしても、こちらのバーンさんが一瞬で俺を仕留めるでしょ――というわけで、先に行きます」
「ちょっと待って――」
と、停止を求めた兵士たちの声は、今度こそ届かなかった。
すぐに碕沢たちの姿が、彼らの視界から消えた。どうやら今までスピードをずいぶんと抑えていたらしい。
つまり、二人に遠慮して移動していたということだ。
屈辱である。
屈辱であったが、彼らは森の奥へと進むうちに、屈辱の思いなど吹っ飛ばされてしまった。
まるで巨人が通った跡のように、各種の数々の魔物が倒されていた。
そして、最後にはゴブリンの集団とも戦った跡があったのである。
どうやらゴブリン・ヴァイカウントの率いる一隊を殲滅してしまったらしかった。
二人はすぐに逃げだした。
結局夕暮れ時に、二人の兵士はドーラス近くで碕沢たちと合流し、都市へと帰還したのだった。
彼らは報告書をどうするか迷った。
事実を記すことはできない。
彼らの職務怠慢がばれてしまうからだ。
多くの魔獣を倒したとだけ彼らは報告する。その報告に嘘はなかったので、情報は正確で彼らの言葉を疑う者はなかった。
ただし、これほど戦えるのかと誇張を疑われたりもした。事実を述べれば、より本物の疑念を抱かれてかもしれない。
事実は、碕沢たちが報告とは比べものにならないほどに魔獣と魔人を倒していたということなのだが、これを知るのは、二人の兵士のみと言うことになった。
それでも正規の報告だけで碕沢と冴南は一部で一定の戦力になるのではないか、と考えられるようになったのだった。
碕沢と冴南の知らないところで二人の評価があがっていた。




