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三章 愚者の議論(1)




「――報告した戦果に見あう内容ではない――。

 ――素人集団であり、子供の集団でしかないと言える。ただし、各個人の戦力は低ランク冒険者と同程度のものがあると思われる――。

 ――烏合の衆と判断するよりない。だが、その中にあって幾人かは見るべきものがある。いずれにせよ、戦力として考えるには、まだ少なくない訓練を必要とする」


   ――スラーグ第三大隊長による青城隊に関する報告書の一部を抜粋。



 でっぷりとした腹を左手でさすりながら、ドーラス総督イル・ローランドは大きく息を吐いた。

 総督執務室にはローランド一人だけである。

 机の上には、彼のためのおやつがあった。間食とするには多い量の果物や甘味が三つのさらに盛られていた。

 綺麗に皮をむかれた果実を指のみでつまんで口へ運び、ぱくりと食べる。

 くちゃくちゃと大きな音を立てて咀嚼し、ごくりと呑みこんだ。

 改めて、「ふう」とローランドは息を吐いた。

 おやつの味には満足していた。だが、直接間接問わずあった青城隊とゴブリンに関する報告に、総督は満足していなかった。


 青城隊に関しては、まあ別に良い。スラーグがよこした戦いの内容について、ローランドはさっと目を通しただけで特に意見をもたなかった。

 重要なのは結果で、青城隊はゴブリン・アールを倒すという戦果を残した。それで充分だ。やつらが使えるというのは、予想外の結果であり、重畳である。

 北條という若者は口だけ達者な男と言うわけではなかったようだ。

 部下として使えるかもしれない。

 だが、もう一つの予想外は何とも不快だった。

 スラーグはぴんぴんとしたまま、あの酒に酔ったようなふざけた顔をローランドの前にのうのうとさらしていた。

 本来ならば、あの男は森の栄養となっているはずだったのだ。

 それこそが今回の遠征の目的だったのだ。

 目的を達成できなければ無駄な出費ではないか!

 まったくワルダは使えなかった。せっかく自分が目をかけてやったというのに、恩を仇で返す男だった。

 しかも、ゴブリンにやられて命を落とすとは、あまりに無様ではないか。あのような無能を使わねばならない自分の状況がひどく嘆かわしい。

 こんな島にいなければ、自分にふさわしい人材を傍におくこともできるだろうに!


 ローランドは、目の前にある果物や甘味を両手で鷲づかみにして、自らの口へと放りこんでいった。

 五分ほど食べ続け、ローランドは落ち着いた。

 今、彼の部下たちはゴブリンのことで大騒ぎをしている。

 イスマーン砦からの急使による報告は総督しか内容を知ることができなかったのだが、昨日行われた北條からの口頭報告で、ゴブリンの状況があきらかにされたためだ。

 北條のあれは、報告というより演説と言うべきもので、自らの戦果をより大きなものに見せるために、誇張したものだった。

 だが、総督府の人間はそれに踊らされてしまった。

 あんな若造の言葉を間に受けるなど、愚かにもほどがある。スラーグでさえ、たいした集団ではないと否定しているのに!

 バカな部下を持つと、上に立つ者は苦労するものだ。

 先程とはまったく逆の評価を総督は北條に下していた。彼が自己の矛盾に気づくことはない。

 ローランドは首を小さく振って、美しい白磁陶器のティーカップを手に取った。咽喉を潤す紅茶には液体のみならず舌をざらつかせる感覚があった。

 砂糖である。

 ローランドの言いつけどおりに、砂糖の多く入った紅茶が用意されていた。砂糖は高級品とは言わないが、かといって普段の飲み物に大量にいれられるほど安いものではない。

 普通の人の感覚で言えば、これこそ無駄な出費と眉をひそめる無駄づかいであった。


「ゴブリン討伐――」


 ローランドは、今度は大仰に首を振った。観客はいないのに舞台役者のようなふるまいだった。それも「独りよがり」という頭言葉のつく役者である。


「イル・ローランドがゴブリン討伐などいい笑いものではないか……」


 そこで、ローランドの脳裏に会議場で部下の発した言葉が閃いた。


 ――ゴブリン・キング。


 ゴブリン・キングを征伐したとなると、多少聞こえは良いのではないか。


「ゴブリンとはいえ、キングと名のつくモノを討てば、多少箔がつくだろう。功績にもなるはずだ。本国へ戻ることも可能か――あの男を追い落とせるな」


 ローランドは第一執政官の顔を思い浮かべ、想像の中ですぐに切り刻んだ。

 ローランドは、ゴブリン・キングが存在しているなどと思っていなかった。だからこそ、彼はゴブリンの上位種から適当なゴブリンを選び、それをゴブリン・キングとして騙ってやろうと考えていた。

 むろん、武功と認められ、褒賞の権利を得るには、ゴブリン・キングであるかどうかの真偽の見極めがなされる。

 それは今回の場合、死体を受け取ることになる『命の塔』と呼ばれる場所であり機関によってなされるだろう。

 イル・ローランドは『命の塔』など買収すればいい、と軽く考えていた。

 これは彼がいかに社会を低く見ているのかの証明であり、現実認識の甘さであった。

 何しろ、この総督は本物のゴブリン・キングが出現したとしても、都合が良いという程度の考えしか持ちあわせていなかったのである。

 イル・ローランドは元からこのように現実認識、特に危機管理に対して非常な甘さを持っているが、彼が総督として最低限の仕事をしていたのなら、ゴブリンに対して今少し真剣さを持って対応したに違いない。


 ローランドの机の上、その端には一通の封筒がある。

 イスマーン砦から時間を惜しんで運ばれた、切実な思いと重要な情報がつまった文章がそこには内包されていた。

 しかし、ローランドはこれを一瞥するだけで終わった。速読ではないし、飛ばし読みさえしなかった。

 彼は読まなかったのだ。総督は他の者と同じようにスラーグや北條の言葉で事態を知り、なおかつそれを大仰なものと判断していた。

 総督着任当時は、イスマーン砦からの報告を読んでいたが、すぐにたいしたものはないと判断し、戻ってきてから大隊長からある直接報告のみで良いと判断したのだ。それがずっと続いている。

 幾度か、重要な報告ですといってもたらされた情報も、少なくともローランドにとっては重要ではなかったので、今回も重要だと使者から言われても放っておいたのだ。

 おそらく、普通の人間ならスラーグや随員の兵士、さらに北條からの報告を聞いて、イスマーン砦からの報告を思い出し、文章を改めて読みなおすくらいのことはするだろう。

 だが、イル・ローランドはしなかった。

 なぜなら、彼の経験上それはまったく必要のないことだったからである。

 総督イル・ローランドは、おやつを食べ尽くすと、汚れた指先と口元を布で拭き取り、ゆっくりと椅子の背もたれにもたれた。

 やや窮屈であった。

 だが、彼はきつそうなそぶりを見せずに、何度か深呼吸のように息をはいて、目をつむった。

 しばらくすると、すーすーという呼吸音が高まり、すぐに苦しそうな息づかいをしたいびきが空気を震わしはじめた。

 総督は昼寝の時間に入ったのである。

 それは、誰にも邪魔されることのない、彼だけの時間だった。





 スラーグを迎えたのは、副官であるジルド・サージスである。

 正直一日家で眠った程度では、スラーグの疲労は回復していない。といっても、彼は戦闘をいっさい――いや、ほんのわずかしか行っていないのだが。

 第三大隊長執務室へと連行されるように歩いている間、スラーグはなぜ出勤してしまったのだろうか、と二日酔いが色濃く残る頭で後悔していた。

 一般的に二日酔いになった時、昨夜なぜあんなに酒を飲んだのだろう、と酒量について後悔するものである。人によってはもう酒など飲まない、とまで考える酒飲みもいるだろう――実際、飲むことを止める人間はまずいない。

 だが、スラーグはどんなにひどい二日酔いになろうとも、酒を飲むことをやめると考えたことはなかった。少し頭の構造がおかしいのかもしれない。

 立派な飲んだくれであるスラーグは大隊長の椅子に腰かけ、だらりと身体を弛緩させた。


「では、こちらの進捗状況をお話しします」


 上司の体調などまったく考慮することなく、サージスが報告を始める。


「裏で動いていた小物を二人確保しました。都市外で、しかも休暇だった者たち四名で捕縛したので、我々が何かをやったと気づいている者はいません。いずれ、森で魔物にやられたとの話が裏に回ることでしょう。尋問により、二つの商会との繋がりが証明されました」


「――その二人の証言なんかじゃ、怪しい人物につき証拠能力なしで押し切られることは分かっているね。これまで集めた状況証拠と変わらない価値しか裁判ではもたないよ。たぶん、裁判にまで持ちこめない。総督閣下は血筋が高貴であることは確かだからね。裁判沙汰になると、総督閣下ではなく、ローランド家がでばってくるだろう。そうなると、この程度じゃ揉み消される」


 長く話したことでスラーグは咽喉に潤いを求めた。彼の手が机に置かれたグラスへと伸びる。一瞬、手の動きが止まったのは、迎え酒をしたいなという素直な欲望がなしたことだ。だが、この場に酒はなく、あるのは水のみだった。

 スラーグはグラスを手にすると、いっきに半分ほど咽喉へと流し込んだ。


「もちろん、そうでしょう。分かっています。というか、あなたはご自身が私にどういう命令を下したのか忘れたのですか?」


「忘れるわけがないだろう」


 と答えながら、スラーグは痛む頭の中から記憶を探っていた。

 ああ、そうか、と思い出す。

 裁判のための証拠ではなく、本国が動くための証拠を集めろと命じていたのだ。ずいぶん前の話だったので、うっかりというやつだ。

 忘れそうになっていたのは、決して、酒のために頭に靄がかかっていたからというわけではない。

 酒のせいには決してしない男、それがスラーグだった。


「充分な証拠が集まったということかな?」


「はい。もともと金の流れはすでに分かっていました。ここ数日ですべてが結びつき、細部の関係者たちの動きが明らかになったというのが大きいですね」


「そうか。よし分かった」


「本国へ送ってよろしいですか?」


「いや、最後にもう一度私が確認する。昼にすべての書類を持ってきてくれ」


「昼?」サージスの顔が不審に染まる。「なぜ、今ではなく昼なのです」


「……眠たいんだ」


「分かりました。すぐに準備している書類を持ってきます」


「大隊長命令が聞こえなかったのかなぁ」


「確かゴブリンの異常が決定的になったと聞いています。執務室で眠る時間があるなどと大隊長ならば考えるはずがありません。どうですか?」


「まあ、ゴブリンは変だったかな」


「では、すぐに書類をお持ちします。大隊長殿」


 スラーグに眠る時間は与えられないようだった。


 この日の内に無事スラーグから本国の第一執政官に対して封書が発信されることになる。








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