三章 夜の風に吹かれて(3)
問題解決への糸口すらつかめなかったが、いつまでも夜空を見ていたところで終わりがない。
端的に言えば、変わることのない夜空の風景に厭きた碕沢は、休むために窮屈な宿舎へと戻ろうとしていた。
だが、宿舎へと続く道の途中で、碕沢は思い悩む少年の姿を発見した。というより、宿舎の前で頭を抱えて座りこんでいたので、どんなに注意が散漫であっても見つけることになっただろう。
思い悩む姿は、同学年というより、数歳年下の少年に見えた。
いまどき、高校生にもなって、こんなに感情をあらわにするやつがいるだろうか。
「げっ!」と思わず声をあげるほどに、碕沢はその姿に驚いたのだった。
碕沢のツチノコでも発見したかのような驚きの声に、少年――にしか見えない男が顔をあげる。
綿重勝利だった。
パッと見では、負傷はしていないようだ。多くの青城隊のメンバーが傷を負っている中で、これは立派である。
「碕沢……さん」
「いや、何で『さん』なんだ」
「いや、なんとなく」
「つけなくていいよ、そんなの。もちろん、敬語もいらない」
「……分かった」
「で、若者がなぜ地獄の傍で考えている人並みの深刻さを発揮してるんだ」
「……よく分からないことを碕沢は言うんだな――っていうか、俺の名前を知ってるのか?」
「いや、知らない」
「そうはっきり言われると、ちょっと傷つく」
力なく笑った。
「男を慰める趣味はないぞ、俺」
「誰もそんなことは期待していない。俺は綿重勝利」
「俺は碕沢秋長。碕沢と呼んでくれ」
「さっきから呼んでる」
「知ってるが、それが何か?」
「碕沢っておかしいよな。やっぱりできるやつって、ちょっと違うんだな」
「非常に大きな誤解が生まれていることだけは、間違いないな」
ふっと会話が止まった。
碕沢は綿重が口を開くのを待った。
綿重が話すかどうか悩んでいる気配が伝わってきていた。
「碕沢はどうしてあんなに強いんだ?」
まだ躊躇いを残したまま、綿重が言葉をつむいだ。
「何かつい最近訊かれた気がするよ」
「へえ、やっぱりみんな思ってるんだな」
「いや、ほとんどのやつはそんなこと思ってないだろうけど」
「そんなことはない。で――どうなんだ?」
「どうなんだと言われてもな……俺たちの中で強いのは玖珂だろ? なんで、俺?」
「玖珂はちょっと近寄りがたい」
「なるほど、遠くの玖珂より近くの碕沢か」
「なんだ、それ」
「あれだよ。経験の差。俺と玖珂と神原は、初日にけっこうな数のゴブリンと戦っている。今ある差はスタートダッシュの差じゃないか。だからって、無理やり差を縮めるも必要もないとは思うけど」
「なぜ?」
「なんか危険そうだろ? 無理して短期間に強くなるって」
「主人公でもないかぎり、完全にやられキャラだな」
「ま、そんな感じ。それで若者はなぜ強さを求めるのかね」
「『かね』? まあ、いいや。守りたい人がいるから」
恥ずかしげもなく綿重が思いを声に乗せた。
「ほう、その人を守れるだけの力が欲しいと、そういうことかね」
碕沢はわざとらしく『かね』を発音した。
「いや、その人を守れるだけじゃ足りないんだ。その人を守って、さらに周りの人も助けたい」
「それはなかなかだな。何というか、英雄とかそれ系の人なんじゃないか」
「そんなつもりはないけど」
「意外だな。あんまり欲張りそうじゃないのに」
「やっぱり、欲張りかな。一人を守るだけでいいのかな」
綿重がまたうつむいた。
碕沢が想定している物と、綿重が直面している現実に、碕沢は違和感を覚えた。
『ずれ』があるように思える。
その『ずれ』のために、碕沢は綿重の思いを共有できていないのかもしれない。
綿重は青城南の生徒の誰かとつきあっている――まあ、片思いというやつでもいいのだが――、さらにクラスメイトも守りたいということでいいのだろうか。
別に悪いことじゃない。
大切な人と友人を守りたい――皆に死んでほしくないと思うのは普通のことだ。
後ろめたい感情などそこには存在しない。
しかし、それにしては皆を守ることに対する罪悪感めいた感情が綿重からこぼれているのは、なぜだろうか。
『ずれ』が関係するのだろうか。
とにかく、訊ねられた碕沢としては答えを示すべきだろう。
「知らん!」
碕沢の見事な一言に、「へ」と綿重が顔をあげた。
「十七歳に解答は不能だ。というか、年をとっても、答えられるか疑問だ。ここは一発できることをやれ」
「はあー」
「なんだね、その気の抜けた返事は? 人生の先達に対して失礼じゃないかね」
「碕沢、何月生まれ? ちなみに、俺は五月」
「問題はそこにはない」
「先達じゃないんだろう」
「こだわるじゃないか、少年」
「まあ、いいや。分かった。とりあえず、できることをやる。まず、守るべき人を守るよ」
「それでいいんじゃないの。でも、本気で戦うつもりなら――」
不自然な間が生まれた。
「どうした? なんで、途中で止めた?」
「かっこいい言葉が思い浮かばなかった」
「なんだよ、それ」
綿重が苦笑する。
だが、本当は、言葉が思い浮かばなかったわけではなかった。
本気で戦うつもりなら――本気で戦場に立つつもりなら、そんなことに気を取られていたら死ぬことになる。
碕沢はそう続けるつもりだった。それは覚悟を求める言葉だった。
彼が言葉をとめたのは、綿重は戦場など想定しないだろうと感じたからだ。綿重は抽象的な危険を想像しているように思えた。
それならば、大切な人を守るために一歩踏みだす勇気というやつがおおいに役に立つはずだ。
だが、命のやりとりが当たり前となる戦場では、必要な感情ではない。そこでは一歩の勇気を準備する時間など許されない――などと、整然と思考したわけではないが、近いことを思い浮かべた。
だが、戦場に立つ気がないのなら必要のない忠告だろう。
そして、碕沢自身が、自分がそんなたいそうなことを言う資格があるとは思っていなかった。何しろ自身が実践できていないのだから。
二日後、深夜に降っていた雨もあがり、青城隊は都市ドーラスへと帰還する。




