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序章3 集団ではなく部隊




 玖珂直哉くがなおやは優秀な男だった。

 十七年間、常に優秀でありつづけた。親や周囲の期待にも応えつづけた。彼らの期待がプレッシャーとなることはなかった。玖珂にしてみれば、彼らの期待は、すでにそこあるものに挑むことや到達することで――たとえば、成績や競技で一位になるだとか、書道で何段を取る、どこの高校や大学に入るなどというもの――枠に収まった目標設定でしかなく、彼自身ができないという理由はどこにもなかった。

 すでに誰もが達成している目標へ到達することに、いったい何の価値があるというのか。

 ひどく厚かましい言い方をすれば、玖珂は何でもできた。だからこそ、目標の設定の仕方が余人とは異なっていた。


 もちろん、彼は他者を認識できる男なので、周囲が何に重きをおいているかを承知していたし、それを尊重するようにしていた。

 あえて、周囲の環境を壊す必要はないと考えていた。

 何でもできたからと言って、玖珂は世の中に飽いていたわけではない。彼は学校という環境が非常に特殊であることを認識していたので、この枠を飛び出せば、世界には類まれな才能があると信じていた。

 特に一分野に秀でた天才にはかなわないのではないか、と考えていた。おそらく同じ年の人間であってもかなわないだろう。

 ただ一方で、その分野以外では、あらゆる分野で勝てるのではないか、との思いも抱いている。

 多分野もしくは総合的というべきか、この考え方が、玖珂の基本思想であった。


 社会を向上させるのに、専門家は絶対に必要である。未来を作るのにもっとも必要な人材だろう。

 だが、もしも人間同志が本気で能力を競うというのなら、文字通り知勇で競うべきではないか、という考えを玖珂は常に持っていた。


 あるいは、戦国時代にでも生まれていれば、彼は生きることに満足できたかもしれないし、充分に能力を発揮したかもしれない。

 だが、こういった思想を持っているからといって、玖珂の言動が常識から外れるということは一切なかった。

 現状に彼は不満を覚えていなかったし、他者へあわせることに苦痛もなかったからだ。ただし、満足はしていなかった。

 だが、世界のほとんどの人間は満足していない者たちで構成されているのだから、べつだん、玖珂の心境は珍しいものではないと言える。


 しかし、傑出した才を持っていた玖珂は、珍しい運命を背負っていたのかもしれない。

 彼は、地球とは異なる世界へと渡ることになった。

 そして、彼はそこで自らの能力を満足ゆくままに解放しようとしていた。

 今、玖珂の前にはゴブリンという異形の生物がいる。その数は、三十体を超えていた。





 どうしてこうなった――と、碕沢が頭を抱えたくなったのも仕方のないことだった。

 戦いを避ける道を選んだはずなのに、思いきり敵の集団と対峙することになってしまった。

 ゴブリンの集団を最初に発見したのは玖珂だった。

 玖珂が先行して数を確認してきたところによると、総数は三十を超えるという。しかも、一体だけあきらかに体格の異なるゴブリンがいたということだ。


 三人の話し合いは、すぐに結論がでた。

 相手に気づかれる前に、別のルートを進もうというものだ。明確な目的地があるわけではない。どの方向に進むかに制限はまったくなかった。

 それから三度ほど――元いた場所へも戻った――方向転換をしたが、いずれにもゴブリンの集団がいた。そして、どの集団にも体格の異なるゴブリンがいた。

 少なくとも四つ、玖珂の勘では、五つのゴブリンの集団が周囲にいることがわかった。

 状況は悪い。まだ発見されていないということのみが、唯一の好材料だった。


「どう思う?」


 碕沢は二人に訊ねる。彼の中ではある推測が急速に形を作っていたが、それが正しいとなるとあまりに悲観的な未来しか見えないので、口に出すことはしなかった。


「最悪ね」冴南が言う。


「最初にぶつかった集団は偶然だろうけど――今思うと、彼らもかな。少なくとも二つの集団があきらかな意図をもって行動していた。それは捜索だ。捜索の対象が何なのかはわからないけど、僕たちが持っている材料から、一つ推測することが可能だ」


 玖珂の声は淡々としているのだが、どうも眼鏡の下にある群青色の瞳は楽しげに笑っているような気がしてならない。


「――四体のゴブリンの死体を製造したやつは誰か?」


 いやいや碕沢は口にした。彼の推測と玖珂の推測は似たような未来を読み取っているらしい。


「その通り、犯人である僕たちを捜しているわけだ。仮にあのゴブリンの集団をさらに統率するやつがいると考えれば、いずれすべての集団に捜索命令が下ることになる。時間が経てば経つほど、その可能性は高まるだろう」


「玖珂君の言うとおりだと、集団というよりゴブリンの部隊があるみたいね」


「神原さんの言葉は正しいと思う。あれは部隊だ。だからこそ命令を完遂しようとするだろう。捜索態勢に移行したゴブリンの部隊の間をすりぬけるのは不可能ではないけど難しい。そして、ゴブリンの部隊がここにいるやつらだけとはかぎらない。時間が経てば、もっと増えるかもしれない」


「何が言いたい?」


 訊ねながらも、碕沢は玖珂が何を言おうとしているのかがわかっていた。部隊は五つに限らず、もっといる。そんなやつらを相手にしなければならないとしたら……まったく最低な未来図だった。


「二人が戦いを避けたいと考えているのはわかるけど、僕は戦うべきだと思う。最初に想定していたはずだ。僕たちは戦わざるを得ない状況に放りこまれたのだ、と。包囲される前に奇襲をかけるべきだ。数が多いから今回の戦いで、青いもやの効果も確定できる」


 ゴブリンを倒した後に生じた青い靄について、三人はすでに話しあっていた。

 碕沢と冴南は、青い靄について特に感じることはなかった。

 ただ、玖珂は違った。彼は青い靄を吸収することで少しだが、肉体能力が上がった気がすると主張したのだ。

 二人と玖珂の違いは、ゴブリンを倒した数ということになる。青い靄を吸収した量が玖珂のほうが多い。

 だから、玖珂はよりはっきりと力が上がるのがわかったということらしいのだが、碕沢と冴南は頷かなかった。

 その可能性はあると思ったが、玖珂に同意すると、積極的に戦おうとするのでは、という疑念が二人に消極的な否定の意見を保持させたのだ。

 結論は出なかった。

 玖珂も自分の意見をそれ以上推そうとはしなかった。事例が少なく、説得力がないと本人も考えたようだった。


「青い靄の確認のために、三十体を相手にするのはとても理にかなっているとは思えない。ハイリスクなだけで、リターンもない。玖珂君は本気で言っているの?」


博打ばくちの要素が大きいことは否定しない。それでも、今は戦うべきだ。おそらく逃げる手は、すぐに僕たちを追いこむことになる」


「最悪一五〇体に囲まれるか?」


 碕沢はことさら表情を消して言った。

 沈黙がひろがる。

 彼は歴史がいくらか好きだったので、英傑たちが不利な状況で戦いを選択し勝利を収めたことを知っている。不利な状況――寡兵で敵に挑む――は、勝つべくして勝った彼らの数多あまたの戦いを見れば、決して望んだものではなかっただろうが、それでも戦わねばならない時に彼らは戦い、勝利した。

 そして、英雄として歴史に名乗りをあげたのだ。

 彼らは皆知っていたのだろう。万全ではなくとも、戦わねばならぬ時がある、と。

 碕沢は玖珂を見る。

 この同級生は、歴史上の人物と同じようなステージに立つ男なのか?

 彼の言うことを聞くべきなのか?

 だが、英雄という人間は、無数の死を供とする。

 たとえ、玖珂の選択が正しいとしても、冴南はともかく、碕沢は無数の死へと還元されてしまうのではないか。


「どうしたの、碕沢君?」


 碕沢に二人の視線が集まっていた。一方は、心配の色があり、もう一方は、試そうとする意思があった。


「いや、ちょっと動揺したみたいだ。妄想しすぎなことを考えていた」


「一五〇体の包囲は、妄想だとは言えないと僕は思うけど」


「だな。戦おう。俺は玖珂の感覚を信じることにした」


「僕の感覚?」


「ああ、青い靄がパワーアップ素材だってことだ。そもそもゴブリンなんてのは、初級の相手だ。レベル1だよ。彼らから逃げ回っているようじゃ、後に控えるやつらを幻滅させてしまう」碕沢は笑う。「ゴブリンに日本人のもてなしってやつを教えてさしあげようか」


 碕沢は内心の不安を押し隠し、宣言した。

 碕沢には戦うことと、隠れひそむことのどちらが正しいのかはわからない。誰にもわからないだろう。

 情報がそろっていない状況では、正しい選択など誰にもできない。

 碕沢が戦うことを決断したのは、英雄的思考からではない。彼は右手に色濃く残る死の感触に衝き動かされたのだ。


 ――命を懸けねば、ここでは生きていけないのだ。


 錯覚かもしれない。平常な精神ではなかっただろう。

 それでも、彼は決断したのだ。


「碕沢君、わかってるの? 賭けるのは私たちの命よ」


「ああ、ゴブリンに消されるには、俺たちの命は高すぎるよ」


「……あなたたち戦いに酔ってるんじゃないでしょうね」


 きつい眼差しで、冴南が男二人を睨みつけた。


「神原さんはやめるか? 僕は神原さんが抜けても別にいいけど――リーダーはどう思う?」


 平然と玖珂が言う。


「ダメ。神原さんがいないと、戦力が激減する。後、俺の戦う気持ちも激減する」


「戦力はわかるけど、なんで碕沢君の気持ちが激減するわけ?」


「そりゃ、美人を守って戦うのは、男なら燃える状況だろ」


 冗談めかして碕沢は言ったが、半分以上本気だった。

 碕沢は自分が敵に怖気づいて戦えなくなることなどないと信じているが、それでも保険が欲しかった。

 守られなければならない対象がいれば、しかもそれが美人であるなら、見栄や意地、男の沽券というやつで戦えるだろう。

 こんなつまらない意地が、おそらく勇気とかいうものを振り絞らせてくれるのだ。


「碕沢君のために危険な目にあうのは嫌なんだけど」


「マジレス、ありがとう」


「どういたしまして」


「けっこう、余裕あるね、神原さん」もっとも余裕のある玖珂が言う。「期待してやったらいいんじゃない? 頼りにならない騎士だけど、立候補するくらいだから本気でしょ」


「騎士って感じじゃないけど」


 冴南が碕沢を見る。


「確かに」苦笑まじり、玖珂が同意した。


「おまえら勝手なことを――役柄を作ったのは、俺じゃない」


「でも、仕事内容は期待してるから」


 冴南の言葉に、碕沢は頷いた。


「善処する」


「頼りになりそうにない返事ね」


「善処する」


 碕沢の二度目の同じ返事に、冴南はわざとらしく不審そうな目をした後に、小さく笑った。

 冴南も戦うことを決意したのだ。

 碕沢には、何が彼女にその決断を下させたのかはわからない。まさか本気で碕沢が守ってくれるから大丈夫だ、などと思ったわけではないだろう――ないと思う。


 冴南が決断したことで、三人はゴブリンの部隊と戦うための具体的な作戦を練ることにした。

 基本的に、冴南のことを男二人が防御するという形だ。

 冴南も弓を振りまわすことで、近距離戦ができないことはないが、あくまでもそれは最終手段だ。

 冴南には弓での遠距離攻撃による撃滅が期待されている――できれば、ゴブリンの指揮官を仕留めてもらいたい。


 碕沢と玖珂の二人で接近するゴブリンを倒すことになるのだが、隙があれば、玖珂にはゴブリンの指揮官に突撃することが許されていた。

 とにかく指揮官さえ討てば、集団行動も散漫になるだろうという読みである。

 ゴブリンを倒すことで三人が強くなれるのが事実だったとしても、長い時間戦場にとどまることは、敵の援軍を呼びこむことになる。

 一騎当千となれるほどに強くなるのならいいが、それはありえないだろう。であるなら、敵の援軍は脅威である。

 できるだけ短時間で戦いを終息させるべきだという考えで三人は一致していた。

 強くなるために倒すことも重要だ。だが、まずは勝利すること、そして生きのびることこそが重要だった。


 作戦目的は、目標であるやや大型のゴブリンを倒すことだ。

 三人は目的を共有し、次に五つある内のどの部隊を狙うかを話しあった。

 大きく分けて選択肢は二つある。

 周囲を捜索しながら進んでいる部隊と、未だ碕沢たちの存在を知らず、移動している部隊だ。


「狙うなら隙のある部隊だろ」


 ごく当たり前の意見を碕沢は口にした。


「だとしたら、戻ることになる。たぶんだけど、捜索をしている部隊とそうじゃない部隊の位置から考えて、僕たちが最初に進んでいた方向から命令が下りてきている」


「敵の本隊がどこにあるかわかったわけだ。じゃあ、どの部隊を狙うかも決定だな」


「振り出しに戻るわけね」


「言い方が悪い。この場合は、最適行動をするためにあえて退くことを恐れない、とでも言うべきだろ」


 碕沢は気取って言葉を返した。


「本当に言い方を変えただけね」


 冴南にばさりと斬り捨てられる。


「――気持ちの問題だよ」


 碕沢の言葉を最後に、三人は行動を開始した。








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