二章 青城隊(11)
「碕沢君って危険な状況でもけっこうのほほんとしているのは何で? 本当に危険じゃないと思っているの?」
「いや、やばいなって思ってるけど」
「なら、なんであんなに普通なわけ?」
「大変そうにしてもしょうがないだろ」
「普通はしたくてもそんなふうにできないから」
「普通じゃない神原が言っても説得力は皆無だな」
「それはどういう意味かしら」
「いや、たいした意味はない」
――ある日の碕沢秋長と神原冴南の会話。
――さて、どうしたものかな。
碕沢は本音では困っていた。
皆の前で平然とし、必要以上に強さを見せつけたのは、そのほうがよさそうだなという自らの勘に従ったに過ぎない。
つまり、多少の演技があった。
理性による判断では、状況はとても悪いと考えている。
正直、青城隊が無事なのは、ゴブリンが周囲をかこむにとどめているからに過ぎない。各所で戦闘が起こっているが、それは最前にいるゴブリンが本能に負けて命令を無視しているからではないか、と碕沢は睨んでいた。
ゴブリンの思考力を碕沢はとても低く評価している。だから完璧な統率はできないと考えていた。
攻撃せずに、なぜ包囲するにとどめているのかは不明だが、ゴブリンの上位種がそれを命令しているのは間違いないだろう。
その上位種はゴブリン・ヴァイカウントよりも当然上だ。
何しろ目の前で玖珂と戦っているだから間違えようがない。
――ゴブリン・アール。
ゴブリン・ヴァイカウントよりも細身でスピードが圧倒的にある。
やはりというか当然というべきか、ゴブリン・ヴァイカウントよりも間違いなく強い。
玖珂がおされていた。
ただし、玖珂はまだ全力を出していないようにも見える。まるで、碕沢に戦うことを求めているかのようですらあった。
碕沢はそれを無視して思考を進める。
どうも後衛部隊の面々の気力は尽きているようだ。今さら第二回戦を開いても彼らはあまり戦力にならないだろう。負傷者ばかりが増えるに違いない。
前衛部隊も先程の力押しでかなり心身の体力を消耗していた。それにふさわしいダメージをゴブリン側に与えたが、未だ数ではゴブリンのほうが多く、後衛部隊を守りながら退却することは難しい。包囲されていないならともかく、現状から包囲を喰い破って脱出するには全員が最大の働きを示さねば犠牲が必ず出るだろう。いや、全員が力を発揮しても犠牲が出る可能性が高い。
それでも犠牲が出ることを承知で一点突破を図るという作戦の選択がないわけではない。
ただし、その場合ゴブリン・アールと戦っている玖珂をここに残すことになる。それは認められない。青城隊の最大戦力をこんな戦いで失うなど馬鹿げた話だ。それでなくとも、仲間を見捨てることはできない。
他の可能性を追う必要があった。
碕沢は、ゴブリンの上位種たちの戦い方に共通点を見いだしていた。
いずれも他のゴブリンに加勢をさせていないことだ。
一対一を好んでいるのだろうか。
自身の力を見せつけるという意味でもあるのか。
あるいは、強い者と戦うことに価値を見いだしているのかもしれない。
碕沢が冴南に宣言したように、最初にゴブリン・ヴァイカウントと戦った時の再現が可能なのではないか。
ゴブリン・アールを倒せば、自軍の敗勢を知ったゴブリン・バロンが撤退する可能性が充分にあるのではないか。
やってみる価値はある。
となると、玖珂の望むように碕沢は戦いに参戦するしかない。
懸念は一つだ。
ゴブリン・アールは、ゴブリン・ヴァイカウントのように二対一の戦いになっても、手下を使うことをしないのだろうか、ということだ。
考えて答えが出る問題ではない。まあ、やってみるしかなかった。
ゴブリン・アールはすでに両手に武器を持っている。短剣二つをかまえた双剣使いだ。
ゴブリン・アールの動きを見るに、まだ余裕がありそうだった。すでに武器を装備しており、油断を期待することもできないだろう。
玖珂にゴブリン・アールを裸にしてもらい、その力を見極めるべきか。
それとも力を出させずにいっきに完封するべきか。
後者だろう。
だが、失敗すれば、いっきに盤面をひっくり返されることになる。攻撃を耐えられた時に繰りだされる逆襲におそらく碕沢はついていけないからだ。
かといって、前者を選べば、本当の力勝負になる。勝てるとはかぎらない。勝てる見込みは低いのではないか。
持久戦になるかもしれない。
頭の悪いゴブリンの行動が読めない。
さらに援軍が来ないともかぎらなかった。
力を見極めるか、先制攻撃で決めるか。
どちらにもリスクはある。
当然だ。実力以上の結果を求めるのならば、それにふさわしいリスクは常につきまとう。表裏の関係なのだ。
しかも極めて分の悪い。コイントスをすれば、いかさまをしているのではないかと思うほどに裏面の出やすい賭け。
「ま、裏を一度も出さずに押しきればいいってことでしょ」
碕沢は誰に言うわけでもなく軽く呟いた。
ふっと息を吐く。
次の瞬間、碕沢は体勢を低くして、地面すれすれを飛ぶように駆けだした。
両掌の中には、具現化した綺紐がすでに準備されている。
玖珂がゴブリン・アールの動きを止めた。
碕沢はもう一速ギアをあげ、加速する。
ゴブリン・アールが気づく前に一本の綺紐を飛ばした。
ゴブリン・アールは当たる寸前に反応して、その場から消える。綺紐は空気を貫いた。
だが、その時には碕沢はもう一つの綺紐を放っていた。
ゴブリン・アールの動きを事前に予測し――誘導するように最初の綺紐は飛ばす位置を精密に決めていた――その地点で綺紐を硬化させる。
ゴブリン・アールの足元に突然細い棒が生まれた。ゴブリン・アールにすれば自らの針路に棒があるなどまったく予想していなかっただろう。
ゴブリン・アールが足をとられた。
スピードがあるからこそ、その衝撃が大きなものとなった。
ゴブリン・アールが大きく体勢を崩し、足をとめた。転ぶところを無理やり足を踏ん張り耐えたために、両足が地面にべったりとつくように大きくひろげられ、並行に足が揃う形になっていた。
次の動作にすぐに移れない格好である。言うなれば、アウトボクサーがファイターの足さばきとなってしまっているのだ。
玖珂が跳躍し、躍りかかる。
剣閃がぶつかった。
ゴブリン・アールがさらに体勢を崩す。
玖珂の剣が斬撃の嵐を叩きこんだ。
対抗して目にとまらぬ動きで双剣が閃くが、ゴブリン・アールの身体からは血が飛び散っていた。
玖珂の剣がゴブリン・アールの防御を突破している。
ゴブリン・アールは何とかその場から離れ、距離を置こうとするが、スピードがまったく出せず、玖珂を振りきれない。
碕沢も追いつき、綺紐を飛ばした。
一瞬にも満たない時間、碕沢はゴブリン・アールと視線がぶつかった。ゴブリン・アールの瞳には憎悪の炎が煮立っていた。
ゴブリン・アールは綺紐に対して最小限の反応しか示さなかった。足をわずかに動かして綺紐の直撃を避ける。足は削られ、負傷したが、皮と肉を少々傷つけたのみであるようだった。
突然、ゴブリン・アールが倒れた。
玖珂の剣に吹っ飛ばされるような形であった。だが、玖珂の剣の質は斬り捨てることにある。物理的に衝撃を与えることに重きを置いていない。
ゴブリン・アールの動きはいかにも不自然だった。
ゴブリン・アールの倒れ先には回収されようとしていた綺紐があった。ゴブリン・アールの腕が伸びる。その手からいつの間にか短剣が消えていた。
綺紐の伸縮は弾丸とまではいかないが、充分に速い。つかまえることなどできはずがない。
碕沢に悪寒が走る。
碕沢はもう一方の綺紐を瞬時に飛ばした。
綺紐から感触が伝わってくる。
一方は弾かれ、もう一方は確かにつかまれていた。
重みに碕沢の腕が引っぱられる。碕沢はつかまれた綺紐を消しさった。
ゴブリン・アールは綺紐が消えたことにすぐに反応して、自らの両足で地面を蹴る。不十分な態勢だったが、その速度は目を見張るものがあった。
碕沢は後方へと逃げた。
一本となった綺紐をもう一度操るが、ゴブリン・アールには通用しない。
もう一本の綺紐を具現化しようとするが、物質化する前に、ゴブリン・アールが碕沢へと接近してきた。
一メートルを切っている。
短剣の間合いだ。
互いに宙を浮いた状態だった。
攻撃に必殺の力は籠められない。
だが、空中姿勢に乱れがないのは、ゴブリン・アールだ。先制はゴブリン・アールによってなされた。
短剣が碕沢の首を狙って弧を描き襲いかかる。
碕沢は無理やり首を引いた。目前を短剣が走り、碕沢のバランスはさらに崩れる。
目の前のゴブリン・アールの体勢は攻撃したにもかかわらず、ほとんど変わっていない。そのまま一撃目とほとんど同時に、いつの間にか再び手にしていたもう一方の短剣で碕沢の首を狙ってきた。
碕沢は腕で首をカバーしようとした。
高い金属音が接触点から発せられる。
綺紐の具現化が間に合ったのだ。
首を斬られることからは何とか逃れた。
だが、碕沢の身体は斬撃によって地面に叩きつけられた。
反転しながら、碕沢は右腕を地面につき、腕力だけで力任せに横へと跳ぶ。
剣が空を斬る音が聞こえた。
斬撃を躱したはいいが、着地した碕沢の体勢は膝をついたものだった。
対してゴブリン・アールはすぐにでも追撃可能な態勢である。空中でも姿勢がほとんど崩れなかったのだ、まして地面に足をついたなら体勢を悪くするはずがない。
だがゴブリン・アールからの追撃はなかった。
両者は距離をとって、対峙した。
第三者――玖珂の存在がゴブリン・アールの追撃を諦めさせ、碕沢を負傷することから救ったのだ。
玖珂が碕沢の横へと並んだ。
「戦ってみての感想は?」
「強い」
一言で碕沢は答える。
「まあ、その意見は正しいけど、それだけか?」
「バランス感覚がハンパない。それと、スピードは予想していたけど、あの力は何だ? 体格に見あってないぞ」
ゴブリン・アールはゴブリン・ヴァイカウントの膂力を凌駕していた。両者の背丈は変わらない。筋肉の量ならば、間違いなくゴブリン・ヴァイカウントのほうが多く、また体重も上のはずだ。
だが、空中で打ちあった感覚は、ゴブリン・ヴァイカウントを超えていた。地面にしっかりと足がついた状態ならいったいどうなっていたのか。
「それは霊力の関係だろう。僕らと同じだ」
「なるほど、明快な答えだ。で、玖珂の感想は?」
「碕沢たちを教えている冒険者はゴブリン・キングとも互角に戦えると言っていたな」
「らしいな」
「あれはゴブリン・アールだろう。なら、キングは三段階上に座することになる。一段階登ることに進化する力を思えば、本当にあの冒険者がゴブリン・キングに一対一で戦えるのか疑問だよ」
「それくらいバル・バーンは強いってことじゃないか」
「信頼が厚いな」玖珂が碕沢の顔を見る。「それは楽しみがさらに増えたと考えるべきだろうね」
「俺から言えるのは、目の前の戦いに集中しろってことだな」
「本番は真面目に戦うさ」
「今まではふざけていたと?」
「僕ばかりが苦労しなければならない理由はないだろう。友人なら碕沢にも背負ってもらわないと」
「俺は楽して生きたいタイプなんだ」
「だからこそだよ」
ゴブリン・アールの殺気が増した。
碕沢と玖珂は会話を止める。
お喋りの時間はここまでだった。




