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二章 青城隊(9)




 神原冴南は俯瞰する能力を発揮することで、おそらくこの場でもっともよく戦況を認識していた。

 青城隊は包囲され、特に前後から強烈な攻撃にさらされている。

 冴南の前方遠くにゴブリン・ヴァイカウントが二体現れ圧迫されそうになったが、短時間で一体を玖珂が見事に倒してみせた。もう一体も玖珂に倒してもらいたいところだったが、後方に異変が生じた。

 強い気配を感じる。

 ゴブリン・ヴァイカウント以上の上位種が現れたのかもしれない。後方の味方の動きが、ばらばらになった。まずい状況だ。


 冴南と玖珂の視線が一瞬重なり、冴南は頷いた。

 玖珂がすぐに移動を開始する。上位種と戦えるのは、玖珂しかない。冴南の隣にいるスラーグも戦えるはずだが、彼は今のところまったく戦闘に参加しておらず、おそらく、自らが逃げだす時しか力を発揮しないのではないか。彼に付き従う他の兵士も同様だろう。

 戦力としてあてにしてはならないということだ。

 玖珂を欠いた状態で、冴南のいる前衛はよく耐えた。

 だが、ゴブリン・ヴァイカウントが前線に出て来れば、このバランスもすぐに崩れることになるだろう。

 ゴブリン・ヴァイカウントと戦えるのは、おそらく冴南だけだ。だが、一対一の戦いになると、遠距離攻撃が主である冴南は不利である。

 かといって、亜貴あたりとコンビを組んで戦うというのも難しい。そもそも冴南のみならず亜貴までがゴブリン・ヴァイカウントの相手をすることになったら、戦力の均衡が崩れ前線が破綻してしまうからだ。

 美芙海はどうだ?

 彼女は唯一情勢に影響を受けずに戦い続けていた。


「ふざけるな!」


「おんなじ顔ばっかりで厭きるんだよ!」


「うざすぎ。筋肉が気持ち悪いんですけど」


「こんなに負け続けて、恥ずかしくないわけ?」


「ぎゃーぎゃーうるさい。一回くらい、キャーってかわいく言ってみなさいよ!」


「あんたたち意外性がなさすぎ」


 等々、罵倒は途切れることなく、また鞭は蛇が小動物を丸呑みするようにゴブリンを引き裂いていった。

 美芙海がゴブリンを倒した数はトップレベルだろう。だが、ゴブリン・ヴァイカウントの相手をするのは無理だ。純粋に戦闘力が足りない。

 どう考えても駒が足りなかった。

 そして、その駒になりえる人物に心当たりがあるからこそ、冴南は考えても仕方のないことを考えてしまう。


 ――碕沢秋長は何をしているのか、と。


 じりじりとした攻防が続いている。

 冴南の視界には常にゴブリン・ヴァイカウントがいた。

 射線上に何物もいない時、冴南はゴブリン・ヴァイカウントを攻撃する誘惑にたびたび駆られた。だが、実行はしていない。

 一撃必殺でなければ、ゴブリン・ヴァイカウントを怒らせるだけで、無駄に脅威を呼びこむことになりかねないからだ。


 冴南は冷静に矢を飛ばしていたが、彼女の意識に後衛の状況が注ぎ込まれ、じょじょに焦りを大きくした。

 後衛は混乱している。繋がりが失われ、ばらばらになっていた。

 こういった劣勢にこそ、三人一組となって戦うべきなのに、訓練で得たはずの連携という見えない糸は、完全に切断されていた。

 今思えば、勝てるという慢心が青城隊にはびこった時に、おそらく見えない糸はひどく細くなっていたのだろう。

 混乱状態に陥れば、糸が切れるのは必然であったのだ。


 戦い始めてどれくらいの時間が経過したのだろうか。

 一時間? 二時間? 正直分からない。

 前線で戦う九人のメンバーの動きが精彩を欠きだしていた。疲労によるものだろう。

 いつも以上に疲労の度合いが濃いように思えた。それは冴南自身もその身で感じているところだった。

 一人だけ異常なテンションで戦っていた美芙海も鞭はしなりつづけていたが、言葉数が当初よりも大きく減じていた。さすがに変わり種の彼女も初めての本格的な戦闘経験は荷が重いようだった。


「実戦はあまくない」


 何度も言われたことだった。

 そんなことは分かっている――全員の心に少なからず反発があったはずだ。だが、分かっているつもりでしかなかったことを現状が証明していた。

 青城隊はしょせん急性にあつらえた素人集団でしかないことを、自らの行動で暴露した。

 個々の能力はゴブリンよりも上で、集団行動の連携も上であるのに、自らの増長と混乱という精神作用によって、ストロングポイントを放棄してしまった。

 未だ戦い続けている者、何とか防御している者、戦えない者、さまざまである。集団の意思決定者である指揮官もいない。

 助けあいの精神など誰も持てずにいた。

 おのおのが不満を溜めている。


 ――自分ばかりが戦っている。


 ――あいつらがもっと戦わないからだ。


 不満を抱えない者は恐怖に精神の座を譲っていた。

 状況は好転しようがない。

 一定の冷静さを維持している者には、敗北が見えているはずだ。

 そして冷静さを保っている人間によって、戦いの均衡も保たれていた。彼らに諦観の雲がかかれば、戦況はいっきに転落の道を転がり落ちることになるだろう。


 冴南は矢を射続ける。

 前線のメンバーのフォローを続けた。

 起死回生の作戦などない。

 とにかくゴブリンを減らすことだけを考えていた。

 攻撃がルーチン・ワーク化し、思考が停止状態になろうとしていたところで、冴南の意識に何かが引っかかった。

 一部のゴブリンの動きに変化が見られたのだ。それは微細なもので、しかも後方にいるゴブリンたちに生じたものだったので、おそらく冴南しか気づいていない。

 冴南は意識の一部をそちらへと投じた。


 ゴブリンが次々と倒れ、そこから新たな人影が走ってくる。

 表情は飄々として悲壮感など一ミリグラムもない。

 背後から奇襲をかけ、ゴブリンを混乱させ、しかも容赦なく攻撃している。ゴブリンたちは意思のない人形のように標的の役割しか果たしていなかった。

 人影の後ろからさらに三人が走ってきていた。

 いずれの表情も先頭を走る人間とは対照的に必死だ。ゴブリンの死体でつくられた道を懸命に走っていた。

 置いて行かれないようにしているのだろう。

 人影はまるで後ろを気づかっていないようなので、三人はここで足を止めれば終わりだ、と思っているのかもしれない。

 だが、それ違う。先頭を走る人影は背後をかなり意識している。

 冴南の目は、先頭を走る人影がスピードだけでなく、ゴブリンを倒すことにもかなり比重を置いていることが分かった。

 後ろに続く三人にゴブリンが迫らないようにしているのだ。


「まったく――」


 意図せずに呟きと笑みが冴南の口からこぼれた。

 前衛の青城隊が人影に気づいた。

 すると、人影の動きが変わった。

 それまでは、ゴブリンの額や首を貫通させるという無駄のない動きで戦っていたのが、ゴブリンの首を切断し、あるいは吹っ飛ばし、胴体を斬り捨てるなど派手なものに変じた。

 ゴブリンの首が飛び、胴体が地面に崩れ落ち、あるいは、血が雨のように周囲を濡らした。

 ゴブリンたちもわめきはじめ、そして初めてひるみを見せた。

 いきなり戦場に出現した圧倒的な力は、殿として戦い続けている者たちに、可能性を見せてくれた。

 人影は青城隊の前衛に接触すると、紐を飛ばして枝に巻きつけ、最後に大きく跳躍し冴南の元までいっきに移動した。


「思ったよりも悪くない状況みたいで安心した」


 その男は、通常の声音でそんなことをさらりと言ってのけた。

 冴南を始めとして、周囲にいた青城隊のメンバーの誰もが思わず「え?」という疑問を口にしていた。

 形容しがたい奇妙な空気が周囲を漂う。


「うん? どうかした?」


 さすがに空気の変調に気づいたのか、男が冴南に視線を投じてきた。その間にも男は自らの固有武器によってゴブリンを倒している。


「碕沢君、いろいろなことを言いたいんだけど、とにかく今はここから逃げるために全力を尽くして」


 冴南の傍に碕沢秋長が戻ってきた。

 彼が偵察任務に出て、行方不明になっていたことなど、皆忘れていたことだろう。


「なに、冗談を言っているんだ、神原」


「どういう意味?」


 まさか、逃げることなど無理だ、などと言うつもりじゃないだろう。

 そんなことを言えば、この場にいる者たちの緊張は切れる。特に、碕沢によってせっかく空気が一変したのに、その碕沢自身が敗北を認める発言をすれば、影響は計り知れない。


「どういう意味って、勝てる戦いで、何で尻尾を巻いて逃げる必要があるんだ?」


 当たり前のように、碕沢が『勝利』を口にした。彼はいたって普通で、そこに気負いやはったりはまったくない。


「あなた今の状況が……」


 冴南は矢を放ちながら会話を続けた。

 冴南と碕沢は片手間でゴブリンを倒しながら会話をしている。


「こっちに被害は? 戦えないやつはどれくらいいる?」


「後衛に重傷者がいるみたい。それ以外は肉体的には大丈夫だけど、実際には戦えない人も出てきてる」


「後衛?」


「玖珂君と北條君が向こうに行ってる」


「包囲されているのに死者はゼロ。それに包囲だって完璧じゃない。実際に俺がここにいる。さらに言えば、ここにいる前衛部隊は皆ゴブリンを圧倒している。負ける要素はないな」


 碕沢の言葉で空気が変わっていく。まるで追い風が吹き始めたようだった。


「でも、後衛は」


「玖珂に任せておけばいい。あいつが何とかするだろ。俺たちはこっちをどうにかしよう。目の前のゴブリンを倒すのはここの精鋭にとっては、そんなにたいしたことじゃないだろ」


 碕沢の言葉に幾人かがこちらに視線をやって頷いた。

 先程までひろがっていた暗雲がいつの間にやら晴れていた。

 何とかなるのではないか、という楽観の光が皆の頭上に注がれているようだった。

 それをなした男が、冴南に囁いてきた。


「ゴブリン・バロンが何体いるか分かるか?」


「たぶん、十二、三体。この周辺には十体近くいる」


「半分落とす。ゴブリン・ヴァイカウントが動きだしたら、俺がやる」


 短い言葉で碕沢がやるべきことを告げた。


「あの時と同じようにするのね」


 主要なゴブリンを討ち、指揮官を失ったゴブリンたちを、残ったゴブリン・バロンの指揮下に入れる。そして、ゴブリン・バロンに撤退の判断をさせ、ゴブリン全体を退かせるのだ。


「ああ、全部を倒すのは面倒だから撤退してもらう」


「簡単に言うわね」


「簡単になるかどうかは、神原しだいだな。普通のゴブリンはみんなに任せろ。神原はゴブリン・バロンを狙え。いくら隠れていようとおまえの腕ならできるだろ」


「分かった」


「ついでに俺も何体か倒すから、どこら辺にいるのか指示をいただきたい」


 碕沢が飄々と言う。

 冴南は碕沢にゴブリン・バロンのいる場所を三つピンポイントで教え、自らもゴブリン・バロンを狙うために弓に専念した。

 弓を下ろして冴南は自然体で立っている。研ぎ澄まされた精神がすべての動きを透視する。

 冴南の視線の先で、ゴブリンの壁に隠れるゴブリン・バロンの姿があらわになっていた。

 戦場で停止しているものはない。

 すべてが間断なく動いている。

 実際に剣を交わしていないゴブリンも立ちつくことなく動いていた。当然、ゴブリンの壁も動いている。

 一秒にも満たない時間――光の線を冴南は幻視した。冴南とゴブリン・バロンを繋ぐ射線が生まれている。

 冴南はすでに弓をかまえていた。ゆったりとした所作のように見え、それはどこまで迅速に行われていた。

 弓弦が謳い、矢が旋律を奏でる。

 空気を巻きこむようにして一直線に矢は飛んでいった。

 矢は無慈悲に的を貫き、背後にいたゴブリンまでも貫通する。

 おそらくゴブリン・バロンは何が起こったのかすら分からないままに、命を散らした。当然その後ろにいたゴブリンも何も認識できなかっただろう。

 冴南は次の敵へと意識を投じた。

 冴南の弓の力がいかんなく発揮されようとしている。


 冴南のフォローが消えて前衛は数割増しの圧力をゴブリンから受けることになった。だが、戦う意欲が戻った彼らはむしろ押し返す勢いでゴブリンを攻撃した。

 先程の熱狂による攻撃ではない。

 戦気を満たした鋭い攻撃である。

 前衛は完全に立ち直った。

 ゴブリンが全軍をあげて包囲攻撃をなしていたらどうなっていたか分からない。

 だが、ゴブリンの攻撃は戦力を逐次投入するというもので、そのために青城隊に体勢を整える時間を与えることになったのだった。








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