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二章 青城隊(8)




 北條は槍を右手に持ったまま、構えるでもなく無造作に立っていた。その姿は自信に溢れている。


「そこから離れてもらおうか。彼らは僕の大切な仲間なんだ」


 ゴブリン・アールの足元には四人の青城南高生が倒れている。

 ゴブリン・アールは口もとを大きくつりあげた。それから、桂木の身体を足蹴あしげにした。


「ゴブリンに馬鹿にされるほど、僕らは落ちぶれてはいないんだ」


 ゴブリン・アールが口を開こうとする。

 わずかに北條の身体が沈み、彼は地面を蹴った。いっきにゴブリン・アールとの距離をつめる。

 北條の槍がゴブリン・アールの咽喉へと襲いかかった。

 ゴブリン・アールの右手にある剣が槍を弾く。

 連続して北條は槍で突く。

 だが、槍は空を貫くのみだ。

 ゴブリン・アールが後ろへと跳躍したのだ。


 この攻防の間に、人間と魔人は、倒れた四人の青城南高生からすでに離れている。

 北條はさらにスピードをあげて、ゴブリン・アールへと突進していった。

 突きや斬撃の嵐を北條が繰りだした。

 ゴブリン・アールは北條の攻撃をいずれもぎりぎりで躱すか、剣で受けとめてみせた。

 二人の距離が離れ、北條は攻撃を止めた。


「驚いたな。僕の攻撃についてこられるなんて」驚いたというわりに、北條の顔は平静そのものだ。「僕に本気を出させるゴブリンがいるとは思わなかった」


 ゴブリン・アールは答えない。

 表情には感情の動きが現れているのかもしれないが、種族の違いのためか微細な感情の揺れが、北條には認識できなかった。


「つまり、僕はもっと速く動くことができるということだ。僕の動きに君はついてこれるかな?」


 ゴブリン・アールに変化はない。

 コミュニケーションが取れることはすでに分かっているので、北條の言葉が理解できないということはないはずだ。

 単純に、北條がゴブリン・アールの驚きを察することができていないだけか、もしくは、ゴブリンの愚鈍さが発揮されて、反応が遅れているのかのどちらかだろう。


「状況を理解できないまま、あの世へ旅立てばいい。ゴブリンと違って、僕にはやることがいっぱいあるんだ。ゴブリンと戦うには、僕の時間は貴重すぎる」


 北條はゴブリンへの侮蔑を隠しもしない。

 そして、北條はゴブリン・アールへと渾身の突きを繰りだした。

 これまでと比べものにならないほどのスピード、威力。彼の銀槍は持ち主の求める勝利を味わうべく、ゴブリン・アールの首を貫かんとうなりをあげた。

 ゴブリン・アールは剣で弾くことも避けることもできず、ただ立ちつくしたまま、銀槍で貫かれるのみ――北條は勝利を確信した。

 確かな手ごたえが、彼の腕へと伝わって――こない。

 あるべきはずのゴブリン・アールという的が消え、銀槍は何もない空間を貫き、北條の身体も前方へとそのまま流れた。

 勢いのまま数歩前へと足を投げだして、北條は動きを止める。

 彼の顔にあるのは、驚愕。

 認めがたい現実がつきつけられていた。

 今の北條に思考はない。

 反射行動として、彼は振り返った。

 彼の視界に、ゴブリン・アールはいなかった。何が起こったのか分かっていない青城南高生がいるだけである。

 北條の思考は未だ始まらない。驚愕の後には空白があるのみ。彼は現実を受け入れられなかった。

 自分の最高の一撃が、上位種とはいえゴブリンによって躱されたのだということを認められなかった。


「人間の話す内容は、いまいち理解できないことがある。キチョウとは何のことだ? ついてこられないとは、何のことを言っているんだ?」


 驚くほどに近くから、ゴブリン・アールの声が聞こえてきた。ゴブリン・アールは北條のすぐ傍に立っていた。

 慌てて北條は距離を取ろうとしたが、足が払われ、瞬間本人の意図せぬままに身体が宙に浮いた。

 地面に腕をつき、逆立ちの状態から一瞬にして体勢を戻そうとしたが、それも許されない。腹部へと強烈な衝撃が襲いかかった。

 痛みを感じると共に、それがゴブリン・アールの蹴りによるものだと理解する。理解しても、防ぎようはなかった。

 受け身が取れたのかも分からないままに転がり、立ちあがろうとしたところに、ゴブリン・アールの足がまた飛んできた。

 踏みつけるように上から降ろされた足を、さらに転がって避ける。

 刀剣の煌めきを視界をかすめる中、北條は銀槍を上へと掲げた。斬撃の衝撃が銀槍を通し右腕から身体全体へとひろがっていった。

 寝転がった状態のまま防げる攻撃ではない。

 北條の腕から銀槍が離れ、彼の頬をかすめるようにして弾け飛んだ。ゴブリン・アールが二撃目をかまえている。

 北條に防ぐ術はない。

 戦いにならない。

 差がありすぎた。

 負ける?

 こんなところで、北條晃は死ぬのか?

 嫌だ。

 北條の顔が大きく歪んだ。

 ゴブリン・アールが剣を振りおろそうとする姿が見えるが、何もできなかった。

 彼の手には武器はない。

 戦う術が、抗う術が北條にはない。


 ――こんなところで……。


 怖気づく心と怒りが交じりあった経験したのことのない感覚が、北條の心をめちゃくちゃに塗りたくっていた。

 北條が見つめる先で、ゴブリン・アールの姿が消えた。

 ゴブリン・アールを見失った北條は、視線をあちこちへと飛ばす。ゴブリン・アールは、北條から五メートル以上離れた位置に立っていた。

 一瞬にして、あそこまで移動したらしい。

 北條の目では終えなかった。北條以上のスピードをゴブリン・アールは実現していた。

 かなうはずがない。


「速いな」


 突如背後から声が聞こえた。それがひどく落ち着いたものに北條には思えた。この声の主に助けられたのだ。

 それが誰であるのかを彼は理解した。

 そして、それは屈辱的なことであった。


「玖珂か?」


 北條は振り返って、見あげた。

 玖珂はちらりと視線をさげたが、北條の問いに特に反応しない。


「あいつはいったいどこで遊んでいるんだろう」


 玖珂は誰かを待ち望んでいるようだ。

 玖珂の使った「あいつ」という代名詞が指している人物の顔が北條の脳裏に浮かびあがる。

 玖珂は北條ではなく、碕沢を相棒と考えているのだ。

 敗北と屈辱により、北條の心はどす黒く染まった。





 仲間がやられるところを見たことで、ヒステリーとパニックが青城隊の精神を蝕んだ。

 内に生じた混乱は、外部へ行動となって流出する。

 各自が感情に任せ、逃げ走り、攻撃した。

 一つにまとまっていた後衛部隊がばらばらになった。各々がかってに逃げようと動き始める。

 ほとんどはゴブリンの壁に阻まれ、また、ゴブリンが多くいることを認識して、逃げることを諦めたのだが、三人の女性生徒のみがゴブリンの壁を抜けて、逃げだしていた。


 おそらく二百メートル以上、彼女たちは駆けつづけた。

 逃げられるのではないか、という淡い期待が三人の心に浮上する。

 生まれた期待は、だが、簡単に押し潰された。

 三人の前に、ゴブリンの部隊が立ちはだかったのだ。ゴブリン・バロンもいる。三人の力ではとても突破は不可能だった。

 戻ることもおそらくもうできない。

 逃げられるという期待を持ってしまったが故に、それが消失してしまえば、心には何もなくなってしまった。

 空っぽだ。

 とても戦気の灯火を再び点火することはできそうにない。

 三人は剣と槍をおのおのかまえはしているが、へっぴり腰になっており、しかも、表情には怯えが露骨に表れている。

 これでは対峙する者に余裕を与えるだけであった。

 実際、ゴブリンたちは威嚇するように、さらに馬鹿にするように騒ぎたてた。


「もう、いや! こんなのイヤだ!」


 一人が暴走し、一体のゴブリンに突撃し、命を奪った。

 これにゴブリンが怒りを爆発させる。おちょくり侮っていた者に反撃され、しかも仲間がやられたのだ。ゴブリンがぎゃーぎゃーとわめき、我先にと三人へとなだれこんでいった。

 三人の技量で裁ききれる数ではない。

 一分と経たずに、三人は押し潰されることになるだろう。


 三人の女子生徒の泣き叫ぶ声が響く中、両腕を組んだゴブリン・バロンがうれしげな表情で立っている。

 周囲にはゴブリンが守るように立っていた。全員が人間を襲わんとする同族たちを楽しげに見ている。

 雲で太陽が隠れたようにゴブリン・バロンに影がかかった。

 ゴブリン・バロンは特に気にせずに「かはっ!」と空気を押しだすようにして笑い声をあげた。

 その笑顔がゴブリン・バロンの最後の表情となった。

 ゴブリン・バロンの首が宙を浮き、地面に転がる。遅れて、立ったままのゴブリン・バロンの首から噴水のように血流が噴きだした。

 さらに二体のゴブリンが絶命した。すべて一撃で命を絶たれている。

 三人に襲いかかろうとしていたゴブリンたちが異変に気づき、次々に動きを止めていった。

 その間にもゴブリンの命が消えていく。

 突然の乱入者だった。

 ゴブリンが警戒の叫びをあげるが、侵入者の動きは嵐のように速く強力で、ゴブリンたちはまったく対応ができない。しかも、最初に指揮官を失っていたので、統一された行動はまったくとれないでいた。

 瞬く間に十体近くのゴブリンが地面と接吻した。


 女子三人組は訳の分からない内に、ゴブリンの囲みから解放された。


「実戦ってやつが、難しいのは知っているけど、もう少し落ち着いて対応するべきじゃないか? 偉い人たちがそう言っていただろ?」


 三人の近くに、男が立っている。

 口調には余裕があり、しかも、あれだけのゴブリンを一人で倒したのに、いっさい息が乱れていなかった。


「あなた、誰?」


「碕沢。同じ青城南の生徒だから信頼していただきたいところだな」


「ああ、玖珂君と神原さんの邪魔をしている人ね」


「いったい、何の話でしょうか、それは」


 碕沢はちらりと的外れなことを言ってきた女に視線を投じた。

 泣きわめいていたはずなのだが、その割に落ち着いている。ただし、涙の跡はまだ残っていた。


「わけわからないの! 何なの、これ!」


「もうイヤ! 早くここから離れたい!」


「早く、碕沢君こいつらを全部倒してよ! 逃げましょ」


 いきなり逆切れと自分勝手な意見を押しつけられて、碕沢は少々困惑した。

 対比するように、玖珂と冴南を思い出す。二人は本当に冷静だった。だが、あの二人は少々普通ではないので、この子たちの行動はそう外れたものではないのだ、と納得する。


「こいつらを倒すのはいいけど、三人は自分の身は自分で守ってもらうよ」


 碕沢が三人を見ると、誰の顔にも不満があった。


「さっさと倒して移動しないと、たぶん他のゴブリンの部隊がすぐにくる。その中にゴブリン・ヴァイカウントでもいたら、本気で三人を気にしながら戦うことなんてできない」


「だから?」


「三人を守りながら戦ったら時間がかかる。三人を気にせずに戦ったら、それだけ早くゴブリンを潰滅できる。単純な計算」


「なんか、碕沢君ってちょっと嫌味」


「それはオッケーの返事だと理解した。じゃ、よろしく」


 碕沢は三人から離れて、ゴブリンに突撃する。

 背中に文句の声が貼りついてきたが、碕沢の性能の良い耳は、取捨選択の結果、その声をまったく拾わなかった。

 余裕を見せているが碕沢だが、見た目ほどに余裕があるわけではない。

 三人という小単位で青城隊のメンバーがいることは、碕沢の予想外の事態だった。

 これは青城隊がばらばらになったということを意味する。

 つまり、本隊はすでに敗北している可能性すらあった。深入りしすぎたのかもしれない。あるいは、本格的な反抗にあったのか。

 玖珂とスラーグがいるので、一方的に敗れる事態はないと思うが……。


 碕沢は途中で遭遇した女性体のゴブリン・デュークを思い出した。

 あれが相手になっているとしたら、玖珂でも無理だろう。最悪は全滅もありえる。あんなものがそこらにいるとは思いたくないところだが……。

 碕沢は本隊へと戻るつもりでいた。そのためには一刻も早く目の前の状況に始末をつける必要がある。


 胸騒ぎを抑えつけながら、碕沢は目の前のゴブリンを倒すことに集中した。

 三十体近いゴブリンが武器をかまえている。だが、まとまりは感じない。

 一度として止まることなく、碕沢はステップを刻んだ。あわせて綺紐きじゅうが踊っている。

 彼の舞踏を止められるモノはいない。








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