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二章 青城隊(6)




 撤退を開始するまでにあげた青城隊の戦果は、ゴブリン・ヴァイカウントを二体、ゴブリン・バロンを五体、ゴブリンを一五〇体以上という大変大きなものだった。

 戦いが始まって、一時間半ほどしか経過していないことを考えれば、その攻撃力はとても素人のものではなかった。

 負傷する者はいたが、重傷者や死者はまったく出ていない。冴南や玖珂がうまくフォローしていた点も大きいが、勢いというものが大きく作用し、少々まずいことがあろうと強引に流し込んだ結果だ。


 青城隊は、今、一所ひとところに集合していたが、陣形はない。冴南、玖珂、北條隊、亜貴隊の四者が前線で殿しんがりとなり、後衛部隊の後退にあわせ、退いていくというのが大まかな形である。

 青城隊は勢いのまま突進してしまったために、かなり森の奥まで進攻してしまっていた。

 最初に戦闘が生じた場所に戻るのにも時間がかかるありさまだった。そこからイスマーン砦までさらに行軍しなければならない。

 肉体能力が向上しているとはいえ、行軍経験のない素人には荷の重い道程だった。

 幸いなことは、ゴブリンが積極的に攻撃を仕掛けてこないことである。まるで、背後に守るものがあるかのように、その場を堅持することに固執しているようだった。少なくとも上位種たちは……。


 ゴブリンは攻撃することしか能のない魔人である――というのが、一般的な認識だ。

 スラーグなどは頭をひねっているが、それはこういったゴブリンらしからぬ行動について考えているからだった。





 撤退戦である。

 だが、ゴブリンの圧力は小さく脅威はなかった。

 殿しんがりの位置にある北條晃ほうじょうあきらは苦も無くその役目を担っている。襲ってくるゴブリンの数は一定で多数に囲まれるようや状態は発生しておらず、殿を務める人間の実力をもってすれば、危機になりようがなかった。

 今回の戦果は、北條個人の見地に立てば、申し分ない。ゴブリン・バロン、ゴブリン・ヴァイカウントを倒した。これは、北條と玖珂の二人だけである。

 また、この二体を倒したことによって霊力マナも多く手に入れることができた。

 実績、名声、力を獲得したのだ。狙い通りであった。

 だが、青城隊という組織の見地に立てばどうだろうか。

 無様である。

 確かに戦果は大きいだろう。だが、この撤退の有り様はどうだろう。また、戦いの経過はどうだっただろうか。

 愚者の狂乱でしかなかった。

 おそらく戦いの専門家であるスラーグの目には、侮蔑の光が灯りつづけていたに違いない。


 北條は、神原冴南かみはらさえなには正直失望していた。

 後ろで犠牲者をださずに戦うのみ、という簡単な指揮すら達成できなかったのだ。これからは指揮官として期待することはないだろう。

 だが、弓兵としては優秀である。その点は評価しなければならない。


 青城隊の無様を他人事のように扱うことは、北條にはできなかった。

 理由がある。

 これと同じ評価が北條に下るかもしれないからだ。

 青城隊の評価と北條の評価が繋がることは、おそらく避けられない。北條は青城南高生の代表者なのだ。

 あの総督には、北條が指揮していたわけじゃない、などという理性的な言葉は届かないだろう。


 ――一兵士としては有能。

 ――他の面においてはおおいに疑問が残る。


 冗談ではなかった。

 あの総督に低能として自身が扱われるなど我慢がならない。

 これだけでも、大きな問題ではあるが、さらに問題がのしかかってくるかもしれなかった。

 総督府から指揮官を送られて、青城隊が完全に総督の支配下に陥る可能性まで浮上してきた。

 北條が考えている独立性が失われてしまうかもしれないのだ。


 冴南から指揮官の地位を奪い、すぐにでも指揮権を掌中に収め、鮮やかな撤退の手腕をスラーグに見せつける必要がある。

 北條は自身の有能を示すのと、彼のために存在する青城隊を総督に渡さないために、青城隊の指揮を冴南から剥奪しようと考えていた。

 未来のみに目を向けた北條には、ここが戦場であるという絶対の現実が抜け落ちていた。





 青城隊の撤退は遅々として進まない。

 周囲にいるゴブリンは増えているようだったが、襲いかかってくるゴブリンの数は減っていた。

 剣を交わす機会の減った後衛部隊は、その身に危険を感じないためか、歩を進めるスピードがまったくあがっていかない。

 弓でゴブリンを射ていた冴南に北條が近づいてきた。


「神原さん、今の状態じゃ、無駄に時間をかけるだけだ。僕が皆を先導する。僕のチームは殿しんがりに残すから、戦力は充分に確保されている。殿に問題はでないと思う」


「北條君が指揮を執るということね」


「ああ、たぶん、僕の声のほうが皆に届くと思う。本来、こんなことはあるべきじゃないけど、今は緊急時だから」


「分かった。私はここで戦うから、北條君が皆を先導して。それがうまくいけば、こっちの負担も軽くなる」


 冴南はあっさりと承諾した。彼女は指揮官失格の烙印を享受したのだ。個人ではなく、全体のことを彼女は考えつづけていた。


「ありがとう。それじゃ、ここは任せるよ」


 すっと北條が離れていき、後衛部隊に合流した。

 彼が檄を飛ばすことで、後衛部隊の移動速度が確かに増した。

 青城隊の後退が滑らかに進み、殿に残った冴南たちも戦う数が減り始めた。相変わらず目の前にいるゴブリン以外は攻撃をしてきていない。


「スラーグさん、北條君の傍にいかなくていいんですか?」


「どっちにいても一緒だろうから、まだ気心の知れた人間の傍にいたほうが楽かなぁ」


「一緒ですか?」


「ああ、たぶん、ゴブリンの動きを見てると、何かあるよね。後ろにいようが、前にいようが戦闘に巻き込まれることは避けようがないね」


「このまま攻撃してこない可能性もあります」


「ほんのわずかな可能性だと思うな。私としてもそっちのほうがいいんだけどね。酒を飲んで本調子からはほど遠いから」


 さして声をはったわけでもないのに、スラーグの声は意外なほどに大きく響いた。

 周囲にいた者たちは間違いなく聞こえたことだろう。


「お酒を飲んだのは、ご自分の責任でしょう」


「神原さんの指揮統率を信じていたんだ」


「それはすみませんでした!」


 八つ当たりのように、冴南は矢を放った。狙いたがわず、矢はゴブリンの筋肉質な身体を射抜いた。

 他の面々も着実にゴブリンを倒している。玖珂の働きは、彼の能力からすれば物足りないが、ここで無意味に暴れても意味がないということだろう。

 いっさい戦っていないスラーグがのんきに口を開いた。


「でも、もしも僕がゴブリンの指揮官だったとしたら、今頃、別動隊を率いて――」


 その時、後方から悲鳴があがった。それは恐怖に満ちた悲鳴であった。

 森の空気が一瞬にして変わる。

 青城隊の後退は停止した。





 急に視界がひらけ、ひろびろとした場所に出たばかりのことだった。


 ――割れるような女の悲鳴があがった。


 目の前で何が起こったのかを彼は理解できなかった。

 北條が戦っていたでかいゴブリンと似たようなゴブリンがいつの間にか、彼の視線の先にいた。

 北條が戦っていたゴブリンよりも身体の線は細く見える。

 顔つきはゴブリンらしくなく理性的だった。柳のように長い鼻が短くなり、皺もほとんど見られない。

 新種だろうか?


 問題はゴブリンの外見ではなかった。

 ゴブリンが投げた物が地面をすべり彼の前で停止する。それは、彼の同級生だった。不自然な角度に足が曲がっていて、手で足を押さえながら大げさと言っていいほどにしゃくり声をあげて泣いている。

 さらに悲鳴があがり、どさっと投げすてられた音がした。

 やはり彼の同級生だった。今度は足がありえない角度に曲がっていた。


綿重わたしげ君。しっかりしなさい」


 背後から彼を叱咤する声がした。

 綿重が戦いの間、もっとも優先して守っていた須田玲美すだれいみが発したものだ。特徴的なあまい響きのある声は間違えようがない。

 だが、綿重は返事をすることができなかった。

 彼の視線は、新種のゴブリンに向けられたままだった。ゴブリンの腕には、もう一人女子が捕らえられていた。

 ゴブリンの緑色の手は、女子の首を締めつけている。女子は苦しそうに空中で足をじたばたとさせていた。ゴブリンのもう一方の手が伸び、女子生徒の足を掴み、握りつぶした。

 感情を引き裂くような悲鳴があがる。

 その時綿重の視線とゴブリンのそれが重なった。

 ゴブリンがにやりと笑う。

 女子の首を掴んでいたゴブリンの腕の筋肉に一瞬筋が走った。そして、ゴブリンが女を無造作に放り投げる。コントロールよく最初の二人と似たような場所に、最後の女子生徒も転がった。

 綿重はすぐに倒れた三人の――特に最後の一人の安否を確かめるために駆けよろうとした。


「綿重君、何をしているの。ここは私たちのいる場所じゃないみたいだから、後ろに退くのよ」


「え?」


 信じられない言葉を聞いて、綿重は振り返った。


「どうしたの? 綿重君は私を守ってくれるんでしょう? なら、危険なところに私がいるのはまずいでしょ? 私を守るあなたもこんなところにいては駄目よ」


「あ、ええ」


「先生が言ってるんだ。俺らは早くここから離れるぞ」


 別の男子生徒が言った。

 他にも綿重と同じように戸惑う仲間がいたが、須田玲美がもう一度声をかけると、皆行動を開始した。

 綿重も行動する。

 それは倒れた三人の同級生とは逆方向への移動である。

 最後尾――今となっては先頭とも言える――で、もっとも戦力を有した集団が持ち場をあっさりと放棄した瞬間だった。








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