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二章 青城隊(5)




 碕沢はゴブリンの気配を避けながら森を走る。

 時に、綺紐きじゅうを枝へと巻きつけ、振り子の要領で宙を移動しながら駆けぬけていった。

 綺紐を飛ばし、碕沢が跳躍している途中で、不意にすらりとした人影が現れた。

 一秒後には激突するコースである。

 碕沢は慌てて、もう一方の綺紐を飛ばし、無理やり方向転換する。だが、強引過ぎたために、彼は勢いに振りまわされ、地面へと墜落した。

 転がることで勢いを殺した碕沢は、すぐに立ちあがって、視線を人影へと投じた。

 後ろ姿である。

 群青の空を思わせる青い髪が背中に流れている。ほっそりとした長い手足。腰が折れそうなほどに細かった。身長は碕沢よりもじゃっかん高そうだが、華奢な体格は女性のものである。

 女が振り返った。

 作り物めいた美しい顔の中で、宝石のような輝きを放つ紫色の瞳が妖しく光っていた。濡れた果実のように艶のある唇がうっすらと開かれている。

 全身から匂いたつような色気が放散されていた。

 女が碕沢へ向かって一歩踏みだす。豊かな胸が揺れた。

 布で胸と腰のあたりが隠されている。だが、大きな膨らみを隠すには布の面積は心もとなかった。下半身を隠す布もミニスカートのように短く長い足がほとんどさらされている。


「あなたはこんなところで何をしているの?」


 滑らかな言葉が女の口から発せられた。口が動くのにあわせて、長い犬歯がのぞきみえた。


「森で迷子になったんです」


 碕沢は答える。

 目の前の女の色気は素晴らしいものがあったが、彼には気がかりなことがあった。

 女の肌はうっすらと緑がかっていた。そして碕沢はもっと濃い緑色をした肌の人たちとついさっき命の削りあいをしたばかりだった。


「なぜ、あなたは後ろへとさがっているのかしら? それでは近づけないわ」


「人間にはパーソナル・スペースというものがあって、俺はことの外それが大きいほうなんです」


「パーソナ……? よく分からない」


「こっちの質問にも答えてもらえますか? あなたはこんなところで何をしているんですか?」


「いい男がいないか探しているの」


「それは、何と言うか意表をついた答えで……」


 人間を殺すためと言われたほうが、碕沢としては納得がいっただろう。


「私はあなたに近づきたいと思っている。あなたはそれを拒むというの?」


 女が小さく首をかしげた。紫の瞳には純粋な光が瞬いている。碕沢の行動が不思議でならないようだ。


「知っていますか? 美人局つつもたせというのがあって、それは綺麗な人が男を騙して酷い目にあわせるんです。この状況、察してくれませんか。俺の心情を」


「分かったわ」


「あ、分かりました?」


 またもや意外である。碕沢は伝わるとは思わなかった。ただの時間稼ぎのつもりだったのだ。


「ええ、あなたは私を綺麗だと言っているのね」


 女が口をほころばせた。女の口で牙が閃き、薔薇の笑顔が咲いている。


「いや、ぜんぜん通じてねーし」


「でも、あなた、よく分からない」


「そりゃ、こっちのセリフだが」


「だからちょっと試してみることにするわ」


「人の話をまったく聞いていないな――」


 どんと空気の割れるような音が碕沢の耳に届いた。最初にゴブリン・ヴァイカウントの攻撃を受けた時のような怖気が彼の背筋を走った。

 碕沢は反射的に身をひねりながら、両腕でガードを作り、さらに両腕に綺紐を短く重ねることによって防御力を高める。

 防御はぎりぎり間に合った。

 まるでダンプカーがぶつかったような重い衝撃が両腕を揺らした。

 碕沢の身体は衝撃を受け止めることができずに、空中に吹っ飛んだ。

 上空へと飛ばされた碕沢の視線は空を捉える。すぐに彼は身体を回転させて、地面へと着地した。

 碕沢が今までいた場所には、女が立っているだけだった。何らかまえをとるわけでもなく、無防備な姿だ。


「思ったよりも弱い……残念ね」


 女が自らの細い右腕を見ながら、ぽつりと言った。

 その言葉の響きは、手に入れたオモチャが、自分が欲しがっていた物ではないと気づいた時の子供の失望の声音とまったく同じものだった。

 気に入らないオモチャは捨てられる。時には壊される。


「強くないといけないのか?」


 碕沢はすぐに言葉をかけた。結論を先延ばしにさせるべきだ。


「そう。強いことだけが重要なのよ」


「強さの基準は?」


「私よりも強いこと」


 女は碕沢の質問に答えてきた。

 碕沢は言葉を続けながら、隙をうかがう。


「今まであんたを超す強さを持つやつはいなかったのか?」


「いないこともないけど、あいつらは関係ない」


「そうか。じゃあ、そいつらをのぞいて、俺よりも強いやつはいたか」


「いる」


「あ、いるの?」


「ええ、いるわ」


 しょせん、その場しのぎの脚本シナリオではうまくいかない。


「だからあなたは違う。いらないわ」


「そんなふうに言われて、やられっぱなしで終わる日本男児ではないんだ、俺はね」


 おそらく目の前にいる女は、これまでとは桁違いの強さを持っている。Cランク冒険者バル・バーンに迫るものがあるのではないか。

 碕沢は腰をおろし、かまえをとって集中する。彼は戦う覚悟を決めた。





 前川朝美に率いられるようにして行われた青城隊の突撃力は凄まじいものがあった。

 まるで騎馬隊が歩兵を蹂躙するように、ゴブリンたちを押し潰していった。

 自らの成功に確信を持った青城隊後衛のメンバーはますます図に乗り、勢いをかって森の奥へと進軍していく。

 多くのゴブリンの命が散り、血の風雨で地面が濡らされた。

 自らの強さに溺れた青城隊の高揚は沸点を超え、狂乱へと変貌していく。彼らは血に酔っていた。

 狂乱は肉体への限界解除を引き起こし、青城隊の攻撃の威力を高める。必要以上の攻撃――オーバーキルが各処で行われた。

 結果、後衛部隊は、ゴブリンだけでなく、ゴブリン・バロンを二体倒した。

 引きずられるように亜貴の部隊も撤退行動を止め、攻勢を強めていた。彼女たちもゴブリン・バロンを一体倒すという戦果をあげた。

 北條隊はゴブリン・ヴァイカウントと決戦を行っている。

 玖珂はもう一体のゴブリン・ヴァイカウントを抑えに行った。ゴブリン・ヴァイカウントと戦いながら、他のゴブリンの相手もするという離れ業をやっている。

 今や冴南の指示に従う者は誰もいない。

 青城隊に指揮官はおらず、彼らは本能の導くままに目の前の敵と戦っていた。





 どんなに凄まじい攻勢であろうとも、必ず限界点というのは存在する。

 人間のエネルギーとは無尽蔵なものではないのである。

 青城隊の攻勢は短時間で限界を迎えた。おそらく十五分と持たなかっただろう。

 自らの肉体の制御を放棄して、思うままに力をいっきに放出した。体力の配分などいっさい考えていないのだ。当然の結果だった。

 多くの者たちの足がとまり、攻撃からも鋭さが失われた。武器を持っているのさえ億劫であるかのよう者たちまでいる。

 どこからともなく、「もう充分だ」との声があがった。


「俺たちの勝ちだろ」


「キリがない」


「無駄だ」


「もう帰っていいんじゃない」


 戦場だとはとても思えないさまざまな主張や意見や感想が飛びかう。

 普通の高校生が口にする普通の言葉かもしれない。

 だが、それはこの場において無責任な響きを帯びる。致命的なのは、そのことに彼ら自身が気づいていないことだ。


「撤退します。皆、訓練どおりに隊列を組んで退きます」


 それでも冴南は自身の役目をまっとうしてようとしていた。

「後退」ではなく「撤退」という強い響きの単語を彼女はあえて用いた。これは状況を改めて皆に認識してもらおうとの思いが込められたものだった。

 しかし、冴南の気持ちは届かない。

 彼女の言葉を聞いた者の間では、白けた空気が流れていた。


 ――何を本気になってそんな難しい言葉使ってんの?


 音声化されていなくても、皆の思いが聞こえてきそうだった。

 冴南はそれ以上言葉を発しなかった。

 彼女は弓をかまえ、矢をつがえた。そして、矢を放つ。高々と矢は歌声をあげ、並んでいたゴブリン三体を貫き落命させた。

 青城隊の他の面々とはあきらかに異なる破壊力だ。

 周囲を圧するのに充分すぎる威力であった。


「退きます。訓練どおりにしてください」


 大きくも小さくもない冴南の声は、だれていた青城隊のメンバーに冷や水を浴びせた。

 気まずそうに皆が動きだす。


「結局、力に物を言わせてるだけじゃん」


 吐き捨てるように言った女の声が刺すように響いたが、冴南は相手にしなかった。

 青城隊は一応のまとまりを見せ始める。退却するという目的だけが何とか一致している。

 だが彼らは規律ある集団へと戻ったわけではない。目の前の敵と戦うだけのゴブリンたちと、中身はたいして変わらない。

 何か一つでも予測不能な事態が生じれば、まとまりは簡単に瓦解するだろう。

 戦場とは危険が溢れている。いや、危険のみが存在している特殊な場所なのだ。

 危機は目の前まで迫っていた。

 そうとは知らぬ青城隊のメンバーは、やはりだらけた様子で後退していた。








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