二章 青城隊(4)
――正直なところ、ゴブリンなどまったく相手ではなかった。
それが北條晃の正直な心境だ。
ゴブリン・バロンも苦戦する相手ではない。これでは、霊力稼ぎはできないし、討伐数の成果もたいしてあげられない。
得るものがない戦いになる。
霊力と戦果の一挙両得を狙い、一部隊の隊長として参加した意味がなくなってしまう。このままでは犠牲者を出さずに一定の結果を残した指揮官として、冴南の名声が内外でもっともあがることになるだろう。
それは、北條にとっておもしろい未来ではなかった。
かといって、今のところ他の選択肢自体が見当たらない。せめてゴブリン討伐数とゴブリン・バロンを討った数だけは一番でなければならなかった。
現在、北條と伍しているのは、やはりというか玖珂だった。
彼ら二人のみがゴブリン・バロンを倒していた。ゴブリンの数も同程度だろう。
北條は手当たり次第にゴブリンを倒した。槍を振りまわし、あるいは突きを放ちながら、戦場に銀光を閃かせる。
つまらない作業と化していた戦いに変化が生じたのは、北條がある存在に気がついたところからだった。
森の奥に一際体格の良いゴブリンがいた。ゴブリンやゴブリン・バロンなどとは間違いなく格が違う。
大物だ。
「あれがゴブリン・ヴァイカウントか――」
口中で発せられた北條の言葉は、呟きにすらならなかった。彼の瞳には喜びが満ちていた。
獲物を見つけた獣――いや、財宝を手に入れた商人のような輝きがそこにある。
躊躇うことなく北條は、森の奥へと駆けだした。
八秒遅れて、北條隊のメンバーもリーダーの後を追った。
玖珂は北條が発見したのとは別のゴブリン・ヴァイカウントを発見していた。
森の奥にひそみ、どうやらゴブリンの指揮を執っているようだ。
その姿に玖珂は疑問を覚えた。
彼は突撃をかけることなく、冴南に合図を送った。
ひろく戦場を認識していた冴南は、玖珂のハンド・サインにすぐに気がついた。
玖珂が何かが奥にいることを知らせている。
――ゴブリン・ヴァイカウントか。
冴南の位置から実際に見えたわけではないが、玖珂の様子から彼女は察した。
さらに別のところでも動きが生じている。
北條が突然森の奥へと突入していったのだ。
「抜け駆けか――彼は冒険者みたいなことをするんだねえ」
冴南の隣にいるスラーグも彼女と同様に戦場を網羅しているようだ。
抜け駆けという表現が正しいのなら、北條は手柄をあげるために突撃したということになる。この場合、手柄とはバロン以上の上位種を倒すということを意味した。
北條の向かった先にもゴブリン・ヴァイカウントが現れたということだろうか。
すると戦場にゴブリン・ヴァイカウントが二体いるということになる。
しかも――『少なくとも』という枕詞がつく。
上位種がいるということは、当然ゴブリンの数も増えているということだ。いったい周辺にどれほどのゴブリンがいるのだろうか。
「どうも変だねぇ」
「何がです?」隣へ顔を向けた瞬間、冴南の鼻に独特の匂いが漂ってきた。「スラーグさん、お酒を飲んでいるんですか!」
「神原さん、僕はいいけど、他じゃ名前で呼ばないほうがいいだろうね」
妙に余裕のあるスラーグの態度に、一瞬で冴南の怒りが沸点を超しそうになった。だが、彼女はむりやり感情を抑えつける。
「――大隊長は、どこに異変を感じたのですか?」
「ゴブリン・ヴァイカウントの動きだよ。上位種というのはたいてい強さに自信を持っているものだし、より強くなるために進化したいという欲望を持っているから、先陣を切って戦いを挑んでくるものなんだ。まあ、全部が全部そうだとは言わないけど、似合わない行動をしているのが一体じゃなく二体だからねぇ」
「個の欲を抑えているということですね」
「そう。正確には抑えさせられている」
「つまり上からの命令に従っている」
「ということになるかなぁ」
冴南は戦場に視線を投じ、情報を収集する。
今のところゴブリンに目だった動きはない。
青城隊も大丈夫だ。亜貴の隊がうまく立ち回っていた。
玖珂も、ゴブリン・ヴァイカウントと戦いながらも、その位置がバランスがいいので、まったく問題なかった。
唯一の懸念は、北條が突出していることだ。
今なら、まだ間に合う。
撤退か?
相手が攻めてきていないだけで、脅威となる存在はそう遠くない場所にいるかもしれない。
撤退するべきだろう。
隣からごくりと喉を鳴らす音がし、アルコールの匂いが漂ってきた。
「充分な戦果をあげました。後退します。各自、訓練どおりに行動してください」
冴南が撤退を宣言した。
それは伝言ゲームのように後衛部隊全域に行きわたり、また、前衛にいる亜貴の部隊と玖珂にも伝わっていた。玖珂が北條隊のメンバーに、何とか伝えようとしている。といっても、最低限であり、親切というにはほど遠い対応と努力でしかなかったが。
冴南の命令は北條部隊をのぞいた全員に届いたが、反応は鈍かった。
楽勝なんだから、もっと倒したほうがいいんじゃないか――という共通の思いを全員が抱いていた。
戦いの高揚もあるだろう。
だからこそ後退の一歩を誰もがなかなか踏みだせない。
ただし、冴南の指示に背こうなどとは誰もしていなかった。もうちょっとだけ、というよくある心情が働いていたに過ぎない。
しょせん、青城隊は高校生で構成されたアマチュアでしかなかった。精神的な規律はまだまだ苗木でしかない。
だが、このまま十秒、二十秒と経てば皆指示に従って後退を始めたことだろう。この二十秒という時間は無駄であるが、冴南の指示は間違いなく実行されたはずだ。このまま進めば……。
「あの人の言うことって、間違ってるんじゃない。学校の成績は良いかもしれないけど、こういう実戦じゃあんがい駄目なのかもね」
独り言というにはあまりに大きな声で、その批判は主張された。そして、この言葉は意外なほどに後衛部隊の面々の心に響いた。
ペーパーテストの成績だけが良く、実践では役に立たないという例は確かにあるだろう。だが、後衛部隊の人間が信じたのは、そんな理由からではなかった。
普段ならば成績が良い人間がいてもせいぜい凄いなと思うか、特に関心をもたないかのどちらかだろう。同じ学生という土俵に立っている以上、少なからずある劣等感や妬心などは、ほとんど無視できる量でしかない。少なくとも成績優秀者に対して実際の行動をとるほどに感情を動かされることなどないだろう。
だが、彼らの置かれた状況は日常ではなかった。そして、彼らの精神状況も平常ではありえなかった。
「倒せる時にもっと倒して強くならないと、ほら、北條君だって向こうで大きなゴブリンと戦ってるじゃない。それとも北條君を見捨てて私たちだけで逃げるわけ? そんなの許されるの? 私たちは北條君のおかげで住む場所も手に入れたのに」
得意げな女の声が響く。考えた上での主張ではなかったかもしれない。だが、彼女の言葉の中には狡猾なことに「北條を救うのだ」という正義の旗まで立てられていた。戦うための理由として、正義ほど好都合で心地よいものはない。
そして、それは誰もが胸に抱えている小さな劣等感や妬心への導火となった。一度点火された火は消されることなく、燃えあがる。
「戦ったほうがいいんじゃねーの」
「俺たち強いだろ?」
「まだ、いけるんじゃね」
「そうだ。今は退くべきときじゃない。戦うんだ。北條だってあんな奥まで行って戦っているんだ。俺たちが逃げてどうする!」
「そうだ! やるんだ」
「うん、戦おう」
「ゴブリンなんか全滅できるだろ」
「もっと前に出て戦いましょ!」
「さあ、みんな行くのよ! 私についてきて!」
口火を切った女が、大きく前に出た。冴南を中心にゆるやかな弧を描いていた青城隊の隊列に乱れが生じる。
女の言葉に同意し、皆が動きだしていた。隊列はすぐに消え、三人一組というチームの形も瞬く間に失われた。
戦闘への高揚、正義を行う快感、上に立つ者を虚仮にする嗜虐――青城隊にあった秩序は、ふいにわきあがったこれらの感情によって呑みこまれた。
訓練で得られたものは、もろくも崩れ去った。
そこにあるのは、素人の狂乱だった。
先頭を走る女が輝く槍でゴブリンを突き捨てる。栗色の髪を大きく揺らし、その下にある顔には勝ち誇った笑みが浮かんでいた。
前川朝美――この瞬間、間違いなく彼女が青城隊の中心に立っていた。




