一章 都市ドーラス(12)
冒険者――それは強き者のことだ。
ダンは、二十三歳の若者で、Eランク冒険者である。
都市ドーラスで生まれて、この都市で何とか冒険者を続けてきた。本格的に冒険者として活動するようになって五年。最底辺がFランクであるので、正直遅すぎる昇進である。
冒険者として認められるのは、Dランクというのが一般的だ。
都市ドーラスであるからこそ、Eランクでも食べていけているが、大陸では冒険者一本で暮らすことは絶望的だろう。
冒険者としては劣等生であるダンも、今ではDランク目前の位置までつけている。
ちなみにEランクといっても、一つのランクで上・中・下とさらに区分されており、同じEランクでも『上』にいる冒険者と『下』にいる冒険者ではまったく力が違った。
そして、ダンはEランク『上』である。後一歩で、Dランクに届くところまで到達しているのだ。
ある日、狩猟に成功し、ダンが仲間と機嫌よく帰路についていた時、三人の人間に会った。見慣れない服装に見慣れない顔立ちをしていて、ダンより五、六歳は若く見えた。
いずれも細身で、いかにも頼りなげに見える三人だった――内一人は見たこともないほどの美人だ。
ダンは強き冒険者として、か弱い一般人をドーラスまで護衛してやった。子供の頃、ダンが冒険者に守ってもらったのと同じことをしただけだ。
それだけのはずだった。
この三人が信じられないほどに強く、期待のルーキーとしてドーラスに知れ渡り、冒険者として生きるダンの前に立ちはだかることになるとは、想像もしていなかった。
見慣れぬ風体をした数十人の少年少女の話は、数日のうちに都市ドーラスでひろがっていった。
異国情緒に溢れている服装と顔立ちは、謎めいた雰囲気をドーラスの民に与えずにはおかなかったのだ。
「あれは外の世界から訪れてきた者たちである」という噂が、おもしろおかしく人々の口上にのぼった。
だが、すぐにその内容は変じることになる。特に冒険者たちの間で……。
『大物ルーキー』『常識はずれのルーキー』という声がすぐにあがるようになったのだ。
クガ・カミハラ・サキサワ・ホウジョウ・ウエナガという名は、ドーラスでいっきに知れ渡るようになる。
特にクガの名は、ルーキーという括りの中にすでになかった。
すぐにでもバル・バーンを超えるのではないか。いや、バル・バーンを超えられるはずがない、などといった議論が酒場でなされるほどだった。
新人がCランク冒険者と同じ立場で語られ、それに疑問を抱かれないなど普通ではなかった。それほどに、玖珂という男は冒険者たちにも認められる存在となっていたのである。
玖珂の力がなぜこれほど明らかになっているのかと言えば、一つには玖珂が、彼に絡んできた冒険者――全員がEランク――を圧倒的な力でねじ伏せるという現実を、冒険者たちの前で見せつけたからだ。
もう一つ、玖珂の名を知らしめるのに一役買ったのは、ダンの冒険者仲間だった。
碕沢たちを拾った日に、ダンと共に行動していた冒険者である。
彼らは翌日玖珂と会い、ダンが碕沢たちと一緒に行動したように、玖珂の案内をすることになったのだ。碕沢たちと違ったのは、より大きな荷車を三台借りたということだろうか。
半日だけで、玖珂は荷車三台分の魔獣を簡単に狩ってみせたらしい。それはEランク冒険者の限界をはるかに超える量だった。
それからたびたび彼らは玖珂の狩猟につきあった。この島で強いとされる魔獣を玖珂は楽々と倒したそうだ。
彼らは玖珂のおかげで短期間で大金を稼いだ。同時に、玖珂によって冒険者としての矜持を完璧に撃ち砕かれた。
結局彼らは冒険者を止めてしまった。
ダンには仲間を止める言葉がなかった。彼自身も自信を喪失していたからだ。どこかで納得していたのだ。冒険者というのは、こういう圧倒的な才能を持つ人間のみがなることが許されるのだ、と。
「ダン、どうかしたか?」
昼過ぎ、冒険者組合の前で何をするわけでもなく立っていたダンに、碕沢が声をかけてきた。
「何かようか?」
覇気なくダンは答える。
「うん? ああ、二、三日ドーラスを離れるから、心置きなく冒険者の仕事に戻ってくれ。素人につきあわせて悪かったな」
嫌みでもなんでもなく、本気で碕沢は自分のことを素人だと考えているのだろう。口調は自然で、悪意など微塵もない。
だが、だからこそ、彼の言葉がダンの心を刻む。
「そうか……」
「なんだ? 本気でどうかしたのか?」
「別にどうもしねーよ」
「そうか? もうすぐダンもDランクにあがるんだろう? 俺たちが邪魔したけど、協力できることがあったら、協力するから」
会話が途切れた。
二人の傍を冒険者たちが歩いていく。視線を投じてくる者たちは、二人を見た後に、全員碕沢へと視線を集中させた。
ダンの傍にいるのが、噂のルーキーだと分かり、興味を持っているのだ。
「……なあ、おまえらいったい何なんだ?」
「何と言われてもなあ」
「――強すぎるんだよ」
「玖珂のことか」碕沢が小さく息を吐いた。「あいつと比べるのはよくないぞ。あれは天才。比べるんじゃなくて、見て楽しむものだ」
「――強すぎだ」
「ダメだよ、ダンさん。天才と比べて自分を小さく見ちゃダメだ……。天才は空を飛びやがるから反則だけど、まあ、俺たち凡人はしっかり地面を踏みしめながら進もうぜ。やつらと違って、周囲の風景がよく見える分だけ得だろ?」
「……気持ちわりいな。ダンさんって何だ」
「年下の気遣いってやつ――しっかし、やっぱり冒険者の目で見ても、玖珂は只者じゃないわけね」
碕沢が呆れている。
そこに妬心や焦りなどはまったく見られなかった。
「あいつどこまでいくんだろうなあ」などと飄々として言っている。
碕沢は玖珂のことを天才と評し、自分のことを凡人と形容した。
だが、ダンの目から見れば碕沢も凡人ではない。
強さも並はずれたものがあるが、勝てる見込みのないバル・バーンに対して、一歩も退かずに立ち向かうことなど、普通はできないのだ。
殺されないという確約があったなど関係ない。
訓練であっても、あたりどころが悪ければ死ぬことだってある。
そもそも強者と向き合うというのは、並大抵の精神力では不可能なのだ。実際、ダンはそれを経験している。
彼はドーラスに訪れたばかりのバル・バーンに喧嘩を売ったことがあった。大陸の冒険者だからと言って威張られてなるものか、というやや子供じみた対抗心から臨んだものだった。
結果は、剣を抜くことさえできなかった。
バル・バーンの威圧に呑みこまれてしまったのだ。
戦わずして負けたのだ。
だが、どんなことをしてでも生き残るのが冒険者の仕事だ。無様に頭をさげようともその場を生き残れたのなら、冒険者にとってそれは勝利である。
ダンは冒険者として勝利したのだ。
対して碕沢は負傷し、敗北している。
冒険者としては、無傷ですんだダンのほうが優れていると言えるかもしれない。
本当にそうだろうか?
どちらが正しいのだろうか?
現在のバル・バーンとダンの関係とバル・バーンと碕沢の関係はまったく異なる。
ダンは、バル・バーンから助言の言葉をもらったことは何度もあるし、魔物との戦いで救われたことも一度ならずあった。だが、しごきといっていいほどに、厳しい訓練を受けたことなど一度としてなかった。
一方の碕沢はどうだ?
強烈な訓練を連日受けている。言葉ではなく、戦いで会話をしている。
冒険者としては、どちらが正しい?
バル・バーンから直接指導を受ける資格を碕沢はあの戦いで得て、ダンは得られなかった。
戦うべき時に戦うことは、一流冒険者に絶対に必要なことだ。
ダンにそれができるだろうか?
すでに今の時点で、上へ駆けあがる者と下で這いつくばる者の線引きが見えているのではないか。
自分も仲間のように冒険者など止めて、この都市で普通に暮らしたほうがいいのではないか。
「冒険者って三百人くらいしかいないのか」
碕沢が行きかう冒険者に視線を投げていた。
「じゃないか。よくは知らないが」
「この町で暮らしている人間って数万の規模だろ? 冒険者が狩ってくる魔獣の量だけで足りるのか? 冒険者有能すぎだろう」
「魔獣の肉は高級とは言わないが、それなりの値段がする。普通の人間が毎日食べれるようなものじゃない」
「じゃあ、肉はどうしてるんだ? メシ屋さんで普通に肉が出てたぞ」
「あれは魔獣じゃない。普通の動物だ」
「普通の動物がいるのか――」
碕沢がなぜか驚いている。
「家畜だ」
「家畜って……ここはどれだけ食糧事情が恵まれているんだ」
碕沢がさらに驚いていた。
ダンにとっては当たり前のことだが、碕沢にとっては当たり前ではないことなのかもしれない。
「食糧も足りて、生活水準もかなりいい。けっこう恵まれた環境なのに、よく冒険者になろうとしたな、ダンは」
何気ない碕沢の言葉に、ダンはすぐに言葉が生まれなかった。
だが、碕沢はダンの返答がないことなど気にせずに、言葉を重ねる。
「何かやりたいことでもあるのか?」
碕沢の問いは、鐘が鳴るようにダンの心の中で響いた。
――やりたいこと?
彼の視界がまだずっと低かった頃に、見あげた男の大きな背中が、ダンの脳裏に鮮明に映しだされた。
「ボウズ、大丈夫か」
男の顔は憶えていない。だが、男の大きな体や太い腕は憶えている。ダンの命を救ってくれたものだから……。
そう、あの時、ダンは思ったのだ。
自分も大きくなったら強くなって弱い者たちを守る、と。
誓ったのだ。
弱い人を守るために、冒険者になるのだ、と。
――何かやりたいことがあるのか?
あるに決まっていた。だから、ダンははっきりと答えた。
「そりゃ、おまえらみたいな弱いやつがいたら、俺みたいな冒険者が守ってやらないといけないだろう」
「――ダンって、バカなんだな」
「何だと!」
「いや、怒るなよ。バカも極めればってやつで――」碕沢がなぜか嬉しそうに笑った。「ダンってあんがい凄い冒険者になるかもな」
「は? 当たり前だろうが。俺はこの町一番の冒険者になるんだよ!」
「分かった。バーンさんに言っとく」
真顔で碕沢が頷く。
「いや、待て。いずれの話だ」
「明日できることは今日やれ、だ。しっかり伝えとく」
碕沢はあくまでも真顔である。
「いや、だからな」
「さすが、この町一番の冒険者」
「おまえ、からかっているな」
「うん、さっきからずっと」
またもや碕沢が真顔で言い、そして笑った。
「ふざけんな、てめえ。今日こそきっちりケリをつけてやる」
「町一番の冒険者様に、そんなふざけたことなんかしません、僕は」
冒険者組合の前で、碕沢が『町一番の冒険者』という単語を強調して大声で言い放った。
「てめえは!」
ダンは、碕沢の首を右腕でロックして締めあげた。
碕沢は抵抗することなく、あっさりと降参した。
解放すると、腹ただしいことに碕沢はまったく苦しそうな様子も見せず――すでに、碕沢の実力はダンの上をいっているのだ――に、小声で言った。
「宣言したんだから、実行しろよ。ダン」
ああ、この男は自分が迷っていたことを知っていたのだ、とダンは思った。おそらく、ダンの冒険者仲間が止めたことを耳にして心配したのだろう。
むろん「ありがとう」などとダンは言葉にしない。
「当たり前だろうが! ダン様を嘗めるなよ!」
ダンは宣言した。
それに対して、碕沢は――。
碕沢は近くを歩いていた冒険者に耳打ちしている。こちらに聞こえるようにわざと大きな声で。
「Eランクのくせに、この町一番の冒険者になるとかあの男が言ってるんですけど、どう思います。頭悪いですよね」
「きさま!」
Eランク冒険者の怒声が冒険者組合の前で轟いた。
この後、ギルド職員から二人の男が叱られる姿が大勢に目撃されたのだった。
十五日後、Dランク冒険者の列に、ダンの名が加わった。




