一章 都市ドーラス(11)
肉体能力を向上させる源である『青い靄』。
これにも正式な名がある。
――霊力という。
また、この霊力は戦いにおいても非常に活躍している。霊力は内に宿っている。その霊力を全身に巡らせることで、より飛躍的に肉体能力の向上を達成することができるのだ。
霊力を用いた戦闘術を駆使できるようになって、冒険者は初めて一人前と言えるDランクとなるのである。
青城南高生で霊力を用いた戦闘術が抜群に優れているのが、玖珂直哉である。
そして、下手くそなのが、碕沢秋長だった。
下手くそというのは、やや大ざっぱに過ぎる評価ではある。実際は、状況によって落差が激しいというのが正しいだろう。
訓練では自らの内にある三割の霊力、実戦になると六割の霊力を用いている。玖珂と冴南などは、危機的状況になれば十割以上の力を発揮すると睨んでいた。
ある意味実践的な男なのだが、実戦的である冒険者のバル・バーンなどは碕沢を叱ること数知れない。バーンからすれば、いついかなる時も力を発揮できねば死は簡単に訪れるものなのだ。冒険者にとって、死は身近な存在である。彼はそれこそ実戦の経験から学習していた。
力があると分かっているだけに、バーンからすれば、碕沢の中途半端さに悔しさがあるのだろう。
ただし、客観的に見て、碕沢は劣等生ではない。
十全の力を発揮していないとしても碕沢と同等かそれ以上の霊力を操っている者など、青城南校生の間では十人もいない。
玖珂に冴南、植永亜貴、北條、そして訓練時にいつも北條と一緒にいる四人である。
数日の訓練の間に、青城南校生の中でも力に差が生まれるようになっていた。むろん、これはあくまでも早熟というだけであり、時間が経てば、きちんと実を育てる者もいることだろう。
こちらの世界に訪れて四日目。
訓練内容に、集団行動も加わっていた。後退や撤退時に関する行動が重点的に行われている。もっとも犠牲の多く出る状況で、いかに対処するかを訓練しているのだ。
午前の訓練を終えた碕沢は、疲労困憊といった状態で座りこむ男に声をかけた。
「先生、しんどそうですね」
「やあ、碕沢君か。きついね。もともと僕は運動に向いていないと思っていたけど、改めてそれを確認できたよ」
顔をあげた男は、二十代後半で、細身の体格をしている。青城南高校の数学教師である藤田康光である。
「でも、しょうがないね。残念だけど優秀な日本警察はいないようだから、自衛のためには必要なんだろう、力が」
「まあ、そうですね」
碕沢も地面にあぐらを組んだ。右手を後ろにつっかえ棒のようにつき、空を見あげる。
「でも、みんなは僕と違って戦うためって感じだね。とても熱心だ」
「初日はこんな感じじゃなかったんですけどね」
「北條君辺りに感化されたのかな?」
「だとしたら、たいしたやつですよね。責任ってやつも大きそうですけど」
「一歩間違えれば煽動者みたいだったしね」
「状況認識と意識の共有ができたことはよかったんじゃないですか?」
「そうだね。状況を乱すだけの人よりもはるかにいいと思うよ」
藤田の声には揶揄の響きがあった。
碕沢も思いあたらないわけではない。
「須田先生は、なんか色気が増してますね」
「あれを色気と感じるかあ」
苦悩するように藤田がうなった。
須田玲美。国語教師で、藤田よりも数歳若い。
薄く染めた栗色の長髪は、手入れが行き届き美しい。化粧映えする顔立ちに、ややぽてりとした唇が魅力を増す。身長は平均ほどで胸の膨らみは平均以上だった。可愛いというよりは綺麗な女性である。ただし、声はどことなく幼く、人によってはこれにギャップの魅力を感じることもあるだろう。
「まあ、そりゃ、谷間とかが見えたら、普通目で追うでしょ。先生は違うんですか?」
「こっちに来てからの彼女は、どうも毒々しくてね」
「悪女ってやつですか」
「碕沢君、そういうことを軽く言っちゃうのはいけないだろう。彼女は教師だよ」
「毒々しいよりマシではないかと」
「まあ、僕は同僚だし」
「もっといけないのではないかと」
「そんなに責められたら、困るなあ。で、碕沢君は何の用事があって僕に話しかけてきたんだい」
「毒について」
何でもないことのように碕沢が言う。
「自分で言っておいてなんだけど、物騒な言葉だね」
「まさか親衛隊みたいなものまでは生まれないとは思いますが」
「グループは形成されつつあるね。というかね、ここにたどりつくまでに、もうすでにけっこう厄介だったんだけど。正直、早くどこかで別れたいと思っていたからね」
「止めて下さいよ」
「他の子たちをなだめるのに精一杯だったよ。何しろ、彼らのほうが戦力としては大きかったからね。どうしようもなかった」
「政治と軍事は分けるべし、ですね」
「そこまで大きな話じゃないけど、力をもった彼らに決定権が渡ると少しどころじゃなく、厄介だね。北條君はその辺考えていないのかな」
「どうでしょうね」
口にはしなかったが、玲美親衛隊が本当に邪魔になった時の対処法はいくつか碕沢も浮かんでいた。
その中の一つを北條なら実行するかもしれないとも思っている。
不穏分子の粛清だ。
これで組織に強い規律を持たせようとするかもしれない。
碕沢の性質ではこの辺りが思考の限界だった。邪魔になった時に対処するというのが、彼の考えだが、もう一歩踏みこみ対処する方法もある。
わざと泳がせ、増長させる。周囲の敵意を意図的に集中させる。
その上で処分するのだ。
すべてを自分が望むままに現実というキャンバスに描く。
いわゆる謀略の類である。
小なりと言えども謀略などという言葉は高校生には似あわない。高校生であればせいぜい意地悪などのカテゴリーにある言葉から選ばれるべきだろう。
だが、学校という枠を離れてしまえば、どうだろうか。
実際に考え行う者がいれば、どうだろうか。
実際に思考し、それを現実化しようとする者がいれば……。
後で何を言おうとどうしようもない。
現実は覆らないのだ。
十代だから、学生だからというのは、何の理由にもならない。それは作られた枠組みでしかない。
十代にして権力を掌握する。あるいは、その道のトップに君臨するなど、歴史上ではたびたび起こることである。
若いという理由だけでは、不可能であると決めることはできない、笑うことはできない、侮ることはできないのだ。
「あれ、訊いてきたわりに、淡泊だね」
「いや、もともとそんな質問するつもりなかったですから。先生が言いだしたことにのっかただけですよ」
「え? じゃあ、本当の用事は?」
「用事も何も、きつそうだから声をかけただけです」
「それだけ?」
「はい。それだけ」
「そうか――」藤田は笑う。「それで話を聞いて碕沢君はどう思ったわけ?」
「ま、人間が集まればいろいろあるな、と」
「そんなもの? もうちょっと深刻な問題だと思うよ」
「深刻だと分かっている人が、事に当たることを望みます」
「……そういうわけか。言っておくけど、社会じゃ僕もまだまだ下っ端だよ。そして、組織やら人間関係やらが苦手な現代っ子だ」
「大丈夫ですよ」
「簡単に言うね」
「上の世代はここにはいませんよ。人づきあいがうまい世代はいないんです。比べる相手がいないんだから、苦手も何もない。全員同レベルですよ」
「それはそれで、失礼な物言いだ」
「先生も北條や他の奴らと話してみればいいんじゃないですか? 最初って肝心でしょう?」
「碕沢君、君はくえないな。僕を巻きこむことが目的だったんだな」
「俺は本当に疲れたおっさんをなぐさめただけです」
碕沢の言葉に、藤田が非常に傷ついた顔をしたので、碕沢は数学教師に頭をさげたのだった。
ここは総督執務室である。
総督府でローランドがもっとも長い時間滞在する場所であった。彼の好む絢爛な調度品が並び、金銀の煌めきが眩しい部屋である。
ドーラス総督イル・ローランドの前に一人の男が立っていた。
ワルダという今年三十二歳となる男である。第一大隊の第二隊長の地位にあった。
「あの者たちのことをどう思う?」
ローランドは青城南校生のことを話題にあげた。
「正直、閣下のお役にたつとはとても思えませぬ」
「そうか。しかし、もしかしたら役に立つかもしれない。とにかく実戦にて結果を見せてもらおうと思うのだ。ゴブリンあたりの偵察にでもやろうと考えている」
「はっ」
反対することなく、ワルダが承諾する。
当然のことだ。ドーラスで権力者ローランドに逆らえる者などいないのだ。
大の男が自らに頭をさげる姿を心地よく見ながら、ローランドは本題へと入っていく。
「おまえの言うようにあれらが役に立たないとなると、ゴブリンによって手ひどい敗北を喫するかも知れぬな」
「はい」
ワルダが頷く。どこか探るような目つきであるのは、ローランドが何を言わんとしているのかを何とか理解しようと懸命なのだろう。
「監督官にはスラーグを派遣する」
「………」
沈黙による肯定の中に、どす黒い思いが潜んでいた。
ローランドは知っていた。ワルダがスラーグに対して良い印象を抱いていないことを。
スラーグはワルダよりも若い。だが、一方は大隊長の身分であり、年長のワルダは隊長の身分でしかなかった。
妬心が憎悪に結びついているのだ。分かりやすい男である。
「スラーグなど本国の落ちこぼれに過ぎぬ。ゴミを押しつけられたのだ。あれは第一執政官による私への嫌がらせである。ゴミはさっさと捨てるべきではないか? おまえはそう思わぬか?」
「もちろん、閣下と意見を同じくしております。臭いが染みつく前に処分するべきかと」
「そうか」ローランドはゆっくり頷いた。「ところで戦闘にあっては、身分に関係なく死神が襲いくるという。これは今度の戦いでも変わりはなかろう?」
「戦場とは常に危険と隣りあわせの場。何があろうとも誰にも文句は言えませぬ」
「そうか。ワルダよ。後二人連れていってよい。スラーグを死神から守ってやるがいい」
「はっ」
「見事役目を果たしたなら、私はおまえの働きに相応の褒美をもって応えよう」
「承知いたしました」
ワルダが頭をさげた。彼の顔には黒い笑みが浮かんでいた。
その彼を見つめるローランドの顔にも同様の笑みが作られている。
額面どおりの意味ではなく、裏にある本当の意思を二人は共有していた。
三日後――七日目のこと――碕沢ら青城南校生にある任務が命じられた。
それは、イスマーン砦に赴き、ゴブリンたちを威力偵察せよ、というものだった。
青城南高生が戦力として使えることを証明する戦いが始まるのだ。




