一章 都市ドーラス(10)
たわいない話である。
夜、青城南校生の間で情報交換が行われた――というか、いろいろと話をしただけのことなのだが、午後は各自が自由に行動したために結果的にさまざまな情報を持ち寄ることになったのだ。
男たちでもっとも注目と関心が集中したのは、この世界にはエルフがいるという事実だった。
白金の髪から長い耳がのぞき、顔立ちは怖いほどに整っているという。体格は折れそうなほどに華奢で身軽であるらしい。
だが、姿形に騙されてはいけないらしく、いずれもその強さは冒険者ランクでBランク以上なのだ――誰一人として、Bランクの強さを実感してはいなかったが……。
エルフはやはり森にいるようで、ついでに人との交流は行っていないということだ。
ただし、まったく人間社会にいないというわけではない。
彼らも冒険者として活躍しているという。エルフがパーティーにいるという事実は、冒険者にとって一流の証であり、一種のステータスであるらしい。
エルフと共にあるのは、冒険者にとって憧れなのである。
この日冗談交じりではあるが、冒険者に対する憧れを新たにした男たちが増幅することになった。
また、二日目の夜までに、青城南校生十七人が新たに合流した。
正確な表現をするなら、内二名は高校生ではない。男女一名ずつの教師である。
これで合計は八五名となった。
少ないとはとても言えない集団になっていた。
三日目の朝、食堂で北條が皆に演説を行った。
「今から僕たちは朝食を食べるけど、この食事も無料じゃない。僕たちはドーラス総督の好意によって、この兵舎を与えられているけど、いつまでもあまえられるものじゃない。皆も分かっているだろうけど、改めて言う。ここは日本じゃないし、地球でもない。頼るべき日本大使館なんて当然ない。自分たちで生活するための金を、自分たちの力で稼がなくちゃならないんだ」
北條の言葉を真面目に聞いている者は全体の七割ほどだ。少なくとも表情は真剣である。後の三割は「朝からうざいな」という気持ちを多少の差はあるが、表面に出していた。
「僕たちの知識や技術はもしかしたら金になるかもしれないけど、それはどんなにうまくいったとしても月単位の時間がかかる。おそらくもっとかかるだろう。何しろ、材料もなければ、売るためのコネもないんだから……僕たちはもっと直接的な実力によって稼がなければならない」
北條の右手に光が収束し、銀色に輝く大槍が出現した。北條の槍には、見惚れる美しさと存在感がある。
「戦うんだ。魔物を狩って日々の糧を得る。これは金を稼ぐだけじゃなく、見知らぬ地で自分たちを守るためにも絶対に必要なことなんだ。さっきも言ったけど、僕たちを助けてくれる国家や組織はない。自力で何とかしなければならないんだ」
北條は全員の目をのぞきこむようにして、周囲をゆっくり見渡した。
「今日も訓練をする。全員が全力で励んでほしい。昨日は手違いがあったが、今日は指導教官も来ることになっている。正規の兵士と冒険者の二人だ。共に戦いを専門とする人たちだけど、その戦い方には違いがあると思う。そこから何を学ぶかは僕たち自身にかかっている。僕からは以上だ」
沈黙の喧騒が食堂に満たされる。
誰もが喋ることをしなかったが、何かしらの意見を持っていた。形をとらない思いが、空間を揺らしている。
北條に言われるまでもなく、生活するために稼がなければならないという事実をそろそろ自覚する者たちが現れ始めていた。無料で何かを得られることなどないと考えている者たちだ。
その中には、もっとも安易であるが、もっとも稼げるかもしれない冒険者という道に、希望を抱く者たちがすでに少なからず存在している。
憧れではなく本気で戦うことを彼らは自ら選ぼうとしていたのだ。結果的に北條の演説は、彼らを後押しすることになる。
北條が食事を始めたことにより、全員が食べるために口を使いだした。
食事の内容は、パンのような物とスープ、色のついたあまくもおいしくもない飲み物だった。
質素な内容だ。
北條の言葉が嘘ではないことを全員が明確に意識した。
また、教師がいようとも、北條がこの集団のリーダーであることがこの朝に確定した。
北條は集団の未来を示した。また、外部との折衝をすべて行っていることは多くの者が知っている。指導教官として正規の兵士と冒険者が派遣されるのも、北條の手柄だと誰もが考えていた。
少なくとも現時点では北條に代わるトップは考えられない。
青城南校生は北條の下でまとまった。
「飯が食えなくなるっていうのは、分かりやすい現実認識のさせかただったな。けっこうみんな実感がわいたみたいだ」
碕沢は周囲でつらそうに座り込む仲間たちを見ていた。
午前中の訓練、その前半が終わったところである。
剣を振り、槍を突き、各自向かいあわせになって同じことを行う、という基本動作を何度もやることで身体に染みつかせる訓練が、前半になされた。
生徒の武器の種類だが、多くの者が剣と槍であった。他に弓が六人、刀が三人、斧が一人、紐が一人である。
ちなみに武器の具現化については一騒動があった。
指導教員として来ていた二人の男――スラーグとバル・バーンが騒ぎたてたのである。
どうやら武器の具現化はこの世界ではないわけではないらしいのだが、具現化できる武器はごく一部の限られた者たちしか所持していないという。
一級品を超えた特級品であるらしい。ただし、そちらの武器は、碕沢たちのものよりも、はるかに性能がいいらしい。
本人しか使えないと分かると、二人もその実用性が限られることを理解し、やや落胆のため息を吐いた。
性能もあわせて考えると、碕沢たちの武器はたいした価値は持たないようだ。
ただし、外ではむやみに具現化をすることは避けたほうがいいとの注意を受けた。よからぬことを考える者がいるに違いないからだ。
「北條はあんがい政治家の資質があるみたいだな。碕沢の手柄もさりげなく自分のものにしていた」
玖珂が評する。彼は碕沢の隣に立っていた。
後半に予定されているより実戦に近い訓練を行うにあたって、参考例としてまず碕沢と玖珂の二人がバーンから指名されていた。
まだ、休憩時間なので準備をする必要はないのだが、二人は並んで何となくバーンの様子をうかがっている。
「俺の手柄じゃない。おまえの、だろ」
「あれを僕の手柄とするのは、プライドがとても許さないな」
冷え冷えとした声が玖珂の口から放たれた。一瞬、碕沢が本気で距離を取ろうと思ったほどに本気の怒気だった。よほど敗北したことが許しがたかったようだ。
だが、すぐに氷点下の空気は霧散する。まるで、始めから存在しなかったかのように。
「今のところ警戒しなければならないのは、ゴブリン問題だけと見ていい。ただ、その点に関して僕は、北條があまめに判断しているような気がするな――だからといって、情報がないからこれ以上の対処のしようもないんだが」
「北條もゴブリンの情報が欲しいと思っているんじゃないか。そうなると――」碕沢は玖珂に視線をやった。「あいつが一番信頼してる男に偵察任務が下りそうだな」
「そうだな。それもいいかもしれない……なんだ、その顔は?」
「人の顔に文句をつけるな」
「違う。意外そうにしていただろ」
「玖珂は、北條の下にいるのが嫌なんだと思っていたからな」
「――あまり組織には興味がない。単に、碕沢のほうがおもしろいと思っただけなんだ、この前のことは」
「あっそ」
碕沢と玖珂の二人は悠々と会話を交わしているが、訓練場にいる多くはうつむきかげんで座り込んでいた。
武器の具現化はできるとはいえ、魔物と戦闘を行った者は三割にも満たない。三割の戦闘経験者も一度戦っただけというのがほとんどで、青い靄をたいして吸収していなかった。肉体能力の向上は知れているだろう。
残りの七割は青い靄の恩恵をまったく受けていないので、日本にいた時とほとんど変わらない体力しか持ち合わせていなかった。
体力が不足していると言われている現代日本の若者に戦闘訓練を課せば、短時間でへとへとになるのは当然のことだった。
「ほら、見なさいよ。やっぱり、言うほどのことはなかった」
ショーカットの髪を揺らして、跳ねるように植永亜貴が歩いてくる。剣道経験者の彼女の武器は日本刀である。銘は『切断』。脇差まで具現化できるようだ。
「そんなきつい言い方をしなくてもいいだろう」
「昨日、あれだけ大口叩いていたんだから当然でしょ」
亜貴の視線は、地面に大の字になって苦しそうにぜえぜえと息をしている男に投じられていた。
桂木守という。ちなみに桂木も武器は日本刀だった。
「まあ、多少、大げさには言ってたんだろうけど」
庇う理由はないのだが、碕沢は桂木を擁護した。
碕沢は桂木のことを良く知らない。隣のクラスなので体育の授業で一緒になるくらいだ。青城南高校では、体育の授業は男女別に行われるので、人数の関係上二クラス一組になって行われていた。
その程度の接点しかない碕沢でも、桂木が調子のいい男であることは知っている。
「何で植永さんは、そんなに桂木のことを怒るんだい?」
玖珂が質問する。
「別にどうだっていいけど、昔からの知り合いなの」
「ああ、幼なじみか」
碕沢は呟く。
「そんなにいいもんじゃない――それより碕沢はあの冒険者とかいう男のことを知っているの?」
自分から話をふってきたくせに、亜貴が強引に話題を転換した。
「まあな。昨日ぎたぎたに叩きのめされた。どうも、今から同じ目にあいそうな気がしている」
「玖珂君も?」
「顔くらいは」
玖珂の口調は素っ気ない。
「何者なの、凄い口が悪いけど」
「紹介にあったとおり冒険者。付け加えるなら、ここらで一番強いってことくらいか」
「一番強いって、マンガ?」
「笑えるかもしれないけど、ここでは強さが高い価値を持つことを忘れないほうがいい」
玖珂は淡々としていたが、その声は鋭い響きがあった。
「……そう」
冷や水を浴びせられたように、亜貴の表情が硬くなる。
「そういうことだ」碕沢は軽い口調で言った。「たぶん、体力に余裕のありそうなやつらが、あのおっさんにしごかれることになるだろ。つまり、植永、おまえもだ」
「――でしょうね」
「驚かないんだな」
「それはね。さっきこっちに行けってわざわざ言われたから」
亜貴の言葉は事実のようで、十数人が碕沢たちのいるほうへと集まってきていた。冴南は当然だが、北條も含まれている。
「そりゃ、ご愁傷様」
「そんなこと碕沢に言われたくないから」
「あっそ」
この後、十数人のメンバーは、碕沢の言った「ご愁傷様」が似合う経験をすることになった。言った本人がもっともそれを実体験したのは、それこそ「ご愁傷様」というやつだった。
ただし、玖珂だけは違った。彼は訓練が終わった後も唯一涼しげに立っていた。
玖珂の訓練は、玖珂が防御重視で戦うことで、時間切れで終わった。
碕沢の目からすると、玖珂の戦い方はどう見ても手の内を見せないための時間稼ぎにしか見えなかった。
玖珂は間違いなくバーンのことを倒すべき相手と認識している。敵との間に訓練などないと本人は考えているのかもしれない。
バーンも分かっていただろうが、特に咎めることはしなかった。攻撃も抑えていたように思える。玖珂の実力を認めているのだろう。
午後は二十三人を選抜し、外で魔物との戦いを経験することになった。
スラーグ大隊長――彼は寝坊せずにきちんと訓練にやってきた――とバーンのつきそいの下だ。ちなみに、この集団の長はスラーグ大隊長である。
始めこそ手こずる者もいたが、夕方を迎える頃には、全員が一対一で問題なく鬼兎クラスの魔物は倒せるようになった。
ゴブリンとはまったく遭わなかった。目立った移動は行っていないようだ。
ちなみに玖珂は一人で別行動を取っていた。ゴブリンの偵察のためである。
面白いのは、北條がこれを提案し、玖珂が快諾したのだが、魔物との戦闘をこなす内に、じょじょに北條が焦りだしたことである。
途中で彼はもっと強い魔物と戦うべきだと主張しだした。
玖珂はもっと強い魔物と戦い、成長しているはずで、このままでは差をひろげられるとでも考えたのだろう。
実際、北條は早い段階で鬼兎から勝利するようになっていたので、彼の主張も分からないわけではなかった。
ただし、今回は団体行動だ。そして、その目的は全員が魔獣を倒せるようになることである。
一部の者を基準にして行動が変わることを、スラーグ大隊長は認めなかった。
というわけで、無事、初日の訓練は終了したのである。
その日の夜、碕沢はバーンらの酒につきあうことになった。
報酬が受け取らないのだから、酒くらいつきあえということになったのだ。
犠牲者は碕沢一人である。
碕沢は酒を飲まずに、とにかく食べた。バーンの奢りであったので、そこに遠慮は一切ない。
ここで冒険者の有する特殊な技能スキルについて、碕沢は教えてもらった。
スキルには二種類ある。
『型』と『技』である――これは勝手に碕沢が区別した呼び名である。
スキルを発動すると、自動で身体が動くというのは、どちらも変わらない。
『型』のスキルにはレベルのようなものがあり、上昇するとスキルで繰りだされる技に変化が生じるということだ。
このスキルの上昇の基準は、スキルを使用せずにスキル発動と同じ技をできるようになること、であるらしい。
碕沢なりの理解では、スキルとは型の教育であり、習得を意味した。
例えば、『突き』のスキルがあるとする。
スキルレベル1では、『一突きする』だけの技術だ。スキルを発動すると、これを身体が強制的に行う。おそらく、もっとも洗練された『突きの型』によって、だ。
この最初の『突きの型』を自身の力のみでできるようになれば、免許皆伝である。
次のスキルレベル2の『突きの型』へと進むのだ。それは、二段突きであるかもしれないし、連続技の型であるのかもしれない。
レベルが上昇するごとに、連続技が何段階にも繋がり、隙のない型を習得できるのではないか。
バーンらの話を聞いて、碕沢は大ざっぱに言えばこういうことなのだろうと考えた。
もう一方の『技』のスキルは、必殺技である。
特殊な攻撃を自動で発動することが可能らしい。無理な態勢からでも使用可能だということである。
実際の戦闘ではいろいろな利点がありそうだった。
どういった理屈で強制的に肉体を動かすことができるのかは分からない。今のところはあるがままを受け入れるだけだ。
冒険者になると、スキルは劇的に習得しやすくなるらしいので、戦いの素人である青城南校生にとって『スキル』は、願ってもない教育プログラムではある。
「おい、冒険者になんかなるなよ。冒険者は早死にする。四十まで生きられるやつなんてほとんどいない。全員死んじまうんだ。だから、冒険者なんかにはなるな」
ずいぶんと酒に酔ったバーンが管を巻くようにしてそう言った。
この時碕沢は、バーンの言葉を冒険者とはそれほど危険な職種なのだという意味で理解した。
周囲では、冒険者たちが一夜の酒に顔をおおいに赤くさせていた。




