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一章 都市ドーラス(3)




 碕沢は兵舎の一室にいた。

 ここは、四人部屋である。四人部屋といっても二段ベッドが二つあり、真ん中に通路のようなスペースがあるだけだ。

 木窓を開けているので、夜風が時おり部屋に吹き込んできていた。風は冷たくも温かくもないちょうどよい具合だった。

 室内を照らすのは、木窓の下にある机にちょこんとそえられている小さな燭台だった。球型で台の部分にボタンがついていた。むろん、ボタンはスイッチである。

 光量はいかにも弱い。燭台の周囲を照らすという以上の働きを期待するのは酷だろう。


 碕沢はベッドに寝転がっている。

 さっぱりとしているのは、水浴びをして、戦いの名残りをすべて洗い流したからだ。

 彼の左腕には布が撒かれていた。

 一見すると、綺紐きじゅうが布に変わっただけのように見える。実際それは正しい。添え木も同じ物だった。布は見た目があまり綺麗ではなかったが、碕沢としては清潔であることを願うばかりである。

 碕沢は正式な治療をまだ受けていない。

 すでに夜だったこともあるが、そもそも医者など用意されていなかったからだ。夜分にわざわざ来てくれる医者はいなかった。ただの放浪者でしかない碕沢たちの立場を考えればおかしなことではない。

 布を巻いてくれたのは、冴南だった。

 傍には他に二人の女子がいたのだが、彼女たちはさらされた碕沢の腕を見ると、悲鳴をあげた。

 碕沢の左前腕と肘の辺りがすべて青黒く変色していたからだ。人間の腕の色ではなかった。

 碕沢本人は、綺紐の隙間から見えていたので分かっていたことだったが、普通の人にはショッキングな絵であったらしい。

 表情を変えずに淡々と布を巻いた冴南こそ変わっているのだろう。

 改めて見ても、腕は小さな切り傷があるだけで、骨が飛び出るなどという重傷にはなっていなかった。折れた箇所もどうやら左前腕部分で間違いない――冴南に触ってもらって確かめた。強烈に痛かった。

 内臓に関しても無事らしい。内側に痛みはほとんどなかった。こちらも青黒い痣ができてはいたが……。

 無防備に攻撃を受けたつもりだったが、もしかしたら自分は眠れる才能を発揮して、打撃を逃すために逆方向に飛んでいたのかもしれない、などと碕沢は妄想した。

 治療が終わり、その場で冴南たちとは別れ、幾人かと会話をした後、水浴びをして、碕沢は割り当てられた部屋に入ったのである。


 四人部屋には彼一人しかいない。

 やはり違う世界にいるということが心細いのか、多くの者が相部屋を望んでいた。そのため、部屋の空数が多くなっていたので、個室を望む者の希望は簡単に通ったのである。


 静寂に波紋を生むように部屋の扉がノックされた。


「どうぞ」


 碕沢は起きあがって、ベッドに腰かける。

 ドアを開けて入ってきたのは、冴南だった。

 彼女の服装はジャージから、現地の服へと変わっていた。簡素な布で作られた色彩の薄い衣装であったが、美人は何を着ても似合うという格言通り、彼女は自然に着こなしている。

 スカートが長いというのが、現代日本と大きく異なるところかもしれない。だからどうした、という話ではある。

 ちなみに、碕沢も服を支給されたので、着替えている。ジャージをパジャマ代わりに使いたいところだが、汗や返り血が滲んでいたので、さすがに洗わなければ使えたものではなかった。


「ふーん、一人なのね」


「まあ、寝るときくらいは、気がねなく過ごしたいんでね」


「碕沢君、気を使っていたかしら?」


「相手に気取けどらせないのが、本物の気づかいなんだ――それより、この時間に女が男の部屋を訪れるのは、道徳的にいかがなものか」


「碕沢君、まとまなことも言うんだ」


 わざとらしく驚いた表情を冴南が作っている。


「まともなことしか言わないよ、俺は――用件は?」


「情報の整理と息抜きね」


「情報の整理はともかく、息抜き? いや、情報の整理も明日でいいと思うけど」


「みんなのことをどう思った?」


 冴南が碕沢の対面にあるベッドに座った。位置は、ちょうど斜め前だ。


「思ったよりも混乱していない。寝場所の確保ができているからかもしれないけど、あんがい、巻き込まれてみれば、大丈夫なのかもしれないな」


「そうね。女子こっちも混乱したり、ヒステリーを起こしたりする子はいなかった」


 碕沢たちが合流したのが、夜になってからというのもあるだろうが、グループは大きく男女に分かれていた。

 そもそも大部屋がなく、会議室のような場所も六畳一間の広さしかない。唯一多数の人間が集まれるのが食堂である。食堂は男たちが占め、女性陣は各部屋で適当に集まっていたらしい。

 というわけで、自然と碕沢と玖珂が男子の情報を、冴南が女子の情報をそれぞれ集めることになった。


「ただ、不安はあるみたい。この先どうなるのか、そして帰れるのか」


「あれだな、女子のほうがリアリティーのある悩みを持ってる」


「どういうこと?」


「男どもは、戦うことに興味があるみたいだ。実際、魔物と戦ったやつもいるみたいだし。冒険者とかランクとか、そこらの情報は俺らなんか比べものにならないくらい持ってる。もちろん、魔物についても。まあ、不安の裏返しかもしれないけど」


「――どっちも危険の認識がおかしくない?」


 冴南は今を生きることこそが重要なのではないか、と言っているのだ。

 ここは日本ではない。法律は彼らを守ってくれないし、警察などの治安機構も日本に比べれば、はるかに整備されていないだろう。倫理観も違いがあるに違いない。そして、何より魔物という外敵がいる。


「まだ、命のやりとりをするような戦いを経験していないなら、仕方ないんじゃないか? 俺たちだって、どうこう言えるような立場じゃないだろ」


「……男子は冒険者になる気?」


「口に出すやつはまだいないけど、内心じゃそう思っているやつがけっこういるだろうな」


「碕沢君はどうなの?」


「俺ねえ……ギルドの話どう思った?」


「ダンさんから聞いた話のこと?」


「ああ、俺はちょっと怖くなった」


「怖い?」


 冴南が視線を碕沢に投じる。表情に興味が踊っていた。美貌の中にやや幼さが垣間見える。

 碕沢は冴南と視線をあわせないようにした。


「まあね。あそこ、素材の買い取りもやっているって言っていただろ。魔石は独占みたいだしな。しかも、世界中に支部がある。冒険者との素材の取り引き量がどれくらいで、素材がどれほど社会に必要とされているかにもよるけど――仮に魔物の素材を使用した物が世に溢れているのだとしたら、冒険者組合ギルドの社会への影響は計り知れないものがあるはずだ。そして、ギルドと言えば、冒険者組合のことだと皆が認識しているくらいの知名度と実績もある。これだけみても、その規模がかなり巨大であることがわかる」


「世界をまたがる独占企業なのね」


「ああ、しかも、武力集団を管理下に置いている」


「腕輪――」冴南が長い指で細い顎をすっとさすった。「全員の冒険者がつけているって言っていた。あれにも何らかの機能がそなわっている?」


「冒険者になるには『命の塔』に行かなければならない、というのも怪しい。もちろん、宗教的な儀式ってだけかもしれないけど。それに冒険者とは異なる防衛手段もおそらく持っているんじゃないか」


「ふーん」


 碕沢が視線を投じると、冴南が意味ありげな微笑を浮かべていた。


「何だ?」


「碕沢君は、そんなことを考えていたわけね」


「神原と話している内に思いついただけだ。今のところ、飛躍した妄想話で、現実的な意味は何もないけどな」


 何となく碕沢は早口で喋った。顔はとっくに冴南とは異なる方向へ向けている。


「まあ、いいけど。でも、男子が全員戦いに目を向けているのは、あまりいいとは思えない」


「なぜ? 俺は男だけじゃなく、特に女子こそ一定の力をつけるべきだと思うけど」


「自衛手段ね。騎士様が守ってくれるんじゃないの?」


 冴南が笑顔を閃かせる。


「騎士の全員が他人を守るとはかぎらない。それに、力をつければ変わるかもしれない」


「……あなた深刻なことを簡単に言ってくれるわね」


「で、神原が困ると言った理由は?」


「簡単よ。強いやつが偉くて、戦えないやつは役立たずっていうヒエラルキーが作られるかもしれない」


「閉じた社会ならともかく、ここには多くの人が住んでるぞ」


「私は碕沢君の言葉を聞いて、より確信したのだけれど」


 そう言うと、冴南が言葉を止めた。ふっと視線が外れる。

 彼女は木窓から見える星々を眺めていた。黒髪が風にさらわれ、あらわになった横顔も整ったものだった。

 さすがに横顔に見惚れるということはなかったが、碕沢は何となくがしがしと後頭部あたりの髪をかく。

 冴南の提起した問題はつまるところ集団生活を行う上で生じるものだ。

 戦えない人間がいるなら、戦い以外の役目をこなせば良いだけだ。戦うだけで生活することは不可能なのだから。

 碕沢の意見を聞くと、冴南は「そうね」と頷いた。


「でも、力を持った人間があなたみたいに考えることができるかというと、ちょっと疑問ね」


「料理や裁縫、工作系ができる人なら、俺なら一緒に住んでほしいけどな」


「それで、あなたが戦って稼ぐの?」


「まあ、そんな感じかもな」


「さっきあなたが言っていた男子の総意と同じじゃないの、それは?」


「まあ、似たような環境で育ったやつらだからな、自然と発想も似てくるだろ」


「威張って言うことじゃないでしょ」


 冴南は呆れている。


「こんなことを言いあえるのも、寝床が確保できているというのが大きい。北條がやったのなら、なかなかの手腕ってやつだ。明日、改めてお礼を言っておこう」


 碕沢は寝転がった。

 ぼちぼちお話は終わりだ、という合図である。あまり冴南を長居させるのは、さすがに外聞というやつが悪いだろう。彼女が気にしなくても、碕沢が気にする。


「北條君ってどんな人?」


「どんなって言われても、たいして知らん」


「知りあいなんでしょ? 高一の時にクラスが一緒だったの?」


「いや、中三の時」


「その頃の印象は?」


「どうかな」碕沢は狭い二段ベッドの天井を見つめる。「表面だけをすくえば、玖珂っぽいかな」


「それは表面だけしか、玖珂君に似ていないってことね」


「俺の印象だからあてにならないよ」


「それは私が判断するから話してくれる?」


「は? これ以上何を話せと?」


「二人の違いを分かりやすく説明して」


 ここでぐだぐだ言っても、冴南は引きそうにない。

 実際、二人の間でいくつかのやりとりが続いたが、彼女はまったく引かなかった。

 話を聞くまで、粘るつもりだろう。

 碕沢は、すでに冴南の評判のことなどどうでもよくなっていた。単純に眠かった。寝転がったために、眠気が襲ってきていたのだ。

 さっさと終わらせようと、碕沢は思った。


「わかった。じゃあ、わかりにくい例で説明する」


「何でわかりにくい説明なのよ!」


「玖珂は学級委員になっただろ」


「私もね」


 玖珂と北條は表面的には確かに似ている。

 両者ともに文武両道である点だ。これほどわかりやすい共通点もないだろう。

 だが、二人は似て非なるものだった。

 たとえばこの二人は学級委員をよく務めている。

 学級委員というのは、クラスの話し合いで司会を務める他は、教師と生徒の間をとりもち、また、催し物などで責任者の一人に加えられたり、その他さまざまな雑事を任されることになる態のいい便利屋というのが生徒たちの共通認識だろう。

 代表者ではあるのは事実だが、便利屋というのが実情だ。

 この学級委員、学年の始まりの時は、なぜか成績優秀者が推されることが多い。何となく真面目な気がする、信頼できる気がするという幻想が教師と生徒で共有され、この伝統を築いているのかもしれない。

 玖珂は受験を首席で合格していた。

 というわけで、彼は伝統の犠牲者となって一年時は学級委員を務めた。

 二年生の時はどうであったかというと。

 相変わらず玖珂は成績優秀者である。首席で合格した事実も消えていない。さらに全国模試の順位で最も小さな番号を獲得するという勲章も得ていた。むろん、中間・期末試験は一位だ。

 というわけで、二年生になっても、彼が学級委員になった。

 だが、玖珂の場合、学級委員を務めるのは一学期のみである。彼は学級委員になる時に、言葉にせずともそれとなく皆に伝えたのだ。


 ――一学期だけだ。僕もやりたいわけじゃない。


 という、意思を。

 対して、北條は一年の時と、二年生となった今もずっと学級委員をしている――実は中学でもそうだったし、生徒会長もやっていた。

 彼も成績優秀者であったので、学級委員に推されたのだ。だが、彼は一学期で止めることなく、一年を通じて学級委員を務めあげた。

 強制されてのことではない。彼こそふさわしいという空気がすでに出来上がっていたのだ。誰が醸成したのかという疑問もあるが、それを考える者は普通いない。学級委員は権力者ではない。数ある委員の一つに過ぎないのだから。

 学級委員を一年間務めあげることは、悪いことではない。むしろ、人の嫌がることを行うのだから、褒められるべき行動だろう。


 残った事実は、玖珂は押しつけられた責任を最低限務めるのみで、北條は最大限努めようとするということだ。

 二人の違いとはそういったところにある。


「そうね。分かりにくいと言えば分りにくいたとえだけど、あなたが北條君のことをどう思っているのかが何となく分かったわ」


「分かった気がしているだけだろ。俺は何とも思っていない」


「そういうことにしておきましょ」


「俺はもう眠るから」


 碕沢は目を閉じた。


「私に碕沢君の寝顔を見ていろってこと?」


「……ご勝手にどうぞ」


 碕沢は声の音量を下げた。

 十秒ほど冴南の視線を碕沢は感じたが、彼女の視線は途切れた。すぐにドアの開閉音がして人の気配がなくなる。

 碕沢は目を開けた。誰もいなかった。

 小さな燭台のボタンを押して明かりを消すと、碕沢は再び瞼を閉じた。すぐに眠りが碕沢をいざなう。

 意識が落ちる寸前に、鍵をかけていないことを思い出したが、彼はそのまま眠った。

 こうして、碕沢の一日が終わったのである。








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