二章 ギルトハート大隊の戦い(9)
「オーガ戦争序盤において確かにキルランス軍はことごとく敗戦した――。
それは常に激戦の中に身をおいた私の所属するギルトハート大隊といえども違わない事実である。
――――――。
―――。
かのマクシオン・ギルトハートと言えども当時は一大隊を率いる者でしかなかった。
また、戦場の真っただ中にあっては戦いの全体像など見えるはずもない。
――――――。
―――。
まったくあの戦いは敵以上に味方によってすべての計算が崩されたのだ。
第三軍団の暴走は言うまでもない。
だが、まさか劣勢の中であのようなことが生じるなど、どのような指揮官でも予測することは不可能だったろう。まして、対処の方法など誰であっても思いつくはずがない。
それが智謀を讃えられたマクシンオン・ギルトハートであったとしても――。
物語で語られる英雄伝と現実は異なるのだ。
何しろ、起こるはずのない騒動の当事者の一方は後に英雄として語られる――。
――――――。
―――。
私が生き残ったのは奇蹟というよりない」
特別編成第二大隊副官マーシスによる回顧録より
碕沢は、オーガ・バロンやオーガ・ヴァイカウントをすでに数体斃していた。
だが、本人の中に特別な意識はない。
それらはオーガの上位種ではあったが、彼は強敵だと感じていなかったのだ。
絶え間なく動き続ける中で、碕沢は知覚する。
強敵からもしれない相手が周囲に潜んでいることを。
だが、敵はなかなか攻撃を仕掛けてこなかった。
碕沢が近づけば、距離をとる。
一定の距離をはかり、それ以上近づくことも遠ざかることもしなかった。
おそらく二体いる。
オーガ・アールだろうか。
目前のオーガを一瞬のうちに数体斃しながら、碕沢は分析を続ける。
そして、オーガ・アールの狙いを読み取った。
どうやら碕沢を自陣深くまで誘い込み、そこでケリをつけるつもりらしい。
オーガ・アールは味方の多くいる場所まで呼びこむことでアドバンテージをとれると考えているのだ。
もちろん、二対一で戦うというアドバンテージもある。
だが碕沢は特に問題を感じなかった。
オーガ・アールが誘いこもうとしている場所は、彼にとって戦いにくくも戦いやすくもない。
どこであろうと、オーガに囲まれた状態は変わらなかった。
ギルトハート大隊の陣地から距離が離れ、陣地が攻めこまれやすくなるという問題はある。
だが、碕沢個人の戦いには問題がない。
敵の狙いを見切った碕沢は綺紐を使って大きく跳躍した。
オーガたちを跳び越え、人間に近い風貌をしたオーガへ接近する。
彼は相手の誘いに乗ったのだ。
硬化した綺紐とオーガ・アールの剣が接触した。
二つの風塵が生じる。
碕沢とオーガ・アールの戦いは唐突に始まった。
場所はオーガ・アールの意図したところ。
だからといって、すべてを敵の狙いどおりに行動する必要はない。
碕沢はいっきに距離を縮めることで虚を衝いたのだ。
碕沢の瞳は冷静にオーガ・アールの動きと攻撃を追っている。
時の流れが緩やかになったように、碕沢には思えた。
いや、思うという行為を碕沢は行っていない。
ただ、目の前の状況を脳が処理しつづけていた。
感覚ではもう一体のオーガ・アールを追っている。
いっきに存在があきらかになったのは、碕沢の行動に驚いたからであろう。
その後気配を断たないのは、すでに隠れる意味がないからだろう。
合流を第一に考えたのだ。
多少接触時間と場所がずれたが、すぐに合流することは可能だ。
二対一で戦えるという条件は変わらない。
だが、オーガ・アールの移動はなかなかスムーズに進まなかった。
味方であるオーガが邪魔をしているのだ。
最前線の近くである。
オーガの兵が溢れていた。
合流までのタイムラグが生じる。
時間をかければ不利となることを理解している碕沢が、攻撃の手を休めることはなかった。
オーガ・アールは碕沢のスピードについてきた。
剣で碕沢の綺紐を弾いた。
手の動きだけではなく、足の動きにもついてきている。
オーガ・アールは碕沢を正面にそえたまま見失うこともなかった。
目がついてこられたとしても、無傷ではいられなかった。
オーガ・アールの剣は一本だったが、碕沢の綺紐は四本を常時具現化できた。
しかも、先端の動きが急激に変化した。
完璧に防ぐことなどオーガ・アールには不可能なことだった。
オーガ・アールは碕沢の攻撃についてきている。
だが、その動きすらも碕沢のシミュレーションどおりでしかなかった。
オーガ・アールは碕沢の思うとおりに動いていたのだ。
そして、碕沢は冷静に攻撃し、オーガ・アールの肉体を削っていった。
碕沢の綺紐がオーガ・アールの足を貫いた。
ついにオーガ・アールは重傷を負ってしまう。
オーガ・アールが大きく体勢を崩した。
だが、碕沢はとどめを刺すことなく、別方向へ綺紐を放ちながら、その場から跳びのいた。
もう一体のオーガ・アールが戦いに参戦してきたのだ。
碕沢は自然の所作で静かに立っている。
視線はオーガ・アール二体に投じられていた。
オーガ・アールも碕沢を睨みつけている。
その瞳には憎しみが色濃くこもっていた。
剣ではなく、視線での牽制が続く。
周囲にいるオーガが碕沢とオーガ・アールとの間にある緊張に気づかずに、碕沢へ攻撃しようとした。
だが、その素振りを見せただけで、オーガは地面に顔を打ちつけ、そのまま動きを永遠に停止させた。
綺紐によって攻撃されたのだ。
碕沢はオーガに視線を向けもしなかった。
彼は周囲を完全に把握している。
いや、掌握していた。
碕沢のその非人間的な雰囲気に周囲のオーガも気づき始めたのか、攻撃を仕掛けるものがいなくなった。
ごく自然のようにして碕沢の周囲からオーガの姿が消え、オーガ・アールのみが彼の眼前に立つことになる。
――すべての動きが停止した。
次の瞬間、オーガ・アールが動いた。
傷一つ負っていないオーガ・アールが右から攻撃を仕掛け、もう一体が左から攻撃を仕掛ける。
碕沢との距離がなく、完璧にタイミングで同時に攻撃がなされれば、碕沢も対応に苦慮しただろう。
だが、碕沢と二体のオーガ・アールの間には数メートルという空間があった。
そして、最大速度をだせたのは、傷を負っていないオーガ・アールのみで、もう一体のオーガ・アールの速度は大きく劣っていた。
一秒にも満たない差。
だが、碕沢は逃すことなくそれを認識していた。
碕沢も動いた。
スピードは碕沢のほうが上だ。
彼は傷を負ったオーガ・アールとの距離をつめた。
しかも、回り込む動きをしている。
無傷のオーガ・アールからは碕沢が死角に入る形となった。
オーガ・アールたちは互いに連係をとるどころか足を引っぱる関係になっていた。
碕沢の攻撃が放たれる。
致命傷にはならないが、確実に傷を与えた。
そこからは碕沢の一人舞台となった。
彼の操り人形のように二体のオーガ・アールが躍りつづける。
書かれた脚本どおりに無様な役を二体は演じ続けた。
たいした時間もかからずに、一体のオーガ・アールが地面にひれ伏し、すぐ後にもう一体のオーガ・アールも大地と永遠に同化することになった。
結果として数の優勢が劣勢を呼び込み、オーガ・アールは敗れたのである。
碕沢は無傷であった。
完勝である。
戦場のある一帯から一度大きな歓声が巻き起こった。
ギルトハート大隊の一部である。
それは激戦を繰り広げている防衛線にはふさわしくないものだった。
いや、激戦を行っているからこその歓喜だったのかもしれない。
碕沢の戦闘結果がもたらした歓喜だった。
オーガの上位種二体を相手どって勝利を奪ったのである。
兵士が歓声をあげるのは自然なことだった。
しばらく後に二度目の大歓声があがった。
それはギルトハート大隊全体から生じたもので、まるで丘自体が叫んでいるかのように高揚を爆発させたものだった。
オーガが前進をやめて後退を始めたのだ。
「オーガが撤退していきます!」
見れば分かることではあるが、副官の言葉にギルトハートは頷いた。
「大隊長の予測した展開どおりになりました」
ギルトハートはもう一度今度は小さく頷いたが、内心の思いは異なっていた。
ギルトハートの考えていたことと現実は一致していない。
オーガが後退するとギルトハートが考えたのは、長時間に及ぶ戦いによる損害でオーガの隊列がでたらめになると考えたからだ。
あれだけ統制のある集団である。
敵の防衛線が簡単に破れないと観察できれば、より効率の良い攻撃を仕掛けるために部隊を再編するのは自然なことだった。
一時的とはいえ、撤退してくれれば時間を稼ぐことができる。
一時的というのは間違いない。
魔人が最下位の種を捨て駒として使うことは比較的知られている。
つまり、攻撃による損害への躊躇はまったくないのだ。
今回のオーガが普通の魔人と異なるのは、効率的に損害を出すことを考えているということである。
ギルトハートの戦術もそれを基礎にして成り立っていた。
効率的な損害。
――つまり、自軍の目減りをいかに小さくし、相手の損害をいかに大きくするかということである。
それは、個ではなく集団の戦いを意味した。
これこそが、ギルトハートの作戦の根幹だった。
個の力の決着ではなく、集団の削りあい。
集団対集団の戦いに持ち込むことで、ギルトハートは戦いを継続させているのだ。
この方法こそ、唯一時間を稼ぐという作戦目的を達成する可能性を見いだすことができた。
そこに狂いが生じた。
碕沢とサクラという個があまりに大きな戦果をあげてしまった。
相手の指揮官――オーガ・マーキスはどう判断するだろうか。
集団対集団の戦いを中止し、個対個の戦いを選択するのではないか。
いや、まだ碕沢とサクラの――とくに碕沢の力を見切っていないかもしれない。
そうすると、今少し碕沢の力を見極めるための戦いを継続するだろうか。
あまりに使い勝手がよすぎるために、碕沢という強力な手札を簡単に使いすぎてしまった。
それは、ギルトハートが碕沢の強さを見誤っていたことから来た誤謬であった。
「だ、大隊長!」
副官が大声で叫ぶ。
複雑な感情が交じりあった、だが大部分は驚愕に満たされた声である。
「あいつらいったい何を!」
方々でもざわめきが生じている。
そのどれもが困惑におかされていた。
ギルトハートは困惑の原因へと視線を投じる。
いつの間にか碕沢とサクラが向かいあっていた。
仲間が勝利を分かち合っているというふうではない。
それはまるで敵同士が緊張感をもって対峙している構図に思えた。
そして――。




