二章 ギルトハート大隊の戦い(7)
戦いが始まった。
形のない先制攻撃をなしたのはオーガであったが、形ある攻撃を先に行ったのはギルトハート大隊であった。
弓による攻撃である。
弧を描き矢が次々と放たれた。
だが、その数は多数の敵を前にすれば、いかにも少ない。
しかも、最初に放たれた矢の多くは敵に届くことなく地面に突き刺さるだけだった。
敵の威に圧され、射程に入る前に攻撃してしまった結果である。
貴重な矢が失われる。
そして、オーガたちの声はより大きくなり、地響きをさせんばかりに突進の足を速めた。
見わたすばかりの魔人の群。
それは恐怖を呼びおこすのには、充分な光景だった。
怯えは精神に隙を生み、その狭間にオーガの咆哮が次々と喰いこんでいく。
動揺は兵士たちの間を伝播し、上官の声が戦場で空々しく響いていた。
危険であった。
そもそも孤立無援の状況で、四方を完全に敵に囲まれるという環境である。
士気を高めることなどできようはずがない。
とっくに逃げだす者がいてもおかしくなかった。
戦わずして敗北という形になっても、不思議ではなかったのである。
だが、ギルトハート大隊は戦いの土俵際で何とか踏んばっている。
復帰したベテランが縁の下で支えているという構図はあるものの、経験の乏しい若者が多い部隊としてはたいしたものと評価できるだろう。
だが、戦いが始まった後も最低限の士気が継続しているとはかぎらなかった。
事実すでに揺らいでいる。
オーガとぶつかった瞬間、柵が壊れる以前に、兵士たちの士気が決壊することも充分に考えられた。
オーガとの距離は近い。
弓矢の射程に入っている――ベテランの老兵士たちの鉄拳交じりの制止によって、無駄射ちは何とか鎮静化していた。
目がつりあがり、口元が裂けているようなオーガ個々の顔までも視認できる距離である。
いよいよ最初の激突が始まろうとしていた。
――その時である。
オーガの前方に炎の壁が生じた。
夜空を焼きつかさんばかりに炎が高々と舞いあがる。
あたりが一瞬にして明るくなり、地上が照らされた。
炎の勢いは急速に弱まり、赤い光はかすかに周囲を灯すのみになる。
炎を前にしたオーガの足が止まっていた。
炎の舌に囚われ、全身を火に焼かれるオーガがのたうっている。
一瞬の空白が戦場に生まれていた。
それは唐突であった。
最前線にいるオーガの首が三つ夜空に飛んだ。
頭部を失ったオーガの身体から上空に向かって勢いよく血が噴出する。
血の雨が夜の大地に注がれた。
オーガが次々に倒れる。
ようやくオーガたちは自分たちが攻撃を受けていることに気がついた。
だが、相手の動きが速く、オーガたちは対応ができない。
その間に次々とオーガは斃れていった。
オーガが斃れる場所も同じところばかりではない。
その光景は、複数人の人間がオーガに戦いを挑んでいるように見えた。
だが、実際には違う。
兵士たちが声をあげる。
「おい、あれ」
「あいつは――」
「一人でやっているのか……」
攻撃するのも忘れ、兵士たちは目前で繰り広げられる戦いに目を奪われた。
そして、一人の名前があがる。
――碕沢秋長。
碕沢が綺紐を駆使してオーガを狩っていたのだ。
圧倒的なその力に兵士たちの精神は再び高揚を覚える。
いや、戦いの前に持っていたそれと同じものではない。
これまでとは比べものにならないほどに、兵士たちの士気は高まっていた。
――オーガとも充分に戦える。
碕沢の姿に兵士たちは未来を見たのだ。
これと似たような光景が実は三カ所で行われていた。
サクラが碕沢のように突進し、冴南が弓矢の攻撃を全力でもって行ったのだ。
短い時間ではあったが、個の力が戦場を支配したのである。
そしてこの短い時間は、ギルトハート大隊にとって何より貴重なものとなった。
精神的ダメージを回復させ、戦う集団へと再び姿を変えることができたからだ。
強引に戦況を変えた者たちには相応の負担がかかっていた。
特にエルドティーナである。
奇蹟術も無限に使えるわけではない。
霊力の消費によって、術を行使しているのだ。
回復するとはいえ、戦場で期待できるほどの回復力はない。
つまり、休み休み放つしかないということだ。
そして、最初に大規模な奇蹟術を使ったエルドティーナは、無理して攻撃をするわけにはいかない。
必要なタイミングを見極めなければならなかった。
それを行うのはギルトハートの役割である。
次に負担がかかったのは、冴南だ。
彼女は自分に与えられた役割を充分に理解していた。
兵士たちに勢いをつけるための目立つ先制攻撃。
だからこそ、オーガを斃すにはもったいないほどの威力をこめた光り輝く矢を放った。
それもいっきに複数本を現出させた。
視界に訴えることのできる派手な攻撃である。
力が枯渇するような事態にはならないが、最初に敵を斃すのには不必要な大きな力を使ったのは事実である。
まったく効率的ではない戦いは、後に控えるオーガの上位種との戦いを考えた場合、有効とは言いがたい。
それでもやらねばならなかった。
彼女は、ドーラスでのゴブリンとの戦いで、戦えなくなる中間、そして戦えない集団がどうなるかを経験していた。
戦うには気持ちが必要であることを、未だ十代でしかない娘は知っていたのである。
むろん、相応のリスクは背負うことになった。
冴南は力のコントロールを最初から繊細に意識して戦う必要に迫られたのだった。
碕沢とサクラには霊力の点から考えた負担はさしてない。
心配するなら体力面だが、充分な休息をとることができた彼らには、まだまだその面での心配は必要なかった。
実はもっとも効果的に、破たんを食い止め、戦いを優勢に進めることに貢献していたのは老将バラッグであった。
だが、その事実を知るのは全体を冷静に観察していたギルトハート大隊長のみであった。
老将は必要以上に目立つことなく、必要なことを黙々と実行していた。
見えない間に生じたギルトハート大隊崩壊の危機は、また見えぬ間に解決したのだった。
夜間の戦いは始まったばかりである。
オーガの攻撃は最初に躓きを見せた。
最大加速に乗って突撃する寸前に動きをとめられ、さらにそこに攻撃を仕掛けられてしまった。
その攻撃もまるで騎馬隊による蹂躙のような衝突力で、オーガの勢いを削ぐには充分だった。
だが、オーガの攻撃がとまることはない。
前進の命令は徹底され、オーガは濠と柵に向かって突入した。
まず矢と石がオーガの頭上に降り注いだ。
オーガは荒い加工でできた木の板のようなものを斜め上空に向けて、矢と石の雨を防ぐ。
傷を負う者が続出したが、致命傷や重傷を負う者は少なかった。
だが、濠に差し迫ると、さすがに木板で防ぎながら進むという形はとれない。
近距離からの射撃と投擲の威力が格段にあがったからだ。
オーガたちに被害が出始める。
それでも前進はとまらない。
当然、ギルトハート大隊の攻撃もやまなかった。
むしろ、苛烈さを増している。
戦闘を眺める大隊長の側近たちが顔を蒼ざめさせるくらいに……。
「大隊長このままでは半日ともたずに矢が尽きてしまいます」
副官の声には焦りがある。
視覚情報だけではなく、下からあがってくる情報からも矢が足りないことはあきらかだった。
かといって、攻撃をやめることなどできるはずがない。
オーガの接近を許すだけだ。
遠距離から一方的に攻撃ができるというアドバンテージを放棄するわけにはいかなかった。
いったん、碕沢とサクラはさげている。
エルドティーナの奇蹟術の使用はできるかぎり抑えていたが、オーガの数が多すぎて、こちらも消耗は予想以上に大きくなっていた。
冴南の部隊はすでに前線に投入した。
彼女の弓矢を遊ばせておく余裕はない。
技術的にも優れているし、霊力があるかぎり矢が尽きないというのは大きかった。
通常の矢であれば、霊力の消費も小さいようなので、彼女には活躍してもらわねばならない。
「矢を大切に射ろとは言えないだろう?」
「しかし、このままでは」
「分かっている。今の攻撃がオーガの全力ではない。だからこそ、総力をあげて攻撃してくる時に、矢をとっておけということだろう」
「はい。まだ、バロンはともかく、他の上位種が一体も前線で確認されていません」
「現実を認めるしかない。我が隊は、オーガの様子見に対しても全力を尽くさなければ防げないのだ。今攻撃の手を緩めれば、どこかが突破される可能性がある。それこそ、今の時点で第一防御ラインの突破を許すなど、士気にかかわる」
「では、碕沢とサクラを投入しましょう。彼らにはまだまだ余裕がある。彼らに戦場で暴れてもらい、オーガの圧力を弱めるのです」
「戻ってそれほど時間が経っていないはずだが」
「報告によれば、彼らはまったく疲れを見せていないようです。サクラなどはまだまだ戦い足りない様子です」
ギルトハートは副官の提案について考える。
碕沢とサクラを今投入したところでそれほど効果があるとは思えない。
どの方面も危機的状況にはなく、また攻勢を強めているという状況にもない。
それこそ副官の言うより、彼らがいる地域では、オーガの圧力が弱まり、兵士たちが一息つけるというだけの話だ。
戦術的に何ら影響を及ばさない。
だが、オーガの指揮官にしてみればどうだろうか。
碕沢とサクラを邪魔だと考えるのではないか。
普通のオーガでは斃せない。
そうなると、上位種をぶつけてくるのではないか。
碕沢とサクラを餌にして、上位種を呼び寄せる。
そして、エルドティーナの奇蹟術と冴南の弓矢で上位種を斃すのだ。
斃せなくても傷を負わせることはできるだろう。
そうなれば、碕沢とサクラならば勝利するはずだ。
数を相手にすれば敗北する。
ならば質を制することで、オーガを烏合の衆に変貌させるのだ。
ギルトハートは副官の意見をとりいれ、多少の変更を加えて、新たに命令をだした。
限定された人間ばかりに命令を出しつづけていることに、ギルトハートは苦笑を禁じえない。
だが、全体の動きは戦う前にすでに決定しており、正直、後は前線の指揮官たちの判断に任せるしかないのだ。
もちろん、戦いがより激しくなれば、兵士の数が減り、そこへ兵士を投入するのはギルトハートの責任である。
だが、予備隊はほとんどおらず、兵の投入は実質不可能だった。
ギルトハートが次に下す大きな決断は、戦線をさげることだろう。
ギルトハートは、できるかぎり第一防御線で戦線をもたせるつもりではいるが、現実は果たしてそううまくいくかどうかは不明である。
分は悪いだろう。
夜明けが近づいていた。
ギルトハート大隊と二〇〇〇を超すオーガとの戦いは、ギルトハート大隊の優位の内に進んでいる。
地の利を得て、準備をしていたことが功を奏したのだ。
被害はオーガのみにでている。
だが、それがいつまでも続くわけがないことを、指揮をとっているギルトハート自身がもっともよく理解していた。




