二章 ギルトハート大隊の戦い(6)
碕沢隊は再編成された。
三十四人からなる部隊は、神原冴南を臨時の隊長としてギルトハートの直属部隊に組み込まれた。
エルドティーナは奇蹟術を使える貴重な戦力であるので、彼女もまたギルトハート直属となった。
エルドティーナは部隊としてではなく、個人の単位で動く。
碕沢とサクラもまた緊急の衝突力としてギルトハートの直下に置かれた。
敵に押しこめられそうになった時に出撃し、個の力でそれを振り払うのである。
無茶苦茶ではある。
だが、今回オーガは上位種が前線に出てこないというパターンが見られた。
碕沢とサクラの力をもってすれば、短時間であるならオーガを充分に押しかえせる、とギルトハートは見ていた。
二人の負担が大きく、危険の高い形ではあるが、現状これがもっとも効果的であるとして、ギルトハートは碕沢隊をこのように再編成したのであった。
戦準備に追われる周囲の喧騒に比べ、そこは奇妙なほど静けさで満たされていた。
男女が一組座っている。
男はさほど目立つ容姿ではない。
女は肉感的な美女である。
碕沢とサクラであった。
二人は斜め向かいになって地面に座っていた。
互いの間に存在する空間には、甘さは皆無であった。
もっとも、二人の間にそんなものがこれまで存在したのかと問われれば、それも疑問である。
最初の出会い――碕沢にとってサクラは、格上の強さを持つ異種族であった。
サクラにとって、碕沢は子種の可能性を持つモノでしかなかった。
二人の関係に変化が見られたとするなら、それは共に暮らすようになってからのことだろう。
異性間の変化というより、人間とのつきあいを碕沢を通して学んでいるというのが実情だ。
教師は冴南である。
最初から変わらないのは、時として異常に碕沢に近づこうとすることだ。
肉体的接触を好むのである。
だが、今は違う。
物理的な距離以上に、二人の間は遠くあるようだった。
「何だ?」
碕沢はサクラに視線を向ける。
彼女は碕沢を見たものの関心がないようですぐに逸らした。
「なぜ、こんなところにこもる?」
サクラが口を開く。
「敵を迎撃するのにこれが適しているからだ」
「敵? あの程度のやつらが?」
サクラが薄く笑う。
もともと恐ろしく顔の整った美貌である。
彼女の笑みは氷の迫力をともなっていた。
「あの程度と感じない人間もいる」
「弱者にあわせて行動するということ?」
何が言いたいのだ、と碕沢は思った。
常の彼であれば、寛容に対処しただろう。
だが、今の碕沢はいつもとは異なっていた。
自らの内にある精神のささくれが、あらゆる意味で彼から余裕を奪っていた。
「敵は多い。数が必要だ。その数を戦力化するために、ああいった柵や穴を掘ったんだ」
碕沢は言を連ねる。
「めんどうくさい説明はいい。弱者のために弱者の戦い方につきあうってこと?」
「引っかかる物言いをするな」
「引っかかる? 何が? 戦いは常に強い者が勝つ。それだけ」
サクラの微笑を見て、碕沢は彼女が魔人であることを思い出した。
そもそもサクラは、兵を率いた実戦を経験するのが初めてなのだ。
普通ならば自分の指揮の未熟を反省し、改善を考える。
あるいは、訓練とのもっとも大きな差異――その犠牲の多さに苦悩を覚えるはずだ。
だが、サクラには関係ない。
実際の戦場でも、彼女は指揮など関係なく個人で戦い続けていた。他者たちが合わせていただけで、連携さえとれていない。
それが魔人にとっては普通の行動なのだろう。
だが、予定されている防衛戦では行動の制限が課せられることになる。
これまでとは事情が異なるのだ。
自由に戦えない。
強い者を求め、強い者と戦うのが本能である魔人には耐えがたいに違いない。
しかも、サクラは上位者のいないデュークという事実上最高位の進化種だ。
弱者が自分の戦いの邪魔をするなど許せるものではないのだ。
「すぐに敵が現れる。そうなれば、暴れられる」
深く考えることなく碕沢は言った。
「私の好きに戦っていいということ?」
「それでいいんじゃないか」
碕沢はおざなりに答える。
いざとなれば、自分が引き戻せばいいだろうと彼は考えていた。
碕沢が想定したのは、強者を求め敵陣に突っ込むサクラであった。
「分かった。好きに戦う」
サクラが返事をした時、碕沢はすでに彼女から視線を切っていた。
サクラの微笑がずっと自分に向けられていたことを彼は知らなかった。
サクラがもっとも関心を抱いている相手が誰であるのか……。
五日目――第四軍団からの伝令が届いた日――もオーガの攻撃を受けることなく終わろうとしていた。
そろそろオーガが姿を見せてもおかしくないとの予測がなされていた。
ギルトハート大隊では緊張が高まっていたのだが、夜を迎え緊張は静まっていった。
緊張があったからこそ、戦への高揚も鎮火していく。
夜の警戒はより高いものになったが、歩哨以外の眠りについた者たちの意識は、戦いは明日からだという予断を許してしまった。
深夜、人間のものとは異なる咆哮が方々から突如あがった。
「敵襲だ!」
夜襲の報告は滞ることなく伝えられた。
最初にオーガを発見したのは、歩哨の者たちだった。
だが、彼らはまずオーガたちの声を聞いた。
この点では眠りの世界へと旅立っていた者たちと大差ない。
十秒ほどの時間をおいて、オーガの集団が迫ってくるのを確認したのである。
月明かりがあり、姿を確認するのは難しくなかった。
オーガたちが濠にたどりつくまでまだ充分な時間があった。
ギルトハート大隊は奇襲を受けながら、最初の一撃をある程度の形をもって受けとめることができる――そのはずであった。
「敵襲」という声を聞いて、碕沢はすぐに起きた。
碕沢のいる場所は、ギルトハートの近くである。
ギルトハートは全体が見わたせる丘の頂上付近に陣取っている。
自然、碕沢も全体を見通すことが可能であった。
「ふーん、手応えがありそう」
傍でサクラが楽しげに呟く。
ちらりと碕沢は視線を彼女に投じた。
闇に溶けこむかのような青い髪を風になびかせ、石に片足をのせて立っている。
表情からも戦気の高まりが感じられた。
「手応えどころじゃすまなさそうだけどな」
碕沢とサクラの視線が重なる。
彼女の顔には不満があった。
碕沢の言葉が気にくわなかったらしい。
だが、現状を現すには碕沢の表現のほうが適切だ。
オーガの進攻は、まるで森が動いているかのごとくである。
全方向からゆっくりと影が近づいてきている。
意識して見なければ、しばらく集団が近づいてきていることに気づかなかったかもしれない。
それほどの数であり、統率された動きであった。
まだ、遠目であるので、暗闇にまじり、実際よりも数を多く感じている可能性はある。
それでも、オーガの数は一〇〇〇ではきかない。
二〇〇〇を超すのではないか。
この数を統率するには、最低でもマーキス級の上位種がいることになる。
あるいは、その下のオーガ・アールが率いる部隊が数隊一緒になっているだけ、という可能性もあるのだろうか。
「跳びぬけて強いやつがいるか?」
「一体だけけっこう強いやつがいる」
サクラの視線は遠くへ投じられている。
彼女は敵指揮官を感じているのだろう。
やはり、オーガ・マーキスがいるのだ。
ギルトハートは疑問を抱えている。
なぜオーガが自分たちの存在を誇示したのか分からなかったのだ。
ぎりぎりまで姿を隠し、夜襲を仕掛けたほうが絶対にいいはずだ。
気づく距離が短ければ短い分だけ、ギルトハート大隊の対応は不十分になるのだから。
もちろん、月と星々の明かりがある今夜は、姿を隠すのに決してふさわしいという条件ではない。
さらに、大隊が陣地を築いた丘の周囲はもともと樹木が少なかった――大隊が柵を作るために木を切り倒したので、さらに見通しはよくなっている。もちろん、敵を発見しやすくする狙いもあってギルトハートは伐採を命じた。
この二点が重なり、夜襲に向いていないのは確かではある。
それでもあえて自ら発見されるようなことをする必要はない。
実際、ギルトハート大隊はできるかぎりの準備をすまし、オーガの攻撃を受けとめたのである。
兵士の統率に長けているのに、戦術がついていっていないように思えた。
鬨の声をあげ、味方の指揮を高めたということだろうか。
人間以上の体格をもった魔人たちが威嚇の声をあげ、闇の中を突き進んでくる。
まるですべての夜の闇が人間たちを喰らいつくさんとせんばかりに……。
しばらくしてギルトハートは、兵士たちの様子がいつもと違うことに気づいた。
兵士たちの動きが良くない。
「何でしょうか?」
副官の疑問の声がギルトハートの鼓膜を揺らした。
ギルトハートは目を凝らす。
兵士たち一人一人の動きを確認した。
「――そうか」
ギルトハートはオーガの狙いが何であったのかがようやく分かった。
これは事前に防ぎようがない。
経験のみが物を言う種類のものだ。
つまり、若者が多く集められたギルトハート大隊には決定的に足りない種類の強さであった。
「恐怖だ」
ギルトハートの声に、副官が「はあ?」と間抜けな声をあげた。
「エルドティーナ君に命令だ。できるだけ派手な奇蹟術をオーガに向けて数発放つように――敵に損害を与えるよりも、味方の誰もがそれを目にできるような派手な奇蹟術を実行するように重ねて伝えるように」
ギルトハートの命令に伝令者が納得のいかぬ顔をしている。
派手などという虚飾よりも、損害を与える現実を重視するべきだ、というごくまっとうな思考を伝令はしているようだ。
あるいは思考というより、感覚だけで伝令は判断したのかもしれない。
常に予期せぬ現実ばかりがつきつけられる戦場では正しい感覚だ。
だが、今は間違いだった。
正しい答えがいつだって通用するわけではないのもまた、戦場の正しい現実なのである。
「時間がない。すぐに伝えるんだ」
ギルトハートは語気を強めた。
伝令はすぐにその場を後にする。
上位者の命令に従う、という兵士の第一条件を彼は遵守した。
「すぐに碕沢君とサクラ君を呼んでくれ――」
続けて老将バラッグの名も舌にのせようとしたが、ギルトハートはやめた。
あの老人はすでに状況に気づき行動を開始している。
周囲に姿がないのがその証拠だ。
ギルトハートとは比べようもないほどの経験をしているバラッグは、大隊長であるギルトハートよりも早く味方のまずさを認識したに違いないのだ。
二つ目のギルトハートの命令はすぐに実行された。
沈黙するギルトハートに副官が訊ねる。
「恐怖とは何ですか?」
「君は馬鹿馬鹿しいと思うだろう。戦場には恐怖が満ち溢れている。今さら恐怖が何なのだと言いたいのではないか?」
「ええ、戦場は死と隣り合わせです。すなわち私たちはいつだって恐怖と共にあります」
「正しい。ただし、誰だって自分たちの倍以上、最悪三倍以上の魔人に包囲されて戦うなんて経験はない。しかも、自分たちを守ってくれるのは急造の穴と木の柵だけだ」
「……それこそ今さらでしょう。我々はオーガと戦うためにこの場に来たのです」
「そこじゃないんだ。自分たち以上に数の多い人間ではない魔人に囲まれているということだ――魔人の領域で多勢の魔人に囲まれているという現実に直面しているんだ」
「それも分かっていたことです」
「そうだ。でも頭で分かっていたことと、実際に経験して実感することはまったく違うだろう? 僕たちは前線からもっとも離れた見晴らしの良い場所にいる。いろいろなことが分かる。だが、最前線にいる兵士たちはどうだ?」
「―――」
「彼らは夜の闇にあって、自分たちの存在を誇示したのだ。我々人間にとって夜は自分たちの時間ではない。もともとそこに恐怖を感じているところに、魔人という現実の恐怖が重なる――いいかい、オーガのあの人間ではない咆哮を聞いて、驚かないやつはいないだろう? しかも目覚めに聞くには、あれは悪夢すぎる」
「――魔人に殺されることを兵士たちはあの咆哮を聞いて、無理やり実感させられたということですか?」
「ああ、昼間の戦気に満ちている時なら、どうにか耐えられたんだろうが……現役復帰したご老人に頼ることになりそうだ」ギルトハートは小さく頭を振った。「まったく、こんな状況は、英雄の存在でもなければ、物語であっても全滅を避けられないだろう」
混乱した人間の集団ほど脆いものはない。
「英雄――ですか?」
副官の声には、上司の不謹慎を攻める感情が交じっていた。
「そうだ。英雄がいれば、そこで戦う者たちの士気もあがるだろう?」
「まさか、大隊長はそれを演出するために」
副官が絶句する。
「それこそまさかだ。戦後ならばともかく、戦場で英雄を演出することなど誰にもできない」
ギルトハートの視線が移ったことに副官は気づき、彼も上司と視線を同じくした。
ギルトハートの視線の先には、若き隊長と魔人の女の歩く姿があった。




