二章 第四軍団出陣
カイザルト砦。
キルランス北方に位置し、魔物の森からキルランスを守るために建設された砦である。
むろん、北部の森すべてを一つの砦で抑えこむことなど不可能である。
本気で森を抑えようとするならば、長大な防壁を森にそって造ないだろう。
だが、そのような労力や資金がキルランス一国にあろうはずがなかった。
それでも、カイザルト砦は北方の壁の役割を充分に担っている。
キルランス軍団――多数の兵士と強力な軍団長――が駐在することで、魔物の森から出てきた魔物を呼び寄せることができるからである。
強者と人の集団に魔物が惹かれるという習性を利用したものだった。
カイザルト砦は、そこに駐在する団長らを始めとした兵士たちを囮にすることで、民を守る砦として機能しているのだった。
クヴァート・ミゼル。
金髪碧眼の彫りの深い顔立ち、長身に引きしまった見事な体格をした美丈夫である。
彼こそ現カイザルト砦の主であるキルランス第四軍団団長クヴァート・ミゼルだった。
年は二十九歳。
団長の中でも若い部類である。
「ギルトハート大隊長から伝令が来て、第三軍団団長からは何の報告も来ていないというのは、どういうことだ?」
ミゼルは、口調こそやや不機嫌なものだったが、彼の表情はそれを裏切り笑っている。
風聞のみならず、直に第三軍団とその団長を知っているからこその、ミゼルの言葉であり口調だった。
「勝てばいいのだろう、というやつでしょうね」
不満げに口を開いたのは、ミゼルの副官であるトルダンだ。
年は二十七と団長よりもさらに若かった。
カイザルト砦にある団長執務室には、もう一人いる。
「勝てるなら問題ないでしょうが、相手のいることですからな」
サラゼンという。
三十五歳でこの中では立派な年長者である。
だが、まだまだ若い。
隊長をのぞき、第四軍団は比較的若い指揮官で構成されていた。
「第三軍団が、いや、ブーラ・オベスクが負けるというのか?」
団長と大隊長の力の差は隔絶している。
団長の持つ個人の武技とはそれほど強い。
その団長の中にあってなお、ブーラ・オベスクは強者なのである。
上には、第一軍団団長であるヴァレリウスと、第二軍団団長であるパラギウスしかいない。
ミゼルもまともに戦えば、オベスクには歯が立たないだろう。
それでも戦い方がないわけではないと、彼は考えているが。
「ギルトハートという若者は変わり者という評判があります」
「ああ、劇作家になるために軍に所属しているらしいな。疑わしい話だが」
ミゼルは苦笑した。
中途半端な気持ちで継続できるほどキルランス軍の環境は生易しいものではない。
「それは本当です」
「本当だと?」
眉根があがるのをミゼルは抑えられなかった。
「しかし、彼にはもう一つの評判があります」
サラゼンが小さな笑みを浮かべている。
これから話すことが本命というわけだ。
ミゼルはあいにくとギルトハートのもう一つの評判というのを知らなかった。
新たに大隊長になったばかりの人物の噂を集められるほど、軍団長という立場は暇ではないのだ。
「何だ?」
「切れ者です」
「ふん、切れ者ね」
ミゼルには期待はずれの感があった。
切れ者などといった評判は、裏を返せば戦う能力がたいしてことではない、と物語っているようなものである。
言い訳のようにミゼルには聞こえてしまう。
「軍内の汚職を摘発したり、大山賊などと称していた者たちを罠にはめ一網打尽にしたり、といった実績もあります」
「それは別の人間の功績だったと思うが? 少なくともギルトハートなどという名は当時出なかっただろう」
「彼は責任者でありませんでしたから。当人も表に出たくなかったようですね。当人の思惑はどうあれ、当時の上司に貸しをつくることにもなったでしょう」
「それで?」
「他にも最近では彼の訓練方法が首都では評判になっていたようです。個人技を競うのではなく、徹底した集団行動を行っていたようです。さらに土木工事の類までやっていたようですね」
「集団行動はともかく、土木工事? 何の意味がある? まさか、身体を鍛えるためというわけではないだろう?」
「まず、集団行動は集団戦闘と機動力の強化のために行ったものです。おそらくあの大隊は、他の多くの大隊よりもかなり速い行動をとることができるでしょう」
「うちでももっとしろ、と言いたいのか?」
ミゼルは眉をひそめる。
説教が入ったと思ったのだ。
集団行動の徹底は、サラゼンが常に主張しているところである。
ミゼルも集団行動はある程度重要であると考えているが、個人の能力を高めるほうがもっと重要であり、また結果も出ると考えていた。
「ええ、しかし、それはいいでしょう。もう一つの土木工事ですが――これは一つには、宿営地の建設のためです。キルランス軍は遠征をすることがないので、基本的に必要とされず、見落とされがちのところですが――それはともかく、さらに理由があります。おそらく陣地構築のためのものと思われます」
「何のために?」
「むろん、防衛戦を行うためです。自分たちよりも強い相手と戦い続けるために、乱暴に行ってしまえば簡易の砦を築こうというのです」
「――なるほど」
と、頷きながらも本心でミゼルは納得していない。
敵が自分たちより強いと素直に認める感覚が彼にはない。
なので、守勢にまわるという戦いが意識しにくいのだ。
「サラゼンさんはいろいろなことを考えているんですね。正直、私はついていけていません」
いま一人の副官であるトルダンが感心して言う。
「私個人の考えではない」
「第二軍団の教えか?」
サラゼンはもともと第二軍団の大隊長であった。
ミゼルはそのことを忘れたことがない。
頼りになるが、時としてうっとうしく感じる理由でもある。
「はい。パラギウス卿は戦いにおいてあらゆることを想定していました」
「第二軍団が守勢にまわると?」
「はい。東方に侵攻し、孤立無援となった状況を考えればべつだん不思議とは言えません」
「な――」
なんてことを考えてやがる。
思わず汚い口調となった。
だが、何とか胸の内だけでとどめることにミゼルは成功した。
同時に敗北感が彼を襲う。
西方と東方の戦いはいつだって東方が攻め寄せてくるという形であった。
万全の準備を為してなお、毎回キルランス軍団は潰滅的被害をだしながら、東方の魔人どもを撃退していた。
それがあまりに当然の歴史的事実であったため、ミゼルは逆侵攻をするなどと思いつきもしなかった。
「東方で孤立無援になるなんて、絶望しかありませんよ」
トルダンが言う。
ミゼルと一歳だけしか違わないはずだが、その口調はいたって無邪気である。
「そうだな。まあ、今はその話ではない。ギルトハートという若者は、個人の思想でそこにたどりついているということだ。彼の脳内にいったい他にどのような思考が渦巻いているのか見てみたいものだな」
サラゼンがトルダンに話しかける言葉を聞きながら、ミゼルは唐突に思い出した。
「ギルトハートは、第一軍団長が抜擢したのだったな」
「新たにつくられた大隊はいずれも抜擢人事であったと思いますが」
「ああそうだが、他の者は推薦によって選ばれたのに、確かギルトハートに関しては第一軍団長自ら引き抜いたという話を耳にした」
「軍団長のみに伝わる言葉があるようですな」
冗談めかしてサラゼンが言う。
別に皮肉を言っているようではない。
半分は本気で言っているようだ。
だが、残念ながら軍団長たちに特別な情報網があるというわけではなかった。
ミゼルはキルランス軍と近い関係にあるとある商人から聞いただけであった。
軽く聞き流していたが、あの商人は事実を語っていたのかもしれない。
なぜ、あの商人はそこまで詳しい内部事情を知っていたのか、という疑問が生じたが、ミゼルは軍人らしく目の前のことに意識を集中した。
「ギルトハートが切れ者かは分からないが、間違いなく低能ではないだろう。では、そんな彼が伝えてきた情報に関して二人はどう考える?」
サラゼンはすぐに答えなかった。
どうやら先にトルダンに答えさせるつもりのようだ。
頼りなさの見られる後輩を教育しているのだろう。
ミゼルもその必要を認めていたので、サラゼンのやりように文句はない。
「推測には誇張が多分に認められますが、オーガ・キングの出現に関してはさほどの誤りはないと考えられます。ただ確定はできません。まずは、偵察をだし、事実確認をする必要があるかと」
「オーガ・キングの出現を認めるのに、全軍で出撃をしないのか?」
ミゼルは問う。
「第三軍団からの正式な出動要請がありません。オーガ・キングが出現したとなれば、間違いなく第三軍団長が交戦しているはずです。出動要請はともかく、オーガ・キングに関する情報を伝えてくるのではないでしょうか? それを待って出撃しても遅くはないと思います」
「トルダンの言葉は間違っていない。我が第四軍団は第三軍団からの情報をもとに出撃することになっているからだ」ミゼルは口角をあげて笑った。「だが、トルダン――第三軍団が勝利するとはかぎらないのではないか?」
「それは――ありえるでしょうか?」
トルダンの顔に困惑がひろがる。
彼も気づいたのだろう。
先程ミゼルとサラゼンが似たような話をしていたことに。
「第三軍団の兵士が逃走しているのは事実だ。このような虚偽を記す理由はない。ギルトハートの言葉が事実であるという前提に立つのなら、我々がやるべきことは一つだ」
ミゼルはサラゼンの言葉を待たなかった。
第四軍団団長クヴァート・ミゼルは立ちあがる。
「全軍で出撃だ」
こうして第四軍団は魔物の森に向かって進軍を開始したのである。




