第四章 前半
第四章 邪神との死闘 前半
宮殿での騒動から三日が過ぎた。
俺はゼルアドルを倒した後、リオルド共に事情を何も知らない衛兵に捕まった。が、幸いにもラフィリアの取り計らいですぐに開放された。
それでも王宮に忍び込んだ罪は問われるらしい。なので、しばらくの間、王都で静かにしているようにとラフィリアから言われた。
現在、俺は巻き貝亭の食堂でパンとクリームスープを飲みながら、新聞を読んでいる。
そこには大臣のラサールがジェハサークの僕の悪魔だったことと、それを退治したリオルドとラフィリアの活躍が書かれていた。
またしても俺の扱いは小さかったので、これにはガックリしてしまう。
そりゃ、リオルドやラフィリアの活躍を書きたてた方が面白いのは分かるけどさ。でも、俺だって必死に戦ったんだぞ。
ちなみに宮殿で何があったのか公に発表されたのは昨日の夕方だ。だから、新聞で俺たちとゼルアドルの戦いが大々的に報じられたのは今日だった。
「セイン様って本当に凄いんですね。王宮に巣くっていた悪魔も倒してしまうなんて」
フィルミナが横から俺の顔を覗き込みながら言った。彼女には今日まで宮殿で何があったのかは全く話していなかった。
だから、驚きも一入だろう。
「色々な人たちが協力してくれたおかげさ」
その中にはあのジェフリーやラドヴィッジのことも入っている。
やっぱり大きな事を成すためには色々な人の力を借りる必要がある。それは今回のことで痛感した。
「でも、ドラゴンに乗って戦ったんでしょ?私もセイン様の格好良い姿は見たかったな」
格好良いかどうかはともかく、ドラゴンに乗れたというのは貴重な体験だな。新聞でも俺がドラゴンに乗ってゼルアドルにとどめを刺したことはちゃんと触れていたし。
「そうは言っても、生きるか死ぬかの戦いだったからな。自分の格好良さなんて気にしている余裕はとてもなかったよ」
生きて帰って来れたことが不思議なくらいだ。
「セイン様らしいですね」
俺の謙遜するような言葉を聞いたフィルミナはクスリと笑った。
「とにかく、フィルミナがあのワイバーンを見たらきっと気絶しちゃうんじゃないのかな」
ワイバーンの姿を思い出すと、腕に鳥肌が立つ。あれ以上の化け物はこの世に存在しないと思いたいが。
「私はそんなに気の小さな女の子ではありません。でも、実際に戦ったセイン様が言うなら、世にも恐ろしい怪物だったんでしょうね、ワイバーンは」
「そういうこと。俺もあそこまで怖い思いをしたのは初めてだよ」
フィックがいなかったら、この俺も含めて王都はどうなっていたことか。想像するだけでぞっとするな。
「へー」
目を丸くするフィルミナは俺の怖さが今一つ実感できなかったようだった。まあ、戦いとは縁のない生活を送っているフィルミナでは無理もない。
「だがら、邪神ジェハサークの恐ろしさなんて想像が付かないな」
アルカンデュラやゼルアドルの主だというのだから、よっぽど強い奴なのだろう。
「邪神ジェハサークは本当にこの世界にやって来るのでしょうか?」
フィルミナは胸の辺りで手を握り締めながら尋ねてきた。
「ゼルアドルの口振りからすると、そう遠くない日にジェハサークはゲートを通れるようになるだろうな」
それがどんな事態を引き起こすかは蓋を開けてみなければ分からないが。
「そうなったら、ジェハサークだけでなく、アルカンデュラのようなモンスターもたくさんゲートから現れると言うことですよね」
「たぶん」
もし、そうなれば王都は滅びてしまうかもしれない。いや、王都だけで済めば良いが。
「恐ろしいですね」
フィルミナもようやく危機感を募らせるような顔をする。
「まあ、モンスター避けのアミュレットも取り戻したことだし、ゲートの封印はかけられると思うから大丈夫だよ」
おそらく、いや、確実にそれに付き合わされることになるんだろうな。
そう思うと、何だか気が滅入ってくる。せめてアルカンデュラの時みたいに何らかの報酬が貰えれば話も違うんだけど。
そんな打算的なことを考えていると、計ったようなタイミングで店の入り口の扉が開く。現れたのは案の定、ラフィリアだった。
「ここにいてくれて助かりました」
ラフィリアは俺の顔を見るなり、表情を綻ばせる。だが、それとは反対に俺は渋っ面をした。
「何か用か?」
まあ、大体、予想は付くが。
「はい。まずはお父様からの伝言です。ゼルアドルを倒した功績により、王宮に忍び込んだ罪は不問にするそうです」
「良かった」
もし、罪に問われていたら、大変なことになっていただろう。ただ、王宮に巣くう悪魔を倒したんだから感謝くらいはして欲しかった。
とはいえ、宮殿があそこまで破壊される原因を作ったのも俺たちだから、謝礼などを期待するのは間違っているのかもしれないが。
「その代わりというわけではないんですが、私からあなたに頼みたいことがあります」
ラフィリアは顔の表情を険しくする。それを見て、俺はつい身構えてしまった。
「迷宮の最深部に一緒に行ってくれってことだろ?」
俺は先読みするように言った。
「その通りです。モンスター避けのアミュレットも手に入りましたし、今ならゲートの封印も可能でしょう」
「だと良いけどな」
すんなり行くはずがないという確信めいた予感があった。
「もし、私と一緒に行ってくれれば多額の報酬を用意しますよ」
「こういうのは金の問題じゃないんだよ」
俺も今のところは金には困ってないからな。金よりも魅力的な条件を提示してくれるというなら話も違ってくるが。
「なら、どうすれば私と一緒に行ってくれるんですか?」
「うーん」
俺は腕を組みながら首を捻った。
ゼルアドルよりも恐ろしい敵と戦うことになったら、今度こそ命を失うことになるかもしれないからな。
はっきり言って、金も名誉も命には代えられないと言うことだ。
となると、求められているのはこの国を救いたいという純粋な正義感かもしれない。
「俺からも頼んで良いかな、セイン?」
そう言って、現れたのは意外な人物だった。
「あんたはガルフじゃないか」
俺の声は裏返ってしまった。このタイミングで現れるとは思わなかったが、おそらく偶然ではあるまい。
ラフィリアと一緒にこの宿屋に来ていたと考えるのが自然だ。
「外で待っていてくださいと言ったはずですが」
ラフィリアはガルフを一瞥すると、苛立たしそうな顔をする。やはりラフィリアとガルフの間にある溝は埋まっていないようだ。
「話の雲ゆきが怪しくなってきたと思ってね。とにかく、アルカンデュラに続きゼルアドルまで倒すなんて凄いじゃないか」
ガルフは本当に感心しているような顔で笑った。
「俺だけの力じゃない」
俺はガルフがいたら、アルカンデュラもゼルアドルも、もっと楽に倒せたんだろうなと空想した。
「だとしても、やはり君には剣を扱う素質がある。その腕を生かすためにも騎士団にでも入ったらどうだ?」
「考えておくよ」
「そうか。いずれにせよ、俺も君には迷宮の最深部まで来て欲しいと思っている。モンスター避けのアミュレットがあるとはいえ、何が出て来るか分からないからな」
ガルフの危惧はもっともだった。最後の最後で大きな敵が待ち構えているのが物語の王道だからな。
ただ、現実は違うと思いたい。
「そういうあんたこそ、どうしてここにいるんだ?」
不思議と言えば不思議だ。
「迷宮に行くにあたって、国王のアルフレックスからラフィリア王女の護衛を頼まれたんだよ」
「国王からか」
国王からそんな大事なことを頼まれるなんて、ガルフはやっぱり大物だな。
「そうだ。俺の剣の腕前は帝国一と言われていたし、その俺がラフィリア王女の護衛を務めるなら国王も今回のことで余計な口出しはしない、と言うことらしいな」
「なるほどね」
国王も大事な娘を迷宮になど行かせたくないはずだ。しかし、ゲートを封印するには女神ラフィールの加護を受けたラフィリアでなくてはならない。
他の王族にはラフィールの加護を受けられるだけの器量を持った人間はいないと言うし。だから、国王も断腸の思いでラフィリアを送り出したはずだ。
「もっとも、ラフィリア王女はその決定に対して不服があるようだが」
ガルフは穏やかな顔で苦笑した。
「当たり前です。私もあなたの力だけは借りたくなかった」
ラフィリアはキッとした顔をする。
「だ、そうだ」
ガルフはどこか寂しげな顔で肩を竦めた。
「とにかく、もう一度お願いします。私たちと共に迷宮に行ってください、セイン」
ラフィリアは俺に大きく頭を下げて頼み込んできた。これには俺も根負けしたような気持ちになる。
「分かったよ。君には色々と借りがあるし、一緒に行くことにする。ところでリオルドには声をかけたのか?」
リオルドも苦労してゼルアドルを倒したというのに、なんの報酬もせしめられなかったことに歯痒い思いをしているはずだ。
「遣いの騎士を彼のところに送りましたが、断られたそうです」
ラフィリアは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「そっか。あいつがいれば心強いのに」
それはゼルアドルとの戦いで身に染みている。幾ら探そうとリオルドの穴を埋められるような冒険者なんていないし。
「ですから、あなたの口からシュルナーグ様を説得してくれませんか?」
「俺が言っても無駄だろ」
リオルドと付き合って分かったことだが、奴を動かすのは金と独自の美学だ。その美学の琴線に触れるような頼み方をしなければ奴の心は動かせまい。
「そうは思いません。シュルナーグ様はああ見えてあなたのことをいたく気に入っているようですから」
ラフィリアがそう言い切るのなら、そうなのだろう。とはいえ、俺の言葉ならリオルドを動かせるなどと自惚れるつもりもない。
「ふーん。なら、今日の夜にでもギルドの酒場に行ってみるよ」
俺もリオルドを説得する自信はないが、それでも、ここは会っておく必要があると思った。
☆
夜も更けると俺はギルドの酒場へと足を運ぶ。するとすぐに一人で酒を飲んでいるリオルドの姿を見つける。
俺はリオルドのいるテーブルに歩み寄ると、そのまま椅子に座った。この俺の登場にテーブルの上にいたフィックも顔を上げる。
ただ、俺に向けられたリオルドのギラついた目には、俺がここに来るのが分かっていたような光りがあった。
「セインか。子供のお前がこんな夜更けに酒場になんて来たら駄目だろう」
リオルドはどこか虫の居所が悪そうな顔で言った。
「まあな」
俺も今日はリオルドが確実にいそうな時間を見計らって来たので、こんな夜更けになってしまったのだ。
「それで何の用だ?飛行艇を見せてくれって言うんなら、もう少し時間が欲しいが」
リオルドも俺に飛行艇を見せてくれる気はあるんだな。今までは幾ら頼んでもはぐらかされるだけだったし。
「いや、違うよ。今日、来たのはリオルドに一緒に迷宮に行って貰いたいからなんだ」
俺は回りくどい言い方は苦手なので、そう切り出した。リオルドを相手にするのに小細工は無用。
それは短い付き合いだが分かっているつもりだ。
「なるほど。あの王女様に説得を頼まれたんだな?」
リオルドはクイッと口の端を吊り上げた。
「ああ。あんたもどうして断ったんだ?高額な報酬を提示されたはずだが」
俺に提示された報酬も家が一軒、立ちそうな金額だった。とはいえ、旅に出る俺にとっては持ち歩けないほどの金など意味をなさいない。
「そうなんだが俺のところに来た騎士の態度が気に入らなくてな。ついその場の勢いで断っちまった」
俺にパーティーの招待状を渡しに来た奴も横柄な態度だったしな。
「その程度の感情に流されるなんて、あんたらしくもない」
「お前の言う通りだ。が、今回の仕事にはどうにも嫌なものを感じてな。断った理由はそこにもある」
リオルドの目が真剣味を帯びる。
「ゼルアドルとさえ一歩も退かずに戦ったあんたが臆病風に吹かれたって言うのか?」
そんなことを言われると俺まで怖くなるじゃないか。
「フィックと同じで、本当にヤバイことには鼻が効くんだよ」
リオルドはテーブルで鶏の唐揚げを口一杯に頬張っているフィックを見る。フィックの洞察力は馬鹿にできないな。
「そうか」
俺は重苦しい溜息を吐いた。
「で、お前はどうするんだ?お人好しもけっこうだが、それも度が過ぎると良いように利用されるだけだぞ」
リオルドは値踏みするような目で俺を見る。
「それでも俺はラフィリアの頼みを引き受けるよ。どうせ今回のことが終わったら、本当に旅に出るつもりでいたからな」
俺は決意の眼差しで言葉を続ける。
「だから、心残りはなしにしたい」
全てを終えて帰ってきたら、王都が滅んでいたなんてことになったら嫌だし。
「そいつは良い心がけだ。さすが創造主セファルナートを倒してこの世界を救おうとするだけのことはあるな」
「冷やかすなよ。俺だって、怖くないと言ったら嘘になるんだから」
セファルナートと戦うのはあくまでゼグナートだ。そのゼグナートは暢気にも俺の肩の上でとぐろを巻いて寝ている。
こいつが戦ってくれれば怖いものなどないんだが。
「そうだな。冷やかしたりなんかして悪かったよ」
言葉とは裏腹にリオルドは悪びれる様子もなく言った。
「とにかく、俺からもあんたに頼む。一緒に迷宮に行ってくれ」
俺は真摯な態度でリオルドに頼み込んだ。
「しょうがないな。その代わり報酬は俺のところに来た騎士が提示した金額の三倍は貰うぞ。でなければこの話はなしだ」
そう言って、リオルドはシニカルに笑った。
第四章の後半に続く。