第三章 後半
第三章 王宮に巣くう悪魔 後半
俺は地下街から出ると、日の当たる広場まで来る。それから、ベンチに腰を下ろすと、どうするべきか考え込んだ。
正直、相手が大臣となると、手が出せない。
今すぐにでもラフィリアにそのことを伝えたいが彼女は宮殿で謹慎している。例え、ラフィリアの口から、大臣を問い詰めたとしても白を切られたらどうする。
トレジャーハンターの言葉など、何の証拠にもならないし。
俺はとりあえず夜になったらギルドの酒場に行くことにする。
リオルドも夜はいつも酒場にいると言っていたし、あいつと話し合えば何か良い打開策が見つかるかもしれない。
そう思った俺はリオルドが酒場にいることを祈りながら夜になるのを待つ。そして、いざ夜になると巻き貝亭を出て闇に包まれた町を歩き始めた。
「なるほどな」
そう言ったリオルドは幸いにも酒場に来ていた。しかも、知り合いの連中とポーカーに興じていたのだ。
だが、そいつらと別れて俺の話を聞くと何やら考え込むような顔をする。
「どうすればあのラサールからモンスター避けのアミュレットを取り戻せるんだろう」
俺の頭じゃ、その方法は思いつかない。
「殺す気で剣を突きつけるしかないだろうな。それにあのラサールは悪魔かもしれないとフィックも言っている」
その言葉を聞き俺の背中に寒いものが走った。
「あの大臣のラサールが悪魔だって?」
悪魔の中には人間と変わらぬ姿になれる奴もいると聞いている。そんな奴が王宮の中に入り込んでいたというのか。
それが事実なら、ラサールはラドヴィッジ以上に危険な人物ということになるな。
「ああ。だからその辺のことを指摘してやればラサールもボロを出すかもしれないな」
もし違っていたら俺たちの命運は尽きるだろうな。大臣に剣を突きつけたりしたら、死刑は免れないし。
「そうか。でも、どうすればラサールに会えるんだろう。謹慎中のラフィリアの手は借りられそうにないし」
「それなら、宮殿に忍び込むしかないな」
リオルドはブランデーを喉に流し込みながら言った。
「そんなことして大丈夫なのか?」
「全然、大丈夫じゃない。だが、それくらいしか方法はないだろう。もし、他にあるなら聞かせて貰いたいね」
リオルドから投げかけられた言葉に俺も戸惑う。危険を冒さなければ前に進めない状況だというのは分かっているが、それでもリスクが大きすぎる気がする。
「そう言われても」
リオルドも酔っているわけじゃなさそうだし、その言葉は厳然たる事実に違いない。
「幸いにもフィックは昔、宮殿で暮らしていたことがあるし、宮殿の中へと通じる秘密の抜け道を知っている。だから、見つからずに忍び込むことは十分、可能だ」
リオルドの言葉には頼りがいがあった。こういう思い切りの良い行動ができるのがリオルドの持ち味かもしれないな。
「よし、一か八かそれに賭けてみよう」
時間を置けばラサールもモンスター避けのアミュレットをどんな形で使用するか分からないからな。
「俺も分の悪い賭けはしたくないんだが、付き合ってやる。フィックもあのラサールの正体を曝きたいと言ってるし」
下手したらラサールとは戦うことになるかもしれないな。
「あんたが来てくれれば心強い」
リオルドがいれば俺としても大いに安心できる。一人で動くことの危険性はラドヴィッジの時に思い知っているからな。
「だろ。正直、思ったよりも飛行艇の修理には金が掛かりそうなんだ。だから、ラサールを何とかして王宮からは金をせしめたい」
そういう魂胆か。
「そっか。ま、付いてきてくれるんなら理由なんてどうだって良いさ」
そう言うと、俺とリオルドはみんなが寝静まる頃になるまで酒場で時間を潰し、それから、今は使われていないという下水道へと向かった。
☆
俺は宮殿の近くにあるマンホールの蓋を開けると、下水道へと足を踏み入れた。
どんなに汚いところかと想像していたが、使われなくなって十年以上も経つせいか悪臭などは全くしなかった。
ただ、明かりはないので、薄気味悪さは感じた。
リオルドはポケットから取りだした光石を手にしながら暗闇の中を進んでいく。足下には水が流れているが、歩くのに支障はない。
そして、歩くこと十分。
俺たちは下水道に取り付けられていた梯子を登って、マンホールの蓋を開ける。するとそこは牢屋のような場所だった。
「ここは地下牢だ。もし、宮殿に何かあれば、ここから人を逃がすことができる。ただ、今、宮殿にいる人間はそんな抜け道があることは知らないだろうな」
そう言うと、リオルドは薄暗い地下牢を見回す。幸いにも牢屋の中には誰の姿もなかった。
「そうか。でも、ここから人に見つからずにラサールのところまで行けるのか?」
深夜とは言え、衛兵たちは宮殿の警備をしているはずだ。その目をかいくぐるのは容易なことではない。
「分からん。ただ、ラサールは大臣室にいるはずだ。そこまではフィックが案内してくれるし、後は運を天に任せるしかないな」
そう言うと、リオルドは怖じ気づくことなく、確かな足取りで歩き始める。地下牢の階段を上がると、そこには綺麗な琥珀色の壁をした通路が続いていた。
俺はビクビクしながら、リオルドの後ろを歩く。リオルドは迷う風でもなく宮殿の中を突き進む。
「誰もいないみたいだな」
俺は冷や冷やしながらそう言った。今のところ衛兵も使用人の姿もない。宮殿の中は気味が悪いほどシーンと静まりかえっていた。
「だが、フィックが嫌な匂いが強くなったと言っている。こりゃヤバイ予感がするな」
フィックは羽をピンッと伸ばしていた。
「この強い魔力は間違いなく悪魔のものだ。しかも、この魔力の持ち主はそれを隠そうともしていない。やはり罠か」
俺の肩にいるゼグナートも危惧するように言った。
「罠だろうと何だろうとここまで来たら行くしかないだろ。ここで臆病風に吹かれたら、今までの苦労が水の泡だ」
俺は自らの心を鼓舞するように言った。リオルドの足も止まらない。そして、俺たちは大きな扉の前まで来た。
「ここは謁見の間だな。フィックが言うにはこの中にラサールがいるらしい。俺はてっきり大臣室にいると思ったんだが、ひょっとして、俺たちが宮殿に進入したことは最初からばれていたのか?」
そう言うと、リオルドは謁見の間の扉をゆっくりと開ける。すると中は広々とした空間になっていた。
荘厳な空気が漂う謁見の間の最奥には立派な玉座もある。あそこに国王が座るというわけか。
「よく来ましたね、愚かな勇者たちよ」
玉座の横に立っていた男は高らかに言うと、更に口を開く。
「特にセイン君のことはあのラドヴィッジから色々と聞いていますよ」
男は予想した通り、大臣のラサールだった。
「その様子だと俺たちがここに来るのを待ち構えていたようだな」
そう口にしたリオルドもラサールから発せられる得体の知れないプレッシャーを感じているようだった。
「はい、ラドヴィッジからの報告は受けていましたから、早ければ今夜、辺りにあなたたちが現れるとは思っていましたよ」
ヘマをしたラドヴィッジは生きているのだろうか。別に口封じに殺されていたとしても同情はしないが。
「だが、ここに現れるタイミングが少しばかり良すぎるんじゃないのか?」
リオルドが指摘した通り、俺もそこら辺は腑に落ちなかった。
「別に不思議がることでもないでしょう。あなたたちが私の魔力を感じ取ったように、私もゼグナートの強大な魔力は感じ取っていましたから」
ラサールは愉快そうに言うと、言葉を続ける。
「だから、あなたたちを始末するのに相応しい場所に来て貰ったと言うわけです」
ラサールの顔から張り付いたような笑みが消える。
つまり、俺たちはまんまとおびき寄せられたということか。どうりで、宮殿の中を警備しているはずの衛兵と出会わなかったわけだ。
だが、ラサールの正体を曝く手間が省けたのは助かった。戦うことよりも、むしろ、そっちの方が難しいことだったからな。
まあ、ゼグナートの魔力を感じ取っていたとなれば、やはりラサールはただ者ではないわけだが。
「そういうことか。どうやらお前は人間ではなさそうだし、一体、何者だ?」
リオルドは怯むことなく、ラサールを睨み付ける。するとラサールの顔が見る見る内に変化していく。
最終的にはラサールは青い肌に爬虫類の目を持つ人あらざる者へと変身した。
そして、それを目にした俺も迫り来る鬼気に当てられて、金縛りにでも遭ったかのように動けなくなる。
「我が名は魔将ゼルアドル。邪神ジェハサーク様の忠実な僕だ」
ラサール、いや、ゼルアドルは野太い声で言った。
「ジェハサークの僕が宮殿の中に入り込んでいたのか」
さすがのリオルドもその事実に驚愕する。
ちなみに魔将ゼルアドルの名前なら俺も知っている。過去には人間たちを操り大規模な戦争を引き起こしたこともあるらしい。
ジェハサークの僕の中でも取り分け策謀に長けた奴だと聞いているが。
「そうだ。魔界にいるジェハサーク様はその強大な力ゆえに迷宮の最深部に作られたゲートを通れずにいる。だが、それも時間の問題」
ゼルアドルは不気味な顔で笑うと言葉を続ける。
「ゲートの封印は着実に弱くなっている。後もう少しすればジェハサーク様もこの世界にやって来れよう」
ジェハサークがゲートを通れるようになったら、この王都は大変なことになるな。
ラフィリアも今のゼルアドルを見れば、ジェハサークと話し合える余地などないということが分かっただろうに。
「なるほどね。大方、お前は再びゲートを封印する者が現れないよう王都にいる人間に目を光らせていたってことだろ?」
リオルドは挑戦的な口調で言った。
「その通り。モンスター避けのアミュレットを盗ませたのもそのためだ。あんなものがあっては迷宮の最深部までゲートを封印する人間が辿り着けてしまうからな」
ゼルアドルは喜悦を滲ませながら言葉を続ける。
「だからこそ、ジェハサーク様も冒険者たちを牽制するためにアルカンデュラを迷宮に送り込んだりしたわけだが」
そう言うと、ゼルアドルの金色の瞳が光った。
「ご苦労なことだ。だが、お前がラドヴィッジに盗ませたアミュレットは力尽くでも返して貰うぞ」
リオルドは腰から短剣を引き抜く。俺も戦いは避けられるものではないことを察し、汗ばむ手で剣を構えた。
「お前たちもこれが欲しいのか。なら、この私から奪ってみせるのだな」
ゼルアドルは懐から取り出したアミュレットを俺たちに見せつけると、余裕を滲ませるように言った。
「言われなくても、そうさせて貰うぜ」
そう言った瞬間、リオルドは吹き抜ける風のように走り出していた。
するとゼルアドルの手にまるで手品のように杖が出現し、その先端から光りの球が立て続けに放たれた。
光りの球は激しくスパークしているし、俺も凄まじいエネルギーが籠められているのを感じた。
リオルドはそれを俊敏にかわしながら、ゼルアドルとの距離を詰めようとする。
だが、ゼルアドルもそれを許そうとはせず、弾幕を張るように光りの球を放った。とてもかわしきれるような量ではない。
それでも、リオルドは器用に光りの球の合間を縫うようにしてゼルアドルに接近する。これには俺も目を見開き、リオルドとゼルアドルの間にあった距離が一気に縮まった。
リオルドはゼルアドルの前まで来ると、目にも留まらぬ早さで斬撃を加える。だが、ゼルアドルはそれを軽やかに杖で受け止めて見せた。
バキーンと金属の触れ合う音が鳴る。
リオルドは自分の攻撃が易々と受け止められたことに動じることなく、今度は神速の突きを放つ。
しかし、ゼルアドルはその突きを見切ったようにかわした。ゼルアドルの動きはリオルドに引けを取っていなかった。
一方、俺はというと二人の攻防に目が釘付けになりながらも、ゼルアドルの背後に回り込んでいた。
そして、裂帛の気合いでゼルアドルの背中に斬りかかる。
だが、ゼルアドルはいきなりクルリと体の向きを変えると杖を横に一閃させた。すると光りのウェーブが飛び出す。
俺はすかさず横に飛んで、ギリギリのところで光りのウェーブを避けた。そのまま光りのウェーブは俺の後方にあった壁にぶつかり爆発する。
食らっていたら俺の体は粉々になっていた。
リオルドもゼルアドルが見せた隙を突くように息を吐く暇もないような斬撃を浴びせる。ゼルアドルはその攻撃を杖で的確に受け止めていった。
ゼルアドルにはなかなか付け入る隙がない。
体勢を立て直した俺はリオルドの攻撃に合わせるようにゼルアドルの死角から鋭く斬りかかる。
だが、ゼルアドルは後ろに目でも付いているかのようにその一撃をかわす。それから、間合いを取るように大きく後ろへと跳躍すると、目まぐるしく光りの球を放ってきた。
俺はその光りの球を死に物狂いでかわし、リオルドは華麗にかわしつつも迅速な動きでゼルアドルに迫った。
そして、ゼルアドルは余裕をかき消した顔で、全てを蹴散らすような光りのウェーブを放つ。
それはバリバリと床を砕きながら、リオルドに迫ったが当たりはしなかった。
が、光りのウェーブが直撃したリオルドの後方の壁は大爆発する。その瞬間、謁見の間が激しく揺さぶられた。
俺もこの爆発には慄然とする。
そして、リオルドは再び間合いを詰めることに成功すると、更に激しさを増した斬撃をゼルアドルに浴びせる。
ゼルアドルは執拗に浴びせられる斬撃を杖で受け止め続けたが、次第にリオルドの動きについていけなくなる。
残像すら生む動きをするリオルドの目は炯々と光っていた。それはまさしく戦士の目と言えるだろう。
俺はゼルアドルを相手に一歩も退かない戦い方をするリオルドを見て、これがSランクの冒険者かと瞠目した。
だが、俺もリオルドに負けてはいられない。再びゼルアドルの死角に回ると、熾烈な斬撃をお見舞いする。
今ならゼルアドルを追い込めるはずだ。
俺の方をちらっと見たリオルドも俺の攻撃にタイミングを合わせてきた。それから、俺とリオルドの息の合った攻撃がゼルアドルに迫る。
絶妙とも言えるタイミングで繰り出される斬撃が次々とゼルアドルに襲いかかった。さすがのゼルアドルもこれには対抗しきれずにジリジリと後退する。
そして、ゼルアドルがたまらず距離を取ろうとすると、いきなり予想もしない方向から光りの球が飛来する。
それはゼルアドルにぶつかると、ごっそりと肩の肉をもぎ取った。これには俺も何が起こったのかと目を白黒させる。
リオルドも体の動きをピタリと止めた。
一方、杖を握っていた方の手を失ったゼルアドルは驚きに満ちた顔をする。
その視線の先には手を翳しているラフィリアがいた。ゼルアドルの腕を奪った光りの球を放ったのはラフィリアか。
「ここまでです、悪魔」
ラフィリアは刺し貫くような声で言った。
「ラフィリア王女がいたか。この私としたことが迂闊だったな」
ゼルアドルはかなりの重傷を負ったはずなのに、それでも精気の漲った顔で口の端を吊り上げた。
まだ隠し球を持っていそうだな。
するといきなりゼルアドルの体の肉がボコリと盛り上がる。その背中からはバサッと大きな翼が生えた。
俺が顔の表情を引き攣らせていると、ゼルアドルの体はどんどん膨らんでいき、着ていた服はビリビリと音を立てて破れる。
そして、ゼルアドルはついにはドラゴンにも似た怪物、ワイバーンへと変貌を遂げた。
これがゼルアドルの本当の姿か。体長は十メートル近くもあるし、失われた腕もすっかり元に戻っている。
こいつを倒すのは一筋縄じゃいかないぞ。
俺は全身が総毛立つのを感じながら、ゼルアドルの瞳を睨み付けた。
「こうなったら、空からこの宮殿を徹底的に破壊し尽くしてやる。翼のないお前たちにはどうすることもできまい」
そう言って、ゼルアドルは高笑いをすると、巨体に似合わぬ素早い動きで謁見の間の窓を突き破ると宮殿の外に飛び出した。
俺もその後を追うようにベランダへと出る。するとゼルアドルが空から火の玉を放ってきた。
それが次々と宮殿にぶつかり大爆発する。灼熱の炎も急速に燃え広がった。
「どうすれば良いんだ。このままじゃ、宮殿は火の海になるぞ」
俺は月明かりの下で悠々と空を飛ぶゼルアドルを見ながら狼狽した。こうしている間も炎の球は絶え間なく宮殿に降り注いでいる。
為す術がないとはこのことだろう。
「なら、俺たちも空を飛ぶしかないな」
リオルドは事も無げに言った。
「そんなことできるわけがないだろ」
当然のことながら人間には翼がない。
ラフィリアなら魔法の力で空を飛べるかもしれないが、それをしないということは無理なのだろう。
「大丈夫だ。こいつのことを忘れたのか?」
リオルドは何を思ったのかフィックに視線を向ける。おいおい、どう足掻いてもこんな小さなドラゴンじゃゼルアドルには勝てないぞ。
そんな心の声が聞こえたのか、フィックは俺に向かってにんまりと笑う。それから、ふわりとベランダの床に降り立った。
すると、今度はフィックの体が瞬く間に大きくなっていく。
それを見て俺もぎょっとしたが、フィックの巨大化はゼルアドルのような奇怪に見えるようなものではなかった。
そして、呆気にとられている俺の前でフィックは体長が八メートルほどの威風堂々としたドラゴンになった。
「こんなことって」
こんなに大きなドラゴンを見たのは俺も初めてだったので、思わず身震いしてしまった。
「さあ、セイン。フィックに乗ってゼルアドルを倒せ」
リオルドの言葉に俺は意味が分からないと言った顔をする。
「何で俺が?」
乗るなら俺よりも強いリオルドだろう。それに俺はドラゴンに乗った経験などない。そこらの馬に乗るのとはわけが違うだろうし。
「フィックが空中でワイバーンと戦うなら竜すら殺せる剣を持っているお前の方が良いって言うんだよ」
フィックはこの家宝の剣の力を高く評価しているようだ。
確かにこの剣はドラゴンすら殺せると言われているような代物だが、それを教えられもせずに見抜くとは。
やはりフィックの知能は人間並みに高いようだし、その洞察力には敬服する。
「そうなのか?」
幾らドラゴンに乗れても俺の力でワイバーンを倒せるだろうか。この剣も扱うのが俺じゃ宝の持ち腐れになるかもしれないし。
「ああ。ま、お前の力なら何とかなるさ」
リオルドの目にあったのは確かな信頼だった。
「お願いします、セイン。このままでは宮殿にいる人たちが死んでしまいますし、どうか戦ってください」
ラフィリアも懇願するように言った。
これには俺も観念したような顔をすると、勇気を振り絞って首を低くしているフィックの背中に乗った。
するとすぐにフィックは頭を持ち上げて、力強く背中の翼をはためかせる。そして、一気に空へと舞い上がった。
幸いにも雲一つない空には満月が浮かんでいて、縦横無尽に空を飛び回るゼルアドルの姿も視認できる。
フィックは炎の球を吐き散らすゼルアドルに向かって、投擲された槍のように迫った。それに気付いたゼルアドルも口から炎の息を漏らしながら、顔を振り向かせる。
すると、ゼルアドルは俺たちの方に向かって炎の球を吐き出した。だが、フィックはその炎の球を泳ぐようにしてかわす。
そして、炎の球を潜り抜けてゼルアドルの眼前に出ると、フィックは青白い炎を吐いた。炎はゼルアドルの体を包み込み容赦なく焼き尽くす。
ゼルアドルは「おのれ、人間に飼われているドラゴンが」と怨嗟の声を上げる。それから、纏わり付く炎を大きく翼を広げることでかき消すと、ゼルアドルはあんぐりと口を開けてフィックにかぶり付こうとする。
フィックはその噛み付きをかわすと、ゼルアドルの横を通り過ぎる。そして、旋回すると再び正面からゼルアドルに迫った。
フィックとゼルアドルの体が交錯する。その際、フィックは鋭い爪でゼルアドルの胸板を切り裂いた。
吹き出した血は俺の頬にも付着する。しかし、フィックの方も翼の一部を食い千切られる。
これには俺も背中から冷たい汗が流れ落ちる。この高さから落ちたらまず命はないからな。
翼に穴が空こうとフィックには頑張って飛んで貰わないと。
一方、フィックは少し不安定な飛び方で体勢を立て直す。その間、食い千切られた翼は見る見る内に再生していった。
だが、それは胸を切り裂かれたゼルアドルも同じだ。
どちらかが致命的な一撃を加えるまで戦いは続く。そう確信した俺は剣を握る手に更なる力を込める。
そして、ゼルアドルは距離を取って口から炎の球を矢継ぎ早に吐き出す。フィックも応戦するように口から青白い炎の球をゼルアドルに向けて吐き出した。
そんなフィックとゼルアドルの放った炎の球は王都にある建物にぶつかり大爆発する。その内の一つである縦に長い建物が倒壊した。
ウワーと言う悲鳴も切れ切れに聞こえてくる。
俺は町のあちらこちらから上がる火の手を見て、こんな戦いが続いたら王都は壊滅するぞと戦々恐々とした気持ちになる。
そんな時だった。
俺の頭にいきなり聞いたこともないような声が響いたのだ。
その声は危険を覚悟の上でもう一度ゼルアドルに接近するから、その時はゼルアドルの首を切り落としてくれと俺に告げた。
これはフィックの声だなと俺も瞬時に察する。リオルドはフィックとは思念で会話できると言っていたが本当だったか。
フィックは俺の方を少しだけ振り向く。その目は上手くやれよと言っていた。
それに応えるように俺が小さく頷くとフィックは凄まじいスピードでゼルアドルの方へと飛翔する。
だが、ゼルアドルも近づけさせまいと夥しい数の炎の球を放ってくる。フィックは更にスピードを上げて、それをかわしながらゼルアドルに迫る。
ゼルアドルの方も危険とも言える接近戦を覚悟したのか、獰猛な顔で再び大きな口を開ける。
その歯はギラリと輝いていた。
そして、フィックとゼルアドルの体が際どいタイミングで交錯する。その瞬間、俺は渾身の力を込めてゼルアドルの首へと剣を一閃させた。
すると剣の刃は吸い込まれるようにゼルアドル首に食らいつく。
俺の腕にザンッという肉と骨を断つ鈍い感触が伝わってきた。それから、ゼルアドルの頭部は月の光に照らされながら宙を舞う。
一方、フィックはゼルアドルの体の横をすれ違うように通り過ぎる。そんなフィックの片方の腕はゼルアドルに食い千切られてなくなっていた。
それが痛々しい。
俺はすぐさま背後を振り向く。そこには首がなくなったゼルアドルの体があった。
俺が自らの瞳孔を大きく広げると、ゼルアドルの体は糸の切れた凧のように落下してグシャッと地面に叩きつけられた。
完全に勝負あったと言うところか。
戦いが終わったことに安堵した俺は宮殿の方を見る。するとフィックの傷口から肉が盛り上がり腕が復元されていく。
まるでトカゲの尻尾だ。
そして、フィックは完全に腕が元通りになると、力強く翼をはためかせながらリオルドとラフィリアの待つ宮殿のベランダへと戻ってきた。
「良くやったな、セイン」
フィックがベランダに降り立つと、リオルドはグッと親指を突き立てて笑った。
「フィックのおかげだよ。こいつの力がなきゃ、俺は何もできなかった」
俺はフィックの背中から降りると、足をフラフラさせた。さすがにドラゴンに乗るのはしんどかった。
振り落とされなかったのが不思議なくらいだし。
「それは俺たちだって同じさ。ま、久々にフィックのガンティアラスとしての姿も見れたし、俺もお前たちの戦いを目にして血が滾ったぜ」
なら、リオルドが戦えば良かったのに。高みの見物とはいい気なものだ。
「私もドラゴンに乗って戦うセインを見て、まるで物語に出て来る勇者のようだと思いました」
ラフィリアは微笑しながら言った。
「俺は勇者なんかじゃない」
この戦いで、犠牲者もたくさん出してしまったからな。全てを守りきるような戦い方ができるのが本当の勇者の証ではないだろうか。
「でしょうね。でも、やっぱりあなたと旅に出られればこの世界を救えそうです」
ラフィリアは澄んだ瞳で言った。
「買い被りすぎだよ」
俺は首の後ろをボリボリと掻いた。
何にせよ、悪魔の手からこの王都を守れたことは大きな自信に繋がるはずだ。今の俺なら、どんなことでもできるような気がするし。
「とにかく、モンスター避けのアミュレットは取り戻せたんだから、結果オーライだろ」
リオルドは手にしていたゼルアドルの破れた服から、何の変哲もないアミュレットを取り出す。
こんなものを取り返すのに、ここまで苦労させられるとはね。
「これで、後は迷宮の最深部に言ってゲートを封印するだけだな。これ以上、ゼルアドルのような強敵と戦うことにならなきゃ良いが」
今は俺の不安が杞憂であって欲しい。今回のようなギリギリで勝ちを拾えるような戦いが続けば、いつかは命を落とすことになると思うし。
「そいつは神様じゃなきゃ分からないだろうな。だが、俺たち三人なら何が出て来ても怖くないと思えるぜ」
リオルドは軽口を叩いた。
すると、背後からバタバタという足音と、人の声が聞こえてくる。ようやく衛兵たちが駆けつけてきたらしいな。
さてと、この状況をどう説明したら良いものか。
第四章の前半に続く。