第三章 前半
第三章 王宮に巣くう悪魔 前半
アルカンデュラを倒してから三日が経った。
俺は屋敷に帰ることなく、巻き貝亭に泊まっていた。
ラフィリアの頼み事のせいで足止めを食らっていたのだ。こっちは早く旅に出たいというのに、未だに連絡一つ来ない。
ちなみに新聞ではアルカンデュラを倒したことが大きく報じられていた。
ただ、新聞にはリオルドとラフィリアの名前ばかりが出ていて、俺のことは小さく取り上げられただけだった。
大方、俺は二人の荷物持ちとでも思われているのだろう。はっきり言ってしまえば脇役以下の扱いだった。
とはいえ、そんなことはどうでも良い。
ゼグナートのことを嗅ぎ回られると厄介なことになるし、俺自身も別に注目を浴びたいとは思っていない。
抱えている事情が事情だけに、目立つようなことは避けたかったからな。
とにかく、三百二十万ディオールという大金が手に入っただけで十分だった。
「今日の新聞でも取り上げられているのはリオルド様やラフィリア様のことばかりですね」
箒で食堂の掃除をしているフィルミナは不機嫌そうに言った。
「ああ」
物憂げな返事をした俺は新聞を広げながら枝豆を摘んでいた。テーブルの上にはゼグナートがいて、安いビールを飲んでいる。
窓からは朝の柔らかな光が差し込んでいて、それが心地良い。とはいえ、いつまでもこんなにのんびりしていて良いものかと俺も思うが。
「セイン様だって立派に戦ったんでしょ。なのに、そのことには何も触れられてないなんておかしいですよ」
フィルミナは怒りを露わにする。そう言ってくれるのは嬉しいが、変に期待されても重荷になるだけだ。
「世の中なんてそんなもんだよ」
「でも」
「何にせよ、アルカンデュラを倒せたのはリオルドやラフィリアの力に寄るところが大きいんだ。だから、俺なんてただの荷物持ちだと思われてもしょうがないさ」
もちろん、そういう扱い方をされて悔しくないと言ったら嘘になるが。ただ、いずれ全てが詳らかになる時が来るかもしれない。
その時は俺も自他共に認める勇者になっていると思いたいな。
「そうですか。でも、私はセイン様ならもっと大きな事を成し遂げられると信じています」
フィルミナは期待に満ちた眼差しで言った。
「そう言ってくれるのは嬉しいよ。でも、俺がこれからやろうとしていることはそこらの人間には教えられないからな」
「その中には私も含まれているんですか?」
「まあね。でも、全て片付いたら、フィルミナにだけは教えてやるよ。だから、その時が来るのを待って欲しい」
全てを笑い話にできる日が来ると信じて俺はもっと大きな世界に飛び出そうとしているのだ。
少なくとも、フィルミナの笑顔くらいは守りたいからな。
「分かりました。なら私も期待して待ちますね」
そう言うと、フィルミナは食堂から出て行く。その後ろ姿を見ていると、ゼグナートがビールをゴクゴクと飲み干して口を開いた。
「お前は私が見込んだ男だ。誰かにアピールしなくても、全てをやり遂げた暁にはお前の存在は偉大な者として歴史に残るだろうよ」
ゼグナートの言葉は信じたかったが、リオルドのように有名になったばかりに多くの敵を作ってしまうのは嫌だな。
しがらみが多くなる名誉なんて、進んで求めるもんじゃない。
「そう願いたいもんだな」
俺は枝豆を口の中に放り込んだ。
すると宿屋の入り口の扉が開かれる。現れたのは華やかさを感じる騎士の制服を着た男だった。
それを見て、フィルミナが慌てて「いらっしゃいませ」と声を張り上げる。
「お前がセイン・セオリーニか」
騎士の男は俺の姿を確認すると、そう言って歩み寄ってきた。
「あんたは?」
俺は胡乱な目を向ける。騎士の男からは何とも堅苦しい雰囲気が漂っていた。
「私は近衛兵騎士団の者だ。ラフィリア王女からパーティーの招待状をお前に渡せと言われている」
騎士の男は懐から封筒のような者を取り出すと、俺に差し出してきた。
「パーティーだって?」
俺の声は裏返ってしまった。
「そうだ。パーティーは今日の夜に宮殿で行われるから、お前も招待状を持って宮殿に来い」
騎士の言葉は何とも横柄だった。どうにもアラクシアス王国の騎士は好きになれないんだよな。
騎士と言えば、みんなの味方と言うイメージは幻想だろう。
「今日の夜か。また随分と急な話だな」
一体、どんな名目で開かれるパーティーなんだろう。
「ラフィリア王女はお前には必ず来て貰いたいと言っている。故に特別な事情がない限りはパーティーには来て貰うぞ」
騎士は有無を言わせぬ勢いで命令してきた。
幾ら近衛兵の騎士とは言え、でかい態度を取るにも程があるんじゃないのか。もっとも、王宮にいる騎士なんてみんなこんものか。
「分かったよ。行けば良いんだろ、行けば」
俺は煩わしそうに言った。ここで意地を張るのも大人げないからな。
「ああ。言うまでもないだろうが、服装についても気を遣うように。パーティーに来る者の中には貴族や王族もいるし、お前も恥は掻きたくないはずだ」
パーティーに相応しい服なんて持ってないから、買うしかないな。今の俺は金が有り余っているし、別段、困ることではない。
「はいはい。パーティーには必ず行くから安心しろと、ラフィリア王女には伝えておいてくれ」
俺が投げやりな言葉を返すと騎士の男は厳めしい顔で去って行った。代わりにフィルミナが駆け寄ってくる。
「宮殿で開かれるパーティーに招かれるなんて凄いですね。やっぱり、これもアルカンデュラを倒した功績でしょうか?」
フィルミナは興奮したように言った。
「さあな。まあ、俺も領主の息子だが、宮殿のパーティーなんて行ったこともないよ。親父はどうかは知らないが」
俺の屋敷でもパーティーは開かれたことがあるが、さして名のある人物は集まらなかった。
いずれにせよ、俺はパーティー自体があまり好きではない。王宮で開かれるような気を遣いそうなものなら尚更だ。
「でも、きっと凄い人たちが来るんでしょうね」
「貴族や王族なんてたいしたことはないさ。本当の大物に会いたかったら、ギルドの酒場に行った方がマシなんじゃないのか?」
リオルドやガルフのような大物と会えることを期待するのは間違っているだろう。俺なんてこの国の大臣の名前すら知らないからな。
「そうですか」
フィルミナは萎んだように言うと、カウンターの奥へと行ってしまった。
☆
夜になると俺は宮殿の前まで来ていた。
今の俺の服装は貴族のような典雅なものだし、ここに来るまでも埃で汚れてはいけないと思い乗り合いの馬車も使った。
そうして辿り着いたのが、壮観さを感じさせる宮殿なのである。俺は宮殿の門の前まで来ると、衛兵に招待状を見せる。
それを確認すると衛兵もすんなりと俺を通してくれた。
門を潜っていざ宮殿の中に入ると、そこは予想していた以上に絢爛な場所だった。
入り口に面した広間は高そうな絨毯が敷かれているし、天井からは豪華なシャンデリアがぶら下がっている。
琥珀色の壁にも幾つもの光石が取り付けられていて、夜だというのに光りが絶えない。
俺はここが宮殿かと圧倒された。
それから、広間には使用人のような女性が何人もいて、その内の一人が「会場まで案内しますので付いてきてください」と俺に言った。
俺もこんな広い宮殿の中で迷子になったら困ると思い、素直に使用人の女性の後ろを付いていく。
その間、俺は横幅の広い通路を歩きながら絵画や壺などが置かれているのを見る。そして、ウチの質素な屋敷とは大違いだなと感嘆した。
そうこうしている内に、俺はパーティーの会場まで連れてこられた。
そこは大広間のような場所で、派手で瀟洒な服を着た人間が大勢いた。テーブルには溢れんばかりの豪勢な料理が並べられている。
俺はパーティーの会場に足を踏み入れて、心細くなった。使用人の女性も「では、失礼します」と言ってさっさといなくなってしまったし。
俺はみっともないところを見せないように済ました顔をしながら、大広間をつかつかと歩いていく。
それから、肩身の狭い思いをしながら料理の乗っているテーブルの近くに立ち尽くした。
「よっ、セイン。やっぱりお前もこのパーティーに呼ばれていたか」
背後から話しかけてきたのはリオルドだった。これには俺もほっとさせられる。
「リオルドじゃないか」
こいつがいてくれて良かった。まあ、パーティーに呼ばれたのが俺だけって言うのはあり得ないよな。
「こんな堅苦しいパーティーに呼ばれるなんて、お互い災難だったな」
リオルドは俺の肩をパンパンと叩いた。
ちなみにリオルドの服もパーティーに着ていくようなものではないが、それでもセンスの良さは感じた。
「まったくだ」
俺は疲れたように溜息を吐く。会場にいるのはどいつもこいつも、鼻を高くしているような奴ばかりだ。
これだから、貴族や王族は好きになれないんだ。
「ま、俺は貴族の連中となんて話はしたくないし、俺には料理を食うことくらいしか楽しみはない」
リオルドはフライドチキンを手に取ると豪快にかぶり付く。俺も食うだけ食って、さっさと帰りたかった。
「俺は料理も喉を通りそうにないよ」
「そうか。まあ、せいぜい恥を掻かないようにしようぜ。ここにいる連中は貴族や王族ばかりみたいだし、変に睨まれると厄介だ」
リオルドは楽しそうに談笑している連中を一瞥して笑った。
「ああ。それであんたの飛行艇はもう治ったのか?」
俺の関心は常に飛行艇に寄せられている。だが、リオルドはなかなか見せてくれると言ってくれない。
「いいや。金はあるんだが修理に必要な器材がこの王都じゃなかなか揃わなくてな。だから、もうしばらくはかかりそうだ」
「そういうことね。じゃあ、もし飛行艇が治ったらあんたはどこに行くつもりなんだ?」
俺は乗せて欲しいという言葉をグッと呑み込んだ。
「そいつは船を運ぶ風にでも聞いてくれ」
リオルドは気取ったように言うと、大仰に肩を竦めた。
「はあ?」
俺は目を点にする。それを見て、リオルドはやれやれと首を振ると口を開く。
「とにかく、料理でも食いながら俺たちを招待したラフィリア王女が現れるのを待とう。ラフィリア王女だって用があるから俺たちを呼んだんだろ」
用がなかったら完全な無駄足だし、わざわざこんな高い服まで買った俺は馬鹿みたいだ。そう思った次の瞬間、背後からいきなり人の気配を感じた。
「その通りです」
凛とした声が聞こえてきたのは俺の背後から現れたラフィリアだった。彼女は何とも煌びやかなドレスを身に纏っていて、それがまた息を飲むほど美しい。
「ようやく現れたか。正直、待ちくたびれたぞ」
リオルドは嘆息しながら言った。
「すみません。貴族の方との話がなかなか切り上げられなくて」
ラフィリアは申し訳なさそうに頭を下げた。呼びつけておきながら、本人が顔を出さないなんて失礼な話だからな。
「ふーん」
リオルドはどうでも良いと言わんばかりの顔をする。俺はラフィリアの白くてきめの細かい肌を見て、ドキドキしていた。
「それで貴方たちを呼んだ用件なんですけど、少し困ったことになってしまいました」
ラフィリアは目の辺りに被さる髪を払う。
「というと?」
「王宮がモンスター避けのアミュレットを開発していたのを知っているでしょうか?」
ラフィリアはいきなり妙な話を持ち出してきた。
「ああ。王宮魔法使いの連中がやってたことだろ」
リオルドとは違い、俺はそんな話は聞いたことがない。
「その通りです。そして、昨日になって、ようやく、そのモンスター避けのアミュレットが完成したんです」
ラフィリアは高い声音で言うと言葉を続ける。
「でも、タイミングを見計らっていたかのようにそのモンスター避けのアミュレットが盗まれてしまって」
ラフィリアの顔は深刻だった。それを見ればそのモンスター避けのアミュレットとかいうものがどれほど重要な物か分かる。
「そいつはきな臭いな」
「ええ。本当なら、モンスター避けのアミュレットが完成したら、それを使いながらあなたたちと共に迷宮の最深部に行きたいと思っていたんですけど」
ラフィリアの言っていた対策というのは、モンスター避けのアミュレットのことだったのか。
「そのモンスター避けのアミュレットの効果は確かなのか?」
「それは実験ずみです」
ラフィリアは間髪入れずに言った。
「ひょっとしたら、ラフィリア王女のやろうとしていることを快く思わない奴がいるのかもしれないな。この王宮に」
リオルドの言葉にラフィリアも神妙な顔で頷いた。
「はい。アミュレットの開発は秘密とまでは言わなくても、かなり内密に進められてきました」
ラフィリアは淡々と言葉を続ける。
「それが完成した直後に盗まれたとなると、王宮にいる者の中に犯人がいる可能性は高いと言えるでしょう」
リオルドの言じゃないが、確かにきな臭い。
王宮にある物を盗み出せる奴なんて、そうはいないだろうから、犯人かまたは協力者は王宮の中にいると考えるのが自然だ。
「それでどうするんだ?」
「あなたたちにそのアミュレットを探し出して欲しいのです」
この言葉にはリオルドがあからさまに嫌な顔をした。
「冗談だろ?」
「冗談ではありません。私も率先して動きたいのは山々なんですが、勝手に迷宮に行ったことがお父様に知られて、当分の間は宮殿で謹慎するように言われているのです」
やっぱり迷宮に行ったのは彼女の独断だったか。国を救いたいという気持ちから来るものとはいえ、たいした行動力と言えるな。
「それでそのアミュレット探しを俺たちにやれと?言っておくがそういうのは俺に向いている仕事じゃないんだよ。悪いことは言わないから他を当たれ」
リオルドは冷たく突き放す。確かに、こういう泥臭い仕事はリオルド向きじゃないな。
「もちろん、他の者たちも探してはいますが、彼らでは見つけられないでしょう。それに王宮もモンスター避けのアミュレットが盗まれたことは公にはしたくないのです」
そう言うと、ラフィリアは一拍おいてから口を開く。
「だからこそ、あなたたちのような信頼できる人間に探して貰いたいのですが」
ラフィリアは心苦しそうに言った。
「そう言われてもな」
リオルドは困り果てた顔をした。するとラフィリアの後方から恰幅の良い男が近づいて来る。
「こんなところにいましたか、ラフィリア様」
男は顔の汗をハンカチで拭いながら言った。
「何の用ですか、ラサール大臣?」
ラフィリアは冷ややかな目をラサールという大臣に向ける。それを見て、ラサールは恐縮したような顔をした。
「陛下があなたをお呼びになっておられます。何でもあなたの婚約者候補の方を紹介したいと言っていまして、とにかく、すぐに来て欲しいそうです」
ラフィリアの婚約者には少し興味があるな。
「分かりました。今、参ります」
そう言うと、ラフィリアは小さく一礼して、俺たちの前から去って行った。代わりにラサールが柔和な笑みを拵えて俺たちに話しかけてくる。
「ほう、あなたたちがあの魔獣アルカンデュラを倒した勇者ですか。ラフィリア様を守り通しながら、アルカンデュラを倒すとは実に素晴らしい。陛下に代わって、私がお礼を申し上げましょう」
ラサールの芝居がかったような声を聞き、リオルドは顔をしかめた。
「礼なんていらない。どうせそんなものは一ディオールの足しにもならないからな」
リオルドはにべもなく言った。
「それもそうですね。とにかく、私も今回のことは一つの転機だとは思っているのですよ」
ラサールは思わせ振りな言葉を発する。
「どういう意味だ?」
リオルドが眉根を寄せながら腕を組んだ。
「迷宮からモンスターが溢れればこの王都は大変なことになる。だが、モンスターがいなくなってしまっては王都に住む人々の生活も成り立たなくなる」
「だろうな」
「だからこそ、迷宮とどう付き合っていくべきか、今回の一件で考えさせられた者も多いはずです」
ラサールの言葉に俺もその通りかもしれないと思った。
危険と隣り合わせの豊かさが、この王都の人々を支えているのだ。中にはその自覚がない人間も多いだろう。
「あんたもその一人か?」
「ええ。ともあれ、アルカンデュラはもういないのですから、当面の間は迷宮の平和も保たれることでしょう。それを考えれば、あなたたちには感謝してもしきれませんね」
ラサールは言葉とは裏腹に皮肉っぽく言った。
「そうか」
短く言うと、リオルドは考え込むように顎に手を這わせる。それを見たラサールは慌てて首の汗をハンカチで拭う。
「おっと、私としたことが余計な話をしすぎましたな。他の貴族の方々に対する挨拶もありますし、私も失礼させて貰いますよ」
ラサールは「では、これで」と言って俺とリオルドの前から去って行った。何というか慌ただしい男だ。
あんな男に大臣なんて務まるのだろうか。
「嫌な匂いがするな」
そう眉間に皺を寄せて言ったのはリオルドだった。
「匂いなんてするのか?」
ここでようやく俺は言葉を発した。
「いや、フィックがそう言っているんだよ。こいつは人間やモンスターの匂いを嗅ぎ取ることに長けているし、ついでに思念で俺に話しかけることもできる」
リオルドの肩にいるフィックは惚けたような顔をしていた。それと思念というとテレパシーのようなものか。
「フィックは人間の言葉を話せるのか?」
ドラゴンは賢い生き物だと知られている。中には人間よりも知能が上のドラゴンもいるというのだから侮れない。
「ああ。でも、直接、口にすることはできない。だから、思念で俺の心に語りかけてくるわけだが」
俺もその言葉を聞くことができるのだろうか。
「へー」
俺は蛇の口で人間の言葉を操るゼグナートを見る。まあ、こいつよりも凄い奴はたぶんこの世界にはいないだろう。
「とにかく、ラサールという奴は何となく臭いそうだ。ま、あんな話を聞いた後だし、気にし過ぎかもしれないけどな」
そう言うと、リオルドはフィックの頭を撫でた。まさか、ラサールはモンスターなのではと俺も思ったが、すぐにそれはないなと心の中で否定する。
人間に扮することができるモンスターなど聞いたことがないからな。
「それで、あんたはモンスター避けのアミュレットをどうするつもりだ?まさかこのまま何もしないってわけじゃないんだろ?」
ラサールのことは考えても煮詰まるだけなので、俺は話を変える。
「探すのはお前に任せる。俺は飛行艇の修理で忙しいからな」
リオルドは捉えどころのない顔でさらりと言った。
「やっぱりそうなるか」
俺は脱力しそうになった。嫌なことは押しつけて、美味しいところばかりを持って行くのがリオルドという男かもしれないな。
「どうしても見つからなくて、有益な情報が欲しくなったら、地下街にいるジェフリーに会いに行け」
「ジェフリーって?」
「ジェフリーは凄腕の情報屋だ。あいつの耳に入らない情報はないと言うし、そこら辺は信用しても良い」
そう言うと、リオルドはもう遠慮はいらないとばかりにテーブルの上にある料理を次々と食べ始めた。
☆
王宮でのパーティーが終わった次の日の朝、俺は巻き貝亭を出ると、その足で地下街へと向かった。
その目的は情報屋のジェフリーに会うためだ。
俺は最初から、自分の力でアミュレットを探そうなんて、これっぽっちも思っていなかったのだ。
だから、すぐに情報屋を頼ろうとすることに抵抗はなかった。
そして、リオルドが言うにはジェフリーは常に自分の居場所を変えているらしい。それもこれもジェフリーが危険な情報を幾つも抱えているからだと言う。
いつ殺されてもおかしくない、男。
リオルドはジェフリーのことをそう呼んでいた。となると、探すのには苦労しそうだなと俺も思った。
そんなジェフリーを見つける方法はリオルドが言うにはただ一つしかないらしい。
簡単に言うとジェフリーの居場所を地下街で聞き回れば良い。そうすれば向こうから接触してくるとのことだった。
なので、俺は地下街にいる連中にジェフリーの居場所を片っ端から聞いて回った。みんなジェフリーのことは知っているがその居場所は全く分からないという。
そして、俺もこんなことをしていても無駄なんじゃないと思い始めたその時、背後から声をかけられた。
「ワシのことを探しているのはお前さんか?」
小柄で汚らしい老人が俺の背後にいた。
「あんたがジェフリーか?」
十分、気を付けて歩いていたのに、まるで気配を感じなかった。老人とは言え、かなりできる男だ。
「いかにも。そういうお前さんはあのアルカンデュラを倒したセイン・セオリーニだろ?」
ジェフリーは皺だらけの顔で笑った。これには俺も内心で冷やっとしていた。
「良く知っているな」
「仮にもワシは危険と隣り合わせの情報屋を営んでいるのでな。それくらいの情報が掴めぬようでは生き残ることはできんよ」
ジェフリーはなけなしの矜恃を滲ませるように言った。
「なら、単刀直入に聞く。モンスター避けのアミュレットはどこにある?」
俺は切り込むように尋ねた。
「それを知ってどうする?」
「あんたに言う必要があるのか?」
情報屋には、こちらも必要以上の情報を渡さない。それが鉄則だと前に親父から教えられたことがある。
「いや、ないな。ただし、それが知りたければかなりの金額を頂くぞ。ちょうどお前さんはアルカンデュラを倒した報酬の四割は貰っているし、足下は見させて貰う」
そこまで知っているとは。やはりこの老人はただ者ではない。
「分かった。では、幾ら払えば良い?」
「八十万ディオールだ」
「高いな」
本当に足下を見て来やがったな。こんな老いぼれに八十万ディオールもの金の使い道があるとは思えないが。
やっぱりガキだと舐められているのかもしれない。
「お前さんなら払えない金額ではあるまい」
ジェフリーはフォッフォッとフクロウのように笑う。老獪という言葉が似合いそうな男だった。
「その通りだし、まあ、良いだろう」
ここで金を惜しんではこの先、立ち行かなくなる可能性もある。金で片付くだけ簡単だと思った方が良いな。
俺はジェフリーに金貨を渡すと、改めて詰問するように尋ねる。
「さあ、金は払ったぞ。まずはアミュレットがどこにあるのか聞かせて貰おうか」
それが分かれば話は早いし、高い金を払った価値もある。
「なら、順を追って話そう。アミュレットを盗んだのはラドヴィッジという凄腕のトレジャーハンターだ。ラドヴィッジは冒険者ランクでもAの評価を貰っておる」
「Aランクの冒険者か」
リオルドの実力から計るに、今の俺と互角かまたはそれに近い強さを持っている可能性があるな。
「そう、奴からアミュレットを取り返すのは、相当、危険が伴うだろうな。もっとも、奴がまだアミュレットを持っていればの話だが」
「なるほど」
持っていないとなると、それはそれで厄介なことになる。のんびりと構えている暇はないということだ。
「ラドヴィッジの背後には王宮の人間が絡んでいる。そうでなければいかにラドヴィッジと言えども、厳重に保管されていたモンスター避けのアミュレットを盗むことはできなかっただろう」
リオルドも王宮の人間が怪しいことは指摘していたな。もっとも、それくらいは誰でも想像が付く。
問題なのはそれが真実かどうかだ。
「王宮に協力者がいたというわけか」
「そういうことだ。ワシはその人物をかなりの大物だと見ている。だが、確証に欠けるので、そこら辺は口にはできんな」
王宮に長いこと住んでいるラフィリアなら見当は付くのかもしれないが。
「分かった。それでラドヴィッジはどこにいるんだ?」
ここからが重要だ。
「地下街にウィリーという男がやっている露店がある。奴が広げている敷物の下には秘密の階段があって、そこにラドヴィッジのねぐらがあるというわけだ」
隠れるように生活していると言うことは、Aランクの冒険者とはいえ、真っ当な男ではなさそうだ。
「そうか。なら、ラドヴィッジがアミュレットをどうにかする前に取り戻す必要があるな」
そう口にしてから俺は探るような目で言葉を続ける。
「ひょっとして、あんたならアミュレットが最終的に誰の手に渡るのか知ってるんじゃないのか?」
「そこまではワシにも分からん。ただ、王宮にいる人間の手に渡るというのは間違いないだろうな」
モンスター避けのアミュレットを手に入れて得をする人間は誰か。いや、ここはモンスター避けのアミュレットがあっては困る人間は誰かと考えるべきか。
「だよな。いずれにせよ、そういうことならラドヴィッジから直接、聞き出すしかないな。例えどんな手を使ってでも」
人を殺したことがない俺がそんなことを言ってもただの強がりに過ぎないことは分かっているが。
「何度も言うようだが奴は手強いぞ。くれぐれも命を落とさんようにな」
「爺さんもな」
俺は自然と笑みを浮かべていた。するとジェフリーも好々爺のような笑みで応える。
「まだまだ若い者には負けられんわい」
そう言って、ジェフリーは身を翻すと、地下街の雑踏の中に消えていった。
その後、俺は地下街の人間を捕まえてウィリーの店がどこにあるのか尋ねる。するとすぐに見つけることができた。
荒事には向きそうにない線の細い体をした男のウィリーは通路の一番奥で怪しげなアクセサリーを売っていたのだ。
「おい、ウィリー。その敷物の下にある階段を通らせて貰おうか」
俺は乱暴ともいえる口調で言った。
「そんなものはありはしないよ。冷やかしなら帰りな」
ウィリーは済ました顔で手をシッシッと振った。その頬からは動揺のためか汗が流れ落ちている。
「痛い目を見たいのか?」
俺は素早く剣を抜き放つと、ウィリーの首にその切っ先を突きつける。この手のチャラチャラした男は力を見せて、脅し付けるのが一番、効果的だ。
「ヒッ」
ウィリーはネズミのようにビクッと体を震わせた。思った通り、肝は小さいようだな。
「さっさとそこをどけ。そこに隠し階段があることは調べ済みなんだからな」
俺はドスの効いた声で言った。それを受け、ウィリーは腰砕けになったような顔で口を開く。
「分かりましたよ。だから、そんな物騒なもんを向けないでくださいって」
ウィリーは頭を掻きむしりながら言うと、敷物を取り払う。するとそこには小さな扉があり、それを開けると暗い階段が続いていた。
「ラドヴィッジは奥にいるのか?」
俺の質問にウィリーはヘヘッと笑う。
「ラドヴィッジの旦那なら、奥で寝てますよ。でも、こんなやり方は凄腕のトレジャーハンターの旦那には通じませんからね」
ラドヴィッジの力には相当な自信があるってことか。
本当は俺もリオルドと一緒に来れば心強かったが、ここまで来たらそうはいかないだろう。
今は成り行きに任せるしかない。
そう思った俺は用心を重ねるような足取りで階段を下りていく。するとそこは巻き貝亭の宿屋と同じくらいの広さの部屋があった。
そのベッドの上に一人の男が寝ている。
「ほう、俺のねぐらを突き止めたか。どうやらただ者じゃなさそうだな」
男、いや、ラドヴィッジは顔の上に載せていた文庫本を手に取った。すると切れ長の目が刃のように光る。
「そういうあんたこそ、凄腕のトレジャーハンターとか言われているそうじゃないか」
俺はラドヴィッジの余裕のある態度を見て、甘く見られる類いの人間ではないことを察する。
ただ、勝てない相手だとは思っていない。
「まあな。お前はそんな俺に何の用だ?」
ラドヴィッジは上半身を起こすとニヤリと笑った。
「モンスター避けのアミュレットを渡せ。そうすれば命だけは助けてやる」
そうは言ったが、出方によっては、こいつとは殺す気で戦わなければならないと俺も考えていた。
「俺から奪えると思っているのか?」
ラドヴィッジは自信の程を窺わせる。修羅場を潜り抜けてきた者だけが纏えるような空気がリオルドからは発せられていた。
「ああ。Sランクの冒険者、リオルドよりも実力が下だというのならな」
俺も自分がリオルドよりも弱いと思ったわけではない。ただ、本当の実力なんてものはランクだけでは分からないものだ。
「まさか、お前はセイン・セオリーニか?」
ラドヴィッジの目が見開かれた。
「そうだ」
「お前がアルカンデュラを倒したことは聞いているぞ。もっとも、俺の周りの人間はリオルドやラフィリア王女のことばかり持ち上げていたが」
ラドヴィッジは剣呑に目を光らせた。
「それがどうした?」
「あのアルカンデュラと戦って生き残った人間なら俺も油断できないってことだ。お前もアミュレットが欲しければ殺す気で取りに来い」
ラドヴィッジはバネのように飛び上がると、普通の剣よりも少し短めの剣を手にして凄んできた。
やはり戦いは避けられないか。
「言われなくてもそうしてやるさ」
俺は背中で汗を掻きながら、剣をしっかりと構えた。それを見たラドヴィッジは目にも留まらぬ早さで剣を突き出してきた。
俺はそれを反射的に弾き返す。あともう少し反応が遅かったら心臓を串刺しにされていただろう。
やはりこいつは相当の実力者だ。
そう思った俺は体の神経を研ぎ澄ましてラドヴィッジに閃光の如き突きを放った。ラドヴィッジはそれをひらりとかわす。
その瞬間、俺は剣を横なぎにした。この変則的な攻撃はそう簡単にはかわせまい。だが、ラドヴィッジはしゃがみ込むことで、俺の剣を軽やかにかわして見せた。
すかさず俺はラドヴィッジの頭に剣を振り下ろす。だが、その一撃は本棚を切り裂いただけだった。
広い部屋とは言えないので、小回りの効くような戦い方が求められる。
そして、ラドヴィッジはその戦い方を良く心得ていた。すぐさま剣で俺の喉元を突き刺そうとしてくる。
俺は首を捻って避けたが、その一撃は皮膚を掠めた。危うく首の動脈を切り裂かれるところだった。
更に、ラドヴィッジは綺麗な弧を描く斬撃を小刻みに放ってきた。俺は的確に急所を狙ってくる斬撃を危なげに弾く。
その立ち合いで感じたのは、間違いなくラドヴィッジは俺を殺そうとしているということだった。
なのに、俺には奴を殺す覚悟がまだできていない。それは勝敗を分ける大きな差と言えた。
焦った俺は闇雲に剣を振り下ろした。だが、その攻撃は全ていなされてしまう。もう少し広い場所だったら、俺の方が有利だったのに。
ラドヴィッジは余裕を滲ませた顔で、俺の体を何度も串刺しにしようとする。剣が短いので俺としても、その攻撃を捌きにくいのだ。
だが、勝機はある。
その要因はラドヴィッジの剣にあった。奴の剣は細くて、短い。だから、こういう場所では小回りが効いて戦いやすい。
だが、奴の剣の強度はそれほどでもないと見た。このドラゴンの鱗すら易々と切り裂くという剣の一撃をどこまで受けきれるか。
俺はラドヴィッジを殺そうとするのではなく剣そのものを破壊しようとする。そう思うと、相手を殺そうとする気負いがなくなり、冷静に剣を振るえるようになった。
俺は反撃を許さない激しい斬撃をラドヴィッジにお見舞いする。この狭い場所では当然のことながら、まともに剣を受け止めなければならないことが多くなる。
なので、ラドヴィッジは俺の狙いも知らずに確実に俺の剣を受け止め、捌いていった。
そして、打ち合う回数が二十を超えた頃、とうとうラドヴィッジの剣に罅が入った。思った通り剣の強度はそれほどでもなかったか。
俺は畳みかけるように体重を乗せた剣を振り下ろす。するとラドヴィッジの剣が根元から砕け散った。
これにはラドヴィッジも驚き入るような顔をして動けなくなる。それを見て、俺は会心の笑みを浮かべた。
そう、この時点で完全に勝敗は決したのだ。ラドヴィッジも丸腰で俺に勝てるとは思わないだろう。
もし、奴の剣がリオルドの短剣のように特殊な金属で作られていたなら、俺は負けていたかもしれない。
そういう意味では運が良かったと言えるな。
「参った。俺の負けだ」
ラドヴィッジは降参するように手を上げた。
だが、まだ油断することはできない。隙を見せればナイフを取り出して、俺の喉をかき切ることもできるだろう。
この手の男を相手にするには用心を重ねる必要があるのだ。
「死にたくなかったら、モンスター避けのアミュレットを渡せ」
俺は慎重にラドヴィッジの首筋に剣の刃を当てる。少しでも力を入れれば奴を殺すことができるだろう。
「あれはもうない」
ラドヴィッジは強張った笑みを浮かべた。
「誰に渡した?」
俺は恫喝する。この期に及んで嘘を吐くようなら、痛い目を見て貰うが。
「それを言ったら俺は殺される」
ラドヴィッジは唇をブルブルと震わせた。この男をここまで恐れさせるとは何者だ。
「なら、今ここで俺に殺されてみるか?」
俺にこいつを殺す勇気はない。それはさっきの戦いで嫌と言うほど思い知った。やっぱり俺は甘いらしいな。
「遠慮しておこう。アミュレットは王宮にいるラサール大臣に渡した。それ以外のことは何も知らん」
ラドヴィッジは薄く目を瞑ってそう言った。
どうやら嘘を吐いているわけではなさそうだと思った俺は剣を引くと、ラドヴィッジを開放する。
するとラドヴィッジは当惑するような顔をした。
「俺を殺さないのか?」
ラドヴィッジは僅かに血が流れている首筋を手で触りながら言った。
「その勇気があれば、俺は逆に殺されていただろうな」
武器を破壊しようとする機転は思いつかなかったかもしれない。
「やっぱり子供は子供か」
ラドヴィッジは嘲るように言った。
「甘いと言いたいんだろう。だが、その甘さに俺もお前も救われた。そいつを忘れるな」
いつかその甘さが命取りになる日が来る。でも、それが今じゃないことは確かだった。
「そうか」
その場にへたり込んだラドヴィッジは心の底から負けを認めたように笑った。
第三章の後半に続く。