第一章 後半
第一章 世界を救う旅の始まり 後半
俺は王都の防壁の門の前まで来ていた。
そこには兵士たちがいて門の警備をしている。が、俺の顔を見ると兵士たちは無言で通してくれる。
彼らと顔を合わせるのは初めてではないので、俺がセオリーニ家の子息だと言うことは知っているのだ。
俺は門を潜ると王都のメイン通りを歩いて行く。王都は縦に長い建物が多いのが特徴なので、道の両側は壁に挟まれているような感じを受ける。
そのせいか、歩いているだけで通行人とぶつかりそうになるほど、道は人でごった返しているのだ。
更に、メイン通りには迷宮に挑戦しようとしている異国の冒険者たちがたくさん歩いている。
なので、武器を持った人間に因縁を付けられたりしたらたまらない。
ちなみにメイン通りはカウンターが道に面した店がずらりと並んでいるし、道端には屋台や露天商などもいる。
故に、まるでお祭りのような賑やかさがあるのだ。
そんな道を俺は馬を引きながら歩いて行く。
最初に行くのは宿屋だ。
いきなり迷宮に入るほど俺も馬鹿ではない。迷宮を攻略したかったらまずはいつでも休める宿を確保することが鉄則だ。
俺は王都のメイン通りから外れた狭い路地を歩いて行く。
すると、巻き貝亭という小さな宿屋を見つける。ここは俺の知り合いが経営している宿屋なのだ。
俺は馬を馬屋に繋ぐと、そのまま宿屋の中に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
そう言ったのは栗色の髪をした可愛い女の子だった。年齢は俺と同じくらいだろうが、聞いたことがないから分からない。
貴族ではない平民の中には自分の年齢も分からない人間が多いのだ。
とにかく、彼女の名前はフィルミナ・ロックスティンと言って、宿屋の主人であるロナルド・ロックスティンの娘だ。
他に働き人はいないので無精なロナルドに代わり、フィルミナが宿屋の切り盛りをしている。
彼女のおかげで、この宿屋の経営が成り立っていると言っても過言ではない。
「しばらくの間、泊まりたいんだけど良いかな」
俺はなけなしの貯金を叩いて王都に留まるつもりでいた。親父は金銭の援助は一切してくれなかったからな。
とはいえ、金があったとしても俺はこの宿屋を選んでいただろう。ま、カジノ付きのホテルに泊まりたくなかったと言ったら嘘になるが。
「もちろんです。セイン様ならしばらくとは言わず一生、泊まってくれても構いませんよ」
フィルミナは弾けんばかりの笑顔で言った。
「それは遠慮しとく」
フィルミナが俺に好意を寄せていることは分かっている。ただ、それに甘えるわけにはいかない。
別に他に好きな女の子がいるわけじゃないが。
「でも、しばらくというと王都に長く滞在する用でもあるんですか?」
「ああ。迷宮に挑戦することにしたんだ」
「迷宮ですか」
迷宮という言葉をフィルミナは噛み砕くように口にする。その顔には懸念の色が広がっていた。
「そうだよ、迷宮にパワースポットがあるのは知っているだろ。そこに行きたくてさ」
パワースポットに入ると、体力や魔力が回復する。なので、迷宮に入る者はパワースポットのお世話になることも多いのだ。
「駄目です。迷宮に行くのは絶対に止めた方が良いです」
フィルミナはいきなり険阻な声で言った。
「どうして?」
「知らないんですか?最近の迷宮では冒険者殺しが多発しているんですよ」
「冒険者殺しだって?」
その言葉には俺も剣呑なものを感じた。
かつては迷宮で冒険者が殺されるのは珍しいことではなかったが、近年ではその数も減少していると聞いている。
なぜなら、迷宮の探索もある程度まで進み、フロアーの構造や出現するモンスターの情報が冒険者たちに行き渡るようになったからだ。
なので、俺も気を楽にして迷宮に挑もうと思っていたのだが。
「はい、魔獣アルカンデュラとかいうモンスターが迷宮の浅い階にまで出没して冒険者を殺し回っているんです」
「それは危険だな」
アルカンデュラは伝説では魔界にいる邪神ジェハサークの僕だったはずだ。
そのジェハサークは魔界から自らの配下を送り込み、このセファリュシオンを混乱させているという。
そして、その混乱に乗じて、世界を我が物にしようと企んでいるらしい。ただ、ジェハサーク自体がどういう奴なのかは謎のヴェールに包まれている。
ま、ゼグナートがいたんだからジェハサークがいても何らおかしくはない。
「そうですよ。傭兵や騎士団の人たちがアルカンデュラを倒そうと躍起になっているんですけどなかなか上手くいかなくて」
伝説の魔獣の強さは計り知れないものがあるというわけだな。興味本位で一戦交えてみたいと思った俺はやはり馬鹿だろうか。
「なるほどね」
「ですから、迷宮に行くのは考え直して頂けませんか?」
フィルミナはそう訴えかけてくる。その俺のことを心から心配する目を見て、俺は首の後ろを掻いた。
「それはできないんだ。俺も命懸けでやり遂げなきゃならないことがあるし」
ここで逃げ帰ったら良い笑いものだ。もちろん、ただの安っぽいプライドを守るために迷宮に行こうとしているわけではない。
人間には避けて通れない道というものがあるのだ。そして、その道に踏み出せるかどうかが、今、試されている。
「そうですか」
フィルミナは胸の前で手を合わせて、目線を下げる。自分の言葉では止められないと悟ったのだろう。
「大丈夫。俺の剣の腕前はフィルミナも知っているだろ。相手がアルカンデュラでも逃げることくらいはできるさ」
いや、そんな自信は全然ない。
むしろ、この時の俺は怖さが麻痺していてアルカンデュラという敵に対しての危機感を抱くことができなかったのだ。
だが、世界が滅びるというなら、ここで命を惜しんでいるわけにはいかないし、行かなければならないだろう。
「そうだと良いんですが」
「とにかく、朝食も食べてないから何か用意してくれ」
フィルミナの作る料理はなかなか旨いのだ。その上、値段も安いしフィルミナがいなかったら、この宿屋の経営は本当には成り立たないだろうな。
「分かりました」
そう言うとフィルミナはカウンターの奥へと行ってしまった。
☆
朝食を食べた俺は再びメイン通りを歩いていた。
迷宮に入るにはギルドの許可を貰わなければならない。なので、王宮の前の通りにあるギルドへと向かっているのだ。
俺は武器を手にした異国の冒険者の横を通り過ぎる。やっぱり迷宮に挑もうとしている冒険者は迫力があるな。
あと、話は変わるが騎士団に入れるのはこの国の人間だけだと聞いている。そこら辺に差別意識のようなものを感じなくもない。
俺は道を挟む高い建物がなくなる中央広場に辿り着く。その視線の先には宮殿が見えた。絢爛豪華な宮殿はこの国の豊かさを体現しているようにも思える。
俺は広場にある噴水の前を通り抜けると再び建物に挟まれた道に入った。そして、しばらく歩くと聳え立つようなギルドの建物へと辿り着く。
ギルドは様々な施設が複合していると聞いている。だから、酒場からトレーニングルームまで冒険者の役立つものなら何でもあるそうだ。
そんなギルドに俺は緊張しながら足を踏み入れる。
入り口のすぐ中にある広間はなかなか豪勢だった。床には綺麗なカーペットが敷かれているし、天井からはシャンデリアがぶら下がっている。隅には緑豊かな観葉植物が置かれ、壁には大きな掲示板が幾つも取り付けられていた。
そして、一番大きな掲示板の前には仕事を紹介する紙がビッシリと貼り出されている。この中から自分の請け負いたい仕事を選ぶのだ。
つまり、ギルドは仕事の斡旋場のようなものだ。
俺は武器を手にした冒険者や傭兵たちの傍を通り過ぎながら受付へと向かう。すると受付の女性が俺の応対をした。
「何のご用でしょうか?」
受付の女性は感情を見せずに尋ねて来る。その事務的とも言える声を聞き、俺はこんな女性に荒くれ者の冒険者や傭兵の相手が務まるのかと思った。
「迷宮に入る許可を貰いたいんだが」
俺は頬をボリボリと掻きながら切り出す。子供だから、などという理由で門前払いを食わなきゃ良いが。
「許可証の発行には二万五千ディオール掛かります。それから、審査も受けて貰うことになりますが」
俺の所持金は八万ディオールだし出せない金額じゃない。ただ、この王都で生活していくためのお金も必要になるから、二万五千ディオールは痛い出費だ。
「審査ってどんなことをするんだ?」
「ギルドの戦士とトレーニングルームで戦って貰います。そこであなたの実力を判断した上で、許可証を発行します」
女性は淡々と言った。
「面倒だな」
俺はそう零した。腕に自信がないわけではないが、それでもギルドの戦士と戦って勝てるかどうかは分からない。
ただ、剣を使った普通の戦いであれば、そこらの相手に負けるつもりはないが。
「なら、俺と一緒に行くって言うのはどうだ?セイン・セオリーニ君」
俺の背後から男がスーッと現れた。それを受け、俺は敢えて気配を立つようにして近づいてくるとは暗殺者か、と思った。
「あんたは?」
男はボサボサとした金髪が特徴的な二十代の半ばくらいの男だった。少なくとも暗殺者と言うよりは遊び人だ。
貴族のボンボンに無理やり冒険者の格好をさせたらこんな奴になるのではないだろうか。
ただ、漂ってくる空気はどこか掴みどころのないものを感じさせる。一目でただ者ではないことが分かった。
「俺の名前はリオルド。フルネームはリオルド・J・シュルナーグだ。呼びにくければリオでも良いぜ」
男、いや、リオルドは砕けた感じで自己紹介する。その名前を聞いた俺は思わず驚いてしまった。
リオルドと聞いて思い浮かべる人物は一人しかいない。
「はあ」
俺は間の抜けたような声を出した。伝説の人物とも言える人間を前にして完全に気後れしてしまったのだ。
「ついでにこいつは俺の相棒のフィックだ。あの竜王ガンティアラスの子孫だと言ったら君は驚くかな」
リオルドの肩の上に乗っていた小さいドラゴンが目を瞬かせる。
ガンティアラスと言ったら、かつてあの有名な光りの国を守護していたドラゴンではないか。
その子孫がこの国にもいて王宮に仕えていたことは聞いていたし、アラクシアス王国の紋章にもガンティアラスの姿は描かれている。
まさか、この惚けた顔のドラゴンが、ガンティアラスの子孫とはね。
いずれにせよ、こいつも小さくはあるが、ゼグナートのように見かけだけでは判断できないような力があるのかもしれない。
「あんたが空を飛ぶ船を持っている伝説の冒険者のリオルドだって言うのか?」
リオルドの名前を知らない奴は滅多にいないだろう。彼の冒険譚は本にもなっているし、その本は世界中でベストセラーになった。
世界でただ一つの空を飛ぶ船、エクスヴァード号を所持していることはあまりにも有名だし、誰もが一度はそんなリオルドに憧れる。
そいつが何の前触れもなく現れたんだから、運命の悪戯も良いところだ。
「過去の話さ」
リオルドは肩を竦めた。
「でも、一緒に行くって言うのはどういうことだ?」
言葉通り、仲間になれという意味だろうか。
「俺と一緒に迷宮に潜ってくれるなら、許可証を発行して貰えるように推薦状を書いてやっても良い」
「そんなことができるのか?」
俺は胡乱な目でリオルドを見た。
「Sランクの冒険者はそういうことができるんだよ」
「あんたがSランクだって?」
ギルドには冒険者ランクというものがある。それによって報酬の額や引き受けられる仕事の内容が変わったりするのだ。
「ああ。これでも俺はギルドでは五本の指に入る冒険者として名を連ねている。そうだろ受付のお嬢さん」
リオルドはキザな笑みを浮かべて、受付の女性にウインクした。
「え、ええ。確かにあなたの推薦状があるなら、誰にでも許可証は発行できます」
そこで初めて受付の女性は表情を変えた。
「なら決まりだ。さっさとこいつのために許可証を発行してやってくれ。こいつは王宮が主催する剣術の大会で三位に入った奴だ。実力なんて試すまでもないだろ」
リオルドは俺の返答を待たずに話を進める。これには俺も顔をしかめたが、渡りに船だと思い何も言わなかった。
とにかく、こいつも俺のことを知っていて声をかけたというわけか。なかなか抜け目のない男のようだな、リオルドは。
その後、受付の女性は俺に必要事項を紙に記入させる。それから、その紙を持ってカウンターの奥へと消えると、十分ほどで戻ってきた。
「これが許可証です。再発行は簡単にはできないので、なくさないように気を付けてください」
そう言って、受付の女性は俺に手帳のようなものを渡した。ちなみに許可証はギルドのメンバーにしか発行されない。
なので、許可証を貰ったと言うことは俺も自動的にギルドのメンバーとして登録されたと言うことだ。
「これでお前も一端の冒険者だ」
リオルドは俺の肩にポンッと手を乗せた。
「色々とありがとう」
この男がいなかったら、許可証は手に入れられなかったかもしれない。だから、一応、感謝はしているのだ。
「礼ならいらんよ。俺は自分の利になることをしただけだからな」
リオルドは飄々と言った。
「つまり俺を利用したと?」
何か裏があるなら聞かせて貰おうか。
「そういうことだ。俺はあの強欲な邪竜ゼラボラスとの戦いで壊れた飛行艇を直すために金を必要としている。だが、俺は空を駆ける冒険者だ」
リオルドは矜恃を滲ませるように言うと言葉を続ける。
「だから、地下にある迷宮には一度も潜ったことがないし、今までは潜りたいとも思わなかった」
「それで?」
俺は相槌を打つ。
「本当は一緒に行く仲間はお前じゃなくても良かったんだが、他の奴らはとにかく金にがめつくてね。酷い奴は有名な俺に対して敵意すら向けてくる。だから、子供ではあるが腕の立つお前に話を持ちかけたわけさ」
リオルドの軽い笑みに俺は難しい顔をする。
「そういうことか」
安く見られたというわけではなさそうだな。リオルドは華やかで自由の象徴のような男だと思っていたが現実はやはり違うというわけか。
「ああ。とにかく立ち話もなんだし、酒場にでも行こうぜ。お前はまだ子供だし酒は飲めないが、ジュースくらいは奢ってやれる」
そう言うとリオルドは子供のように笑った。
☆
俺はギルドの酒場へと来ていた。そこにはたくさんの冒険者や傭兵がいて、酒を飲んだり料理を食べたりしていた。
俺は運ばれてきたリンゴジュースを飲みながら、リオルドの顔を見る。リオルドはブランデーをチビチビと飲みながら、先ほどから俺の話に耳を傾けていた。
一方、フィックはと言うと、山盛りのポテトフライをムシャムシャと食べている。ゼグナートもリオルドに高級なぶどう酒を奢らせて、それを飲んでいた。
「なるほど。まさかそんな事情があるとは思わなかったな。俺もこれからの身の振り方はよく考えるべきか」
リオルドは俺から旅に出た理由を全て聞き終えると、氷の入ったブランデーのグラスを小さく鳴らした。
この話を聞いても危機感を全く感じさせないところを見ると、やはり信じてはもらえなかったのか。
俺としては何らかの形でリオルドの協力を受けられれば儲けものだと思っていたが。
「そうした方が良い。幾ら富や名声を得ても死んでしまったら、そんなものは何の役にも立たないだろうからな」
俺だって不自由のない生活を捨てて旅に出ると決めたのだから、今更、私欲はない。あるのは広い世界に対する好奇心と、大切な人たちを守るという使命感だけだ。
「違いない」
リオルドはグラスをコンッとテーブルの上に置いて笑った。
「それであんたがセファラートに行ったことがあるというのは本当なのか?」
俺もその話は詳しく聞くべきだと思った。
「ああ。でも、空に浮かんだ大地に近づこうとしたら、バリアのようなもので弾き飛ばされたな。おかげで飛行艇の翼も壊れちまったし」
リオルドは苦い顔をする。
「やっぱり空からの進入も無理か」
これでドラゴンやワイバーンに乗ってセファラートに行くという選択肢もなくなった。
「ああ。天空都市の真下にある神聖セファルナシア王国のゲートにも入ったが、何の反応もなかったからな。つまり、俺は神に選ばれた人間ではなかったらしい」
リオルドは口の端を吊り上げる。やっぱり俺も天空都市へと転移できるゲートに足を踏み入れても無駄なのかな。
もし、セファラートに行くことができれば、セファルナートと戦わずとも命は助かるかもしれないし。
が、そんな考えを見透かしたようにゼグナートが目を光らせる。
「いずれにせよ、これで世界各地のパワースポットを巡るしか手がなくなったわけだ。お前もいい加減、甘い考えは捨てるのだな」
ゼグナートはぶどう酒の入ったグラスから顔を上げるとそう言い聞かせた。
「言ってくれるよ」
人の気も知らないで。
「とにかく、俺もこんなちんちくりんな蛇があの伝説の魔神と言われたゼグナートだとは思わなかったし、がっかりも良いところだな」
リオルドはからかうように言った。それに対し、ゼグナートも渋面で口を開く。
「私とて侮るなと言いたい。が、あいにくと今の私にはモンスターに打ち勝つ力さえない。パワースポットで魔力を回復できれば話も違ってくるのだが」
一つ目のパワースポットでどれだけの力が回復できるのか、それはゼグナートにも全く分からないらしい。
ただ、俺としても本格的な旅に出る前にゼグナートにどれだけの力があるのかは把握しておきたかった。
それさえ分かれば、この世界にいる神や悪魔たちの力も自ずと推し量れるし。
「なら、魔力を回復できたら、その力を見せてくれよな」
リオルドは挑発するように言った。
「良いだろう」
ゼグナートも負けまいと胸を張る。それを聞き、リオルドはブランデーを一気に呷るようにして飲み干した。
「何にせよ、お前らにとって、旅はまだ始まったばかりだ。焦らず慎重に事が運ぶように行動しようぜ」
リオルドは実に気楽そうに言った。
「そういうあんたは世界が滅びると聞いてどうするつもりなんだ?」
俺も声を強くして尋ねずにはいられない。
「俺はとりあえず飛行艇を直す。その後のことはまだ考えてないな」
リオルドは肩を竦めたし、どこまで俺の話を本気で捉えているのかは判断が付かない。ただ、事実は事実として自然に受け入れているようだった。
「そうか」
俺は全てのリンゴジュースを喉に流し込む。
すると酒場の向こうから怒鳴り声が聞こえてきた。声のした方に視線を向けてみれば一人の少女が柄の悪そうな二人組の男たちと何やら言い争っていた。
俺は関わり合いにならない方が良いと思ったが、リオルドは席から立ち上がり、少女の方に歩いて行った。
それを受け、仕方なく俺もその後に続く。
「おい、お前ら。その子から手を放せ」
リオルドの声が酒場の空気を切り裂く。俺もざわめきがリオルドを中心にして広がっていくのを感じた。
「何だ、てめぇは?」
男の一人は強面の顔で言った。見た感じ、話が通じる相手ではなさそうだが。
「俺が誰かなんてどうでも良い。だが、美しいお嬢さんの腕をその汚らしい手で掴むのは感心しないなと言いたいだけさ」
リオルドはあくまで不適だった。こういうところは自伝の本に書かれていたことと一緒なんだよな。
「ぶっ殺されたいみたいだな」
男の怒りのボルテージが上がっていく。ただ、リオルドの横顔はどこまでも涼しげだった。
「おい、止めとけって。そいつはSランクの冒険者のリオルドだぞ」
隣にいた別の男が止めに入る。その顔にはこいつと事を構えるのはご免だと書いてあった。
「こいつが」
男は明らかに怖じ気づいた顔をする。ただ、振り上げてしまった拳の落としどころは見つけられないようだった。
「そういうことだ。それが分かったなら痛い目に遭わない内にとっとと失せろ。それが賢く生きるってもんだぜ」
リオルドの物言いは火に油を注ぐようなものだ。
「面白れぇ。なら、高名なリオルド様の実力を拝ませて貰おうじゃないか」
あくまで強気の姿勢を崩そうとしない男は背中に括り付けてある鞘から肉厚なサーベルを引き抜いた。
こんなので斬りつけられたら体が真っ二つになるぞ。
「やれやれ」
リオルドは手を広げて、首を振る。それから、素早い動作で腰のベルトの鞘から二本の短剣を引き抜いた。
その瞬間、電撃のような刃の煌めきが見えたと思ったら、バキンという音と共に男のサーベルはバラバラに砕け散っていた。
その破片もキラキラと光りながら宙を舞う。
これには俺も唖然とした。
「俺の自慢のサーベルがこんなに簡単に砕けるなんて」
男は目を白黒させる。他の客たちも、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「こいつは特殊な金属で作られた短剣だ。その硬さはそこらの鋼よりも遥に上だし、しかも、どんな物でも切り裂ける。お前も切られれば死ぬぞ」
俺の目から見てもリオルドの短剣は上等な代物に見えた。それを二本も手にして、笑っているリオルドの実力は推して計るべきだろう。
一方、男はリオルドから突きつけられた二つの刃を目にして、脂汗をダラダラと流しながら後ずさった。
「ちっ、しょうがねぇ。今日のところは見逃してやるぜ」
男は舌打ちしながら、這々の体で酒場から出て行った。もう一人の男も明らかに怯えた顔で、その後を追う。
それを見て、俺はほっとした。
「あの人たち、ぶつかったらいきなり声を荒げてきたんです。でも、助けてくれてありがとうございました」
ブロンドの髪を腰まで伸ばした美しい少女はそうお礼を言うと、そそくさとその場から立ち去ろうとする。
だが、その腕をリオルドが目にも留まらぬ早さで掴んだ。
「ちょっと待てよ。あんたはラフィリア王女じゃないのか?」
リオルドの言葉に俺はぎょっとする。少女の艶やかなブロンドの髪は確かに高貴な生まれを感じさせるが。
「違います」
少女はブンブンと首を振った。だが、その様子があまりにも必死だったので、逆に怪しく思えて来る。
「Sランクの冒険者の俺の目は誤魔化せないぜ。それにこんなところに王女様が足を運ぶなんて何か事情があるんだろ?」
リオルドは少女の事情を汲み取るように言った。それにしてもリオルドは良く口の回る男だな。
ただ、それが鼻に付かない言葉の巧みさがある。
「事情を話せば私の力になってくれるんですか?」
観念した少女は縋るような目で顔を上げた。
「話しだいだな」
「分かりました。改めて自己紹介をします。私の名前はラフィリア・F・シェルブール。このアラクシアス王国の王女です」
ラフィリアは凛々しい顔でそう言った。
「そうか。俺はリオルド・J・シュルナーグ。そんでもってこっちは駆け出しの冒険者のセインだ」
リオルドの紹介に俺は駆け出しという言葉は余計だと言いたくなる。とはいえ、事実ではあるので反論もできないが。
「俺はセイン・セオリーニ。王都の東にある土地を納めている領主の息子だ」
俺はラフィリアに向き直りながら自己紹介をした。それから、相手が王女様なら、もっと敬意を払った言葉遣いをした方が良いかなと考える。
「そうですか。でも、あなたがあの有名なシュルナーグ様だったなんて」
ラフィリアは心底、驚いたような顔で言った。
「そういう言い方は止めてくれ。それと話し方も普通で良い。あんたはこの国の王女様なんだから気兼ねなんてする必要はない」
リオルドはどこまでもキザな物言いをする。
プレイボーイを装うのがリオルドという男だが、自伝の内容が確かなら本気で好きになった女は今までに一人しかいなかったらしい。
「そうはいきません。とにかく、私の抱えている事情をお話ししますね」
ラフィリアは勢い込んで言った。
「ああ。でも、とりあえず椅子に座ろうぜ。ここは酒場だ。立ったまま話をするような場所じゃない」
そう言うと、リオルドは短剣を腰のベルトの鞘に納め、また元の席に戻る。俺はラフィリアの白くて美しい顔を見ながら、席に戻った。
暢気なことにテーブルにはお腹を膨らませたフィックがいて、グーグーと鼾をかきながら寝ていた。
「それでどんな事情があるって言うんだ?」
リオルドは腕を組みながら尋ねる。
「私は迷宮の最深部にある魔界のゲートまで行こうとしているんです。そのために護衛をしてくれるような人を探しに来たんですが」
ラフィリアは切実そうな顔で言った。
「なんでまた」
魔界のゲートに近づくなんて危険も良いところだ。
「この国は帝国の脅威にさらされています。もはや、戦争は避けられないでしょう。そして、そうなればこの国は必ず滅ぶことになります」
「だろうな」
それは誰もが理解していることだ。
「だから、私は魔界にいる邪神ジェハサークの力を借りようと思っているんです」
ジェハサークという言葉にゼグナートが嫌な顔をした。
「正気とは思えないな」
俺もリオルドの言葉に同感だった。
例え、それで一時、国が救われたとしても邪神の力を借りたツケは必ず払うことになるだろう。
少なくとも物語なら、そういうストーリーが定番だ。
「それはあなたが一介の冒険者だからです。私は例えどんな手を使ってもこの国を救わなければならない。それが王女としての使命です」
ラフィリアは決意の炎を瞳に宿しながら言い放った。
「なるほどね。だが、ジェハサークの力を借りるにはゲートを開かなければならない。そうなればもっと危険なモンスターも現れることになるぞ」
リオルドの言う通り、安易にゲートを開いたりしたら大変なことになる。
「それは覚悟の上です。ですが、いずれにせよジェハサークとは一度、話し合いの場を持たなければならない」
「どうして?」
リオルドは顎に手を添えた。
「そうしなければ帝国にではなく、魔界のゲートから溢れ出て来るモンスターによってこの王都は滅ぼされてしまいます」
そう、迷宮のモンスターは魔界に通じるゲートからやって来るのだ。だから、幾ら倒しても数が減ることはない。
それどころかモンスターの数は増える一方らしい。このまま増え続ければいずれは地上にも沸いて出て来るだろう。
そうなればこの王都は人の住めない場所になる。
「ゲートの封印が弱まっているとは聞いているな。だから、あの魔獣アルカンデュラもゲートを通って迷宮に現れたと言うし」
「そういうことです。ですから、女神ラフィールの加護がある私ならゲートを開けますし、今一度、ジェハサークと話し合いの機会を・・・」
ラフィリアが最後まで言い終える前にゼグナートが言葉を差し挟む。
「それは止めた方が良い」
ゼグナートは質量を持っているような声で言った。
「あなたは?」
ラフィリアが喋る小さな蛇を前にして目をパチクリする。この姿なら、こいつが誰か聞いても俺よりは驚きも少ないだろう。
「私は魔神ゼグナートだ。ジェハサークは非情な神だし、人間の頼みなど聞き入れるような奴ではない。だから、魔界のゲートを開いたら最後、お前は殺されるぞ」
ゼグナートは有無を言わさぬ口調で言った。
「そんな」
ラフィリアは絶望感すら漂わせる顔をする。まるで自分の考えがいかに浅はかだったか、思い知らされたように。
「なあ、王女様」
俺が少し間を置いてから話しかける。
「何?」
ラフィリアは当て付けとばかりに俺を睨み付けた。
「追い打ちをかけるようで悪いんだが、俺たちの話も聞いて貰えないか?」
ラフィリアにとっても俺たちが抱えている事情は人事ではないはずだ。話を聞けばきっと理解を示してくれるはず。
「どういうこと?」
ラフィリアは不審そうな顔をする。
「俺の話を聞けば、たぶん王女様も早まった真似はしないと思う」
保証はできないが。
「分かりました」
ラフィリアが頷くと、俺は自分が旅に出た理由を包み隠さず説明した。それを聞く内にラフィリアの顔にも戸惑いの色が広がる。
そして、最後の方になると、ブルブルと肩を震わせ始めた。
それを見た俺は、人生観すら変えかねない話をしたのは間違っていたか、と思ってしまった。
「ま、そういうわけだから、俺は王女様のやろうとしていることに賛同はできない」
全て話し終えると俺はラフィリアの宝石のような瞳を見ながら言った。
「世界があと三年で滅びるなんて」
ラフィリアはショックを隠せない。やっぱり、これが普通の反応だろう。平然としているリオルドがおかしいのだ。
「三年は早くてもという意味だ。とはいえ、どのみちこの世界は滅びてしまうし、王女様ももう少し冷静な判断をした方が良いんじゃないのか?」
嫌味を言うつもりはないが。
「そうですね。なら、私をあなたの旅に同行させてください」
ラフィリアは目力を強くして言った。
「えっ?」
ラフィリアの思いがけない言葉に俺は面食らう。
「私はセファルナートの元に言って、この国を救ってくれるように頼みます」
今度はそう来たか。だが、その言葉にゼグナートも苦言を呈する。
「セファルナートはジェハサーク以上に話の通じない相手だぞ。奴はこの世界を滅ぼすことを何百年も前から堅く誓っているからな。その意思を覆せるのなら、誰も苦労はしない」
ゼグナートの言葉にラフィリアは唇を噛み締めた。
「なら、私の国の命運をゼグナート様に預けます。ゼグナート様が力を取り戻し、セファルナートを倒した暁には私の国も救ってください」
自分のするべきことをコロコロ変えるのはどうかと思うぞ。もちろん、なりふり構っていられない心情は理解できるが。
「別に構わないが」
ゼグナートも困ったような顔をする。果たして、伝説の魔神と言えども、創造主や巨大な帝国に対抗できるほどの力があるのだろうか。
「良かった。とにかく、ゼグナート様も助けてくれる人間は多い方が良いと思っているはずですし、これからよろしく頼みますね、セイン」
ラフィリアはにっこり笑った。それを受け、幾ら自分の国のためとはいえ、押しつけがましいにも程があるなと俺は呆れた。
「ああ」
俺は奥歯に物が挟まったような顔で頷く。ラフィリアがいたら余計な厄介ごとに巻き込まれかねない。
でも、そこはグッと堪えて口を噤んだ。図々しくはあるが、彼女の藁にも縋りたい気持ちが分からないわけではないからな。
まあ、協力してくれる人間は一人でも多いに越したことはない。それが王女様なら何かと役に立ってくれるかもしれないし。
「やれやれ、勝手に盛り上がっているようだが、今のお前たちじゃ一つ目のパワースポットに辿り着けるかどうかも分からないんだぜ」
リオルドが呆れ果てたように口を出した。
「アルカンデュラのことですね」
ラフィリアがすぐに反応する。
「そういうことだ。奴を何とかしなければ、生きて迷宮を出られる保証はない」
リオルドはポケットからタバコを取り出すと、それに火を付ける。煙が漂い始めるとラフィリアが顔をしかめた。
それを見て、リオルドはすぐに灰皿にタバコを押しつける。一国の王女の前でタバコを吹かすのは失礼だと思ったのだろう。
「そうですね」
ここで挫折するようなら、俺は親父の言う通り、旅を諦めなければいけない。そして、その敗北感は一生、俺を苦しめるだろう。
「とにかく、俺はギルドでアルカンデュラを倒す依頼も引き受けてるし、そのついでにセインとゼグナートをパワースポットまで連れていくつもりだ」
リオルドは真剣な顔で言葉を続ける。
「それに付いてくるかどうかは王女様の判断に任せる」
ラフィリアもリオルドの言葉に自分の覚悟を試されていると思ったのだろう。すぐに芯の通った声を発する。
「シュルナーグ様はアルカンデュラを倒せるというのですか?」
ラフィリアは自らの瞳を不安そうに揺らめかせる。
「まあな。こう見えても俺はSランクの冒険者だ。自分の力には自信がある。とはいえ、俺もアルカンデュラを甘く見ているわけじゃない」
リオルドはグラスに残っていた氷を口に流し込むと更に言い募る。
「だからこそ、セインや王女様の力も必要になるかもしれない」
リオルドの言葉にラフィリアは真っ直ぐ前を見据えた。
「分かりました。なら、私も迷宮に行きます。女神ラフィールの加護で光りの魔法を使える私ならきっとあなたたちの役に立てるはず」
魔法の使い手が仲間に加わるのは歓迎するべきところだが、彼女の身の安全まで守る余裕は俺にはないぞ。
「じゃあ、決まりだな」
リオルドの安請け合いに俺はおいおいと言いたくなったが、相手が王女様なので正面切って反対はできなかった。
第二章に続く。