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GG&CK番外編  作者: 根井
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小話 アルファロメオ・ジュリエッタ編(前編)

GANMAN GEORGE番外編。椴&ミナの話です。

 椴は絶句した。


「な、なんじゃこりゃぁ」


 その手にあるのは、花弁の一枚が分厚くグラディエーションが美しい赤い薔薇の花束。芳香な彩りを放つ50本の出来映えに対しては、椴は何の文句も無いのだが、眉を顰めさせるのはそのラッピングの仕方であった。


「こ、これが今NYで流行りのやり方だって聞いたけど……」


 一本一本が萼まではっきり見えるように縦横に幅広く配置された仕方、これが「それ」という。

 束でなくその「背」に手を添えなければ崩れてしまいそうな持ち方に、デジャヴのある椴はやがて眉釣り上げて摩天楼の街下にて叫んだ。


「って、これじゃぁまるで羽子板みてーじゃねぇかぁぁあああ!だっさぁぁぁぁぁ!!」


***


夜。摩天楼の美しい夜景に紛れる様に、NYの端っこでは囁かな照明の演出が醸し出す、荘厳なパーティーが開かれていた。そこには憮然として大きな花束を両手に持ちながら、椴も参加者として表れていた。


 そこは、とある大手銀行の大御所が執り行っている一年の総まとめを憩うパーティーであり、そこに融資を得ているホンダNY支店も、その付き合いの一環として一番顔の立った椴を遣わしたという次第である。


 流石は銀行の大御所のパーティー。


 と、セットした艶やかな若気溢れる黒髪をかきあげて椴は辺りを見渡した。NYでは珍しい、大理石のドーム型を為す由緒ある屋敷を貸し切りに、中も外も円卓を囲んではめかしこんだ男女が一斉に揃ってクインテットの生演奏とディーラーより出されたワインと料理に酔いしれながら囁かなる贅沢を満喫している。椴も、脇よりその輪に入り込もうとするも、薔薇のラッピングに度々悪態を今だぶつくさと呟いていた。


「たっくさぁ……あの花屋の姉ちゃん、とんでもない事してくれたよねぇ……」


 姉ちゃん、と言っても、椴はエプロンごしでもくっきりと浮かぶその豊満な胸の形に目がいって顔を殆ど覚えていないのだが、顔がぼやけているその彼女は、栗色のポニーテールの尾を揺らしながら両手を掲げ椴の文句をこう一蹴したのだっだ。


「oh!ワタシ日本人ジャナイカラ英語分かンないネ?」



「――って、日本語で答えてたじゃねーか!!思い出した!クソがああああ!!」


 やり込まれたと相手への苛立ちと単純な事に気付かなかった不甲斐なさにセットした髪を掻き乱しては犬歯を噛みあぐねいた椴に、幾人かがその声に驚きで背中を震わせた。と、花がまた崩れそうな事に更に椴は叫声をあげる。それにいよいよ退いていく参加者の一方で、彼の声に気付き目を輝かせて近づいてくる者があった。椴も目端にその存在に気付き、おっと目を丸めては途端に笑顔をそちらに向ける。


「おう角松。お前も来てたんか」


 背のばす伊達男の口から素朴に表れた母国語(日本語)に、にっこりと小太り眼鏡の男がグラスを掲げて微笑んだ。


「あぁ。仕事帰りだからあせっちまったよもう」


 そう言う通り、汗塗れの艶やかで丸い顔を黄色いハンカチで拭う角松と共に笑い合う椴。一見、日本語で通い合わせる同朋の睦まじいやりとりの様に見えるが、2人の間でその意味合いは微妙に異なっていた。この、別の「松」の姓を持つ角松という男は、NYの車業界では椴と並んで日本人ディーラー「松」コンビと評されているも、角松は「トヨタ」の方のディーラーであり、つまり2人は実質ライバル関係とも言えるのである。


「ふぅん、確かに、本当に行き急いで来たみたいだな」


 やがて、花束を片肩で抱き、椴は角松から受け取ったグラス飲んでちらりと片目だけを開いては、角松のよれよれの御姿を少々侮蔑的に見下ろした。

 脂ぎった薄い頭と贅肉の顔は、染み一つもない黄色い肌を瞬かせるも、汗臭い異臭が香水のそれと同じく充満し、そこから蒸せた黒いスーツも皺くちゃであり、正に椅子に掛けて放っていたものを慌てて着て飛び出した事が目に見える。

 日本一の市場を持つトヨタ様のディーラーがこの有り様だと言うのだから、これはなかなか良い勝負に出れるのかもしれないとホンダの顔としての椴はほくそ笑んだ。


「流石はトヨタ。いつでもどこでも忙しいんだな」


 そう皮肉気味に弔った椴に、角松は自分よりも背が高く、顔立ち、そして身なりも整った椴を微かながら恨めしく見上げては笑った。そのストライプの細身なスーツで佇む麗しき青年の御姿には、やはり50本の赤薔薇がより映えていると思っていた。


「へぇ、そういう君は今宵は随分と引き締まってんじゃないの。あ、あの時俺がダセエって言ったヘビ柄のジャケットは着てないんだな」


 ほんの少しの優越感を混ぜた声色に、椴は目を伏せては肩をすくめるだけにして答える。果たして笑われていたのはどっちだったのか。 そんないつもの挨拶を肴にし、2人はやがて共に並んでは巡り回る参加客を見渡した。見るだけで分かる、身なりや手首や指や首元につける装飾品の豪華さ、そしてそれを身につける者達の社会的価値の有り様を。2人は彼らをもその商品に例え見定める。一体どの魚が釣りやすいのかと言う事を。2人はまた良き釣り仲間でもあった。


「確か今日来ているシンドラー氏とシーレ氏は時期的に確か検車直前だったはずだな。そしてあのマーラー氏は先月四人目の子どもが生まれたばかり。そろそろ車を乗り換えたいと思っている頃のはず……」


「へぇ、お前はまたそうやってお得意様を責めていく所なのか」


「そういうお前みたいに、他のお得意を寝取る様な不粋な事はしねーの。そうやって堅実なとこしっかり固めて次に繋げた方が無駄に恨まれなくていいんだよ」


 洒落気の何もない丸眼鏡の奥からウインクしては、椴は自らの無垢なる素朴さをあえて胸張って強調する。それに微かに刻まれた下睫毛際の皺をあげ、その動きから仄かなる淫靡を放った椴は頭かきむしって「つっまんねぇなぁ」とぼやく。やがてゆらりと口角をあげ、薔薇を抱えながら前に出て歩き出した。


「まぁ確かに、お前と同じ正攻法でやっても負けるのは目に見える。なら、俺は俺のやり方でを通してもらう。でも今日は「奪うん」じゃない。正々堂々とでっかい獲物を真正面から狩って出るぜ」

 

 その言葉に角松は細い目を開いき椴の背中を追った。


「新規を作るのか?え、でも一体誰を?」


「さあてね」


 椴は背を向けたままそう答え、そのまま中の会場に向かおうとしている。やがて俯いた間際に思い出す心当たりにさ、さぁっと角松は細い目を見開いて青ざめた。


「え、あ、おい。駄目駄目駄目駄目!」


 驚きに言葉は詰まってから、そこから手を掲げた角松は後を追いかけて言った。


「大トリは止めとけ!あの成金は禄に見る目もねぇくせに、ロールスロイスしか集めねぇって恥知らずに公言してる様な親父だぞ!悪い事は言わない。あの節穴はやめとけって!!」


 日本語だからこそ大声で言える、主催者への正直な気持ちに対し、椴だけが高らかに笑いながら振り向いて答えた。


「ばっかだなぁ。俺がそのジジィのためにこれを用意するとでも思ったかい」


 途端振り返って角松に差し出すは、暗がりの中で照明によって煌めく数多なる赤い薔薇。


「今日の主役は彼だけじゃない。その隣には今宵初めてパーティー出る子が現れる。それも丁度二十歳になったばかりだ。親父に対する反抗心も沸々と含めている頃だろう。その「今」がチャンスなのさ。仕方がねえ、やっぱりコレでもう行くか――」


 そして薔薇の片鱗を僅かに見せて再び背を向けた椴はそこから振り返る事は無かった。その姿を茫然としながらも、始終を見守った角松はやがて、肩をすくめて夜空を呆気の目で見上げて呟いた。


「簡単に言ってくれるなあ……成程、やっぱりそんなのはお前にしか出来ねぇ事だな……」


***


 凱旋門を彷彿とさせる装飾の厳しいエンタブラチェアをくぐり抜け入ったその先には、より艶やかに照らされた男女が会食と会話に騒がしく行き交っていた。つうんと外と中の境に香水が舞う。

 それを前に椴は黒いネクタイを引き締め直し一旦息を整えては、ゆらりと口角をあげて大仰に角の鋭い革靴で歩き始めた。ここから、椴の「仕事」が始まるのである。


 まずは、名刺を交わした事のある見知った顔を探し会話の隙間に丁度よく入り込めば、円満の営業スメイルを向かいの鏡に映る姿と共に輝かしく開き、相手の額の皺をあげさせる事から始まった。

 そこから、自分の事をぼんやりと忘れているであろうのを予測しその時の事をつらつらと思い出させる様、滑らかな口調で喋っては相手に頷きと共に思い出させ、そこからポケットの中に忍ばせた相手の興味ある事柄を――政治なり、芸能なり、家族なり、そして建前上、臆する相手に構わず小さな呟きで女なり、時としては「男」なり――を語る。

 不自然なく相手の気持ちを汲んだ様に見せかけて会話を広げていき、それに段々と硬った相手の顔が和らぐ様を見ればもう「こっち」のものだ。

 椴は今宵、シャンパン片手に犬歯をちらつかせては、壮大な絵画が覆う天井を見上げながら笑う。今日はいつも以上にその「接客」はうまくいった。狙いをつけた1人目が運良くこれがとても良い人で、椴をすっかり信用しては、次々と次の獲物を手招きと共に紹介してくれる。

 やがて、大勢の男達の固まりの中に混じって商談の機会を伺いつつ、共に笑い合うこの刹那な瞬間が堪らなく、葉巻を苦み潰したあの癖になってやめられないと笑う。けれど、それが故か、椴はこの時まで何を食べていたのかその味を思い出す事がいつも出来ないのである。

 

 しかし、椴は食事よりもその後に欲する「味」を求めて、この場にも来ている事もあった。それは、男達が会話に夢中になってつい放っている、椴にとっては彼らもよりも見る価値のある、ドレスを着てその「らしい」肢体をも美しく魅せる女達。

 椴は背中ごしからちらりと彼女達を見下ろして、彼女達を気遣う様に目配せをする。それに対し、元々整った顔立ちを持つ彼を見上げては、寡婦のごとく目を綻ばせる者を、東洋人としての顔を物珍しに見る者を、または顔をそっと赤く染めて顔を外らす者を、椴は目を細めてすべてに微笑んだ。そして彼女たちが視線を微かに薔薇に向けている事を知る。


 それが誰に渡されるのか、女があちらこちらの男達を引っ掛けては話題にし、または色取りどりに寄り添う者同士が囁きあって、薔薇の話題はこの会場を巡りゆくのを椴は背中ごしから察していた。


 それを椴は再び、薔薇を赤子のごとくかき抱いて微笑んだ。しかし、その姿を映す鏡は正直にその色気のない瞳孔の開いたと蛇の如く歪んだ笑みを、本人の隠す意思にかかわらず誠実にして映し出す。

 しかしやがて、大いなる拍手と共に誰かが向かいより現れた気配を知るや否や、椴は振り向く間際にそれがただの刹那的と思える様な屈託の無い笑顔を向けるのだ。それを、最後まで豪勢な額縁に収められた鏡だけが知っていた。

 

 盛大な拍手と共に、その渦中で俯くは1人の真紅のドレスを纏う女だった。小柄にして未だ少女だった頃の初々しさと硬さをその身に宿したまま、身の丈に合わぬ胸の開いたドレスを精一杯に着飾り、ショートカットの赤髪と真新しい赤いピアスを垂らしで腕を掴む彼女の名は、ジュリエッタと言った。


「おお、なんと美しい」

 

 椴をはじめ、数多の参加者達は知っていた。彼女は、喝采の拍手を咳払いで止め、つらつらと隣で挨拶をし始める聳える主催者たる老人の「娘」であり、今宵、初めての社交界の参加者として世間に顔を出したという事を。つまり、それは、大いなる「ご贔屓」の賜物たる可能性を秘めているものであった。

 誰も聞いていない挨拶もその辺に、参加者達はずっとジュリエッタへと目を向けたまま、いざ、彼女が父から離れるや、一斉に側に駆け寄っては囲んで話を一方的に切り出していった。


 彼女が固めた友だちの静止をまるでものともせず、迷い猫を手懐けるや否やの男達の様子に、最初は身を固めてあたふたしていたその彼女も次第に憮然として眉を顰める様になっていく。

 

 そのすべてが小さい小顔の中で、妙に目立つ紅い口紅が瞬く唇が怒りやら戸惑いにやらで震えだした時、椴は呆れる様に目を伏せてはそんな烏合の衆らを躊躇なく突き飛ばしては彼女の前へと現れ出た。

 その大胆さに、途端にジュリエッタは父と同じ――、猟犬君よりかは濃いがそれもまた美しい青の目を瞬かせては両手を掴んで構える。


 と、同時にその青の目が映すは、それ自体がまるで偽物の様な圧倒的な色彩を放つ紅い薔薇50本。そして少々鼻につく程が丁度良く大人の雰囲気を醸し出す濡烏色の髪、そして含蓄の篭った黒い瞳が狂気を寸時宿して微笑む。その見慣れぬ顔の立った東洋人の顔と紅い薔薇。その情景に頬を染め、ほうと口を開いて見上げるジュリエッタのピアスがきらりと瞬きに回った。


「あ、貴方は……」


「椴 敬之と申します。どうぞ以後お見知りおきを」


「と、とど……?」


「トドマツと、お姫さん」

 

 不器用な仕草のフリでウインクをすれば、その弄らしさにますますジュリエッタは口まで開いて彼の姿に魅入ってしまう。それに椴は一つ、人差し指を自らの薄い唇に当て、息吐くように囁いた。


「そして、20歳の誕生日おめでとう、ジュリエッタ――」


 それは父でさえ言ってくれなかった言葉。ジュリエッタはその瞬間周りの視線の中、単に、堕ちていった。



(続く)


 

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