小話 グラス編(前編) ~擬似家族たちのぐだぐだ家族話~
GG男子五人組の酒場でのお話。
ここは、とあるNYビル街の地下にあるバーである。
行った事もない様な輩でも、大体まああるだろうと想像出来るその通りの内装、そのほの暗く人もまばらな店の中、カウンターの端に橙の照明の真下に揃う妙齢の男2人が居た。
1人はその巨漢とそれに伴った広い肩幅と太い腕を盛り上げながらカウンターを陣取って寝そべるスキンヘッドの黒人。うつ伏せ寝の頭は橙色の照明を白く反射させている。
一方、その男の憮然な態度によって端に追いやられている白人の男は肩を縮こませ、周囲の視線から外らす様にカクテルを飲み込んでいる。隣のと対比して細長いその肢体と、綺麗に生え揃った銀髪はより色白な肌、そして真上の照明が縁取る陰が、顔も体も痩せた造形をはっきりと表した。
そんな2人は年は違うが同じ大学の同期であり、それぞれそれなりの地位を兼ね揃えてきた同士、そして、同じくアメリカのこれ以上の無い豊穣と幸福のために義務を全うする「同朋」でもある。久しぶりの対面、久しぶりの飲み。さぞかし大盛りあがるだろうと2人思って地下の階段を揃って降りたと思ったらこの通りの有様であった。
「くそぉ……」
絞った声を上げてようやくウェッブが顔を上げれば、その視界の先には掲げるグラスの向こうで脂ぎった者を見る様な眼差しの光のない灰の瞳が浮かんでいた。
「ウェッブ。いい加減、階段を突き破る趣味はやめたらどうだ……」
「趣味じゃねぇよ!!」
どんとカウンターを叩きつけてれば、傍らのグラスのジントニックが跳ねる。それに続けて肘も叩きつけてウェッブは叫んだ。
「大体よぉ!俺みたいなんてアメリカじゃそう珍しくないだろが!!だってのに、どうしてこう揃いも揃って階段が落ちやがる!オチが付くのは怪談の方で充分だろがぁ!」
怒りを静める冗談を口にしてはみたものの、その意味を知らない、いや事実面白いとも思わないアーサーの無表情にますますウェッブは苛立ってくる。
「お前のせいだ!お前のせいだ!お前がそんな顔色悪いから運気下がっちまうんだよ!」
「それなら私が一番運が無いと可笑しい理論だな」
「まぁ、事実合っていたが」と、言う様にカクテルを飲み干したアーサーに憮然としてウェッブは声荒げて震えるマスターにモスコミュールを頼む。しかし、ウェッブが苛ついているのは流石にそれだけの事では無かった。その隣、階段を突き破った騒動がようやく終わっても、その後の気まづい雰囲気はどうにも拭えないまま、淡々と酔っ払う気配もなくグラスを掲げるアーサーとの会話がどうも盛り上がらなかったのである。
「いや、大抵は酒で良い塩梅に収まるんだが、コイツの場合時々こういう事があるんだよなー……」
肘付きながらウェッブは憮然として無口なアーサーのその鋭い穿った横顔を見て呟く。そもそもこの、体つきも顔つきも全く違う男とは共通する話題も非常に限られたものであった。
料理の話は退屈で、野球の話は向こうが立たず、チェスの話はこっちが立たず、女の話はどっちも立たず(変な意味は含まれてない)、政治と戦争は職業柄絶対喧嘩になるので振りかけないのが約束で――。
「ま、真の友は沈黙の内にあるとは言うけどよ……」
と、心の中で呟けど何かしら良い話題がないもんかと憮然とした顔の中思考を巡らしていた。しかし、それはアーサーから話題を振る事によって杞憂に終わるのだった。
「そういえば」
その一言でグラスからアーサーの薄い唇が離れた。
「前にプリニチェード・ハウスでも階段を壊したよな……」
「あぁ!?まだその話かぁ!?」
せっかくアーサーから振った話だったが故に、更にその怒りでウェッブはアーサーを牽制して叫ぶ。しかし、至っていつもの通りにアーサーはその怒りを足蹴にして前を向いたまま呟く。
「知ってるか。あの後アンジェリーカが久しぶりに帰ってきて、あの穴に躓いて転んだぞ」
「ぶっ!!」
ウェッブは泣き叫ぶウェイターに酒を吹きかけて咳をする。
「マジでぇ!?うゎぁ、わりぃ事しちまったな……あれ、かしいな。これデジャヴあるんだけど……あ、確か大学ん時にも一回あっけ……?」
「あの時は落ちた」
「もっとひでえじゃねぇかぁぁぁああああ!!え、大丈夫だった!?」
「酷く怒られたぞ」
「お前の事は聞いてねぇ!」
アンジェリーカ。
それはアーサーの10つ離れた妹の事であり、ウェッブにとっても深い知り合いの間柄だ。兄と正反対に溌剌とした性格でまた典型的なロシア美人といった美しい顔立ちをしており、両親も、そして勿論アーサーにとっても大切な存在だった。
「アンジェリ-カか…ひっさしぶりに聞いたな~そうか、あの後帰ってきたんだ~」
「そうだな、私にとっても久しぶりだ。10年位になるか」
「寂しいな、兄妹なのに」
「月1でスカイプしているから別に。そういうお前の方こそ、あのご両親やご兄弟は元気なのか?」
「元気も何も、こっちもかーちゃんが相変わらず毎年来やがるしな、職場まで」
そうして2人同時に杯を飲み交わす。
「んー、そういや……一昨年男の赤ん坊が同時に2人生まれて大盛り上がりだったて聞いたな」
「双子の甥っ子か」
「ちげーよ甥と叔父が生まれたんだよ」
「……!?」
さっきまで照明に細めた目が途端に大きく見開かれた事に、ウェッブ素早い気付きだと感嘆しつつ、にやりと楽しそうに笑った。
「そう驚きなさんなや、こっちやインドじゃ特に珍しい事でも無からんて」
「そう、言うもんなのか……」
アーサーには偏見というものが無い。あったとしてもそれを常に反省し、自分と異となる存在を受け入れ様とする意識が何よりも高い。その意志を示す様にグラスを胸元に置き、淡々と無口のままカウンターを見据えて受け入れるアーサーに、思わずウェッブは好気の眼差しを細めた。
「あぁそうだよなぁ」
交わる趣味は無いけれど俺、なんだかんだとアーサーのこういう所が好きなんだっけか。
そう紡ぐ唇はそっと繋がれゆっくりとその端を上げる。こういうアーサーへの「親友」という名と共に滲み出る心地よさはどこから来ているというのだろうと思う。
趣味でも無ければ、役職と言うわけでも無い、はたまた人間性とは異なる「何となく」同朋という形容詞に似た愛おしさは――、
「やっぱ俺たち、同じ兄弟なんだよなぁ……」
太い手首を捻って座ったまま背伸びをして呟くウェッブに、アーサーが懸念気味に片眉を釣り上げた。
「何を今更」
それにウェッブはくぶと肩をすくめて笑い、その微妙に噛み合わないいつもの、その怠惰な心地に酔いしれる。
「そういう兄弟じゃねぇよ。そういや俺たち、同じ長男だったよなぁって、だからこんなに全然違っても苦じゃねぇのは、そういう所に妙なシンパシー感じてんのかなぁって」
「そうか?2人と28人じゃ全然違うと思うぞ」
「でも父方母方にとって同じ初孫だろ?おぃ、ちょいと言ってみろよ、初孫長男の心当たり。あるから、絶対に共通点あるから」
ウェッブも見た目の通り相当強い方だが、流石にまだメニューも出ていない空腹時の酒が早く回ってほろ酔い気分である。つつかれた頬をへこませ嫌そうにアーサーは身を捩らせ思考に灰の目を回す。
「そんなに深く意識した事は無いが……」
と、ちくり指す心当たりに尖った顎に細い指を添えてぼそりと呟いた。
「両方の家に帰る度に、自分の生まれた時の写真と対面する羽目になるとか……?」
「それなぁ!!」
破裂音と共にアーサーの真横、ウェッブが手のひらを叩く。
「羽目とか言うなよ~可哀想だろ!?そりゃぁ、お前は初めての子どもだったんだから、誰もが浮かれちまうのはしゃーねぇだろ!?で、自分を中心にした一族の写真とかあったりな!」
「あぁ……お前の所にもあるのか……」
肘付きながら額に指添えるアーサーの頭に、ジンの効果がじわりと滲む。
「いや、でもお前は2年後に弟が産まれたから良いだろう。私は10年だぞ、10年。幾ら妹の方が可愛がられたといっても流石に差は埋められん」
「まあな~めったに会えない祖父母にとっちゃぁ、俺たちは今でも布にくるまれた赤ん坊のまんまなんだろうな。尚更、お前だったらな」
「全くだ、それが困る」
そうして眉を更に顰めるアーサーに対し、同じ境遇であるはずのウェッブは始終ニヤニヤして楽しそうに頬杖をついている。それにアーサーは懸念気味にして眉を吊り上げた。
「ほら、みろやっぱり全然違うじゃないか」
自分の方が不幸だとみる灰に、黒い瞳はふと伏せてグラスを方手に両手を掲げながら首を振る。
「いんやぁ、大人数が苦労しないわけないだろか。長男だからって家族や親戚の催しにゃ必ずっつー程、幹事させられるし。弟妹の世話もぜーんぶ俺任せだったしな」
「……どこもそういうものか……そういえば子どもの扱いは随分とうまかったものだな……」
そうして鋭く向ける視線の心当たりに、ウェッブはあえて胸を張って膨らんだお腹を叩いて粋がる。
「へっへ~そうさなぁ、あの中じゃアリイシャもジョージの次に俺に懐いてたからな~」
「ジョージの次か」
「やっぱ、そこはな、どーしてもな」
「だな」
一応皮肉気味に答えてみるも、いよいよ憮然として目をそらし唐突にしてアーサーはマスターにつまみのおかわりを頼んだのだった。それをウェッブはこのこのと肘をつついて笑った。
「拗ねんなよ~お前もお前で長兄らしくガキの扱いは上手いじゃねぇか」
「どこが、この顔でいつも泣かされるのに」
と、親指を自らの青白い顔に突き刺すアーサーを宥める様、ウェッブはその小さく角張った肩をすっぽりと片手で包む。
「それは今の話だアーサー、まだお前がもうちょい顔色が良かった頃は、結構懐かれていたの知らねえか?スクーター部でやったボランティアの読み聞かせとか、すっげぇガキ集まってたやん。お前短調だけどわざとらしくなくて、読む早さも丁度良くてうまいなぁって思ってたんだよな。
あ、コイツちっちゃい妹か弟か絶対持ってんなってすぐ分かったもん。案の定だったな、あの時もアンジェーリカはまだ10歳になったばかりだったか」
「あぁ……そういや読み聞かせはいっつも急かされて妹によくしていた。そうだったか……いつの間に……そんな……気付かなかった」
「弟妹の世話は長子の義務だし、呪いみたいなもんなんだなぁ」
「でも、一旦その事を語りさえすれば、途端に妹は烈火のごとく怒る」
「「ほんとそれ」」
共に語り合ったシンパシーに乗せて2人は同時に互いを指差せば、特に何も語るまでもなく同時に杯をあげて互いの健闘を無言の内に讃え合う。
「良い感じになってきたな、このまま家族の愚痴でもぐたぐた言い合うかな?」
と、まんざらでも無さそうに目端が酒で綻んでいるアーサーの横顔を見て呟き、口を開こうとしたウェッブだったが、それは途端べべれけに酔った大きな声に阻まれる。
「ちょぉーとぉ待ったぁ!!その意見に異議あり、異議あーっり!!」
年長の語りを阻むは年少が常。彼らより若々しくハリのある声で叫ぶその者の姿を、ウェッブは振り返り、アーサーは背中越しに見て気付いた。
「あ」
それは仁王立ちに、右手にグラスを掴んだまま犬歯を剥き出しにして叫ぶ、顔を真っ赤にした東洋人の男、椴敬之の姿だった。胸元をはだけた白いYシャツをのぞかせるいつもの蛇柄ジャケットと、タイトなパンツはよれよれにだらしのない皺が成り、いつものセッテアップした若気溢れる黒髪も照明に白くテカって脂気溢れてしなだれている。それに2人再び懸念気味に眉を顰めれば、椴は千鳥足で左腕をちょっとちょっと、とツッコミをする様に振って近づいていった。
「もぉ~さっきから脇で黙って聞いてりゃ、なんなんすか!その、上が一番偉い様な言い草で勝手に盛り上がってー!聞いてらんないっすよぉ!」
椴松はその時随分と呑んでしまったらしい。普段は慇懃ながらも礼儀を示す年上の2人にも、今や間のない甲高い声をあげて堂々と2人の間に分け入って自分の席を切り開く。途端に彼の歪んだ口から湿った酒の匂いが途端に広がり、2人は嫌そうに退けた。
「おいおい、どーしたちゃったのよ、まっきゅん」
「どうせまた、ミナにホテルの誘いを断られて、ヤケ酒でもしてたんだろう」
「ぐふっ」
その言葉にウェッブはうつ伏せの椴を挟み、淡々と彼を見下ろすアーサーに笑みも含んだ息を吐く。アーサーがこうも俗っぽい事を言うのは酒が絡んだがらか、それとも俺たちの前だからこそか。
一方椴はその故も知らず、自らの腕の中で身悶えして文句を吐いていた。
「まったく、もォ!兄弟の順番でぇ、性格が決めるなんて嘘っすよ!そんなもん人によりけりです!勝手に決めつけないで下さぁい!」
机を叩きながら服と同じく「よれた」声色をあげながらも、その言葉は不思議にも、彼の積もりに積もった情念の反映故かはっきりと2人の耳に届いた。ウェイターに水ボトルを頼むアーサーを向かいに、ウェッブは潰れた椴をつついて尋ねた。
「え、何、まっきゅんて何の兄弟がいんの」
「2つ離れた兄が一人っす!」
と、顔だけをあげて椴は答えた。
「へぇ兄弟なんだ。意外、なんか色っぺぇ姉ちゃんがいる様なイメージだった」
膝を枕に、椴はぐるりとウェッブの方へ頭を向け上下に揺らしてそれに対し文句を垂れる。
「よく言われます!そうっすよねえ!そんなねーちゃんに筆おろしされた感じがありますよねェ!でも、ざんねーん!船が好きな兄と車が好きな弟の、超むっっっさ、くるしい2人兄弟で育ちましたよっと!」
「船?あの兄さんは船が好きだったのか」
それに、アーサーも同じ船に嗜好があるものとして聞き捨てならぬと振り返った。アーサーはミナの話から兄の存在を知っていた。一方、椴は端からウェッブのグラスを掴んでは一気に飲み込む。
「まあ、島でしたからねえ~船には不自由しなかったすよ?」
「島?君はTOKYO出身じゃ無かったか?」
「ええ、東京っすよ」
「なのに、島?どこの生まれだ」
未だ納得の出来ていない様子に、椴は途端身体を起こして、酔った目でアーサーの方へ向けば、片脚をもう一つの方の膝にどんと乗せ、両手をその中肉の胸板に付け、丸く形作り押し上げて大声で答える。
「父島!!!」
「は?」
またダジャレか何かか?と眉顰めたアーサーに椴は首をぐらりと傾けて、残念そうに息を吐いた。
「え~?知らないっすか~?小笠原諸島って言ってぇ、東京の中にも島があるんすよ!俺はそこの生まれなんです!」
「…………!?」
そうしてまた現れた偏見に気づき、急いで仕立てなおそうとしているその思考の果てを映す灰の瞳に、頬杖付いてにやにや笑いながらそれを見守るウェッブ。
「アーサーが知らないたぁ、そうとう辺境なんだなあ」
「ンな事あるかァ!あんたたちが自分の国以外興味無さすぎなだけだっての!」
と、図々しく未だグラスを掴んだまま椴は立ち上がると指を荒々しく差し回しながら話を続けた。
〈続く〉