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第十一話

 銃弾は顔を隠す、太い甲殻の腕に弾かれ滑り。石敷きの月光石を砕いた。

 燃え尽き黒い煤となった木床の下、秘されていた淡い照明は今や姿も露に。炎消えた廊下を梁上からも合わせて影なく照らす。これほどの光度とツェーベルの目を相手にしては、さしものドワーフたちとて隠れ切れるものではなく。延焼して開いた壁の穴から奇襲を仕掛けるに至った。彼我の距離およそ三十メートル。遠くはない。

 要人用の部屋が並ぶとはいえ、その壁は厚くなく。内外の声が相互に届くことで、いざという時の救難信号や異変を察知しやすくなるよう、廊下側の壁はある程度薄く作られている。まして火災の跡となれば如何程のものか。ドワーフの道具を持ってすれば、穿つことは決して難しいものではないのだ。

「見つけたぜえ……っ!」

 ゼナストは顔を大きく歪めて笑った。

 顔面の装甲は胴体ほど厚くない。目があり、口があり、鼻がある。そして豊かな感情表現をすることが出来る。位置は高いが、銃や【酸素消失】を相手にしては決してアドバンテージに成らず。常に警戒していた、その甲斐があったというものだろう。

 部屋からの逃避行は短い間だったが、それでも苦難の道であった。炎は燃え盛り、それらを【酸素消失】によって消した後、木材が発火温度を下回るまで待って酸素を生成する。こうして消耗させることも恐らく作戦のうちだったのだろうが、効果的だったと言わざるをえない。

 霊質干渉は自我を自ずから薄め、世界と一体になることで世界を操作する技術。自他の境界を操作する行為は繊細であり、それだけに心労は重なって、肉体もまた自我の忙しい変遷に疲れていくことは避けられない。

 一列縦隊の先頭を務めたゼナストは負傷が最も浅かったことを理由として、それらの一切を請け負っていた。

「見つかっちまったな」

 ドワーフはニヤリと笑んだ。見た目にもゼナストの疲労は濃い。反撃の霊質干渉は大きなリスクを伴うものになって、自己の安全は幾らかも確保される。尻尾による痛打を鑑みれば、五分には持ち込めたはずだ。

 集中力を欠いた状態で、霊質干渉を行うのは危険である。こちらの世界では自我の内側に存在する霊質を魂と定義しているが、集中力の欠如は魂の流出と世界への溶解を招く。世界を自由にすることができる技術には、相応のリスクといえるだろう。

 ドワーフの【酸素消失】をゼナストが恐れたように、ドワーフもゼナスト達の【酸素消失】を恐れている。

 故に、封じなくてはならない。

 周辺へ常に干渉するという性質が、自分から干渉していく上で妨げになるという理由で、互いに優馬がつけている首飾りのようなものはなく。双方万全の干渉を行えると同時、自分でどうにかするしか無いという緊張感。

 この点においては、ドワーフ側が勝利したといって良い。燃え盛る建造物内という【酸素消失】には絶好の環境。さらに延焼を防がねばならぬような木造建築では、消火にも力を注がねばならなくなる。

 罠だとわかっていても、かからないわけには行かない罠だ。

 だがゼナストも、ただ焦るばかりではない。こちらに優秀な目があるとはいえ、もう少し消耗を待てば良かったものを。向こうから攻撃を仕掛けてきたというのは重要なことだ。理由は大方わかっている。増援を恐れているのだろう。

 プラハッタの叫びはイドラ中に響き渡り、甲虫人の耳を潰した。今頃はある程度回復していると思われるものの、戦力の減少は否めまい。優馬とツェーベルの耳も同じく潰れたが、ツェーベルは目として優秀だし。腕もそこそこ立つ。優馬は、本人には悪いがはじめから戦力外だ。自分だけでは叫ぶくらいしかできずとも、プラハッタを加えれば総合的な戦力はこちらのほうが確実に上回る。

 これ以上の戦力差拡大を嫌い、勝負へ打って出たに違いなかった。

 現状でゼナスト達の方が総合的には勝っていても、ひっくり返せないほどの差ではない。こちらがそうしているように耳栓も準備は万端だろうから、声による意思疎通を犠牲に致命的な攻撃は回避でき。

 甲虫人を潜ませておけば警戒を緩める事もできず、強襲するにはうってつけの環境が整う。

「ツェーベル」

「ああ」

 声をかけてちらりと振り向いた。ツェーベルは優馬を手近に引き寄せ、八つの目をすべて違う方向に向けていた。

 返事には安堵する。聞き返すでもなく、疑問の声でもなく、了承の声。ありがたいことに、多少なりとも聴力は回復しているらしい。

 この分なら優馬と甲虫人は任せても問題あるまい。プラハッタの目もあり、いざとなれば声がかかるだろう。

 心おきなく、敵の罠へ踏み込んでいくことが出来る。

「今そっちに行く、待ってやがれよ」

 ツェーベルに小さく頷いて正面に向き直ると、ゼナストは一歩を踏み出した。

 呼吸は整っている。弾むような息では【酸素消失】の餌食だ。

 装備のあちこちをドワーフがまさぐっているが慌てる必要はない。いくらなんでもあの炎の中で、爆発物を持ち歩くようなことはないだろう。霊質干渉で回避するのも本末転倒だ。こちらが消耗したのと同じくらい、消耗しかねない。

 ブレることなく壁の穴へ歩む二メートル半の体に、加速がつき始める。

 炎というふるいにかけられてなお、使用できるだろうものは限られるはずだ。このまま突貫し、部屋の中へと追い詰める。

 ゼナストの予想は的中し、見覚えのある瓶が投げつけられた。

 だがそれとて、どうということはない。見ての通り鈍重な体格を補うため、早い相手を見切れるように動体視力は鍛えられている。

 予定調和のように瓶へと掌が添えられ、宙空で脇へ避けられた瓶は床に落ち。月光石を侵して輝きを消した。

「動くんじゃ、ねえ、ぞっ!」

 そんなことを聞き入れるはずもなく。

 二メートル半の巨体が壁の残る板を破砕し突っ込むのと、丸い体が転がり避けるのは、ほんの一手丸い体が勝っていた。




 既に、敵は捉えている。

 八つ目は伊達ではない。

 梁の上、複雑に組まれた構造体のささややかな闇を縫うようにして、鈍く煌めく人型が音もなく走るのを見た。

 鞄に押し込めてあった大ぶりのナイフは既に手中となり。優馬は寄せるように守るように、片手で半ば抱く形をとって肉の防護を与えると、目の一つでちらとゼナストの方を見遣る。今度はこちらが追い詰める番になったと、大きな穴は自身の手で成らざるとも気分がいい。

 耳栓のせいもあって声は遠いが、それは忍び寄る影と五分の条件。ツェーベルならば聴覚に頼らずとも、視覚が補ってくれる分は有利かもしれない。

 向こうが姿をちらつかせても攻めて来ないことこそ、決め手に欠けることを雄弁に語っているとも言えるだろう。

 肉体的な感覚器を一種類しか用いていないのは危ういが、周辺の霊質にもたらされる変化には常に気も配っている。隙はない、はずだ。

「俺たち、続く」

 ナイフを持っていない手での促しに、優馬は頷いて一歩踏み出した。ツェーベルも遅れないように続く。片手が届かなくならないよう距離に気を配り、身長な足取りで少しずつ少しずつ。月光石の石敷きを歩くのは不安もあるため、合間の仕切りを縫うように踏んで過ぎた。

 ツェーベルはそんなふうに幾らか余裕があり、消火をゼナスト任せにしていただけあって集中力はまだ揺らいでいない。その事もまた余裕を齎してくれて、余裕のあることが精神の負担を下げている。良い循環を形成していると言えるだろう。

 逆に、優馬はまるで余裕がなかったのだが。

 耳栓は聴覚を塞ぎ。その分だけ視覚は仕事をしてくれるようになったと、わずかに思える鮮明さを持ちだして鋭く。しかし首を回さねば全方位を確認できぬことが、頭や、肩周りの負担となっている。

 それでもプラハッタを両手で抱えることなく、柄を握って構えているものだから更に負荷は大きい。邪魔になる箱は捨て置いて来てしまったので、抜き身という事情もあるだろう。ジンセイの刃は鋭く、叫べば容易く腕を落とす。切り札に懸念があってはならず、選択肢はなかった。

 なにより、継ぎ接ぎの生皮の感触がおぞましく。触れていたくなかったという事情もある。口にも触れるし、この薄っぺらい刀身に如何にして顔のパーツが収まっているのかも分かりそうな気がして恐ろしい。

 人格は親しめる相手と、わかっているのではあるが……。

 ともあれ、内から外から、心身を削るものが多くて落ち着くことが出来ず。諸々の理由から足がふらつき始めていた。

「悪いな、優馬。もう少し、気張れ」

 後ろからの激励に頷いて、優馬は姿勢を正した。

 形から入らねば心も上向かず下がっていく一方。襲撃がかかった今こそ正念場。

 油断すれば力の抜けそうな手に力を込めてプラハッタを構え直し、小さく鳴った金属音で自分を励ます。刀身からの微かな笑い声で勇気づけられ、足に力が篭った。

「いいぞ、ビビってる。プラハッタ、大分効いたな。へへっ、わかるぜ」

「ああ、本当に。自分で、頼んで、なんだけど」

「あれでも加減したんだけどねえ」

 ぼやきと軽口の混じる風景は長閑で。ほんの少し前方では修羅場が繰り広げられていると思えないような暢気さが、淡い光のなかに溶けていく。

 相変わらず頭の上はピリピリしているけれども。

 そう、思った時のこと。

 八つの目は、頭上で起こった些細な変化を見逃さなかった。

 確かに影はある。甲虫人の影だ。もぞもぞと何事か身じろいで、月光石の置かれた梁の上に隠れ潜んでいる。先ほどまでは見られなかった謎の動きに、目の一つが釘付けになった。

 何をしている?

 警戒のため、優馬へ半ば被さるように上半身を出した。

 次の瞬間。

「っぐうっ!?」

 煌めきの、雪崩。

 輝石が梁の上から一斉に零れ落ち、突然増大した光量は目を晦ませ、迫る石の群れに腕が反射的な防御を取った。拳大の淡い輝石は忽ち凶器へと変貌し、優馬の肩に当たれば腕を萎えさせ、床に落ちたプラハッタが甲高い音を立てる。優馬自身も身を守らねばならず、落ちたものを気遣う暇もない。

 甲虫人はそれを見逃さず。大量の石とともに宙を舞って、理解の追いつかぬ優馬に躍りかかった。

 迎え撃つのは響き渡る絶叫。

 苦痛や恐怖からくるものではない。恐れ慄かせるための意志ある叫び。プラハッタの刀身が振動で幾度と無く床を叩き、共にけたたましい音声をもたらせば、甲虫人はあからさまに怯みを見せた。前準備のないただの絶叫ではあったが、先のこともあって十分な効果がある。敵にも、味方にも。

 怯んだのは近く居た全員に通ずることで。ほんの一瞬、全ての動きが止まった。

 一番に抜け出すことが出来たのはツェーベルだった。

 すわった目でブツブツと何か呟く優馬の襟首を掴み。後ろへ放るように下げ、落ちた月光石を拾い上げで殴りかかる。刃では滑りそうな甲殻でも、石での打撃ならば甲殻自体への傷も深い。ひび割れ陥没してくれれば、刃を突き立てる隙が増えて良し。ならずとも皮下組織へのダメージは大きいはずだ。

 その一撃が甲虫人の肩へめり込もうとした刹那。目標は軽やかに後ろへ跳び、各関節を曲げて体を低く落とした。いつでも動ける姿勢だ。流石に、石を拾い上げる辺りでこちらも我に返っている。大人しく受けるはずもない。

 空を切れば力の向くまま、体は流れて微かによろめく。反撃はない。体勢を整え、ナイフと石を握り直し、優馬の位置まで後退してツェーベルは護衛へと戻った。

 こうなると分が悪い。

 片や扱い慣れたナイフと、今拾ったばかりの石。片や生来持ち合わせた、両腕の鈎。リーチの面でも、扱いの慣れの面でも、向こう側に利がある。

 一番簡単に覆すのはプラハッタを拾ってしまうことだが、まさか相手も無警戒では居ないだろう。

 ナイフと石を両方目眩ましに使ってもうまくいくかどうか。優馬に拾ってもらい、渡してもらうのが安定した策ではあるのだが。今、優馬は負傷している。多少の損耗は気にかけない方針できたと見て良い。プラハッタという奪取困難な目標を諦め、抵抗の薄い優馬一本に絞れば可能性は高くなる。

 耳栓と、一度直にやられて耳が遠くなっているのが助けになっているかもしれない。音波の衝撃もジンセイが持つ脅威の一つではあるが、聴覚を伝って脳を揺さぶられるよりは遥かにマシだ。

 さっきツェーベル達もそうだったように、少し怯むだけで終わりになる。

 物理的なやり取りでは手詰まりだ。切り替えの必要性を認識して、ツェーベルは即座にそれを行った。

 頭がクラクラしていないといえば嘘になる。けれども、霊質干渉を行えば彼我の身体能力差を埋められるだろう。

 そうと決めれば、どうするか。ほんの少し悩んで、ツェーベルは干渉を開始する。まずは戦場を整え、またそれによって相手を誘い、次につなげ無くてはならない。

 八つの目は前に後ろに、上下に左右に視線を散開して、意識はそこかしこへとその触手を伸ばした。

 大気へ干渉して行う【酸素消失】が世に横行している例からとっても、大気成分へ手を加えること自体は然程難しいことではない。その場に留め置くのは大気の流動があるため困難だが、一部の組成を変化させるだけならコストパフォーマンスはそこそこだ。

 ツェーベルが行なっていることは、そうした点から鑑みると些か負担が大きいものであると言わざるをえないだろう。

 自分を中心として、二十メートルの範囲内にある壁面、床面、それから梁を濡らしてしまうということ。建材表面に撥水性のあるコーティングがされていることもあり、吸水はされない。するとどうなるか。

「……!」

 火災の後で焦げた部分もあるとはいえ、大部分はとても滑りやすくなる。

 甲虫人は軽やかな身のこなしが武器なのは明らか。しかも手足まで硬質となれば手がかりは殆ど失われ、飛び跳ねることが簡単には行かない。

 元々大気の成分として存在していたものを素材に、壁面すれすれで水分へと作り変える。化学的範疇を逸脱しない行為であるため、逸脱したそれよりも負担は少ないが範囲は広く。しかも全て同時に行うとなれば、積み重なって重くのしかかる。

 優馬を後ろに、一歩踏み出した。相手の足を奪った状況。取るべき行動は限られてくる。足が使えるように対抗して干渉するか、その場で砲台になるかだ。すぐさま他の行動を取ることはまず無いだろう。

 裏拳で拳を払った時に感じたことだが、体重ではこちらに分がある。足裏の床だけ乾かして、正面から殴り合えば勝ち目は多い。体術もかなり使える相手らしいが、そのまま戦うか、干渉しながら戦うかの辛い二択を強いられる現状。予想される干渉に対抗しながら、距離を詰めていくのが良い。

 自分が到達するより早く行い得て、かつ一瞬で状況をひっくり返せるような。そんな何かを仕掛けずには、こちら有利でことは運んでいく。

 そしてそんな何かなど──。

 歩みを止め、ツェーベルは再びの霊質干渉を開始した。

 ある。

 そんな何かが!

 霊質の変化を感じ取ればわかる。甲虫人が狙っているのは、月光石。それも中途半端に干渉しては次々目標を替えて、こちらが先にそれを為そうとすれば逆にあちらから干渉の妨害が挟まれる。

 霊質干渉を用いた戦闘は、思考の速度の戦闘だ。如何にして確実に自身が為したいことをなし、相手に為させないかの競争。

 足元で明滅し、やがて元に戻っていく数多の月光石。あたかも夜空に煌めく他の星々が如く、美しくも恐れを抱かせる。

 何をしようとしているのか、見当はついている。即効性を求められる中、輝くものを対象にするということは。

 数少ない定形のまた一つ、【発光】だ。




 二人がそうして争う外で、優馬は静かに自身の肩を撫でた。まだ痛む。けれど手の添え方次第では、再びプラハッタを持つための助けにはなってくれるだろう。

 例えば無事だった方に渾身の力を込め、柄の鍔に密着する位置を握りこむ。力の鈍い方は柄の一番端を軽く押すようにすれば、多少なりとも格好はつくし刃が床を断つことはない。

 姿勢を低くして、手を伸ばす。ツェーベルの股下から甲虫人を覗き見れば、苦々しげな表情を浮かべたようにも見えた。

 ともあれ、明滅する明かりの中試してみる。良好だ。あとは腹筋に力を入れて腹も支えにすれば、うまくすると刺すことが出来るだろう。全体重をかければ、容易く人は死ぬ。

 聞いた通りのスペックを発揮できるのなら、素人でも可能なはずだ。

 肩に石を受けた時。脳裏を過ぎったのはさらなる惨めを晒す自分で。それがなんとも、優馬には腹立たしく。どうあがいても避けるべきことに思えた。

 実害が、彼の心に。いや、彼の気に触れたといったほうが近いだろうか。あくまでも字面の上ではあるのだが。

 卵の殻が割れれば中身が見えるように、人も傷つけば中身が見えてくる。肉は精神と密接に関係し、魂を鎧う壁は血の流出とともに薄っぺらくなっていくものだ。

 昨今は、異常が異常でなくなってきていた。『島』から流れ落ちた水が船を打った時、彼の禊もまた終わったからだ。

 その水が。恐怖が。心から流れ切って、乾ききったのなら。この世界は、完全に彼の日常となり。

 借りてきた猫では、なくなる。

 自らに篭った意思が、果たして本当に自分自身であるのか優馬にはわからない。

 この世界に馴化したとは、どういうことなのか。なんとなく優馬には理解できた気がした。ツェーベルやゼナスト達が教えてくれた色々なこと。神の言葉や、霊質干渉の細々。

 自分もまた、星の産毛となり。即ち根底では星と一体になっている。

 故に自分が今抱いている狙いは、元々持っていた資質なのか。星から流れてきたここのあり方なのか。判断出来なかった。

 その事は空恐ろしい。けれども今は感情が強く。紛れもなく生存を望む本能が、安寧を望む本能が。この欲求を提示して固執し、到底下げる見込みもなく。為せよ為せよと、足を踏み出させる。

 その刹那。

 ツェーベルの背から様子を伺おうとした直前、目もくらむ光が満ち満ち。間を置かずして放たれた再びの光が、廊下奥を灼くように照らすのがかいま見えた。

 優馬は知らないことだが。ツェーベルは月光石から自身の作り上げた水滴へ媒体を移し、甲虫人は予定通り月光石を用いて【発光】を行使したのだ。ほぼ同時に行われた発動は光に指向性を与え、向かい合う二人の目を刺し貫き。視界の全てを鈍く煌めく雲めいた模様で埋め尽くす。

 二メートルほどの体躯が双方とも目を押さえて悶え、その場に呻き悶え立ちすくむが。

 優馬にそれはない。

 守るように立っていたツェーベルの体に遮られて、視界の端僅かをかすめたに過ぎなかった。

 ちらちら忙しい明滅は鬱陶しくも、優馬の動きを止めるものではなく。踏み出した足が湿った足音を立て。目の潰れた二人も、足音を聞き逃すことはなかったようである。

 けれど何を出来るでもなし。

 血に乗せて心のざわめきを排しながら、共に乗って表に出てきた優馬の深層は。ためらいのない足取りで着実に距離を詰め、紛れもなく死の足音を代弁する。

 力強く握りしめた手の中。プラハッタは驚きの表情を浮かべて、同時に懐かしそうな様子も見せると。内心でこう思った。

 なるほど、麻井 栄治の友人で居られるわけだ。

 甲虫人は少しでも遠ざかろうとして、足を滑らせる。ツェーベルの用いた霊質干渉は覿面に効果を発し、硬質な手足での速やかな動きを認めない。両者間に発生する摩擦は微かな熱となり失われ、支えとしてとどめおくのは難しく。

 遠い耳では音も遙かに。閉じた耳では捉えられるはずもなければ。ただ気配で、死が目の前に立つのを許してしまったと、気ばかり焦る結果を呼び込んで。

 その哀れな様を見たプラハッタはわざわざため息を漏らし。

 わざわざ、大きく息を吸った。




 立ち上がって即座の銃撃は、まず当たるものではない。けれど威嚇するには十分である。

 例え相手が堅牢な装甲に身を守られていたとしても、運命が悪戯して軟い部分に滑りこむ可能性は十分にあるからだ。

 狭い部屋の中。二メートル半の巨躯と、半分あるかどうかの丸い体が向かい合った。

 粉砕した壁材がパラパラと音を立てて床に積り、大きめの塊がゼナストの背中に弾かれてあらぬ方向へ飛んでいく。押し込まれた破片は両者の間に横たわって双方を見上げ、落ちた時に喚いたのを除けば沈黙を決め込み。家具は元々合った位置のまま、今は邪魔することなくそこにある。

 耳栓越しでも聞こえるよう、大きな声があがった。

「へっへっへっへっ……良かったのかい? こっちに一人で来てよ。あの八つ目は悪魔くんを守りきれるかな?」

「お前さんの相方ぁ、耳をやられちまったろう。その上ツェーベルぁ目が良いし、学徒でもある。簡単にぁやられやしねえさ」

「そりゃお互い様じゃねえか。耳ならそっちの八つ目に、悪魔くんもやられたはずだぜ。随分なお荷物抱えてどこまで出来るか。ジンセイだって、ほいほい使えるもんじゃあるまいによ」

「ああとも。だから博士にぁ、感謝してもしきれねえ。いくら使っても自分が責任取るって言って下さった」

「へっ。なるほど……どうやら悪魔くんには、よっぽどご友人と同じ道をたどってほしくないらしいな」

「当たり前だ。進んであんな姿になろうなんて奴、いやしねえだろう」

「どうかな? 何事も挑戦だ。それこそが、星霊の望まれるところだと思わねえ、かっ!」

 三度、酸の瓶。

 二度目よりは至近距離で、一度目よりは離れている。正面から体の中心を狙っている分、軌道は避けづらいものだろう。

 同じ手を。

 ここへ来た時と同じように、また手でいなすべくそっと掲げる。ふと、動きを止めた。放置しがたい疑問が肩に楔を差す。同じ事を、三度? しかも避けられ、流されすらしているのに。

 答えはすぐにもたらされた。

 拳銃は撃鉄を降ろされ、すぐさま狙いが付けられる。放物線を描く瓶はゆるやかに頂点へ達し、両足を広げて構えられた銃口は狂いなくそれを捉えた。

 銃声。ゼナストが腕で顔を庇う。水音がして、悪臭が立ち上った。

「ぐっ! げほっ、ごほっ!」

「これでもう、かばえねえぞ」

 間髪入れぬ二発の銃弾が、ゼナストの右腕を穿った。一発目が酸で軟いだ装甲を割り、二発目が肉を抉る。

「ぐ、あ、がああっ!」

「なまじ頑丈なのは不便だよな。銃弾が出ていかねえってのは、きついだろう」

 重装甲故の弊害だった。

 重い体を動かす分、守られた筋肉も十分な強度を持つことは間違いない。それに装甲を合わせれば減速した銃弾が貫き通すことは難しく、中で挫けて孕んだ痛みを放ち続ける。摘出のために腰を据えて施術しなければ、解決することは出来ないだろう。

「死にな」

 ゼナストにとって、こんな痛みは久しぶりだ。

 いつだって生来持ち合わせた鎧が守ってくれたし、襲ってくる方も物理的には仕掛けてこなかった。

 戦士団の訓練の中、練達の戦士たちが繰り出してくる攻撃とて多くは衝撃であり、装甲を割るものではなく。装甲を割る危険のあるような攻撃は流すことができて、銃弾では貫くことが出来なかった。

 思い出すのは、未熟な頃に受けた浸透する打撃の痛み。今教師としてあることの、根底にあるものだった。

「ぐうっ!」

 口元に【酸素消失】の気配を感じ取って、悶えながらもゼナストは息を止め前進する。

 耐えられない。だが間一髪。取り込めたのは豊かな酸素で、活力が体に戻る。その分だけ感覚も鋭敏になり、右腕はことさらに痛んだが、歯を食いしばり耐えた。

 踏み出した左に回転のモーメントを加えて、尾をふるう。掠めたベッドの角が砕け散り、ドワーフに振りかかる。

「ちいっ!」

 更に後ろへ下がり、ドワーフは避けた。今度こそどん詰まりだ。これ以上下がることは出来ない。

 ゼナストは右腕を庇うように体の左側面を向けて睨みつける。酸を浴びたのは左腕も同じ。量は若干少ないとはいっても、然るべき所に銃弾がさされば破砕は免れないだろう。

 どちらも、わかっている。

 ドワーフは構えて、ゼナストは踏み出した。

 銃口の狙いは再び顔。そこを狙われては庇わざるを得ず、確実に左腕へ命中する。ゼナストが掴みかかるにも十分な距離であるということは、当てることが容易であることも示し。左腕を破壊すれば抵抗手段も限られる。

 確殺の一手。

 死を打ち込むべく指は曲がり。

 遠く聞こえた耳栓越しの叫びに、身がすくんだ。

「んぐっ!? しまっ」

 狙いずれた銃弾が、ゼナストの胴体装甲に弾かれて壁に埋まる。

 ドワーフは緊急避難を選んだ。得意とする丸い体を生かした飛び込み前転移動。瓶類を使い果たした今ならもっと軽やかに、ゼナストが痛みに誤魔化されて竦まなかった分、更に早く。隣の角へと、体を転がす。

 これで五発。手持ちの回転式拳銃は装弾数六発であり、一発しか残弾がない。ゼナストの左腕を破壊するには不十分だ。

 装填する必要がある。しかし、今の状況で出来るのか。

 庇う備えをしていた分ゼナストの左腕が伸びるのに時間はかかり。今も体勢を立て直しているところだが、装填の終わった頃には捕まっているだろう。

 ゼナストの目が、そんなドワーフを捉えた。

 今度は外さない。痛みが研ぎ澄ました意識は、その痛みを遠ざける。

 双方考えをめぐらし、右腕に意識を向けた。片や、さらなる痛みで行動を止めるため。片や、久方ぶりの傷に思い巡らせて。

 そして、正面から向かい合い。

 閃光が目を灼いた。

「ぐあああっ!」

 どちらの叫びか。どちらにもわからない。

 ただ、確かなのは。ゼナストはドワーフのように狙いを付ける必要もなく。真っ直ぐ前進すれば足りるという事で。

「捕まえたぜえ……っ!」

 閉じた視界の中、確かな手応えを得ると。高く掲げて、力強く、叩きつけた。

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