時のカケラ①
あれから半年が経った。
俺の首筋をしつこくも攻撃してきた太陽光は雲という衛兵に隠されてしまっている。
俺のヒマワリは真っ白い雪の下に溶け、自慢の庭は色を亡くして少し寂しそうだ。
あれだけ言っていたが結局、俺の離宮には家族が増えた。
彼女と結婚したのがまだ昨日のようにその出会いは強烈で、俺は今でもおかしくなってしまう。
今思えば、この結婚はタイミングがよかったのだ。
俺の笑顔が死ななくて済んだのも、俺の家族が居続けてくれるのも、全ては彼女との出会いがくれた幸運だ。
『は、はじめまして。第三王子のアブソリュート・メリシアです。この度は…』
俺は第一印象が大事だというおばちゃんたちに従って、必死で覚えた常套句を読み上げた。
緊張しまくりの体だ、噛みまくっていたが気にしない。
だが下を向いていたせいで相手の顔はおろか、足の先っぽも見えない。
『あの、こんなにお綺麗な方が俺…や、私の妻になるなどとは感激の至りでありまして…』
あれ、最初の挨拶ってこんなんだっけ?
え、何か違くない?
その時後ろで必死に笑いを堪えるクロードがいたのだが、背中に目がついていない俺にはわからない。
『つまり…まだ成人したばかりでこんな至らない私と人生を共にするなどと考えて頂けるとは夢のようでありまして、』
あれ、そろそろ何か一言あってもいいよな?
というかそろそろ話のネタがなくなるんですけど。
俺は一向に何のリアクションもない相手に不安になった。
離宮で暮らしていたから、というわけではないが、あまり人付き合いに慣れていない俺にとっては初対面の相手の沈黙程怖いものはない。
いや、リンさんの沈黙の笑顔と同じくらい怖い。
『か…』
あ、しゃべった。
『か・え・る!!』
『…ぅえ―――――!?』
彼女のまさかの発言が俺の首を持ち上げた。
ドリフも真っ青なリアクションだ。
初めて見た彼女は、とても綺麗だった。
俯いて賛辞を並べ立てていたけれど嘘じゃない。
茶色いまっすぐな髪の毛を背中に垂らし、落ち着いた青いドレスを着ていた。
お姫様らしく優雅な佇まいは、まるで小さい頃に母上にもらった人形みたいに美しくて。
人形よりも白い肌は柔らかそうでいて何一つ受け入れないような純粋さを兼ね備えていた。
まん丸い瞳は髪の毛と同じく凜としていて、見つめられたら心臓が止まりそうだ。
ただ、今彼女の瞳は何も映していない。
『ちょっと、イヴ!?一体何をおっしゃるの、王子にお謝りなさい!!』
『嫌よ!!こんなナヨナヨ男、きっと何をしてもナヨナヨだわ!!それに、お母様約束したわ!!』
ナヨナヨ...
寝ずに練習した挨拶が致命的だったらしい。
俺は彼女の中でナヨナヨ王子に決定だ。
へこむ。
『私は誰とも結婚しません。お姉様たちがいらっしゃるのに何故私が先にしなくてはならないの!?』
『イヴ!!』
『約束よ、お母様!!私の目に敵うような素敵な王子様だったら考えるって言ったけれど、こんなナヨナヨ王子はゴメンだわ!!』
俺は悲しみを通り越して悟りの境地にいた。
クロードが一目も憚らず爆笑している…よいよい、笑いたまえ諸君。
俺だって笑いたいよ。
あれ。おかしいな。前が見えない。
視界の端に父上と、同じくらいの女性が見えた。
彼女は一番上の兄の母上で、一番正妻と言える立場にある。
二人とも、普段は厳しく冷静でいるのにこの時ばかりは唖然とするより他ないようだ。
そうこうしているうちに、イヴは長いドレスを男前にも両手で持ち上げて、足早にこの扉から出て行こうとしていた。
俺ははっとして、急いで彼女の前に回り込む。
『ちょっと待って!!』
緊張で彼女の前に突き出した両手が小刻みに揺れる。
男ならしっかりしろ!!
『どいて、邪魔よ。』
『退けないよ。』
『どいて!!』
『退けない。』
怒りで茶色い瞳が赤く燃えたが、俺はそれをあえて覗き込んだ。
『どいてってば。』
『なら俺と一緒に来て。』
俺は彼女の白い腕を掴むと、一緒に扉に向かった。
扉は閉じていたはずだが、いつの間にかちょうど二人分空いている。
俺はクロードに後を任せるというように目を合わせると、まだ何か喚いている彼女を連れて外に飛び出した。
俺と彼女がやってきたのはとある一室だった。王の間とは反対側、城の西端にある日当たりの良い部屋だ。
かつてここは母上に宛がわれていた部屋だったが、多くいる妃の中でも最も王から遠い場所だった。
だからこそ俺は今ここに来たのだが。
母上が出て行ってからは誰も使っていないが、いつ来てもまるで新居のようだ。
手垢ひとつないピカピカのドアノブを思い切り引っ張ると、イヴの腕を引いて中へ押し入れた。扉を閉めるついでに廊下を見たが、どうやら誰も追ってきてはいないらしい。
『痛い!!』
金切り声をあげた彼女の腕を見ると、俺の5本の指の跡がくっきりと残ってしまっていた。
なまじ色が白い分、アクセントカラーのようになってしまっている。
罪悪感を感じ、俺は急いで謝った。
『ご、ごめん!!』
赤くなった腕を摩って彼女は俺を睨みつける。
『一体なんなのよ!?私をどうするつもり?』
『いやいやいや!!変なつもりは全くないよ!ただちょっと君と話がしたくて…』
『話すことなんて何もないわ。帰るって言った。結婚もしない。』
『俺のこと嫌い?』
『嫌いよ!!いいからそこをどいて!!!』
大理石の床を傷付ける程にヒールを踏み締めて、彼女はドアに向かって突進してきたが、無論俺が通すわけがない。
肩を押さえて彼女をしっかりと見つめた。
彼女の後ろに秘められた何かを探るために。
『どいて!!どいてったら!!』
時間がないの!!
一心不乱に暴れる彼女を落ち着かせるのは容易なことではないが、俺は彼女が立ち止まらざるをえない状況に陥らせなければならなかった。
『落ち着いて。ここには誰もいないし、誰も来ないよ。そして俺たちがここにいることも、誰も知らない。』
俺の使用人兼親友は大変優秀だ。俺が城に来る度、ここに来ることは知っているだろうが、決して誰にも言わない。俺にも何も言わないでいてくれる。
そして俺がここに来る度にクロードは人払いをしてくれていたため、一人で静かに過ごす時間が獲得できる部屋になった。
今も、クロードが何らかの理由をつけていてくれているのだろう。
とはいえ、あの部屋にあのメンバーと共に置き去りにし、全てを任せてきてしまったのだ。いくらクロードが優秀であろうとも多少の骨は折るに違いない。後で謝らなきゃ。
折角綺麗にセットしてもらった髪が、激しく動いたせいで乱れてしまっている。
汗で張り付いた髪の毛が彼女の口の中に入っていたが、彼女は気付いていないようだった。
『なぁ、何をそんなに急いでるんだ?用事でもあるのかな。』
『・・・』
『それとも、ここにいちゃいけない理由でもあるの?』
その言葉に彼女は僅かだが動きを弱め、目を反らした。
逆に俺は肩に当てた手の力を込める。
『俺と結婚するのが嫌だから、こんな風に逃げてるんじゃないよね。』
確信はあったので、あえて疑問形ではなく畳み掛ける。
『…どきなさいよ。』
彼女はついに動かなくなったが、顔は俯いてしまったので表情が見えない。
震えた声が泣いているようにも、物凄い怒っているようにも聞こえるようで、俺は些か不安になった。
『どかないよ。理由が聞きたい。そしたらどくよ。』
『どいてったら!!さもないと…』
勢いをつけて顔を上げた彼女は、真っ赤にして激昂した。
肩を掴んでいた俺を乱暴に突き飛ばすと、腰にあったリボンを解いた。
『…っ!?』
しかし腰に片手を充てたまま目を見開いて動かなくなった。
開いた口が塞がらないとはこのことだろう。
『探しものはこれかい?』
俺は「それ」を彼女によく見えるように掲げた。
銀色に光る小型ナイフ。
今の彼女の心そのものだ。