エピローグ
身体はもう、屋上の外へ傾いていた。
繋がれた手の先に、黒澤君がいる。
決断も、これからも、大事な人たちの顔も。
全部が一気に押し寄せて、整理する暇なんてなかった。
だから――反射で動いた。
わたしは、その手を振りほどいた。
「絶対に離さない」みたいに強かったはずの握力が、驚くほどあっさりほどける。
黒澤君の顔が、驚愕に染まる。
わたしは両手で、彼の胸を押した。
屋上へ押し返す。
反動で、わたしの身体だけが大きく外へ跳ねた。
宙に浮く。
伸ばされる手。
首を横に振って、呟く。
「正義の味方だから」
落ちていく。
何秒が、何分にも感じた。
次の瞬間、背中から何かが身体を突き破るような痛み。
青かったはずの空が、紅蓮に滲んだ。
瞼を開けていることすら億劫で。
視界は、黒へ溶けていった。
――痛みが、すっと消える。
布団の中みたいな温かさが、身体を包んだ。
「どうしてだよ……」
そこで、感覚が戻る。
痛みが増す。息が詰まる。
けれど「痛い」とすら言えない。
死力を尽くして、瞼を押し上げた。
はるか上。
屋上から覗き込む黒澤君が、滲んで見えた。
――そうか。今のは、そういうことか。
納得して、わたしは笑っていた。
もう、死が怖くなかった。
「……っ、……ぅ……」
答えようとした。
ずっと先の未来で、黒澤君に投げられた問いに。
でも、息が吐けない。言葉が出ない。
むせ返って、喉が鳴るだけだった。
意識が遠のく。
それでも、伝えなきゃと思った。
どうして、わたしは黒澤君に心中の話を持ちかけたのか。
たぶん――似ていたからだ。
事情なんて何も知らないのに。
なのに、鏡みたいに見えたから。
……ありがとう、黒澤君。わたしを見つけてくれて。
空気は震えない。
わたしは、開いていた瞼を落とした。
「ユウカ!」
身体が揺さぶられる。
声と、掌の温もり。
それだけで胸が裂けそうになって、涙が滲んだ。
優しい手。
暖かい声。
全部が、愛おしい。
触れたい。顔が見たい。ずっと声を聞きたい。
瞼は開かない。
腕は鉛みたいに重い。
それでも持ち上げて、指先で頬に触れた。
ずっと言えなかった言葉がある。
ずっと伝えたかった気持ちがある。
残った力で、ひとつにまとめる。
未来で選ぶ道と正反対でも――これは本心だった。
最後の力を振り絞って、視界を開かせる。
滲む世界の中で、まっすぐ彼を見た。
肺の奥から、ありったけの空気を吐き出して。
「だいすきだよ」
たった一言。
いつも貰ってばかりだったわたしから、ハジメ君へ。
あと、そうだなぁ。
もう一つ、願うことがあるとすれば――。
どうか、わたし以外の全ての人が、幸せでありますように。
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